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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
123/251

喜怒愛飢(前)



 咬焼(こうしょう)は丘の上に建てられた小屋の中にいた。もともとは伐採した樹木の製材などに使われていた建物である。その小屋を一夜の寝所(ねどこ)としていた咬焼は、組み敷いた女の上から身を起こした。

 外からは戦いの喧騒と激しく戸を叩く音が響いていた。風とともに咬焼の名を呼ぶ声も聞こえてくる。


「うるせえ、ちょっと待ってろ」


 不機嫌に(こた)えを返し、肩から上着を引っ掛ける。

 みずからも身繕いをしようとした魔族の女へ、咬焼は首を振る。


「いや、お前はここで待ってろ。すぐ戻ってくる」


「はい」


「股が乾かないようにしとけ。いつでも続きが楽しめるようにな」


 いやらしく笑い、咬焼は扉を開く。


「咬焼様! 至急戦いの指揮を!」


「あぁ、わかってるって。……たかが五千程度の人間相手にそう慌てるな」


「それが――ともかく戦況をご覧になられて下さい」


 野営地を見下ろせる丘の斜面まで移動した咬焼が、動きを止める。


「おいおい……なんだこりぁ」


 すでに野営地は無数のロマリア軍に包囲されていた。攻め寄せる軍勢に、正面中央ではかなりの劣勢に立たされているようだ。陣を押し破ろうと多くの騎士が殺到し、乱戦が繰り広げられている。

 両翼でこそ魔法による弾幕を降り注がせ、なんとか騎士の接近を阻んでいたが、中央での乱戦が徐々に戦場全域に拡がりつつあった。そしてロマリア軍の数は、事前に報告を受けていたものよりだいぶ多い。


「どうなってんだよ!? 相手は五千ほどの先遣部隊じゃなかったのか!」


「申し訳ありません。襲撃を受けた当初は連隊規模だったのですが――時を追うごとにロマリア軍の後続が到着し、現状では二万を下らない陣容となっております。嵐によって見通しが悪く、人間共が全軍を展開させる前に戦端を切ったため、敵の数を見誤っていました」


「いくらなんでも速すぎるだろ。あいつらが西の街に到着してから、まだ三日と経ってないはずだぞ」


「おそらく、首都から上がって来た兵を休ませることなく、強行に軍をおしたのではないかと……」


 咬焼は、ロマリア軍が最低でもあと数日は動かないだろうと踏んでいた。兵の休息、部隊の編成、さらには嵐の到来もあり、この短期間に軍勢を進めるには無理がある。常識的に考えればそうなのだが――大きく読みを外してしまい、しばし茫然としてしまう。

