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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
120/251

一期一恋



 しんみりとした空気につつまれてしまった天幕内で、カダフィーが小さく舌打ちをした。


「フレイン。ここからは別行動だ。私は難民が隔離された村へ行ってくる」


 これにはフレインより先にエレナが反応した。


「カダフィー殿はトスカナ砦の攻略に、同行してはいただけないのですか?」


 ロマリア人達は、他国にまで名の知れ渡った女魔導師の力に、少なからずの期待を寄せていたようだ。

 エレナのみならず、ヨシュアやディモス将軍の表情にも、失望が色濃い。


「心配しなくても大丈夫だよ。男爵位の魔族が相手なら、あの嬢ちゃんがいれば私の出番なんてないさ。むしろ――」


 カダフィーの視線がヨシュアへと向かう。


「あんたはなるべく咬焼(こうしょう)って奴には近づかない方がいい」


「……どういう意味でしょう?」


「嬢ちゃんの邪魔をするなってことさ。あの娘は独占欲が強いからね。獲物を横取りされると感じれば、敵として認識されちまうよ」


 私もそれで痛い目を見た、とつぶやき、女吸血鬼は胸元を一撫でした。


「爵位の魔族は嬢ちゃんに任せて、あんたらは露払いに専念しな。そうすりゃ大した時間もかけず、咬焼を死体に変えてくれるはずさ」


 その言葉をどの程度信用してよいのか計るように、ヨシュアは無言でカダフィーを見つめていた。


「フレイン、後は頼んだよ。こっちの用が済んだら合流する」


「行っても無駄なのではありませんか? 仮にあの術師が難民となり、魔族の進攻から逃れていたとしても、すでに黒死の病によって命を落としている可能性が高いですよ」


「ここで二の足踏んでちゃ、ロマリアまで来た意味がないだろ」


「ですが――」


「なんだい? フレイン坊やは、荷馬車で一人寝するのが淋しいのかい?」


「な、なにを馬鹿な……」


 妖艶な笑みを浮かべたカダフィーが、腕を伸ばしフレインの頬を撫で上げる。


「帰ったら好きなだけ添い寝をしてやるからさ。何日か我慢おしよ」


「やめて下さい!」


 フレインが慌てて身を引く。


「その手の冗談だけは勘弁して下さい。もしアルフラさんに見られでもしたら――」


 シグナムが、狼狽するフレインをおかしそうに笑う。


「いや、アルフラちゃんは全然気にしないと思うよ」


 だが、にやにやとするシグナムを、カダフィーが呆れたような目で見ていた。


「いや、あんたさ。女心ってやつがまったく分かってないね。そんなのヤキモチ焼くに決まってるだろ」


「な、なんでだよ……アルフラちゃんはフレインのことなんてこれっぽちも好いちゃいないだろ」


 あまりにもあんまりな言われように、フレインが少し傷ついた顔をする。自覚はあっても、人から指摘されるのは(こた)えるらしい

 そしてさらに、シグナムが無慈悲な刃でフレインをえぐる。


「あんたとフレインがどれだけいちゃつこうと、アルフラちゃんはなんとも思わないに決まってる」


「うぐっ」


 ふぅ、と息をついた女吸血鬼が肩を竦める。


「なに生娘(きむすめ)みたいなこと言ってんだい」


「な、なんだとっ――!」


 顔を真っ赤に染めたシグナムが、ものすごい目でカダフィーを見下ろす。

 そんなシグナムを、ふふんと女吸血鬼は鼻で笑った。


「本当になんにも分かっちゃいないね。――たまにさ、あんたは恋愛について分かったふうな講釈垂れてるけど……実はなにげにそっちの経験が浅いんじゃないのかい?」


「そ、そんなこたぁねえよ。あ、あたしはこれでも……」


 シグナムは赤面しつつ、ごにょごにょとつづく言葉を探す。


「……って、そんな大層な口きくなら、なんでアルフラちゃんがフレインなんかにヤキモチ焼くのか説明してみなよっ」


 あたふたとするシグナムとは対照的に、カダフィーは余裕の貫禄で笑みをこぼした。


「ふっ。いいかい? 女ってもんはね、たとえそれがなんとも思ってない相手でも、自分に好意を向けている男が他の女に目移りすれば、機嫌を損ねる生き物なんだよ」


「え……」


 シグナムは愕然とし、この場で一番信用出来そうな人物――エレナへと顔を向ける。


