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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
131/251

化生の雛



 力を奪い尽くしたアルフラが、氷膨の残骸からゆらりと身を起こす。


「きもちわるい……」


 一言つぶやき、アルフラは革鎧の留め金を外し始めた。

 真夏にもかかわらず、一向に溶ける気配のない雪の上に、革鎧が落とされる。

 血が固まり、ぱりぱりになってしまった貫頭衣(チェニック)が不快らしく、襟首をつまみアルフラは顔をしかめる。もう片方の手は、しっかりと銀製のペンダントを握りしめていた。白蓮の髪が収められた品だ。

 もの思いに沈むかのように、その表情は影を帯びる。


 やや茫然とした面持ちのアルフラを前に、一同はどう言葉をかけてよいものか分からず、やはり(ぼう)と立ち尽くしていた。


 どこか様子が普段と違う。


 シグナムは遠巻きにアルフラの表情を観察する。

 強張った顔のジャンヌに寄り添ったルゥからは、あからさまな(おび)えがうかがえた。

 フレインも、どこがどうとは言えないのだが、今のアルフラに強烈な違和感を覚えていた。


 これまでのアルフラなら、腹を満たした後は緊張を解き、年相応の幼さを見せていた。戦いの直後は、シグナムに甘えるような仕草をしていたことが多かったように思える。だが、いまのアルフラからは、戦いの最中(さなか)にいるかのような張り詰めた雰囲気が消えない。