 どうやら人間達はかなり死に物狂いとなっているらしい。

 トスカナ砦への増援を警戒し、ことを()いたのではないか。そう予想した。


 咬焼の脳裏に、氷膨(ひょうぼう)の姿がありありと浮かぶ。


「……お願いだぜ」


 醜くく引き攣った頬の傷に手を当てる。


「お前らが死ぬのは勝手だがな、死にすぎると俺が氷膨様からどやされるんだぞ!」


 ひとつ舌打ちし、咬焼は口早に命じる。



「中央を守ってる奴らを両翼の救援に回せ。正面の騎士共は俺が焼き殺してやる!」





 前線中央部は激しい混戦と化していた。多くの騎士と魔族達とが入り乱れ、ぬかるんだ地面に足を取られながら、文字通り泥沼の戦いが繰り広げられている。


「アルフラちゃん右だ!」


 上背のある魔族を斬り伏せたアルフラの耳に、シグナムの警告が届いた。

 細剣を振り下ろした姿勢から上体を後ろへ倒し、身軽にバックステップを踏む。――間髪おかず、眼前の空間を無数の石つぶてが引き裂いた。


 アルフラの左手で、一人の女魔族を囲い得物を振るっていた騎士達が、そのあおりを食う。

 三人の騎士がいくつもの穴を体に穿たれ、苦悶の呻きとともに崩れ落ちる。

 女魔族も石つぶての洗礼を受け、いたる所から血を滲ませていた。しかし、魔力障壁によりその威力は減じられ、せいぜいが皮膚に食い込んだといった軽傷だ。


 すかさずアルフラは走る。


 仲間の魔法を受け怯んでいた女魔族の胸を一突き。――細剣の切っ先が、柔らかな肉と臓腑をあっさりと貫通した。

 倒れこんでくる体を払いのけ、そのままアルフラは前方へ駆け出す。背中合わせに騎士達を牽制している二人の魔族を次の標的にさだめた。

 石つぶての魔族はすでにシグナムが排除済みだ。

 アルフラの接近に気づいた魔族が、掌を掲げる。

 目の前の地面が弾け、泥土が飛び散った。

 凄まじい衝撃に、数人の騎士が吹き飛ばされる。しかし、その中にアルフラの姿はない。


 近接戦闘になれば強力な魔法はそうそう使えないはずだ、と考えていたロマリア軍の当ては外れていた。 

 魔族達は同士討ちになることも気にせず、そこかしこで広範囲に及ぶ魔法を行使している。――障壁を有する分、味方を巻き込んでも致命傷には至りにくい。友軍に手傷を負わせてでも、より多くの騎士を葬れればよいと考えた結果だった。

 かなり無茶な戦い方ではあるが、確実に、そして恐ろしい早さでロマリア兵の屍が量産されている。


「くそっ! 本当に厄介だな、お前らは!」


 罵りざま、シグナムの大剣が振り下ろされる。

 ほぼ同時に細剣が閃いた。

 二人の魔族が背中を預け合うように倒れ伏す。


「あたしは八人だ。アルフラちゃんは?」


 二つの屍を挟み、シグナムが楽しげに笑う。


「ん~……十人から先は覚えてない」


「チッ、もう二桁かよ。やっぱり手数じゃかなわないな」


 シグナムの笑みに少し悔しげな色が混じる。あいまあいまに“つまみ食い”をしていた割には、アルフラが倒した魔族の数は多い。


 中央での戦況は急速に変わりつつあった。

 アルフラとシグナムの二人が、わずかな時間で二十を越す魔族を屠ったため、戦線に穴が空いたのだ。

 付近の掃討を終えた頃にはそれと比例して、辺りはロマリア兵の密度が増していた。その一帯では魔族一人に対して、分隊(七~八人)規模の騎士達が戦闘に当たっている。

 始めは一点での優勢が、徐々に左右両翼へと広がっていく。


「戦闘中にあんまり飲み過ぎると、横腹が痛くなってくるよ」


 シグナムは大剣を地に突き立て、アルフラへ手を伸ばす。そして口の端にこびりついた血糊を拭ってやる。


「へいき。戦ってるときは気にならないから」


 くすりと笑みをもらしたアルフラが、シグナムの手を取り、その指を口に含む。

 赤い汚れを丹念に舐め上げるアルフラに、シグナムは軽く眉をひそめた。しかし、依然その口許には歓喜が刻まれている。戦いがもたらす高揚に酔い()れているのは、なにもアルフラばかりではないようだ。


