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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
129/251

オウマガトキマゾクノチニクルフアルフラ



 ロマリア軍は咬焼の首を討った後、騎兵のみでの強行軍を行い、わずか二日足らずでトスカナ砦へと攻め寄せた。その先陣は今まさに、野営地から撤退した魔族達の殿(しんがり)へと、喰らいつこうとしていた。

 騎兵達の中で、群を抜いて先行している軍馬にまたがっているのは、アルフラだった。先の戦いで乗り手を亡くした馬を譲り受けたのだ。

 体も小さく、軽量の革鎧を身につけたアルフラは、軍馬にとっては羽毛同然に軽い。人など乗せていないかのような速度で疾走する。


 逃げる魔族の背が目前に迫っていた。

 アルフラは手にした細剣を鞭代わりに、激しく軍馬の腹を叩く。


 最後尾の魔族達が振り返った。

 至近へ迫ったアルフラへ、魔法による迎撃が放たれる。


 進路を塞ぐように炎が爆裂し、その中から無数の石槍が飛び出した。

 内一本が馬鎧を貫通し、軍馬の首に穴を穿つ。

 馬の背に身を伏せたアルフラの右肩に衝撃が走った。

 肩当てが弾け飛び、右腕が痺れて寸刻感覚が失せる。

 それでも、握った細剣は離さない。

 白蓮から貰った大切な宝物だ。

 なにがあっても決して手放しはしない。


 アルフラは(あぶみ)を蹴り、宙に体を躍らせた。

 その背後では、軍馬が血を撒き散らして街道へ倒れ込む。

 石畳につま先から着地したアルフラは、大きく体をたわめて跳躍する。

 馬を失いはしたが問題ない。

 どのみち馬上で振るうには、細剣の刀身は短すぎる。


 軍馬などより余程速く、アルフラは魔族達へ殺到する。


 背後からの一閃。

 首から血を噴いた魔族が膝から倒れる。

 それを跳び越えてつぎの獲物へ一刺し。

 逃げる魔族達が情けない悲鳴を上げた。

 聞き苦しい声を斬り裂いてアルフラは命を刈る。


 殿の魔族は約五十名ほど。

 一気に集団の中へと駆け入る。


 延髄めがけて突き込み一人。

 袈裟に斬り下ろしてもう一人。

 逆袈裟に斬り上げてさらに一人。

 返す刀で首を払ってかさねて一人。


 血煙の中に魔族達を踊らせる。


 止まらない止まらない。

 アルフラは止まらない。

 突き刺し、えぐり抜き、斬り裂き、断ち割り、雑兵達の屍で街道を埋め尽くす。

 アルフラは、最後に残った魔族の髪を掴み、その喉肉を食いちぎった。

 口の中に広がった味を確認し、ぐったりとした魔族の首筋に細剣をあてる。そして首を一息に掻き斬った。


 殺戮が終わった頃には、後続のロマリア兵達も追いついて来ていた。


 だがやはり、血のしたたる首を高く掲げる少女に、近づく者は誰もいない。

 ロマリア人達は、己の理解を超える少女の力と嗜好に怯えていた。

 人間と魔族は違う。――とはいえ、同じ外見をした亜人種だ。人喰いの化け物には根源的な忌避感が生じる。


 先陣を任せられた騎士団の大隊長は、アルフラからやや距離を置いた場所で待機命令を出した。

 進軍中に長く伸びてしまった戦列を整えるためだ。しかし、すぐに戦闘準備の号令が上がる。



 集結を始めたロマリア軍の前方。この戦いの奪還目標であるトスカナ砦から、魔族達の一団が近づいて来ていた。





 白蓮は砦の最上階から、眼下を食い入るように見つめる。