「アルフラさん……」


 かすれた声に呼びかけられ、アルフラが目を向ける。その暗い瞳に、我知らずフレインは肩を震わせた。息をのみ、一歩あとじさる。

 なんの用かと問いかけるように、アルフラはフレインを見据える。生乾きの血を、口許から喉にかけてべっとりと張りつかせたままに。


「あ……」


 その鬼気迫る様相に、フレインは二の句がつげない。何度もまばたきを繰り返し、じっとアルフラを凝視する。

 鳶色の瞳は余裕なく見開かれ、闇夜にまぎれた猫科の動物のように瞳孔が拡がっていた。

 あどけない曲線を描く頬は剣呑にゆがみ、少女らしさは微塵も感じられない。

 いまもなお、アルフラは枯渇しているのだ。臨戦態勢をとった野生の肉食獣のように。

 普段の愛らしさはかけらもないが、そこにはどこか、超然とした美しさがあった。


「アルフラちゃん……なにがあったんだ?」


 様子をうかがっていたシグナムが、用心深げに問うた。

 一瞬――うぶ毛が逆立つかのような冷たい間を置いて、アルフラの口が開かれる。


「……白蓮が、きたの」


「え……?」


 慌ててシグナム達は周囲を見回す。


「でも……またいっちゃった……」


「行っちゃったって……?」


 状況が飲み込めず、詳しく問いただしたいところではあるが、うかつに掘り下げてよい話でないことも、みな理解していた。

 居心地の悪い沈黙が降りた場に、鎧甲冑のこすれる金属音が響く。

 背後に数名の騎士を従えたディモス将軍が、足早に近づいてきていた。


「侯爵位の魔族は!? そなたら――」


 言いかけたディモス将軍は歩みを止め、無惨な死骸に視線を落とす。

 わなわなと体を震わせながら、信じられないといった表情でうめく。


「まさか……倒したのか? 侯爵位の魔族を……?」


 物言わぬアルフラに代わり、フレインが答える。


「間違いなく。その屍は侯爵位の魔族、氷膨のものです」


 ディモス将軍は、身をのけ反らせてしばし硬直した。そしてまじまじと、雪上に晒された(むくろ)とフレインの顔を見比べる。


「本当に……侯爵位の魔族を倒したというのか……」


 独り言めいて発せられた声に、フレインは頷く。


「こちらのアルフラさんの手によって」


「おお! なんということだ……いまだに信じられん」


「この働きによって、私達は充分、援軍としての責をなしたと言えるでしょう」


「……充分などといったものではない。ああ……なんと感謝すればよいか……」


 呼吸が不足しているかのごとく大きく息をつき、ディモス将軍は言葉をつづける。


「そなたらはこのロマリアを救ってくれた。まさに救国の勇士だ」


 感極まったディモス将軍は、目尻に涙すら浮かべて言い募る。


「是非、そなたらを上都の王宮へとお招きしたい」


 やや面食らったようにフレインは尋ねる。


「王宮、ですか?」


「いかにも。これほどの恩を受けたのだ。そなたらをこのままレギウスへは帰せん。こたびの働きは、女王陛下より直接のお言葉を頂くに値する」


「はぁ……」


 困ったように返答をにごらせ、フレインは仲間達へ顔を向ける。その視線を受けてシグナムが声を上げた。


「とりあえず、まだ戦いは終わってないんだろ? その話は砦を落としてからだ」


「うむ、そうであったな。だが、皇竜騎士団に多大な被害がでておるので、少々時間がかかるかもしれん。現在アラド子爵が、トスカナ砦攻略のための部隊を取りまとめている」


「あの吹雪でやられたのか?」


 シグナムの問いに、ディモス将軍は厳しい顔で首肯する。


「魔族と交戦中であった一個連隊(約五千人)が、吹雪に巻き込まれてほぼ壊滅している」


「あの一瞬でそれ程の被害が……」


 なんの前触れもなく猛威を振るった氷雪の嵐は、魔族のみならずロマリア兵にも多くの犠牲者を出していた。

 ディモス将軍は、それを氷膨の仕業だと考えているようだ。しかし、フレインはそれ以外にも、ふたつの可能性に思いあたった。

 脳裏によぎったのは、この場へ訪れたといわれる白蓮の姿。そして、なぜか不穏な様子を見せるアルフラ。だが――


「凄まじいものですね。侯爵位の魔族の力は」


 フレインはそう応じた。


「まったくだ。――しかし、侯爵位の魔族と相対した結果としては、五千足らずの被害など軽微と言えるだろう。本来ならば勝てるはずのない戦いだったのだ。これもすべては、そなたらの力添えあっての事と言える。重ねて礼を申さねばな」


 深々と頭を下げ、ディモス将軍は表情を和らげる。


「砦に残された魔族の守備兵は大した数ではなかろう。あとは我らに任せ、そなたらはゆるりと身を休ませ――」


 かけられたねぎらいの言葉が終わる前に、アルフラが駆け出していた。


「あっ……アルフラちゃん!?」


 目指した先はトスカナ砦。


「くそっ、まだ足りないのかよ!」


 そう毒づき、シグナムは後を追い走り出す――が、ふと立ち止まり、アルフラの革鎧を拾いあげる。そしてディモス将軍へと叫んだ。



「急いで砦に兵をまわしてくれ! あたし達は先に行ってる」





 石造りの暗い室内。すでに日は落ち、淡いカンテラの光だけが光源となっていた。

 部屋の中央では、数人の魔族が立ち尽くし、扉を見つめている。その内の一人は、咬焼(こうしょう)の副官であり、砦の守備隊長を勤める女だった。

 トスカナ砦の最深部にあたる玉座の間に、張り詰めた沈黙が流れる。


 壁際には身を寄せ合った女達が数名。こちらは人間の女だ。

 みなが緊張の面持ちで、分厚い樫の扉を見つめる。内側からは太い(かんぬき)がかけられ、椅子や食卓などを立てかけて補強がなされていた。

 室外からは喧騒が――戦いの気配が伝わってくる。それは悲鳴。怒号。断末魔。そして鋭い破裂音。鈍い爆発音。空気を裂く風切(かざき)り音。――人同士の戦いではない。砦の守備兵。魔族達が抗戦しているのだ。

 それらの音は、徐々に近づいてきていた。


「母様……」


 アウラの腕の中で、オクタヴィアが不安そうにつぶやいた。


「大丈夫。……大丈夫よ。あなただけは、私が守ってあげるわ」


 強くかき抱き、かすれた声でアウラは告げた。

 戦いの趨勢はすでに決していた。それはアウラにも感じられた。

 ロマリア軍が攻め寄せてきたという(しらせ)が届いてからわずか一時(いっとき)(約二時間)。

 数刻前、咬焼が討ち取られたという悲鳴まじりの叫びを聞いた時は、アウラも歓喜に打ち震えもした。しかし、侯爵位の魔族、氷膨が迎撃に出たことにより、ロマリア軍はそう時を置かず敗走するだろうとアウラは予想していた。