「ちょっと、くすぐったいって」


 ちろちろと舌先がうごめく咥内から、指を引っこ抜く。

 すっかり綺麗になってしまった指先でアルフラの額をつつき、シグナムは尋ねる。


「右翼と左翼、どっちがいい?」


 戦線中央の分断に成功したロマリア軍は、両翼の背後に回り込むような形で魔族を攻め立てていた。


「右は破城槌を持った工兵隊が突入してるはずだから、左翼の方が劣勢だと思うけど」


「じゃあ左で」


「よし、陣の薄いとこから…………ん?」


 シグナムが背後を――ロマリア軍本陣を振り返る。

 地を揺るがす震動を感じたのだ。

 戦場では馴染み深い、まとまった数の騎馬が疾駆するときのものだ。それはだんだんと近づいて来ていた。

 シグナムは首を巡らし野営地を見回す。

 雨のせいで砂塵が上がらないため所在が捉えにくい。


「シグナムさんあっち!」


 指をさしてアルフラが走る。

 あとにつづくシグナムの目に、百騎ほどのロマリア軍が飛び込んできた。

 野営地左翼の表面を掠めるように突撃してくる騎士の一団。その先頭にたつのは白銀の魔剣を振りかざすヨシュアだった。


「あいつら野営地を迂回して裏をついたのか」


 ロマリア女王の名を讃えながら乗騎(じょうき)を駆る騎士達は、長大な馬上槍(ランス)を構えていた。疾走する騎馬の突進力を余すことなくランスに伝えるため、腰溜(こしだ)めに抱え込むように固定する。そしてランスの尖端が馬上でぶれないよう、乗騎の背に伏せる。


 馬上から振り下ろされたヨシュアの剣に、魔族の一人が頭を割られた。その後方では、障壁にランスを阻まれた騎士がもんどりうって騎馬から投げ出される。

 多くの騎士が落馬して地に転がされはしたが、それと同数ほどの魔族がランスに胸を貫かれていた。突貫に成功した騎士達は、魔族を串刺しにしたランスから手を離す。深々と突き立ったランスは滅多なことでは抜けないため、そのまま握っていれば疾走する乗騎から引き落とされてしまうのだ。


