出会いの街道
暗い森の中をアルフラは足早に進む。
日中であったが辺りは薄暗い。太陽には雲がかかり、背の高い針葉樹林がわずかな陽光をさえぎっていた。
雪原の古城を後にして八日目。
山を越えるのは、それほど困難ではなかった。白蓮の血のおかげか、持久力が増し、寒さもあまり感じなくなっていたのだ。
魔力は純粋な力だ。力は熱量でもある。体温を維持するには、体内の熱量を消費する。そのための力はフェルマーから貰った。しかし、呑み尽くしたにもかかわらず、白蓮の血を口にした時ほどの高揚感はなかった。彼女は、あまり強い魔族ではなかったらしい。
少し残念に思った。先は長いと感じる。この分では、本気で墳墓を作る必要がありそうだ。
つらつらと思考を巡らしつつ、アルフラは森の中を歩き続けた。
だんだんと日が傾いてくる。しかし足元が見える限りは、歩を進めるつもりだった。
この時期、日の出ている時間は短い。夜が訪れる前に、少しでも距離を稼いでおきたかった。
夜の森はとても危険なのだ。
村に住んでいた頃、アルフラは事あるごとに聞かされていた。
冬になると、雪狼が獲物を求め、山から森へと降りて来るのだと。
雪狼は体が大きい。群れで狩りをするが、単体でも灰色熊を狩ることが出来るそうだ。だからこの地方では熊が少ない。
――早く森を抜けなきゃ
針葉樹の枝から雪が落ちるたび、その物音に身を強張らせる。
アルフラは休むことなく歩き続けた。
街道が見えて来た頃には、すでにくたくただった。
安堵のあまり、思わず座り込みそうになる。だが、立ち上がる気力が湧くか不安だったので、立ち木に寄り掛かかってしばし身を休ませた。
少しの休憩の後、迷わず街道を左に折れる。
――村までどのくらいだろう
見渡す限り、街道の両側には森が続いている。
しばらく歩くが、風景には変化がなく、位置感覚がひどくおぼろ気となっていた。
とりあえずは砦を目指す。きっと国境警備兵が駐屯しているだろう。
一緒に戦わせてくれるだろうか?
胸中にかすかな不安が湧き起こる。
さすがに自分一人で魔族の領域へ入るのは、殺して下さいと言っているようなものだ。
魔族の襲来は近いはずだ。戦いになれば人手が必要となるだろう。剣を握れるのなら、たとえ女子供だろうが問題はないはずだ。そうアルフラは、みずからを鼓舞する。
フェルマーとの戦いで、分かったことが一つある。
――あたしは殺すのが上手い
以前に高城が言っていた。並の戦士ではアルフラの足元にも及ばないだろう、と。
アルフラ自身も今、その言葉を実感していた。
周囲に夕闇が迫り、さすがに疲れて来たアルフラは、寄り掛かって寝るのに良さそうな木を物色しながら歩いていた。
――お腹へったぁ
干し肉などの手持ちの食料はなるべく節約したい。目的地まで、あとどれくらいの距離があるか分からないのだから。
たまに雪を口に含むが、あまりたしにはならなかった。
やがて、周りの景色に少し変化が出てきたことに気づく。
街道の両側を囲む立ち木の中に、伐採された切株が混じりだしていた。
「あ……!」
前方に四人の人影が見えた。外套を身体に巻き付け、寒そうに背を丸めながら歩いてくる。そのごつごつとしたフォルムは、外套の下に鎧を着込んでいるからだ――とすれば――
――兵隊だっ!