 それも当然だ。


 神話の時代まで歴史を(さかのぼ)っても、人間が侯爵位の魔族を倒せたという記述は皆無なのだから。


 だが、現状はどうか。


 砦内が戦場となっていることを考えれば、敗走したのはむしろ氷膨の方なのではないだろうか。

 だとすれば、間もなくロマリア兵が――助けがくるはずだ。

 しかし果たして、人間が侯爵位の魔族を(くだ)すことなど可能なのだろうか。そんな疑問が浮かんでくる。

 アウラの持ちえる常識に照らし合わせるかぎり、それは不可能だ。


 ならば、固く閉ざされた扉が次に開かれたとき、そこに立っているのは何者なのだろう。また玉座の主が変わるのであろうか。それは一概に、助けとは言えないのかもしれない。


 ここ連日続いたアウラの波乱も、いよいよ終局を迎えようとしていた。

 扉のすぐ外側から、凄まじい絶叫が聞こえてきた。


 娘の背をしっかりと抱き、みずからの胸へ隠すようにして、アウラは玉座の後ろへまわる。

 魔族達は広い室内に散開し、迎え撃つ構えをとった。その誰もが、とても悲壮な顔をしていた。ほんの先程まで、彼らは降伏をしようと話しあっていたのだ。しかし、砦の魔族を次々と斬り捨てていく恐るべき殺戮者は、ひざまづいた者すら容赦なく首を撥ねるのだと誰かが言った。

 化け物だ、怪物だ――と魔族達は口々に罵っていた。人間から見れば、それこそ化け物以外の何者でもない魔族達の怯える様は、アウラにとっては滑稽であり恐ろしくもあった。


 そして……


「ッ――!?」


 魔族達が息を呑み、警戒を強めた。

 扉の前に積まれた家具がゆらぐ。

 がたり、と立てかけられた椅子が崩れ落ちた。

 樫の扉から突き出た鋭利な白刃。――アウラの細腕よりなお華奢なその刀身が、堅い木材を断ち斬る。

 堅固なはずの閂を縦に割り、裂けた隙間から爛々と輝く瞳が室内を覗き込む。


 得体の知れないナニかが、じっと内部の様子をうかがい見ていた。


 声にならない悲鳴を上げて、魔族達は後ずさる。

 アウラはぞっと身震いし、全身の体毛が立ち上がるのを感じた。

 扉が勢いよく蹴り開けられる。

 金属製の蝶番(ちょうつがい)が弾け飛ぶ。

 積み上げられた食卓や椅子が、扉ごと崩れ落ちた。


 砕けた木片を踏みしだき、血刀片手に現れたのは、一人の少女だった。その姿は小さく、とても幼い。

 室内の誰よりも小柄な少女は、しかし誰もを圧する殺伐とした空気をまとっていた。

 魔族達は引き攣った表情筋を弛緩させ、唇には微笑にも似た空隙(くうげき)が開く。――おそらく、諦めの笑みなのだろう。

 アウラも魔族達同様、瞬時に死を覚悟した。血塗れの少女が、咬焼や氷膨をも上回る災禍であることが、生物的な本能で理解出来たのだ。


 それは、いったいどんな恐ろしい化け物が出てくるのか、と息を詰めていたアウラの想像を、遥かに絶する存在であった。生きて行く上で、人としてのまともな死に方を望むのであれば、決して出逢ってはならない少女なのだ。

 恐怖心など麻痺してしまうほどの圧倒的な殺意にあてられ、アウラは力なく囁く。


「ごめんなさい……オクタヴィア……」


 守ってやることなど出来るはずもない。

 アウラの胸中を覆ったのは、単純な恐怖ではない。それは、畏怖と形容するに値する感情だった。――自然の脅威、神々の御業。そういった抗うすべのない(わざわい)が、室内に吹き荒れた。