 蒼い瞳がせわしなく動き、アルフラの姿を探し求めていた。


 目に映る人影は、西日が逆光となり判然としない。

 砦へと逃げる魔族達の影法師が、おもちゃの兵隊のようにばたばたと倒れていく。

 それを行っているのは、血煙とともに移動する小さな影だった。

 周囲のあらかたを屠り終えた殺戮者は、最後に残った影と重なり合う。


 白蓮と同じように高城もまた、その情景へ視線を投じていた。


「アルフラは、どこ……?」


 高城は応えることが出来ない。


 瀕死の太陽が西の地平へ没し、逢魔刻(おうまがとき)の薄闇が訪れた。

 陽光は去り、視界が鮮明さを増す。


 魔族を捕らえた少女が、その喉首に歯を立てる様が見えた。


「――ッ」


 白蓮の唇から、引き攣った呼吸音がもれた。


 視線の先で、喉を食い破った少女が魔族の首を撥ねる。それを頭上へ掲げ、したたる血を浴びるように――否、浴びながら呑み干していた。


「……アルフラは……どこ?」


 白蓮には、それがアルフラだとは認識出来なかった。

 記憶の中の少女と、あまりにも違いすぎたのだ。


 いつも笑っていた。

 アルフラは常に、暖かく他意のない、純粋な笑みを白蓮に向けていた。

 高城との間で、小動物のようだという共通認識を作った、愛らしいアルフラの笑顔。

 厳寒の冬を前にした晩秋の一日(いちじつ)、期せずして訪れた春先のような暖かな陽射し。――それが白蓮の、アルフラへ対する印象だった。


 しかし今は、あまりに違っていた。


「私のアルフラは、どこなの!?」


 変わり果てた姿が、記憶の中の少女と結びつかない。


「奥様……」


 高城は痛ましげに顔を伏せ、かすれた声で告げる。


「あれが、現在のお嬢様です」


 立ち尽くす白蓮は、眉根をよせて凝視する。

 血塗(ちぬ)られた凶相の殺戮者が、アルフラ以外の何者かだと確認し――白蓮の美しい思い出を汚す、あまりにも冒涜的なたわごとをほざいた高城を罵倒するために。


 遠目に見えるその少女は、(まだら)の髪色をしていた。

 綺麗な亜麻色の髪に、血の斑点(はんてん)が浮いている。

 瞳は懐かしい鳶色。

 革の鎧は血にまみれているが、体格は別れたときと変わらぬ華奢な体つき。


「……なぜ……」


 朱く汚れた手が握っているのは、確かに白蓮が与えた細剣であった。

 しかしその(かお)には、覚えのない険があった。いつも無邪気に機嫌良く、にこにことしていた愛らしい口許に――(よこしま)ともいえる、うすら笑いを張り付けて。


「……どうして……」


 異質すぎる光景だった。――普段、とても冷静な白蓮の思考が、数瞬の間、完全にこの世から忘却されてしまうほどに。

 久しく感じたことのない、恐怖という感情が想起される。


「アルフラは、なぜあんな……」


 顔をうつむかせた白蓮が、壁に爪を立てる。その膝が折れ、崩れ落ちようとした腰を高城が支えた。


「……私、なの? アルフラを……あんな……」


 石壁へついた手に力がこもる。

 歪んだ表情を、もう片方の手が覆い隠す。


「私が、アルフラを……あんなふうにしてしまったの?」


 美しく手入れされた爪が石壁を削る。


「……私が? 私が!?」


 そして白蓮は、髪を振り乱して叫ぶ。


「――この、私が!!」


「落ち着いて下さい。今は一刻も早くお嬢様のもとへ――」


「逢えるはずがない!」


 高城を力任せに振り払った白蓮が、声を震わせる。


「あんな、アルフラが……私を……」