「全騎下馬ッ!!」


 アルフラ達のもとまで駆けて来たヨシュアが命じる。


「総員抜剣!」


 叫ぶと同時に駆けだし、ヨシュアが魔族へ向かって切り込んでいく。

 すぐさま騎士達がつづき戦線に加わる。

 もともと優位に進んでいた戦況が加速される。

 戦場に響く鬨の声は激しさを増し、勢いづいた騎士達が前線を押し上げる。


 魔族の陣からも次々と指示を出す声が聞こえてきていた。

 後退しながらの迎撃を叫ぶ者。分断された右翼との合流を命じる者。しかしそれらの命令には一貫性がない。


「ははっ、混戦だな」


 漂いだした勝ち戦の雰囲気を、シグナムは鋭敏に感じとっていた。

 いまや戦場は食べ頃にまで加熱された釜だった。


「いい感じに煮立ってやがる」


「シグナムさん、はーやーくー」


「ああ、一気に平らげちまおう」


 今回はアルフラの独走もない。かなり理性的に立ち回っている。数日前に腹一杯魔族を呑んだのも効いているのだろう。


「お姉ちゃーーんっ!!」


 すぐ後ろからルゥの声がした。

 振り返ると、背後に騎士達を引き連れたルゥとフレイン、そしてジャンヌが足早に向かって来ていた。


「なんだ、こんなとこまで上がって来たのか」


「あぶないからルゥはさがってなさいよ」


 アルフラの言いざまは、まるでやんちゃなガキ大将のようだ。女の子は足手まといだから遊びについて来るなよ、といわんばかりの口調である。


「むぅ」


 ぶんぶんと長剣を振り回しながらルゥが言い返す。


「ボクは白狼の戦士なんだからねっ!」


 戦いの最中(さなか)であるにもかかわらず、アルフラの様子はルゥが口答え出来るほどに落ち着いている。

 いい傾向だな、とシグナムはほくそ笑んだ。


「とりあえずフレイン。あんたはルゥと一緒に後ろで見物してな。どうせ魔族相手じゃたいして役には立たないんだからさ」


「ええ、私も戦列に加わるつもりはありませんよ。封魔結界が届くぎりぎりの距離から支援します」


 フレインは手にした水晶球をかざして見せる。


「いまのアルフラさんであれば、結界の範囲内なら魔法の直撃を受けてもさして問題はないでしょう。まあ、まったくの無傷とはいかないとは思いますが」


 ずいとフレインを押しのけて、ジャンヌが前にでる。


「わたしはシグナムさまがなんと言おうと――」


「お前は勝手にしろ。ただし無茶はするな」


「お任せ下さい」


 力強く請け合ったのはアルセイドだった。どうやらジャンヌの警護のため、手勢を引き連れて前線に出て来たらしい。その背後には二百名ほどの白竜騎士団が控えていた。

 姫を守る騎士然としたアルセイドを見て、シグナムが首を捻り考える。


「……アルセイド、だっけ。あんたの騎士達の半数、百騎ほどを左翼の横合いから突撃させてくれ」


「――は? いえ、私達にはジャンヌ姫の身を守る責務があります」


「百も残しておけば問題ないだろ。ジャンヌはそれ以外はからっきしだけど、武神の信徒だけあって戦闘はそこそこやる」


 アルセイドは、ジャンヌとシグナムを見比べ渋面を作る。


「しかし――」


「お前だって手柄が欲しいんだろ。いいか、いまがこの戦いの分水嶺(ぶんすいれい)だ。このまま畳み掛ければ魔族の陣は崩れる。賭けてもいい」


 いかにも戦慣れしたシグナムの容貌には、確かな説得力があった。アルセイドも黙り込み思案しはじめる。


「ここで一役買えれば、女王陛下からの覚えもめでたいってもんだろ?」


「……わかりました」


 ひとたび決断するとアルセイドの動きは早かった。中隊長の名を呼び細々とした指示を出す。


「アルフラちゃん。待たせたね」


 声をかけると、屍に屈み込んでいたアルフラが身を起こした。そして口許をこすりながらシグナムへ寄ってくる。どうやら退屈はしていなかったようだ。


「じゃあ、いこうか」


 魔族の防衛戦を押し込む騎士達へシグナムは目を向ける。そこにはすでにヨシュアの姿はない。おそらく陣中深くにまで攻めのぼっているのだろう。


「負けちゃいられないね」



 大剣と大楯を構えたシグナムは、アルフラよりもなお、血気に逸っているようだった。





「あまり前には出過ぎないで下さい!」


 アルセイドの叫びがむなしく響いた。ジャンヌはアルフラ達に遅れじと戦場を駆ける。神官娘の視界に、五人の騎士を相手取る女魔族の姿が入った。その足元には腹を抱えて血溜まりにうずくまる瀕死の騎士が二人。

 手頃な獲物とばかりに、ジャンヌはダレス神の聖印を握る。異教徒とはいえ、やはり戦場に立つ者には武神の加護を分け隔てなく与えるべきだ。見殺しにするにはあまりに忍びない。そう考えた心優しいジャンヌは聖句を唱えた。


治癒(キュア・ウーンズ)――」


 不浄の光を放つ右手を大きく振りかぶる。

 かつてルゥの宝物を行方不明にしかけた強肩(きょうけん)が唸りを上げる。

 難点であった射出速度は、魔術理論ではなく力技で解決するつもりのようだ。


(アロー)ッ!!」


 自称、癒しの光を帯びた矢が、凄まじい勢いで負傷した騎士へと殺到する。


「ひぃぃ!?」


 顔面蒼白となった騎士が転がるように身をかわした。


「なぜ避けるのですか!!」


 治癒矢は騎士の頭上を掠め、女魔族の方へと向かっていった。しかし、障壁にぶつかりあっさりと掻き消される。


「ジャンヌ! それを人に向けるなと言ったろ!!」


 怒声を上げたシグナムが女魔族に斬りかかる。岩に亀裂を入れたような破砕音が響き、障壁が砕けた。

 振り下ろされた大剣を、女魔族は身軽にかわし距離を取る。その周囲に渦巻く風の刃が発生した。

 神官服を引き裂かれながらもジャンヌが間合いを詰める。


「くっ!」


 襲いかかる大気の断層から顔だけをかばい、右の拳を女魔族の腹に叩き込む。


「ッ――!!」


 体を折り膝をついた女魔族が、立ち上がろうと足を踏みしめ、


「ガアァァ――――」


 突如地面にはいつくばり絶叫を上げた。


「え……?」


 思わずジャンヌは自分の右手を見る。そこにはいまだ濁った光が宿っていた。


「やっぱり魔族にも効いてるな」


 シグナムが女魔族の頭に大剣を振り下ろし、とどめを刺す。


「その調子でがんがん倒してくれ。護衛の騎士達からあんまり離れないようにな」



 そう言い置いてシグナムは走りだす。ジャンヌの回復魔法を警戒し、離れた場所で戦っているアルフラを援護するために。





 数人の魔族を屠ったアルフラはちらりと背後をうかがう。シグナムが追って来ているのを確認し、抱えた血まみれの死体を地へ落とす。周囲はあらかた、先行したヨシュア達により掃討済みだ。もっとも激しい喧騒を届けてくる戦線へとアルフラは駆け出す。