 人間の戦士などものともしないはずの魔族が、実にあっさりと斬り倒されていく。

 周囲はあっという間に赤い浴槽のよう。

 強い血臭にアウラは口許をおさえる。


 ごくごく短い時間で、すべての魔族が床に転がされていた。

 少女は手にした細剣を一振りし、刀身の血を切る。そして倒れた魔族の服で、ぬめる脂を拭き始めた。

 事を終え、少女は細剣を鞘に収める。

 かわりに腰の剣帯から、狩猟刀が抜き放たれた。


 次はいよいよ自分達の番なのだとアウラは思った。少女は、女を斬るのに細剣は必要ないと考えたのだろう、と。


 だが、ぐるりと周囲を見回した少女は、ただ物色するかのように、魔族の屍を順に見やっていく。


「あの……」


 少女の意図が分からず、アウラは思わず声を出していた。

 それでも少女は、アウラ達には興味なさげな一瞥を送り、すぐに視線を外す。

 よほどの重大事なのか、念入りに屍を検分している。


 もしかして、とアウラは思う。

 もしかして自分達は助かったのだろうか。

 咬焼は討たれ、氷膨もここにはなく、砦の守備隊長はいま、ぴくりとも動かず床に倒れている。そして、それを行った殺戮者はアウラ達には一切執心していない。


「母様……私たち、助かった、の?」


 オクタヴィアがアウラを見上げていた。娘の痩せた面立ちを見つめ、アウラは戸惑いから答えを返すことが出来ない。うつむいたその耳に、鋼の擦れあう重い音が届いた。

 顔を上げると、甲冑を身につけた背の高い女が、扉から駆け入ってくる。


「アルフラちゃん! 鎧もつけずに……」


 勢い込んで辺りを見回した女戦士は、すぐに口をつぐんだ。魔族はあらかた死に絶えている。戦いはすでに終わったのだ。


「――必要なかったか……」


 大きく息をはいた女戦士の背後から、さらに数人の人影が室内へ入ってくる。

 導衣を着た青年。神官服の娘。白髪赤眼(はくはつせきがん)の少女。まとまりのない雑多なその身なりに、アウラはしばし唖然としてしまう。


「な、何者ですか? ロマリア軍の方ではないように見受けられますが」


「ええ」


 導衣の青年がアウラに応じる。


「私達はレギウスの者です。トスカナ砦奪還の部隊に従軍し、こちらへ参りました」


「レギウスの……」


 娘を抱きしめたまま、警戒のそぶりを見せるアウラへ、青年は柔和な表情を作り笑いかける。


「あなた方は魔族の捕虜となっていたのですね?」


「は、はい」


「そうですか。しかし、安心なされて下さい。もう心配はいりませんよ。じきにロマリアの騎士達もここへ来るでしょう……あ、ほら――」


 青年は戸口を指さす。

 通路の暗がりに、いくつかのゆれる炎が見えた。おそらくたいまつの(ともしび)なのだろう。

 甲冑の擦れる馴染み深い響きが、アウラの耳にも聞き取れた。


 扉の残骸を踏み、口髭をたくわえた男が入室してくる。

 アウラの顔に驚愕が浮かぶ。男が着用している竜鱗を模した騎士鎧は、近衛隊が着用するものだ。


「なぜ近衛の方が……?」


 近衛の職分は、王族の警護と王宮守護だ。彼らが上都から離れることは極めて稀と言える。

 男が口髭を撫でつけ、何か言葉を発しようとしたとき、彼の背後から高い声が響いた。


義母(はは)上!!」


 騎士達をかき分け、一人の若武者が進み出る。


「ア、アルセイド!?」


 故エルテフォンヌ伯爵の長男であり、アウラにとっては、すでに死去した前妻の息子にあたる。


「ご無事でなによりです」


 相好を崩し、嬉しそうに白い歯を見せたアルセイドへ、アウラは涙声で応える。


「ああ……あなたも、無事でよかった……」


「アルセイド兄様……?」


 オクタヴィアが母の胸元から顔を起こした。そして、意味をなさぬ呻き声を上げ、異母兄へと駆け寄る。