「しっかりなされて下さい! 今お嬢様を救えるのは奥様をおいて他にはないのですよ!」


 高城は鎧戸をさし示す。


「ご覧なさい。侯爵位の魔族が迎撃に向かっている。このままではお嬢様が……」


 乱れた髪を頬にまとわせた白蓮が、慌てて戸口から覗き込む。そこには――背後に魔族を従えた氷膨へ、今まさに斬りかからんとするアルフラの姿が見えた。


「あ、あ……」


 喉で呻いた白蓮の肩を高城が掴む。


「行きましょう。お許しをいただければ、あの魔族は私が排除します」


「……いいえ、私が……アルフラを守るのは――」


 振り向いた白蓮の前には、松嶋が立っていた。

 高城がとりなすように告げる。


「松嶋殿、少しの猶予を下さい。それほど時間はかけません」


「主の意を違える訳にはいかないのですが――」


 松嶋は白蓮を一瞥し、すっと身をかわす。


「しばし目を閉ざしましょう。さきほどの白蓮様を見てしまっては……お止めするにも命懸けとなりそうですからな」


 白蓮は無言で扉へと向かう。


「感謝いたします」



 一言礼を述べ、高城は白蓮のあとを追った。





 猛烈な寒気がアルフラを包んだ。

 革鎧を濡らす返り血が凍りつき、肌に痛みを感じる。

 周囲に散在する魔族の屍が、霜に覆われ凍りつく。


 だが、氷の女王の冷えた抱擁を知るアルフラには、動きを妨げるほどの障害とはならない。


 対峙した氷膨の顔が驚愕に彩られる。


 並の貴族であれば、身動きすら出来ないであろう極低温の嵐。しかしアルフラは、そのただ中を駆け抜ける。


 細剣が閃き、障壁へと斬りつけられる。


「ッ――!?」


 アルフラの表情にも驚愕が浮かんだ。

 今までに覚えがないほどの硬い手応え。

 肘と肩に跳ね返った強い衝撃。


「なるほど……咬焼がやられたのも頷ける」


 障壁に護られた氷膨がアルフラへ右掌を向ける。だがその顔が、さらなる驚愕に歪んだ。


 燐光を放つ細剣が、障壁を削り浸蝕する。

 アルフラの怒りが刀身へと流れ込んでいた。――白蓮の細剣を阻まれたことに対する、激しい怒りが。


 氷膨は大きく後方へ飛びのく。同時に細剣が振り抜かれた。

 障壁を断ち斬ったアルフラは、その勢いのまま地を蹴る。しかし、一足飛びに距離を詰めようとしたところで、上体を捻り態勢を崩す。

 右肩に鋭い痛みを感じた。

 氷膨が放った氷の槍を避けそこねたのだ。

 ざっくりと肩が裂け、したたかに地へ打ちつけられる。そのまま転がってすかさず立ち上がったアルフラへ、氷膨の笑みが向けられた。


「フフ、氷嵐を耐え、私の障壁を破ったことには驚かされたが――守りは存外脆弱なようだ」


 笑みを刻んで余裕を見せた氷膨とは対照的に、アルフラの口許がぎりりと歪む。

 肩に感じる痛みからではない。痛みを(こら)えれば細剣を握った腕は支障なく動く。右肩を裂いていったのが、氷の槍らしき物だったということも確認出来ていた。――しかし、氷槍の射出速度が、目で見てからでは回避不能だということも、確認出来てしまっていた。


 遮蔽物のない街道上では、致命的なまでに不利だ。


 迷わず横へ駆ける。

 姿勢は這うほどに低く。

 人体の限界を越えた駆動で狙いを絞らせない。


 対する氷膨は、側面へ回り込もうとするアルフラへ、牽制の氷槍を撃ち出す。ついで冷気を呼び起こし、広範囲の地面を凍てつかせた。それ自体はアルフラの動きを(にぶ)らせるには至らないが、凍った地面がその足取りを妨げる。

