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氷の滅慕  作者: SH
一章 楽園
12/251

怒りの日(後)



 室内に落ちた沈黙は重苦しく、そして深い。

 いたたまれない空気が漂う中、高城は少女の細い肩を見つめ立ち尽くしていた。


 不意に、アルフラが弾かれたように立ち上がる。


「あたし、行くわ!」


「お嬢様……?」


 微動だにせず沈み込んでいたアルフラが、突如として活気に満ちた声を張り、高城は困惑した。


 アルフラは床に転がっていた細剣と鞘を拾う。


「あたしが着れる鎧ってある?」


「ご用意してあります」


 涙の乾いたアルフラの目許に、強い意思の光が(とも)っていた。

 なにか不吉なものを感じながらも、高城は荷物の中から必要な物を取り出す。


 リネンのチェニック、硬皮の鎧、皮のズボン、外套、内側に毛皮の張られた防寒ブーツ。そして剣帯と短刀が二振。


 アルフラは手早く仕度を整えていく。

 その様子を、高城は注意深く観察する。怒りや憎悪といった負の感情が、微かに感じとれるような気がした。


「お嬢様、上でフェルマーが仕度を済ませ待っています。道中はくれぐれも彼女の指示に従って下さい」


「大丈夫、わかってる」


 着替えを済ませたアルフラが、最後に短刀を手に取り確認する。

 念入りに装備の検分をしながら、アルフラは思案していた。


――高城は……どうだろう?


 (はがね)の短刀を鞘から少し抜き、刀身に刃こぼれが無いかを確認しながら考える。その視線が手元の短刀ごしに、高城へと向かう。


――高城はだめだ。あたしより、強い


 だが…………今なら不意をつける。

 脳裏によぎったその思いを、慌てて打ち消す。


――だめ、高城にそんなことできない


 高城は今までよくしてくれた。魔族だけど大好きだ。


「……こちらもお持ち下さい」


 一瞬だけ感じた殺気らしきものに眉をひそめつつも、高城は拳大の巾着袋を渡した。


「中には質の良い宝石が入っております。換金すればかなりの額になるでしょう」


「うん。ありがとう」


「金は生きるため必要ですが、危険ももたらします。その宝石は換金するとき以外、他人には決して見せぬように気をつけて下さい」


「わかった」


「容易に人を信じぬように」


「大丈夫だよ」


 それでも高城は、言い知れぬ不安を覚え、アルフラの目を覗き込む。

 真っ直ぐに見返してくる鳶色の瞳には、一点の曇りも、一切のやましさも存在しなかった。



 のちに高城は、この瞬間を深く後悔することとなる。

 彼の慧眼をもってしても、見抜くことが出来なかったのだ。――アルフラの中に芽生え始めた、あまりに純粋なその狂気を。





 階段を上がり、アルフラは古城の門へと向かった。

 そこにはすでに、旅仕度を整えたフェルマーが、手持ちぶさたな様子で待っていた。

 普段はメイド服姿の彼女が、皮鎧に外套をまとっている。腰には剣まで帯びていた。


「フェルマー……?」


 いつもとあまりに違ったその格好に、アルフラの目が丸くなる。


「あたしだって魔族ですからね。そこらの人間なんかにゃ負けませんよ」


「そ、そうなんだ……」


「お嬢様一人くらい、ちゃあんと私が守ってあげますからね」


「うん、ありがとう」


 くったくの無い笑みで、アルフラは薄く微笑んだ。



――フェルマーはあたしより、強いかな?





 城門まで見送りに出た高城が、今後の道程を説明する。


「まずは雪原を山沿いに西へ向かって下さい。三日程で森に出ます。この森と南の山は獣人族のテリトリーですが、彼らは奥様を盟友と仰いでおりますので危険はありません」


「うん」


 落ち着いた表情で、アルフラは淡々とうなずく。

 やはり危ういと高城は思った。

 なにがどうとは言えないのだが、この状況で普段と変わらぬ態度な時点で、すでに違和感がある。

 