 打ちつける雨が返り血を洗い、吹きつける風が肌に心地好い。

 思考は研ぎ澄まされ、体はすみずみまで自在に動く。

 体内に感じる力の流れは充実し、腹も満たされている。


「おい、娘! あまり出過ぎるな!」


 ヨシュアの声が聞こえた。多くの騎士に囲まれ、下がるようにと手を振っている。

 見れば前方には、軽く百を越える魔族が群れ固まり、魔法による攻撃を浴びせかけていた。

 岩の塊が、炎の槍が、水の矢が――楯を構えた騎士達を掃き散らす。

 地には鱗鎧をまとった死骸が折り重なっていた。おそらく大隊規模の部隊が全滅したのだろう。包囲した騎士達も迂闊に踏み出せないでいる。

 後退しながら隊列を整えた魔族を相手に、ヨシュア達は攻めあぐねているようだ。


 しかし――アルフラはこれといって感情の見えない瞳で屍の山を一瞥し、騎士達の間を駆け抜ける。


 何かをつぶやくように、アルフラの口が動いたのをヨシュアは見た。そして、真冬のように白い息が零れ出たのを。


 上体を深く倒し、地面を這うように疾駆する。

 降り注ぐ魔法の迎撃を、アルフラは緩急をつけた動きで、右へ左へと回避していく。まばたきをすれば姿を見失いかねない複雑な高速移動。

 ぬかるんだ足場の上とは思えない、そして人間とは思えないような動きだ。

 アルフラは隊列の側面に回り込みながら、着実に間合いを詰める。


 後を追って来たシグナムは思わず足を止めてしまう。

 どう頑張ってもアルフラのような動きは出来ない。しかし、その躊躇(ちゅうちょ)も一瞬。フレインが幾重にも魔力付与を施した大楯を信じて飛び出す。


「蛮勇は足元をすくうぞ!」


 叫んだヨシュアの警告はやはり黙殺される。


「クッ! 続け!! あの二人が囮になっている間に寄せるぞ!」


 仲間の屍を踏みしだき、騎士達も密度の濃い死線へと突入する。


 死の恐怖を克服するため上がった雄叫びを背中に、アルフラは細剣を振るう。

 岩の槍を斬り払い、さらに襲いかかった無数の魔法からひらりと身をかわす。

 体を捻り、地を蹴り、爆散した地面に視界を奪われながらも、低い姿勢を維持して駆ける。

 肩に、横腹に、痛みと衝撃を感じる。

 泥と血にまみれた髪が頬に張り付く。


 口に入った土を吐き捨てた時には、顔を引き歪ませた魔族がすぐ目の前に迫っていた。

 信じられないものを見るかのように目を見開いたその魔族を、アルフラはすれ違いざまに撫で斬る。

 舞った血煙を背に、細剣が振るわれる。

 飛びのこうとした魔族を、構えた火球ごと貫く。引き抜くと同時にくるりと身を翻し、横合いから襲いかかって来た女魔族の首を裂く。返す刀で背後の魔族を袈裟がけに斬りおろす。上体に赤い斜線が走り大量の血がしぶいた。

