Love Bites ※挿し絵あり
「……アルフラ、やめなさい」
足を踏み出したアルフラから、白蓮は一歩後ずさった。
不安が入り混じった声は、懇願の響きを帯びる。
「お願い、やめて……」
鳶色の瞳が妖しく濡れ光る。
愛欲の牙を剥き、渇望のままにアルフラは駆けた。
狙いは足。
白くほそい足首を切断してしまわないよう、細心の注意をはらう。
精緻な太刀筋を心がけつつも、歩行に必須な腱を一刀のもとに横断するため――全力で斬りつける。
そんなアルフラを前に、白蓮は茫然と立ち尽くしていた。
信じられなかったのだ。
アルフラが自分に対して刃を向けるなど、有り得るはずがないのだ。
それでも、魔力障壁は機能した。
細剣は届かない。
もとより、白蓮みずからの血を媒介として、力を与えた剣だ。
そしてアルフラの持つ力の大元も、白蓮自身の血なのである。
たとえそこに微量の力が加わったとしても、アルフラに白蓮を傷つけ得る道理はない。
一魂入刀の斬撃は防がれ、肩関節が外れそうなほどの衝撃が返ってきた。
アルフラは右肩を押さえて飛びのく。
「アルフラ! やめなさい!!」
聞く耳持たずふたたび斬りかかる。
「お願い、怪我をさせてしまうわ!!」
アルフラ以上の速さで横へと飛びのいた白蓮が、腕をひと振りした。
突風が召喚され、猛吹雪が巻き起こる。
一瞬で辺りは雪におおわれ、視界は白く閉ざされた。
だがアルフラは、目に頼ることなく、白蓮の位置を正確に感じ取れた。
もはや足を斬り落とさぬよう気遣うことも念頭から去り、ありったけの欲望を細剣にそそぎ腕を振り抜く。
しかし、刃は空を斬る。
捕捉した白蓮は、瞬刻後にはもうそこにいない。
「なんで! なんであたしから逃げるのっ!?」
吹き付ける雪をうるさそうに払い、みたび白蓮へと斬りかかる。
「いい加減にしなさい!」
怒りというよりは、焦りを感じさせる声が響いた。
猛烈な吹雪の中に、ひらりとたなびく銀髪がかいま見える。
白蓮の掌が持ち上がる。
アルフラの視覚ですら捉えられないほどの高速で、氷槍が放たれた。
それは正確に細剣を撃ち、刀身を跳ね上げる――が、アルフラから手放させるにはいたらなかった。
「え……」
瞳が大きく見開かれる。
二人ともに動きを止め、思考さえもが静止した。
アルフラの首が、ざっくりと裂けていた。鮮やかな赤い肉が露出している。
しっかりと握られた細剣を射抜けず、氷槍は粉々に砕け散っていた。その鋭利な破片が喉首を切り裂いたのだ。
一瞬の間をおいて、開いた傷口から血が噴き上がった。
アルフラの上体がぐらりとかたむく。
破けた動脈から恐ろしいほどの勢いで飛び散った血が、ばしゃばしゃと地面に降り注ぐ。
視界は暗転し、アルフラの意識は急速に混濁する。
「アルフラ――――ッ!?」
白蓮から矢のような冷気が放たれた。それはアルフラの首筋をかすめ、溢れる血を凍りつかせる。
凍結した血液で、傷口は瞬時に溶接された。
しかし、失われた体液が多すぎた。
失血により体温と血圧が低下し、アルフラは膝からぺたりと地面に落ちる。
同時に白蓮も、腰が抜けたかのようにその場で崩れた。
朦朧としながらも、アルフラは周囲を見回す。
視力がゆっくりと回復する。
雪の積もりはじめた地面が、みずからの血で真っ赤に染まっていることに気づいた。そして右半身が、返り血ではなく自分のそれで、ずっしりと重く湿っていることにも。
鼻孔に充満する己の血臭が、吐き気を誘う。
「あ、あ……」
首の傷口に手をあて、アルフラはがたがたと震える。
「アルフラ……」
白蓮は両手で這うようにしてアルフラへ近づく。
「やだ、いや……いやぁ」
引き攣った顔で小刻みに首を振る。
「アルフラ、ごめんなさい。すぐに――」
「あ、あ、あ、いやあ、白蓮が……やだ……」
かちかちと歯を鳴らし、蒼白な表情で目を見開く。
凄まじいまでの恐怖に塗れた悲鳴が、わななく唇から溢れた。
「いやぁぁ――白蓮があたしを殺そうとしたああぁぁ――――」
「ま、待って、違うの――」
茫然と座り込んだアルフラは、おさなごのようにわめき、ただ震える。
意識はまどろみ、自分がいま何をしているのかすら定かではない。
大量失血により血圧が低下し、脳に必要な酸素の供給が足りていないのだ。
かろうじて理解出来たのは――白蓮から、殺されかけたということだった。
そんなことは有り得ない、という当然の思いを、首筋に走る激痛が掻き消す。
殺意を抱くということは、相手の存在に対する完膚なきまでの否定だ。
――白蓮に……きらわれた……?