「そ、そういうもんなのか?」


「はい。カダフィーさまのおっしゃられる通りです。女とは意中の相手がいても、多くの殿方からの称賛と崇拝を欲するものなのですよ」


「そ、そんな……知らなかった……」


 衝撃の事実(?)に、シグナムの膝はがくがくと震えていた。そこへさらにカダフィーが追い撃ちをかける。


「そういやあんたはさ、普段から男を見下してるようなところがあるよね」


「あ、あたしは別に……」


「もしかしてあんた……男を好きになったことがないのかい? じゃなきゃこんなことも分からないなんて――」


「やめてあげて下さいっ!」


 見かねたフレインがシグナムを庇うように前へ出る。傷心中のフレインではあったが、今現在、顔色を青く変えたシグナムの方が、はるかに重傷だ。


「難民の村へ行くことはもう止めません。ですから、シグナムさんをこれ以上追い詰めないで下さい」


 力無くうなだれたシグナムの肩を、フレインが(いたわ)るようにぽんぽんと叩く。


「……いや」


 シグナムがフレインの手を軽く払う。


「あんたに触られるとなんか運気が落ちそうだ」


「はうっ」


 カダフィーは気落ちした様子の二人には構わず、エレナへ別れの挨拶を告げる。


「そういうことだから、これで失礼させて貰うよ。細々とした話はフレインにしておくれ。ちょっと頼りない坊やだけど、これでも優秀な魔導士だからね。心配はいらない」


「はい、ですが大丈夫でしょうか。難民の村は黒死の病に罹患した者が相当数いるはずです。もしカダフィー殿にまで……」


「問題ないよ。私は病とかにはかからない体だからね」


「あ……」


 エレナは目の前の女魔導師が、すでに人の身ではないことを思い出す。


「そうでしたね。では案内の者をお付け――」


「いや、それもいい。表にいる騎士を捕まえて村の場所を聞くよ。――そろそろ日も暮れる。私一人の方が時間もかからない」


「わかりました。では、探し人が見つかることをお祈りしています」


「ああ、あんた達にも武運を」


 あっさりとした言葉を残し、カダフィーは天幕を後にした。



 そして、どんよりと沈み込んだシグナムとフレインを相手に、軍議が再開された。





 軍議の途中で食事を摂りつつ、あらかたの話が終わる頃には、辺りもすっかり暗くなっていた。


 シグナムとフレインは、二人の騎士に連れられ、割り当てられた天幕へ案内される。

 天幕の入口には松明が(とも)され、赤々とした光が周囲を照らしていた。

 すでに二台の馬車が天幕脇に運ばれ、馬達が牧草を()んでいる。


「あっ、お姉ちゃんおかえりー」


 ルゥが駆けよって来る。その背後にはジャンヌの姿もあった。


「なんだ。外で待ってたのか?」


「うん。あのねっ、アルフラがねっ」


 弾んだ声のルゥが、野営地の奥まった付近を指さす。するとそちらの方から、草を踏み締めるひずめの音と共に、小馬に乗ったアルフラが現れた。


「さっきね、アルフラの後ろに乗せてもらったの」


 ルゥが嬉しそうに小馬へ手を振る。


「アルフラと一緒だと、あの子あばれないんだよ」


 シグナム達の傍まで小馬が駆けてくる。


「シグナムさん、おかえりなさい」


「うん。アルフラちゃんて馬に乗れたんだ?」


「ううん。乗るのは初めて。だから練習してたの」


 アルフラがまたがった小馬は、たずな以外の馬具をつけていない。


「へえ、すごいね。初めてでいきなり裸馬を乗りこなすなんて」


 どうやらアルフラは、馬上戦闘の練習をしていたらしい。

 左手でたづなを掴み、右手には抜き身の細剣が握られていた。

 膝でしっかりと馬の腹を挟みこみ、大腿筋と腹筋で上体を支え、左手のたづなだけで器用にバランスを(たも)っている。


「鞍も(あぶみ)もないのに、よく片手で乗りこなせるね」


「うん。そんなにむつかしくないよ」


 裸馬に乗るには、実際かなりの筋力と平行感覚が必要なのだが、アルフラはあまり苦にならないようだ。


「そっか。アルフラちゃんもしょっちゅう剣を振ってるもんな。細いわりには体が出来てるのか」


 シグナムが感心したように頷き、フレインも少し驚いた顔でアルフラを見ていた。


「でもね。普段は使わない筋肉に負担がかかるから、ほどほどにしといた方がいいよ。じゃないと朝起きたら、内ももとふくらはぎがえらいことになるからね。あと腹筋や脇腹も」