 浮足立ち後退を命じる魔族を串刺しにして黙らせる。すぐさま左のブーツで絶命した魔族を蹴り倒す。


 密集隊形を組んでいた魔族の陣に、アルフラを中心とした空白地帯が生まれていた。

 突如として現れた死の暴風から逃れようと魔族の輪が広がる。しかし、血塗りの細剣を縦横(じゅうおう)に舞わせる悪鬼が追いすがる。

 阿鼻叫喚の悲鳴の中、アルフラの右手が一閃するごとに、魔族の命は確実に失われていった。


「アルフラちゃん!」


 背後から、仲間ごとアルフラを撃ち抜こうとしていた魔族をシグナムが斬り倒す。

 アルフラは一瞬だけそちらに視線をやり、首を飛ばした細剣をさらに左側面の魔族に突き立てる。そのまま横に薙ぎシグナムへ駆け寄る。

 すぐ近くには氷の魔剣を構えたヨシュアの姿もあった。


「怪我はないようだね」


 そう言ったシグナム自身も目立った傷はない。大楯はへこみ、革鎧の肩当にもえぐられたような跡はあるが、五体満足のようだ。

 二人は目を見交わし――その場から飛びのく。

 不可視の刃が目の前を駆け抜ける。

 悠長に言葉を交わす暇はないようだ。

 横手から爆音が響き、吹き飛ばされた騎士の体をシグナムの大楯が叩き落とす。

 同時にアルフラが地を蹴る。

 一人を斬り捨て、逃げようと走り出した魔族の右目に細剣を突き込む。切っ先が頭蓋の裏側を引っ掻く感触が腕に伝わる。

 力を失い倒れかかってきた体を抱きよせ、その喉首をアルフラは食い破る。

 吹き出た血をひと啜りし、身を捻って横から飛んできた水弾を屍で受けた。

 あまり味が良くなかった魔族の体をアルフラは未練なく投げ棄てる。

 水弾を飛ばしてきた魔族はすでにシグナムの大剣が始末していた。


 アルフラはぐるりと周囲を見回す。

 野営地の隅にぽつりと立つ枯木を背に、十数名の魔族が固まっているのが見えた。おそらく隊長格の魔族がいるのだろう。その周囲を多くの魔族が固めている。

 より強い血を求めて枯木の方へとアルフラは走る。行きがけの駄賃に三人の魔族を裂いた。最後の一人の血を少しだけ味見する。


 アルフラのために食卓へと並べられた魔族達。その量だけは豪勢と言えた。

 振る舞われた命への返礼に、アルフラも大盤振る舞いだ。手当たり次第に死を()き散らしていく。


 食べかけの果実を投げ棄てる感覚で、アルフラは口をつけた魔族を放る。味が悪ければいくらでももぎればいい。血をべっとりと付着させた唇が大きく吊り上がる。その表情が喜色に染まる。

 どれほど不作法に食い散らしたところで、誰もアルフラを叱りはしない。それどころか、むしろ敵が減って騎士達は喜ぶはずだ。――そのはずなのだが、なぜかアルフラの周りからは人が遠のいていく。騎士達は(おそ)れの色合いが濃い畏怖の表情で、アルフラから距離を取っていた。


 それでも悦楽を顔に貼りつけたまま、アルフラは足取りも軽く魔族を襲う。


 敵の群れる枯木の辺りに着いたときには、寄り道をしていたせいでシグナムとヨシュアに先を越されてしまっていた。

 大剣が魔族を叩き潰し、氷の魔剣が胴を断ち斬る。

 アルフラはヨシュアの戦いぶりに軽く目を見張った。

 直線的な剣筋であるにも関わらずその動きは流麗で、優美とすら形容出来るしなやかさがあった。シグナムが一目置くのも頷ける。確かにヨシュアは大陸有数の剣士なのだろう。

 魔族の雑兵相手ならば、歯牙にもかけない強さがうかがえた。――だが、それだけだ。

 アルフラはすぐに興味をなくし、手近な魔族に斬りかかる。


 腰の引けた魔族を一太刀で絶命させる。仲間を殺したアルフラへ、女魔族が何事かを罵った。その口腔に細剣を潜り込ませて口を塞ぐ。

 なにやら人間以外のものを意味する言葉で揶揄(やゆ)られたようだが気にならない。アルフラはいま、とてもご機嫌だ。

 女魔族の髪を掴み、垂れ下がる四肢を支えて細剣を引き抜く。真っ赤な(ほら)となった口から大量の血が吐き出された。アルフラは舌を突き出し受け止める。そして、大した力を感じない血にがっかりしてしまう。