それだけで、己の存在意義を見失ってしまう。
心は瞬時に絶望で埋め尽くされる。
アルフラの深層心理は、自己への存在意義を根本から否定しようとしていた。
あと数瞬思考を重ねれば、自壊しかねないその理性を――手遅れとなる前に解放する。
「いやああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――!!!!」
アルフラの意識は、するりと手放された。
氷膨は拘束され地に転がされた状態で、それを見ていた。
首から血を噴いた少女が地面にくずおれる。
出血はすぐに止まったが、少女の周囲は自身の体液で朱に染まっていた。
血から湧き立つ膨大な魔力。
それは、侯爵位の魔族である氷膨にすら匹敵する力だった。
少女は使いこなせていなかったのだ。その力を。
おそらく下級魔族か人間の娘が、短期間で身の丈にあわぬ大量の魔力を得たのだろう。
少女は地面に腰をつき、がたがたと奮えながら何事かをつぶやいていた。
それにともない血から立ち昇る魔力が変質する。
周囲の大気が急激に冷え込む。
氷膨ですら肌に寒気を覚えた。
危機感にせかされ、がんじがらめになった体でその場から離れようと試みる。
逆に、銀髪の麗人は少女へ這いよろうとしていた。
なんと愚かな女だ、と氷膨は思う。
これほどあからさまな危険に、みずから近づくとは。
そして少女が金切り声を上げた。
「いやああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――!!!!」
深い絶望を感じさせる慟哭が、満天を引き裂いた。
その叫びは、大気すらも凍てつかせる嵐を呼んだ。
吹きすさぶ極寒の冷気は、崇拝する氷の女王へ対する想いの深さだった。
荒れ狂う暴風は、せきを切って流れ出した情念の激しさだった。
その激情には、侯爵位の魔族ですら耐えられなかった。
空気中の水分子が凍りつく。
辺りは白い霧氷に埋め尽くされる。
大気が液状化し、大地へ滴りおちる。
凍結した地面に、分厚い氷が張った。
二酸化炭素の融点。氷点下八十度を遥かに越える極低温の嵐が、広範囲に渡る周囲一帯で吹き荒れた。
巻き込まれた魔族や騎士達の体機能は瞬時に停止し、その場で凍てつく。
猛威渦巻く冷気の源には、強固な障壁へ打ち掛かるアルフラの姿があった。
技も型もなく力任せに細剣を叩きつける。
「聞いて! アルフラ!!」
白蓮は必死に訴える。
「違う! 違うの!! あなたを傷つけるつもりなんて――」
大上段から振り下ろされた細剣が弾かれ、アルフラの右肩から異音が響いた。
だらりと垂れ下がった腕を気にする様子もなく、アルフラは左手を振り上げる。
鈎爪のように折り曲げられた指が空を裂く。
白蓮は上体を反らしてそれを避けた。
障壁により、アルフラを傷つけてしまうことを怖れたのだ。
「お願い! 話を聞いて!!」
アルフラの激烈な求愛行動は、自身へも深刻な損傷をしいていた。その首から血がにじみ、細い糸をひく。
一連の攻防により傷口が開きかけているのだ。
距離をとろうと白蓮は後ろへ下がる。
アルフラは追いすがりながら、左の拳で右肩を殴りつけた。
軋みを上げて関節が入り、ふたたび細剣が振るわれる。
間合いに入られてしまえば、白蓮も避けつづけることは困難だ。