「うん、わかった」


 ひらりとアルフラは小馬から飛び降りる。そして掴んだたずなをルゥへと渡した。

 小馬はつぶらな瞳をルゥへ向け、相変わらず緊張した様子で固まっていた。そんなことは気にもせず、狼少女は小馬の首筋をぺたぺたと撫でる。


「そういえば、この馬の名前聞いてなかったな」


「あっ、ボクねぇもう決めてあるんだ」


「えっ」


 全員の視線がルゥへと集まる。

 皆あからさまに不安げだ。


「へんな名前付けるなよ。可哀相だから」


「うん、サクラっていうの」


「サクラ……? 意外に普通だね。うん、いいんじゃないか」


「そうですわね。可愛らしい名前だと思いますわ」


「うん。ルゥにしてはいい名前だね」


 サクラは馬肉の隠語ですよ? と思ったフレインだったが、空気を読んで黙っていた。

 小馬(ポニー)とはいえ、肩の高さはアルフラの背丈ほどもある。なかなか“食いで”がありそうだ。

 とりあえず、ルゥがどこでそんな言葉を覚えたのか不思議だった。


「さ、そろそろ天幕へ行こう」


 シグナムが、おびえるサクラのたずなをルゥの手から受け取る。


「明日には、日の出と同時にトスカナ砦へ進発だそうだ。今日は早めに寝ちまおう」


「あっ、あたしね。シグナムさんにおみやげを買って来たの。火酒を二壷」


「おっ、気が利くね。ありがとな」


 アルフラが嬉しそうにジャンヌを指さす。


「ジャンヌに美味しいやつ選んでもらったの」


 ぺろり、とアルフラは唇をなめる。――どうやら少し味見をしたようだ。


「あんまり飲み過ぎちゃ駄目だからね」


「うんっ」


「まずは荷物を天幕へ移さないとな」


 案内をしてくれた騎士にも手伝ってもらい、馬車から天幕の中へ敷布(しきふ)や杯などを運び込む。

 一段落つくと騎士達は、必要な物があれば申し付けて下さい、と言い置き帰っていった。そして、釘と木槌を用意してもらったフレインは、作業のため荷馬車へ向かう。

 カダフィーが犠牲者達を置いていってしまったのだ。


 すぐにシグナムは塩付け肉などを炙り、酒の(さかな)を用意しはじめる。そして、出来上がったつまみを器に乗せ天幕へ戻った。香ばしい匂いにルゥは大喜びだ。

 みなで酒盛りの準備をしていると――戸外から複数の気配が感じられた。

 一同は顔を見合わせ、シグナムが戸口を出る。

 数人の人影が天幕の方へと歩いて来ていた。


「夜分にすみません」


 先頭に立つ二十歳前後の男が、シグナムへ声をかけた。背後には数名の騎士を引き連れている。

 男は騎士達と違い、ダルマティカと呼ばれる、袖が短くゆったりとした貫頭衣(チェニック)を身につけていた。ロマリア貴族が好んで着衣するものだ。


「私は、エルテフォンヌ伯グレゴールの長男、アルセイドと申します」


「エルテフォンヌ?」


 シグナムはかすかに眉をひそめる。あまり良い印象のない名前だ。


「実は、レギウスからの使者(がた)の中に、ジャンヌ・アルストロメリア様がいらっしゃると聞いて、こちらへ参りました」


 その言葉は、天幕内から様子をうかがっていたアルフラ達にも届いていた。

 ジャンヌが戸口からひょこりと顔を覗かせる。


「おお! ジャンヌ姫。やはりこちらにいらしたのですね」


「姫……?」


 シグナムがなんとも言えない顔をしていた。

 天幕の中からも――ひめ? ヒメ? と、不満げなルゥとアルフラの声が聞こえてくる。


 とうのジャンヌは落ち着いたもので、


「失礼ですが、どちらかで面識がございましたでしょうか?」


 なにげにそつのない応対をしていた。


「ああ、私の顔をお忘れなのですか? ――しかし、それも無理はありませんね」


 アルセイドは、おおげさに肩を落としてみせる。


「三年ほど前に、アルストロメリア候爵の居城(きょじょう)でお会いしたのですが、覚えてはいらっしゃいませんか?」


 ジャンヌは腕をくみ、片手を頬にあてて考えこむ。


「お食事なども何度かご一緒させていただいたのですが……」


 首をかしげた神官娘は、それでもやはり思い出せないようだ。

 アルセイドも、さすがに素で困った顔をする。


「ええと……三年前、アルストロメリアとエルテフォンヌの友好を深めるため、大きな夜会が連日催されましたよね? その席で初めて顔を合わせ――」


 話を聞きながら、ジャンヌはかしげた頭を反対側へとかたむける。どうしても思い出せないようだ。


「それから数夜つづけて同席させていただいたのですよ? 私はジャンヌ姫から連日のように、竜神信仰について延々と(ののし)ら……いえ、ありがたい説法をちょうだいいたしたのですが……」