 滝のように(こぼ)れてくる流れで、革鎧がべとべとに汚れたが、やはりアルフラは気にしない。

 この頃には、すでに返り血で全身が(あけ)に染まっていたので今更だった。


「よそ見してると危ないよ、アルフラちゃん!」


 シグナムが、大剣に刺さった魔族の体を振り落としながら叫んでいた。

 目線だけで応えてアルフラは上体を沈める。肩口を掠めた衝撃の出所へ身を(おど)らす。

 恐怖に顔を引き攣らせた女魔族の首筋に穴を穿つ。

 血をほとばしらせた首をワシ掴みにし、背後の枯木に叩きつける。強く押さえつけると出口を失った赤い体液が、だらだらと口から溢れてきた。

 今までの魔族よりも強い力を感じる。


「ん……ふ……」


 鼻にかかった吐息をアルフラがもらした。唇がよせられ、血のしたたる顎先を(あか)い舌が這う。

 立ち木に押さえつけられた女魔族が目を見開く。その瞳は、身の毛もよだつような恐怖に満ちていた。加えて苦悶と絶望の色がまたたく。

 アルフラはそのまま舌先を滑らせ、魔力の源を溢れさせる口を、おのれの唇で塞いだ。


 ごくり……

 嚥下する音が細い喉から響いた。


 アルフラは眼球だけを左右に動かし、ぎょろぎょろと次の獲物を物色する。

 品定めをしながら、女魔族の喉を締め上げ血を搾り出す。

 体液を吐き出しつづける蛇口と化した唇から、じゅるじゅると啜り取る。


 ごくり、ごくり……

 二度、三度と嚥下しながら辺りを見回す。


 もっと美味しい魔族はいないかな。


 周囲にはまだ結構な数の魔族が残っていたが、動きを止めたアルフラを攻撃しようとする者はいなかった。

 誰一人として、その注意を引きたくなかったのだ。騎士も魔族もみながみな、血まみれの悪鬼を刺激しないよう、息を潜めて後ずさる。


 いつの間にか、戦闘自体がやんでいた。


 ヨシュアや騎士達も、味方であるはずのアルフラから一定の距離を取っている。しかし、それだけでは安心出来ないのか、魔族同様じりじりと後ろへ下がっていた。


 ひくっ、と場にそぐわない音が響いた。

 喉を鳴らした魔族が背を向け駆け出す。つづいて悲鳴をもらした数人の魔族が、わき目もふらず逃げていく。しごく真っ当な判断と言えるだろう。少女の姿をした悪鬼は、いまや見間違えようもない――捕食者の笑みを浮かべていたのだから。

 だが、背中を見せたのはまずかった。反射的に鳶色の瞳がそちらへ向けられる。

 白目を剥いて痙攣しだした女魔族を放り棄て、アルフラが走る。

 すぐに追いつき逃げる魔族を背中から斬り倒す。そしてまた次の犠牲者を求め身を翻す。


 花から花へ、ひらひらと舞う蝶のように、アルフラは戦場を舞い踊る。そして蜜のたっぷりと詰まった花芯をむさぼる。


「あの娘は――」


 ヨシュアが茫然と呟く。


「なんとも壮絶だな」


「……ああ。正直あたしも、ここまで酷いとは思わなかった」


 酔いが抜けたときのような不快さを感じ、シグナムは顔をしかめる。


「途中までは調子良かったんだけどね……」


 ヨシュアが怪訝な顔をする。シグナムは、いや、なんでもない、と首を振って見せた。


「とりあえずアルフラちゃんを追おう。ここからは掃討戦だ」


「そうだな」


 ヨシュアが追撃の命令を下そうとしたそのとき、喉を引き攣らせるような耳障りな笑い声が響いた。


「クハハハハッ。お前らいくらなんでも()り過ぎだって」


 シグナムとヨシュア、そして多くのロマリア騎士達の視界が炎に包まれる。


「――燃えろ」



 渦巻く轟火が、辺り一帯を飲み込んだ。

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