それでも、張り巡らせた障壁を解除する。
「やめて! アルフラ! お願いだから――」
剣閃が翔ける。
間髪の距離をかすめた刀身がひるがえり、切り返しの斬撃が白蓮を襲う。
大きく身をのけ反らせ、波打った髪を銀光が掬った。
数条の髪を散らせた白蓮へ、刺突が繰り出される。
体勢を崩した白蓮の側面から放たれたその一撃は、ほそい腿に突き立つかに見えた――刹那、烈風が吹きすさび、アルフラの体が煽られる。
突き抜かれた細剣は手応えを伝えず、アルフラはたたらを踏む。
白蓮は突如現れた高城に腰を抱かれ、細剣の射線から離脱していた。
そして、アルフラの目の前には、いま一人の老執事が立ち塞がる。
「松嶋殿、この場はお任せします。私は奥様を安全なところまでお連れ――」
「待って! 私はアルフラと――」
「奥様、ここは一旦退きましょう。今のお嬢様は、とても話しの出来る状態ではない」
高城は、彼を振り払おうとする白蓮へ強く言い聞かせる。
「しばし時間を置くしかございません。奥様がここにおられては場がおさまらない。お嬢様のことを思うのであれば、どうか聞き分けて下さい」
白蓮は悲痛な視線をアルフラへ送り、深くうなだれる。
「高城、なにをしている。早く白蓮様をお連れせよ。そのまま館へと向かうのだ」
「……わかりました」
「あ――」
白蓮が松嶋の背へ声をかける。
「駄目! アルフラは怪我をしているの。だから……」
振り下ろされた細剣を、松嶋は身をよじってかわした。刀身の半ばまでが敷石に食い込む。
「松嶋殿、聞いての通りです。極力お嬢様に手傷を負わせぬよう、どうぞご配慮なさって下さい」
声は返さず、松嶋は早く行けとばかりに腕を払う。
高城も軽く黙礼だけを送り、白蓮を横抱きにしたままその場から駆け出した。
二人の遠ざかる気配を背中に感じながら、松嶋はため息をこぼす。
「高城め……無茶を言ってくれる」
目の前では、細剣でざっくりと地面をえぐった少女が、去り行く白蓮へと視線をやっていた。
鬼火のような眼光がすうっと流れ、松嶋を睨む。
その双眸は密度の高い、底冷えのする殺気を孕んでいた。
松嶋は認識されたのだ。白蓮を追う上での障害であると。
アルフラの口から、真っ白な極寒の呼気が吐き出される。
そして敷石を斬り分けながら、地面に刺さった細剣を引き抜く。
「……これを相手に手加減をしろと? 私を殺すつもりか……」
松嶋の頬を一筋の汗が伝った。
街道一帯は、強い寒気に包まれていた。
足元は厚い氷が張り、その上には雪化粧がほどこされている。
酷暑が常態である夏のロマリアに訪れた、時ならぬ冬将軍であった。
シグナム達は、雪に埋もれた魔族の骸を踏み越え、アルフラの名を呼ぶ。
「アルフラちゃーん! 返事をしてくれー!!」
「これは……」
フレインが地面に視線を落として呻く。雪上には大量の血痕が残されていた。
「こっち!」
辺りを見回したルゥが、ジャンヌの神官服を引く。
そちらには無数の石壁が地面に屹立していた。
街道の敷石を巨人の手が剥がしたかのごとく、石の壁が幾重にも進路を阻んでいる。壁はいかにも頑強で、シグナムの背丈をもゆうに越える高さがあった。付近には深い溝がいくつも口を開けており、足場は不安定だ。その先に、座り込むアルフラの姿が見えた。