 はっ、とジャンヌが声を上げた。


「思い出しましたわっ!」


「ああ、良かった。やっと思い出していただけたのですね」


 アルセイドの顔に、安堵の笑みが浮かんだ。

 親愛の情をあらわすため、軽く抱擁をしようと腕を伸ばす。しかし、ジャンヌがぴしりとその手を打った。


「ジャンヌ姫……?」


 背後に控えていた騎士達が色めき立ち、一歩前へ出た――が、アルセイドはそれを手で制す。


「あの、申しわけありませんが……私は何か気に障ることでも……?」


「何をいけしゃあしゃあと。エルテフォンヌと言えば、数年前に中立地帯での取り決めを破った不届き者ではありませんか! アルストロメリアとは国境を挟んで小競り合いをしていた、いわば敵同士ですっ!」


「あ、いえ、それはすでに和解が成立しています。友好協定を結ぶ席で、私はジャンヌ姫とお会いしたのですから……」


 もとはと言えばエルテフォンヌ伯爵が、不可侵である中立地帯で、治水事業を始めたことが争いの発端であった。日照りに苦しむ領民のため、中立地帯の河川から農業用水を引こうと考えたのだ。

 それが原因となり、数年に渡りアルストロメリア-エルテフォンヌ国境間で、散発的な戦闘が幾度も繰り返されたのである。

 結局は、レギウス教王とロマリア女王双方の仲裁が入り、それほど大規模な戦闘が行われることもなく、国境紛争は終結していた。


「そもそも私がジャンヌ姫と出会ったのは、父が己の非を認めて、アルストロメリア候爵へ謝罪しにうかがった時のことなのですから。――干害(かんがい)に強い穀物の苗を手土産にね」


「……そういえば、前に父が言っていましたわね。エルテフォンヌ伯爵から、とても優良な品種の苗をせしめてやった、と」


 アルセイドが少し乾いた声で笑う。


「あ、はは……誤解がとけたようですね」


「……それで、どういったご用件でしょう。ええと……アルセイド……さま?」


「ああ、ジャンヌ姫。なんとみずくさい」


 アルセイドは、芝居がかった仕草で両手を広げる。そして、天を仰いで悲しみを表現した。


「私のことは、アル、と愛称でお呼び下さい」


「はぁ」


「なんせ私達は、婚約を定められた仲なのですからね」


「はぁ?」


 ジャンヌがすっとんきょうな声をだした。言葉の意味が飲み込めなかったようだ。


「婚約者?」


 シグナムが目を丸くする。

 天幕の中からも、それって食べれる? たぶん生じゃ無理、というルゥとアルフラの声が聞こえた。


 アルセイドは片膝をつき、ジャンヌの右手をとった。その手の甲へ、(おごそ)かに口を寄せる。しかし、ジャンヌの肌に唇を触れさせることはせず、儀礼に(のっと)りそのまま手を解放した。