アルフラは足早に駆けた。
すぐに兵隊たちもアルフラに気づく。その背後には、細い煙が幾筋か見えた。おそらく炊き出しの煙だろう。
「あの、兵隊さんですよね?」
兵隊はいずれも柄の悪い男たちだった。値踏みするような目でアルフラを見ている。
――なんか……嫌な目……
「あたし、この先にある砦へ行きたいんです」
男たちは一瞬顔を見合わせ、笑い声を押し殺すように尋ねる。
「そんなとこ行ってどうするんだい、嬢ちゃん? この辺はもうすぐ、あの嫌ったらしいオーク共で溢れかえるんだぜ?」
「そいつらと戦いたいんです。砦に行って、一緒に魔族と戦わせて下さい」
アルフラはぺこりと頭を下げた。
男たちはにやにやと互いの目を見交わし、今度は遠慮なく大声で笑う。
「ははははっ。そいつぁすげえ。腰に吊した、その細っこいの振り回してオーク共と戦うのか?」
下卑た笑い声が辺りを包む。
じろじろと無遠慮な目が、アルフラを舐め回すように這う。
アルフラは一歩後ずさり、森へと目を走らせる。
――逃げよう
「なぁ、嬢ちゃん。女でも戦場で役に立てる仕事ってのはあるもんだぜ?」
男たちの一人が、ちらちらと背後――炊き出しらしき煙が昇る方――を気にしだした。
「仕事って……なんですか?」
アルフラは横目で森までの距離を計る。
「女なら誰でも出来る仕事だよ。あー、でもなぁ。嬢ちゃんみたいな薄っぺらい体つきじゃどうだろうな。いっちょ俺達で試してやろうか?」
左右の逃げ道を塞ぐかのように、男達がアルフラを囲む。
「おい、とっとと森に連れ込んじまおうぜ」
背後を気にしていた男が、アルフラに手を伸ばしてくる。その手を払い、森へ向かって走った。
しかし、横に周りこもうとしていた男たちの一人が、アルフラの外套を掴む。
「――ッ!」
後ろに引きずられそうになりながらも、肩口の留め金を強引にひき千切る。だが、外套の戒めから逃れた時にはすでに、男達が周りを取り囲んでいた。
――ちゃんと、休んどけばよかった……
疲労のためか、逃げようとした時に少し足がもつれてしまったのだ。それがなければ外套を掴まれることもなかったのに、とアルフラは後悔する。
注意深く男たちとの間合いを計りながら、細剣に手を伸ばす。
「近寄るなっ」
柄に手を掛けたアルフラを、男たちが馬鹿にしたように笑った。
「おいおい、俺たちゃ親切で仕事を教えてやるって言ってんだぜ?」
「股を開くだけの簡単なお仕事だっ!」
ぎゃははは、と下品な笑いが巻き起こる。――――しかし、街道の先から不意に響いた叫び声が、男たちの哄笑を打ち消した。
「お前ら、なにをやってる!!」
明らかな怒りを含んだ、よく通る声だ。やや低くはあるが、それは女性の声だった。
「チッ」
舌打ちをした男が背後を振り返る。
彼らは、その声で命拾いしたことに気づかない。
男たちの動きを制した声は、アルフラの手もまた止めていた。それがほんの数瞬ほども遅ければ、覚悟を決めたアルフラは、腰の細剣を抜いていたはずだ。
アルフラは油断なく身構えながらも、人影へと目を向ける。
街道の先から、見る間に大柄な女が駆け寄って来る。その後方からも追走する人影が見えた。
「やべぇな……」
男たちの一人が呟いた。
息を切らせた女が間近まで来ると、彼女が男たちの誰よりも長身であることがわかった。肌は小麦色に焼け、真っ黒な髪は女性としてはかなり短めだ。目鼻立ちは整い、猫科の肉食獣を思わせる、野生的な美しさが感じられた。
女はまなじりを吊り上げ、きつい視線を男たちへ向ける。その顔は怒りに歪んでいた。
「お前ら、何をやってる? その娘に何しようとしてた!?」
「いやぁ、俺達はそのー……なあ?」
目配せをされた男が慌てて取り繕う。
「あ……え~と。そう、この娘が砦に行きたいって言うから案内してやろうかと――」
「うそっ! こいつらあたしに股を開けって言った! 森に連れ込めって」
「貴様らぁ!」
女の怒声に男たちが青ざめ、口々にアルフラを罵りはじめた。
「てめぇ!」
「このガキ!」
アルフラも負けじとにらみ返す。
――ふん、怒られちゃいなさい
女の後ろから、やっと追いついて来た男が、肩で息をしながら膝に手をついた。
「ねぇさん、はえぇよ……」
女は気にもとめず四人の男に命じる。
「とりあえず、お前ら並べ」
男たちは不承不承、横一列に並ぶ。その顔色は、みな一様に血の気が引いていた。
ずいぶんと女のことを恐れているようだ。
――何するんだろ