「ああぁぁ、兄様! アルセイド兄様!!」


 アルセイドはオクタヴィアの体を優しく支え、泣きながら肩を震わせる妹をなだめる。


「オクタヴィア、こんなに痩せてしまって。さぞ辛い思いをしたのだろうね。でも、もう大丈夫だよ」


 腹違いの兄に事のほか懐いていたオクタヴィアは、優しい言葉をかけられ、安堵のあまりより一層泣きじゃくった。


 その光景を目にしたアウラは、くたりと床に倒れ込む。ようやく虜囚としての日々から解放されたことを実感し、膝から力が抜けてしまっていた。抱き合う兄妹をしばし眺め、そして我にかえったかのように口を開く。


「氷膨は……侯爵位の魔族はどうなったのですか? 咬焼が討ち取られたという話は聞きましたが……」


「死にましたよ」


 口髭の男が簡潔に答えた。


「申し遅れました。私は王宮近衛の副隊長を勤める、ヨシュア・ネスティです」


 その名にはアウラも聞き覚えがあった。ロマリアの者であれば、知らぬはずのない剣士だ。


「ヨシュア様が氷膨を、そして咬焼を討ち倒されたのでしょうか?」


 そう尋ねたアウラの瞳に、強い憎悪が宿る。一時は咬焼が死ぬまでは自分も死ねないとまで覚悟を決めていたのだ。その思いには根深いものがある。


「いえ……」


 ヨシュアは首を振り、屍にかがみ込んだ少女の後ろ姿を手で指し示す。――なぜかその少女は、咬焼の副官であった魔族の死体に夢中なようだった。


「あの男の……咬焼の死に様を聞かせて下さい」


 硬い声でアウラは問う。

 つのった恨みは、生中(なまなか)な死に方では許せないという思いを生んでいた。

 夫を殺され、娘を殺され、あまつさえ体を汚されるという辱めまで受けたのだ。

 鬼畜の所業を尽くした咬焼に対し、それ相応の無惨な最後をアウラは願っていた。


「……聞かない方が、よいでしょう」


 ヨシュアはため息まじりにそう告げた。


「なぜ、ですか?」


 アウラの表情が失望に沈む。――しかし、次の一言でその眼が大きく見開かれた。


「とても……やんごとなきご婦人に、聞かせられるような話ではない。胸が悪くなるような(むご)い死に様でした」


「聞かせて……」


 歓喜に彩られた声でアウラは叫ぶ。


「詳しく聞かせて下さい!!」


 顔をしかめたヨシュアに代わり、アルセイドが話を引き継いだ。


「義母上。私もその場に居合わせたのですが、それは……本当に酷いものでしたよ」


 アウラは期待に表情を輝かせる。その想いを汲み取ったのか、アルセイドはとつとつと言葉をつづける。


「咬焼は何度も何度も……顔が潰れるほどに殴られ、子供のように泣き叫んでいました。……その後、顎に短刀を刺され、血を啜られ……たすけてくれ、と弱々しく声を上げていましたが、そのまま腹を開かれ…」


 話された内容のあまりの凄惨さに、アウラの顔がゆがむ。醜悪な喜びに。


「あの男は、想像もつかないほどの苦しみを受けたと思います。なんせ咬焼は、生きたまま……」


 そこでアルセイドは、屍にまたがった少女へ顔を向けた。


「……あれと同じことをされたのですから」


「あ、あぁ……」


 感に堪えないといった面持ちで、アウラは言葉を吐き出す。


「咬焼は、生きたまま腹を裂かれて……臓腑(ぞうふ)を引きずり出されたのですね?」


「……はい。おそらく氷膨も同じような末路をたどったのだと思います」


「あぁ……ああ!!」


 アウラは祈るように手を組み、はらはらと涙を流した。彼女はこの瞬間、真に救われたのだ。

 ひざまづき、嗚咽をもらしながら、血塗れの少女へ深く叩頭(こうとう)する。


 その様子を見ていた女戦士が、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「あのさ、アルフラちゃん。続きは人の居ない部屋でやってくれないか?」