 いまだ茫然としているジャンヌへ、アルセイドは心配そうに尋ねる。


「あの……もしかして、婚約のことも忘れてらしたのですか?」


「……わ、忘れるもなにも……わたし、そんな話は初耳ですわっ」


「えっ……? そんなはずはないのですが……お父上から聞かれてないのですか?」


「いいえ。まったく……」


「……私は三年も前に、父とアルストロメリア候爵との間で、婚約の話が取り決められたと聞かされたのですが……」


 お互い顔を見合わせ固まってしまった二人へ、シグナムが尋ねる。


「なあ、それって本人の意思も確認しないで、勝手に親同士が決めちまったのか? 完全に政略結婚てやつだよな」


「い、いえ。私はそんな……」


 アルセイドは、肩のあたりで括った黒髪を揺らせ首を振る。

 その様子を観察するような目で見ながら、シグナムはさらに尋ねる。


「あんたの親父さん――エルテフォンヌ伯爵は今どこにいるんだ?」


「……父は魔族来襲のおりに命を落としています。爵位の魔族、咬焼(こうしょう)が放った炎にまかれ、遺体も残りませんでした」


「そうか。ならあんたが、次のエルテフォンヌ伯爵なのか?」


「はい。今回の戦いに勝利出来れば、問題なく爵位継承が認められるはずです」


 値踏みするかのような目で、シグナムはアルセイドを見つめる。


「いま、エルテフォンヌ伯爵領はずいぶんと荒廃しちまってるよな。魔族との戦い、黒死の病、領民の流出。問題は山積みだ」


「……はい」


「でもさ、ジャンヌと結婚すれば、アルストロメリア候爵と血縁関係になるわけだ。領地復興の助力も期待が出来る、とか考えてるか?」


「それは……!?」


 一瞬声を荒げたアルセイドだったが、つづく言葉を呑み込んだ。そしてきっぱりと言い放つ。


「まったく考えていないかと言えば嘘になります。ですが! 私は初めてジャンヌ姫にお会いした時から、一目で心惹かれていました」


 その言葉に嘘はない。誰(はばか)ることなく言い切れる。でなければ夜会の間中、ジャンヌから罵られながら、長い時間を過ごすことなど出来はしなかっただろう。惚れた相手だからこそ、常人にとっては苦痛であろうジャンヌとの会食を、なんの苦もなく同席出来たのだ。なんせアルセイドは、ジャンヌの顔を瞳に映すだけで、心地好い幸福感にみたされるのだから。


「私はたとえ、アルストロメリア候爵からなんの援助も確約されずとも、ジャンヌ姫を妻に望みます」


 シグナムは、アルセイドの黒瞳(こくどう)をのぞき込む。じっと見返して来るその目には、真摯な光が宿っていた。

 上背のあるシグナムは、アルセイドよりだいぶ顔の位置も高い。だが、見下ろす視線を受けながらも、アルセイドはその威圧感に怯むことなく、すっくと背筋を伸ばしていた。


「お前、ジャンヌを幸せに出来るのか?」


「エルテフォンヌの現状を考えれば、当面裕福な暮らしはさせてはあげられないでしょう。幸せに出来ると、安易に答えることは出来ません。――しかし私は、全力を持って後悔のない人生を、ジャンヌ姫と共に歩んで行きたいと、そう願っています!」


「世の中にはなあ、願っても叶わないことなんていくらでもあるんだ!」


 シグナムは厳しい声音で問い詰める。


「信仰の違いはどうする!? 敬虔なレギウス教徒であるジャンヌを後悔させない生き方が――お前には出来るのかっ!?」


「出来ます!! ロマリア貴族である私は、本来であれば改宗することを許されていません。しかし、今回の戦いで武勲を挙げれば、女王陛下に特例を願い出ることも不可能ではない。――私は、命を懸けてでもこの想いを貫く覚悟があります!!」


「ふっ……」


 なぜかシグナムは、負けたよ、といった笑みをもらす。そしてがしがしとアルセイドの肩を叩いた。


「いいだろう。ジャンヌはくれてやる。あとはすべてお前に任せ――」


「いえ、わたしは結婚するなんて一言も言ってませんからっ!!」


 ジャンヌが慌てて割って入った。


「ひどいですわ、シグナムさま……」


 ちょっと鼻声だった。

 話においてけぼりを食ってる間に、あやうくシグナムから厄介払いされかけたのだ。


 天幕内から、チッと舌打ちが聞こえ、つづいてルゥから苦情の声が上がる。

 曰く――ジャンヌはボクの子分なんだからね! 勝手に嫁へ出しちゃダメっ――だそうだ。



 獣人族の慣習に照らしあわせれば、子分(ジャンヌ)(つがい)親分(ルゥ)が決めるものなのだ。





「なるほど。そんなことが……」


 フレインが天幕へ戻ったときには、すでにアルセイドは帰った後だった。

 棺の蓋を釘で固定する作業に、思いのほか手間取ってしまったのだ。


「ねぇねぇ」


 ルゥが炙った肉をはみはみしながらジャンヌをつつく。


「ジャンヌっていがいともてもて?」


 カンテラの淡い光に照らされたジャンヌは、心持ち頬を赤らめていた。その背におぶさるような形でルゥがのしかかる。


「ねぇ、もてもて?」


「べ、べつにモテてはいませんわ」


「でもカミルもジャンヌにらぁぶだよね」


「……らぁぶ?」


「うん。らぁぶ」


 意思の疎通に窮したジャンヌは、とりあえず火酒の杯をかたむけた。そのうなじにうりうりと顎を押しつけるルゥは大はしゃぎだ。――若干回っているらしい。新月明けなので、肝機能もあまりよろしくないようだ。