周囲には大量の瓦礫が散乱している。おそらく幾枚もの石壁を砕いたのだろう。
「アルフラ……ちゃん……?」
突っ伏すように雪へ顔をうずめたアルフラから、かすかな嗚咽が聞こえていた。
深い嘆きを感じさせる啜り泣きに、言葉をかけることがためらわれる。
シグナム達は無言で目を見交わす。
状況がまったくのみこめない一同は、しばしアルフラを見下ろしたまま途方に暮れてしまった。
それでもやはり放っておくことは出来ず、シグナムが屈み込む。
アルフラを抱き起こして静かに問いかける。
「なにがあったんだ、アルフラちゃん?」
見開かれた鳶色の瞳は焦点を結ばない。とめどなく流れる大粒の涙が、細い顎からぽたりぽたりとしたたり落ちる。
「シグナムさまっ! 先ほどアルフラと戦っていた女魔族がこちらに倒れています。まだ息があるようですわ」
呼びかけたジャンヌへは目もやらず、シグナムは冷たい体を抱きしめる。するとアルフラが小刻みに震えていることが分かった。
信じられないことではあるが、悲しげな泣き声の中には、かすかな怯えが含まれているようにも思える。そんなアルフラを見るのは初めてだった。
とりあえずアルフラが無事ならそれでいい。肌を合わせていた方が早く落ち着くだろうと、シグナムはそう考えた。
鼓動と同じ間隔で、優しくアルフラの背中を叩いてやる。
狂乱が過ぎ去った時には、白蓮の気配はアルフラにも感じられないほどに遠ざかっていた。
脱力した体は重く、
――白蓮に……
心はさらに重い。
――きらわれた……?
それはアルフラにしてみれば、恐怖以外のなにものでもない。
――白蓮が、あたしを……
アルフラの小さな世界が崩壊しかけていた。
だが、ひとつだけ、手段は残されている。
致命傷を負った心は、最早その考えに縋るしかない。
強い者が奪う。
力で捩じ伏せることが出来れば、白蓮はアルフラのものだ。
魔族にとってはそれが当然の倫理。
強者は絶対なのだ。何度もそう聞かされた。ほかならぬ白蓮自身から。
魔族の支配者である戦禍に奪われたように、アルフラがそれ以上の力を持てば、
――きっと白蓮は愛してくれる
しかし、千載一遇を前にしながら――
白蓮に触れることすら出来なかった。
取り逃がしてしまった。
悔恨の念に、強く歯噛みする。
噛み破った唇から、どろりと血が滴った。
白蓮は強い。
そしてこのままでは、
――戦禍にも届かない
いったい何がいけなかったのか。
決まっている。力だ。
力が足りなかったのだ。
いや、単純な力の問題だけではないだろう。
想いが、覚悟が、犠牲が――なにもかもが足りなかったのだ。
自分はこれまで何をして来たのかと、激しい自責の念が押し寄せる。
白蓮を取り戻すため、アルフラは思いつく限りの努力を重ねた。片時も力へ対する渇望を忘れたことはないはずだった。
しかし……本当にそうであろうか?
常に白蓮のことだけを考えていただろうか?
すべてを白蓮のために費やしたか?
食事の際も忘れはしなかったか?
暖かな寝床で、無為に惰眠を貪りはしなかったか?
――だめ……ぜんぜん、だめだ
修練をする時間があるにも関わらず、ルゥと遊びはしなかったか?
暖かなシグナムの肌に、両親の温もりを重ねはしなかったか?
その背に憧憬の思いをいだきはしなかったか?
はたしてそこに、依存という名の惰弱はなかったか?