 アルフラと呼ばれた少女は、意にも介さず屍と戯れている。


「あ、すぐに別室を用意させましょう」


 心得たものである騎士の一人がそう応じた。

 慌ただしく人が動き始めた室内で、不意にオクタヴィアが声を上げた。


「……え?」


 アウラと同じように、感謝の眼差しでアルフラを見ていたのだが、ふと何事かに気づいたらしい。レギウス人達の顔に視線を移していく。


「あ、あなた達は……」


 そうつぶやき、オクタヴィアは体を硬直させた。


「ん……?」


 重甲冑の女戦士は、オクタヴィアを見て怪訝な顔をする。やがて、その口がまるく開かれ驚きの表情が形作られた。


「あんた、あの時の……わがまま姫さんか!?」


「え……だれ?」


 白い少女が不思議そうに女戦士を仰ぐ。


「ほら、コボルトどもに襲われてた……え~と……エルテなんとかっていう伯爵の娘だ」


「エルテフォンヌですわ!!」


 急に大きな声を出したオクタヴィアに、アウラはびっくりしてしまう。まるで、瞬時にして元気な頃の愛娘に戻ったかのようだ。


「それで?」


 女戦士が尋ねる。


「あんたレギウスへ逃げたんじゃなかったのか? なんでこんなとこにいる?」


「あ、あなた達が……」


 掌をきつく握りしめ、オクタヴィアは声を震わせる。


「あなた達が私を見捨てて行ったから、すぐ他のコボルト達に捕まって……私は、私は……」


「ああ、護衛の騎士はほとんど死んでたもんな。まぁそうなるか」


 気軽に言った女戦士へ、オクタヴィアは癇癪を起こしたように叫ぶ。


「あなた達のせいですわ! 私がどんな酷いめにあったと思ってるの!! 殴られ、蹴られ、汚され、それなのにあなた達は……」


 そしてオクタヴィアはアルフラを()めつける。


「その娘は咬焼を倒せるほど強いのでしょう!? だったらあのとき私を助けることなど造作もないはずなのに――」


 その涙まじりの怨嗟は、母であるアウラの手により中断される。


「痛ッ――!?」


 いきなり背後から髪をワシ掴みにされ、オクタヴィアは石の床に引き倒された。


「か、母様、なにを……!?」


「謝りなさい!!」


 鋭く叱責し、アウラは娘の顔を叩きつけるように石畳へ押し付ける。


「お前はアルフラ様になんという口をきくの!! 早く謝りなさい!!」


「い、痛い! やめて、母様!!」


 悲鳴を上げるオクタヴィアの横で、娘の顔を床に押さえつけたまま、アウラも膝をつき頭を下げる。


「申し訳ございません。ああ、アルフラ様。どうか愚かな私の娘をお許し下さい」


「お、お願い、母様。やめて下さい、痛いの……」


 優しい印象しかない母の豹変ぶりに怯えたオクタヴィアは、ただただ泣き声を上げていた。


「早くお前も謝りなさい! アルフラ様は私達の……いいえ! このロマリアをお救い下さった恩人なのですよ! 早くなさい! オクタヴィア!!」


「あ、あ……ご、ごめんなさい、ごめんなさい――」


 アウラから恐ろしい形相で睨まれ、繰り返し謝り始めたオクタヴィアの額からは、うっすらと血がにじんでいた。床に叩きつけられたときに、皮膚が裂けたのだ。それでもアウラはオクタヴィアの頭を押さえたまま離さない。


 当のアルフラは血肉の摂取に忙しく、アウラ達には目すら向けない。無心に力を貪っていた。


「あぁ、どうかお許しを……アルフラ様、お許し下さい……」


 額から血を流し、謝罪をつづける母娘の姿は、まさに異様の一言につきた。

 シグナム達も気圧されたように、無言で二人を見つめる。――そこにあるのは、仇敵を屠ってくれた恩人への感謝、などといったものではない。



 明らかに度のすぎた、神へ対する信仰のような気持ち悪さ。シグナムの胸中は、そういった嫌悪感で満たされていた。

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