 姿勢を崩したアルフラへ向かい、柱ほどの太さを持つ巨大な氷槍が投じられた。


 敷石を砕き街道に突き刺さった氷柱を、間一髪で避けたアルフラが前へ出る。そこへ氷槍の追撃が放たれ、勘だけで上体を振ったアルフラの脇腹をえぐった。


 苦痛の呻きをもらしたアルフラは、それでも止まることなく細剣の間合いへ入る。

 渾身の刺突が障壁に突き立つ。阻まれはしたが、気勢を上げて捩り込む。


 だが、障壁を貫いた刀身は、氷槍によって受けられていた。


「――!?」


「どうした? まさか私が、近接戦に不慣れだとでも思っていたか?」


 氷膨が、身の丈よりも長大な得物を両手で振りかざす。

 アルフラの体が浮き上がり、軽々と街道脇まで吹き飛ばされた。

 受け身は取れたが、ふたたび間合いを外されてしまっていた。そのうえ相手はいまだ無傷。戦いを楽しんでいる余裕さえうかがえる。


「くっ――」


 脇腹を押さえて息をもらす。戦いの昂揚で痛みはさほどではないが、激しい動きで傷口が開いてしまっていた。


「ここらが限界か?」


 氷膨は、獲物を値踏みするかのように目を細める。

 その正面で、細剣を構えたアルフラが、打たれたように棒立ちとなった。

 対峙した侯爵位の魔族すら失念したかのように、背後を振り返る。

 戦いの中で立ち位置が変わり、見つめた先はトスカナ砦の方角だった。


 弾かれたようにアルフラは走り出す。


「な……逃げるのか!?」


 瞬時唖然とした氷膨が慌てて後を追う。そして、二人の戦いを遠巻きにしていた魔族達へ叫ぶ。



「街道を封鎖しろ! 私があの娘を狩るまで、ロマリア軍に邪魔をさせるな!」





 アルフラは、その気配を感じた瞬間、すべての思考を(いっ)していた。

 わき目も振らず走りながら、最愛の名を叫ぶ。


「白蓮! 白蓮!!」


 夕闇の中に、長身の人影が見えた。

 誰よりも美しい肌は雪白。

 月光をまとったかのような髪は真銀。

 じわりとうるんだ瞳に、その姿がぼやけてにじむ。

 アルフラはごしごしと涙を拭い、これが夢ではないのだと確認する。


「白、蓮……?」


 硬い表情の白蓮に気づき、アルフラは足を止めた。

 険しい視線の意味が分からず混乱する。

 アルフラは己の身なりにまでは気が回らなかった。

 肩と脇腹から血を流しているが、浴びた(けがれ)はより多い。

 直視することなく、蒼い瞳は逸らされている。

 やっと会えた白蓮は、なぜか再会を喜んでくれていない。


「白蓮……?」


 呼びかけたアルフラの背後へ、白蓮の視線が向けられた。

 その意味に気づき、はっと振り返る。


 侯爵位の魔族、氷膨が追って来たのだ。

 細剣を構えたアルフラの足元を、白蓮の放った濃密な魔力が(はし)る。

 それは地面を凍てつかせながら、高速で氷膨へと伸びる。


 危険を察知した氷膨が横へ跳ぶ。その直下から無数の蔦が溢れ出た。

 氷の蔦はあっさりと障壁を貫通し、氷膨の足首へと絡んだ。そして捕らえた獲物を引きずり倒す。


「な、なんだこれはッ!?」


 叫びざま、鋭い氷の刃を放つが、戒めを断ち切ることは出来なかった。

 さらに数本の氷蔦(ひょうちょう)が、捕縛した身体中を締め上げて拘束する。


「しばらくそうしてなさい。邪魔さえしなければ殺しはしないわ」


 冷たい視線と声が、慈悲深く告げる。


「ただし、後で腕の一本ももいでやるわ。アルフラを傷つけた代償としては、破格の安さでしょう?」


 氷蔦に首まで(しぼ)られた侯爵位の魔族は、言葉を返すことも出来なかった。


「アルフラ、久しぶりね。……逢いたかったわ」


「白蓮……」


 やはり目は伏せたまま、白蓮は語りかける。


「私は、あなたが戦うことを望んではいないわ」


 その言葉で、アルフラは悟る。

 白蓮は迎えに来てくれたのではない。

 戦乱を避け、西へ行くよう言いにきたのだ。


「戦いから身を遠ざけて欲しいの」


 それはアルフラにとって、白蓮から遠ざかるのと同義だ。


「危険なことはやめて。戦禍を倒そうとすれば、あなたはそこへ辿りつく前に、どこかで必ず殺されてしまうわ。私はそんな――」


「いやっ!!」


 白蓮は知らなかった。幼い子ほど、向けられる心情に敏感であるということを。

 そして白蓮は気づかなかった。変わり果てたアルフラを見て生じた感情が、克明に伝わってしまっていることに。

 強い悔恨の念と忌避感が伝播し、アルフラは思い知らされる。

 自分はいま、白蓮から(うと)まれているのだと。

 涙をにじませた顔が引き攣り、心が硬化する。


「お願いよ、アルフラ。この戦いは長くはつづかないわ。それまで――」


「絶対にいや!!」


 足元に視線を落とす白蓮の顔を、アルフラは正面から見据える。


「なんで? なんでこっちを見てくれないの!? なんであたしを見てくれないの!?」


 意識的に目を合わせないようにしていた白蓮だったが、悲痛な響きに心が揺らぐ。アルフラの大きな瞳に捕われれば、その感情に流されてしまうという自覚はあった。しかし、離れていた月日が、心の間隙を埋めようとする欲求が、抗いようもなく視線を惹きよせる。