――こんなんじゃ、あいつには勝てない
真に白蓮を欲するなら、一切の妥協は赦されない。
人間など及びもつかない魔族の支配者を殺そうというのだ。
当然の努力。在り来りな犠牲。そんなものでは戦禍に届かない。
眠る時間すらもが不要だと思える。
――たりない、たりない
なによりも力がたりない。
――もっと、もっと
魔族の血が必要だ。
――でも……
「だいじょうぶ。うん……だいじょうぶ」
シグナムの腕の中で、アルフラが夢見るようにつぶやいた。
「アルフラちゃん?」
心配そうに周りを囲み見守っていた仲間達が、シグナムの肩に顔をうずめたアルフラを覗き込む。
置き去りにされた赤子のような泣き声はすでにやみ、体の震えもとまっている。
「うん、だいじょうぶ」
しかし一転、いいえぬ不安がシグナム達の肝を冷やす。
「ア、アルフラさん?」
「だって――」
どういった心の動きがあったのかは、誰にも解らなかった。おそらく、アルフラの心をのぞき見ることが出来たとしても、誰もが理解出来なかっただろう。
「今までと殺ることは同じだもの。魔族をぜんぶ殺りのぞいて、白蓮をうばったあいつを殺して、もう誰にも、あたしと白蓮の邪魔なんてできないようにして殺ればいいんだから」
死に慣れ親しんだ少女は笑う。
「ふふ、うふふ」
笑う。笑う。
「ふふふふふふ」
ほがらかに笑う。
「あははははは――」
立ち込める不吉な冷気に身震いし、シグナムはアルフラから腕をほどく。
体毛を逆立たせたルゥはジャンヌの背後に位置取る。
ゆらりと立ち上がったアルフラは、半ば雪にうもれた氷膨へと歩く。
全身に凍傷を負い、表皮を凍りつかせた侯爵位の魔族は、身動きもままならず首だけを起こして見上げる。
氷膨の目に映ったのは、末期だった。
生きとし生けるものに等しくもたらされる終局が、形を成してそこに在った。
それは――少女の姿をした死の塊。
しかも、ただの死ではない。
恐るべき非業の死だ。
その細い身体には、収まり切らないほどの苦悶と怨嗟が詰め込まれ。
笑みの形に大きく開かれた唇からは、溢れた飢餓が撒き散らされていた。
たとえ戦いにおいて、死を覚悟出来たとしても――はたして、この少女からもたらされる末路を甘受出来る者が居るのだろうか?
少なくとも、氷膨には無理だった。
「や、やめろ……来るな!!」
凍えた青い唇が必死に懇願する。
「その娘を近づけるな! やめてくれ!!」
アルフラはおおいかぶさるように、氷膨の肩を地面に押さえつけた。
「頼むッ、お願いだ!! やめさせてくれ――!!」
もう片方の手で顎を掴み、顔をのけ反らせる。
悲鳴をもらす白い喉に、血走ったアルフラの目はくぎ付けだ。
そして――シグナム達はそろって顔を背けた。
「ひぃぃぃぎああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――」
甲高い悲鳴は、長く長く尾を引く。その悲鳴にまぎれて、ばりぼりと氷を噛み砕くかのような音が聞こえた。
普段はどちらかといえば少食なアルフラが、凄まじいまでの食欲を見せていた。
氷膨が小さくなっていく。
かみ砕かれ、咀嚼され、嚥下され――氷膨の質量が目に見えて減っていく。
同時に、上がる悲鳴の声量も落ちていった。
「アルフラさん――」
見かねたフレインが声をかけようとして肩を掴まれる。
「やめとけ。いい加減その命知らずを直しなよ。前にもアルフラちゃんの邪魔をして、死にかけてるんだからさ」
「で、ですが……」
さすがにシグナムも直視することは出来ず、顔をうつむけたまま指差す。
「どうしても我慢出来ないようならルゥにならってなよ」
「……はい」
フレインは素直にルゥを見習い、後ろを向く。そしてきつく目をつむり、両手で耳を塞いでしゃがみ込んだ。
悲鳴はなかなかやむ気配がない。声帯を傷つけられたため、その響きは酷くかすれている。
助けを求め、許しを乞い、痛みを訴える声が、終いには死を懇願し始めた頃。
たまりかねたシグナムが提案する。
「なぁ……アルフラちゃん。そろそろ殺してやってくれよ……」
「あ……」
もぐもぐと、口いっぱいに氷膨を頬張ったアルフラが顔を上げた。
「うん」
とくに苦痛を長引かせようという意図は無いらしい。
アルフラは腰から短刀を抜く。それは氷膨の眉間に振り下ろされる。
無造作に、シグナムの提案は聞き入れられた。
イラスト 柴玉様