「しかし……わかんないもんだよなぁ」


 シグナムはどこか納得のいかない、といった顔だ。


「あのアルセイドって奴、貴族のボンボンにしては根性も据わってるし顔もまぁまぁだったろ? カミルといいアルセイドといい……」


 まじまじとした視線がジャンヌの顔に注がれる。


「いったいどこがいいんだ?」


「……魔性の女?」


 アルフラは少し羨ましそうだ。


「失礼ですわね。魔性だなどと……」


 神官的には褒め言葉になっていない。


「ん~、なんか面白くねえなぁ」


 シグナムはぐいぐいと火酒を(あお)る。

 ジャンヌは顔立ちこそ整っているが、生来の勝ち気さと目元のくまにより、その表情はとてもキツく見える。

 男からちやほやされるタイプの顔ではないはずなのだ。と、シグナムは思う。男にモテた覚えがない彼女は、とても理不尽に感じていた。

 実際のところシグナムは、ゼラードを始め、幾人かの男性から好意を向けられたこともあったのだが――男女の機敏に疎い女の勘のせいで、その事実を知覚出来ていなかった。


「私は、分かるような気がします」


 そのフレインのつぶやきに、女性陣の注視が一斉に集まる。ジャンヌまでもが意外そうな顔をしていた。


「あ、いえ。そんな目をされると……非常に言いにくいのですが……」


「わかった。怒らないから言ってみな」


 怒る前提だったのですか? と思ったフレインだったが、余計なことは言わずに話をつづける。


「ええと、ですね。ジャンヌさんの顔つきには、強い信念を感じるのです。とても真っ直ぐで、やましさのない……なんというか、そういった自信に満ちた――」


 フレインは少し黙考し、ふたたび口を開く。


「この方は何事にも迷うということがないのだろうな、といった印象があるのです。それがこう……私には、とてもまばゆく思えます」


 物は言いよう、といった感じではあるが、あながち間違いではない。

 フレインが抱いた印象は、ジャンヌの心に根差したレギウス神の教儀から生じたものである。――信仰による自信。盲信からくる迷いのなさ。思い込みと言いかえることも出来るだろう。だがそれは、アルフラにも通じるものがある。――似ているのだ。ある意味二人はよくよく似通っていた。


「それに……」


 フレインも少し酔いが回っているようだ。


「ジャンヌさんの青みがかった目元は、光の加減によっては儚げな艶めかしさを感じさせます」


 アルフラがじとっとした目でフレインを見ていた。


「あなたって、ほんとうに趣味がわるいわね」


 やや自爆気味なその言葉に、フレインは思わず苦笑してしまう。

 ジャンヌはかなり恥ずかしい思いをしているようだ。おぶさったルゥの手を、落ち着きなくいじくり回している。


 シグナムは、おやおや? とアルフラの様子を観察していた。フレインが他の女を褒めているのに、アルフラはヤキモキを焼いていないぞ、と。

 自分が特別鈍感なわけではないのだと、少し安心した。むしろアルフラが特別なのでは、というところにまでは気が回らなかったようだ。


 ほどなくして、ひとつめの火酒が空いてしまい、そろそろお開きにしようかという話になった。夜もふけ、天幕の外は徐々に風が強くなってきている。


「あなたは荷馬車で寝なさいよね」


「はい。そうします」


 あらかた予想はしていたフレインが、アルフラへ頷く。


「棺に囲まれてじゃ寝心地も悪いだろ。べつにこっちで寝てもいいんじゃないか? なんならあたしが添い寝してやってもいいんだぜ」


 シグナムが冗談めかして笑う。


「大丈夫です。あの棺にもいいかげん……いえ、やはり慣れるのは無理ですね」


 棺に釘を打ったとはいえ、嵐の夜に不死者五人と寝床を共にするのはとてもホラーだ。


「魔導士なんだからへいきでしょ?」


 かなり平気ではないのだが……アルフラと同じ天幕で寝るというのも物騒だ。ちょっとしたうっかりが、命の危険に直結してしまうのだから。

 なのでフレインは、少しふらつく足で荷馬車へと戻ることにした。



 不死者の棺も、主のお出かけ中は大人しいものだ。確かに寝心地はよくない。しかし、女性ばかりの天幕で寝るよりは、居心地も生きた心地も、いくぶんましに思えるフレインだった。

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