「ねぇ……白蓮……」


 かすれた涙声に、白蓮は顔を上げてしまう。


 まなざしは交差し、からみ逢う。


 かつて白蓮の心を捕らえ、決して離すことのなかった信頼のまなざし。なんら打算の介在しない、ひたむきな笑顔は――そこになかった。


 信頼は人の心を捕らえて離さない。


 だから白蓮は、ふたたび視線を外すことが出来た。

 疑念は、人を遠ざけるのだ。


「白蓮はまた、西の方へいけって言うんでしょ」


 瞳には警戒と猜疑。

 拒絶の意思が声音に宿る。


「あたし、いかないよ」


 そう。こうしてまた白蓮と会えたのだ。もう西方になど行く必要はない。


「アルフラ……お願い、わがままは言わないで」


 顔を伏せ、悲しげに哀願する白蓮から、アルフラも目を逸らす。


「あたし、信じてた……白蓮はずっと、あたしのこと好きでいてくれるって、信じてたのに……」


 自分を受け入れてくれない白蓮(げんじつ)を否定仕返す。

 なにか言われたようだがもう聞こえない。

 それはアルフラが欲する言葉ではないのだから。

 気づいているのだろうか、白蓮は。

 今まで一度も「愛している」と、言葉にして伝えてくれた事がないことを。


 アルフラの顔が上向き頭上を仰ぐ。

 視界は心の原風景を捉える。


「あたしだけの白蓮……」


 うっとりとささやいて、すべてを拒絶する。

 つねに見守ってくれた心の偶像は決して裏切らない。

 愛を囁いてはくれないが、いつもそばにいてくれる。

 崇拝するアルフラだけの女神に誓う。


「あいつを殺すわ」


 傲然と見下ろす氷の女王は、じっと聴き入ってくれる。

 他の雑音など聞こえない。

 否定の言葉などいらない。

 血で上塗りされた朱い唇で、想いを吐露する。


「愛してる」


 剥きだしになった恋慕は、心をゆがめるほどに狂おしい。

 搾取した命が、積み上げた死が、アルフラの表情を暗く(いろど)る。


「あいつがぜんぶいけないの」


 あらわとなった殺意は、すべての責を戦禍へと求めた。

 当時はまだささやかだった恋心は、踏みにじられ、深層に根差す情念へと昇華された。


「戦禍が、あたしから白蓮を取りあげたから……」


 そしてはたと気づく。

 その白蓮はいま目の前にいるのではなかったか?

 さきほどから絶え間無く聞こえる哀惜の声はだれのものだ?

 ふたたび自分を遠くへ追いやろうとしているのではなかったか?

 自分はいったいなんのためにこんなことをしているのだ?

 痛くて辛くて殺して傷つけられ血を呑んで吐き気をこらえそれでも胃につめこんで戦っているのはなんのためなのか?


「あ……」


 答えは明快だ。

 本来の目的は、奪われた白蓮を取り戻すこと――それに尽きる。ならばこの場で白蓮を手に入れて、後から邪魔者を除けばよいのだ。

 順番は変わるが何の問題もない。もとより戦禍を殺すことはただの手段であり、過程にすぎない。


 虚像は去り、実像が視界へと結ばれる。

 狂気に装飾された情愛が身をもたげる。


「あぁ……白蓮、やっと会えたね」


 還元されない愛情。抑圧された想念。――無意識領域下の強い思慕は攻性に転じる。

 幸せな笑みを浮かべて細剣を斜に構える。


「もう、どこにも行っちゃやだよ?」


 ふたたび視線が合わさったとき、白蓮の愛したアルフラは、そこにかけらも存在しなかった。



 情愛の念に育まれた怪物が、そこに立っていた。

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