よく分からないが、確実に面白そうなことが起こる、とアルフラは察知した。その瞳をキラキラと期待に輝かせる。
「あー、ねぇさん。砦まで後二日はかかる。痛めつけるにしても、とりあえず明日の朝には歩ける程度で……」
女の後を追って来た兵士が、遠慮がちに提案した。これに女は嫌そうな顔で答える。
「わかってるよ。ちゃんと手加減する」
「――あっ! 待った待った。いま歩けなくすると、俺たちでこいつら野営地まで担いでくハメになる。やっぱだめだ」
「ちっ……あー、どうすっか」
舌を鳴らし、さらに嫌そうな顔をした女が、直立不動の男たちに尋ねた。
「その娘に、股を開けって言ったのはどいつだ?」
三対の目線が一カ所へ集まる。
「ちょ……てめぇら……そりゃねーだろ!」
裏切り者たちの視線を独り占めした男が、呻き声をもらした。
「しょうがねぇだろ」
「わりぃな」
「よし、オルカス。お前が代表だ。他の三人はオルカスを担いで帰れ。それと、お前達は晩飯抜きだ。痛い目見なくて済むんだからな」
「ねぇさん、俺は食ってもいいのか?」
オルカスと呼ばれた男が女に尋ねた。
「いいよ。食えたらな。まずは歯ぁ、食!! ――いしばれ」
食!! の辺りで、女の拳がオルカスの腹に叩き込まれた。
打たれた腹部を支点に身体が折れ曲がり、オルカスのつま先が地から浮くのをアルフラは目撃した。
――すごっ……
「ねぇさん、そりゃひでぇよ。歯ぁ食いしばる暇ないだろ、今の」
地面に転がりのたうち回るオルカスを、気の毒そうに眺めながら男がぼやいた。
「馬鹿っ。歯ぁ食いしばったら罰になんないだろ?」
――無茶苦茶だぁ
その無茶苦茶な女と、アルフラの目が合った。
「あんた名前は?」
「……アルフラ、です」
「あたしはシグナムだ。砦に行きたいってのも、こいつらの嘘かい?」
「いえ。それは本当です。あたし、砦に行って魔族と戦いたいんです」
「……戦うって。あー、多分無理だ。お家に帰りな」
シグナムはアルフラをじろじろ見回し、妥当な答えを返した。
確かにアルフラは小さく痩せていて、女で子供だ。
実に的確な判断だと言えるだろう。
「あたし、戦えます」
「いやいや。あんたよく分かってないんだと思うけど……えーと、アルフラちゃんだっけか。あたしたちは戦争をやるんだよ。分かるかい? 殺し合いだ」
アルフラは言葉に詰まった。フェルマーのことを話せば、戦えると分かって貰えるだろうかと考える。
魔族を殺したことがあるのだと。
しかし、それを話せばいろいろな事を聞かれそうだ。第一信じてくれるかどうかも分からない。
「あの、あたし四年間戦うための訓練をしました。素手での闘い方も習いました。とっても強い人からです」
「四年、ねぇ」
シグナムが疑わしげに尋ねる。
「アルフラちゃんはいくつなんだい?」
「十五歳です」
言ってしまってから後悔する。もうちょと上に答えておけけば良かった、と。
「へぇ意外と……。てっきり十二、三くらいかと思ってたよ」
――いくらなんでもそれは……
ひどいとアルフラは思った。
「でも本当にあたし……」
「あー、わかったわかった。とりあえず、あたしたちの野営地に来なよ。もうすぐ日が落ちる。さすがに一人で家まで帰れとは言えないしね」
「あ、ありがとうございますっ!」
「ただし、朝になったら家に帰るんだよ」
「……」
「返事は?」
アルフラは無言で不満を訴える。
やや困惑の表情で、シグナムがため息をこぼした。
「……誰か後でアルフラちゃんの相手してやんな。訓練用の木剣でね」
男たちが顔を見合わせる。
「アルフラちゃんが勝ったら、うちで雇うか考えてやるよ」
「はいっ!」
しかし、アルフラの相手に名乗り出る者はいない。
「アルフラちゃんに勝った奴は晩飯食っていいぞ」
一転、我先にと争うように手が上がる。もちろん、どうぞどうぞ、などといった外連味溢れる展開にはならなかった。
アルフラはムッとする。よほど与し易い相手だと見られているようだ。
――あんたたちみたいなゴーカンマ、やっつけてやるんだからっ!
野営地へ向かう道中。さきほど強烈な一撃を腹に喰らったオルカスが、晩飯を食えるかという賭けになった。
いち早く「食えない」に張ったアルフラへ、じっとりとした視線が集る。
シグナムだけが喉を鳴らして笑っていた。
しかし結局、食えるに張る者がおらず賭けは不成立となる。
男たちに担がれ、青い顔をしたオルカス本人が、食えない方に賭けたからだった。