「森を進むと川にぶつかります。川沿いに南下し、人の王国に入ってください」


 高城が丸められた羊皮紙をフェルマーに渡す。大陸中西部の地図だ。


「その後は馬車を使い街道を西へ。行商人などと同行すると良いでしょう」


「その辺はあたしに任しときなよ」


 フェルマーがドンッと胸を叩いた。


「フェルマー。頼みたいことがある」


「ん、なんだい?」


 高城はいずまいを正し、深々とフェルマーに頭を下げた。


「このままお嬢様に仕えてくれ」


「な……」


「お前が故郷へ帰るのは知っている。そこを曲げてくれ」


「いや、そうは言われても……」


「長くとも六十年から七十年といったところだろう。魔族にとっても短い時間ではないが、お嬢様に仕えてやってはくれないか」


「……そりゃあ、あたしもさ、お嬢様のことは嫌いじゃないよ? でもね、人間に仕えるってのもねぇ」


「ならばせめて、お嬢様が良い伴侶を得て、人の街で生きて行くのに心配がなくなるまでならどうだ?」


「それは……」


「お嬢様ほどの器量なら、求婚の引く手など数多(あまた)だろう」


 やや、親馬鹿ならぬ爺馬鹿ぶりを発揮する高城だったが、アルフラの器量が良いことには、フェルマーも内心同意した。


「このとおりだ!」


 高城が両膝を落とし、拳を地に付ける。


「ちょ、ちょっとっ! よしなって!」


 高城が頭を下げるより早く、フェルマーが制止の手を伸ばす。

 見計らっていたかのようなタイミングで、高城がその手に巾着袋を乗せた。

 先程アルフラに渡された物と同じ袋だ。


「え……!?」


「一財産になる」


 ずっしりとしたそれに、フェルマーが目を落とす。


「……まぁ、あたしも国に待ってる家族が居る訳でもないしねぇ」


 フェルマーは巾着の中身を覗き込みながら呟いた。


「そこまで言われちゃあ仕方ないね。あたしに任せときなよ!」



 出来る男高城は、後顧の憂いを絶つため、フェルマーを一瞬で篭絡した。





 高城は、アルフラたちが雪原を西へと歩いて行くのを、姿が見えなくなるまで見送った。


 もやもやと立ち込める内心の暗雲を振り払い、先行している白蓮と戦禍に追いつくために、高城は東へと駆けた。

 執事服に皮の靴だというのに、風を切り雪原を駆け抜ける高城の姿は、黒い矢のようだった。


 南の山を越え、裾野に広がる森を抜ければ街道に出る。

 行程は早まるが、戦いに巻き込まれる可能性が高いので、そちらのルートは使えない。

 大きく街道を迂回し、足場の悪い雪原を駆けながらも、高城は心ここにあらずといった表情であった。

 アルフラに対する不安が(いま)だ消えない。


――引き返すか?


 自問するが答は出ない。


――せめて、人里近くまで……


 しかし、白蓮と戦禍の足は速い。戻っている暇などあるはずもない。


 アルフラたちを送り出し次第、急ぎ後を追うように、との命がある。

 責務を忠実に遂行することが、執事としての高城の誇りだ。


 いくら引き返し、アルフラたちに同行したいと思っても、高城の中でその選択肢は、存在してはならないものだった。


 万全とは言えないが手は打った。

 アルフラの今後に、なんらかの目処(めど)が立つまでは、フェルマーが面倒を見てくれるだろう。


 短くはない付き合いの中で、高城は理解していた。フェルマーは信用の置ける女だ。面倒見が良く、責任感も強い。

 後は彼女が上手くやってくれる……はずだ。



 しかし、ちりちりとした焦燥感は、依然消えることがなかった。

 なにか取り返しの着かない事態になるのではないか、と。





 アルフラとフェルマーは荒涼(こうりょう)とした雪原を歩く。西へ、西へと。


「ねぇ、フェルマー。あたしの住んでた村のこと、知ってる?」


「ええ、知ってますよ。何度か買い出しに行ったこともありますしね」


 雪上でサクッ、サクッ、とリズミカルな音を立て、フェルマーは軽快に歩を進める。

 なかなかの健脚だ。


 前を歩くフェルマーへ、アルフラはさらに尋ねる。


「戦争がはじまったら、またあのへんも戦場になるのかな?」


「多分そうなるでしょうねぇ」


「オークとかだけじゃなく、魔族もいっぱい来るかな?」


「今回はかなり大掛かりな戦争になるらしいですからね。爵位持ちの奴らなんかまで来るんじゃないですか」


 その返答に、アルフラの両の口角が、にいっと吊り上がった。


「そういえば、村があった辺りは、今じゃ人間たちの砦になってるらしいですよ」


「ふうん。村は山を越えて森を抜けた街道沿いなんだよね?」


「そうですよ」


 先行するフェルマーの背を見つめるアルフラは、とても嬉しそうだ。


「ところでさ、高城は東の方に行ったんだよね」


「そう聞いてますが?」


「あたしたちは西だから、真逆だね」


「ですねぇ」


「もしも、今からフェルマーが高城の後を追ったとして、追いつける?」


「あたしの足じゃ無理ですよ。もう日も暮れかけてるし、だいぶ進み……」


 道中の退屈をまぎらわせる他愛もないおしゃべり。そんなやり取りのなかに、しかしフェルマーはなにやら不穏なものを感じた。


「……なんでそんなこと聞くんです――!?」


 背後から聞こえた甲高い鞘鳴(さやな)りの音に、フェルマーは慌てて振り向く。


「フェルマー。ここでお別れだよ」


 にっこりと微笑むアルフラ。その手には抜き身の細剣。切っ先はだらりと地に垂らされていた。


「お嬢様……?」


「フェルマーはそのまま進んで。あたしは山を越える」


「なにを……?」


 困惑の眼差しがアルフラへと向けられていた。


「森を抜けて街道を東に行けばいいんだよね?」


「なにを言ってんです! 東に行けば戦に――」


「じゃあ、それでいいんだよ」


「……どういう、ことですか?」


 鳶色の瞳に怒りが灯る。

 溢れ出した尋常ではない気配に、フェルマーは用心深く間合いを取った。


「魔族は、皆殺しだ」


 アルフラの目の中で、滲み出した狂気が怒りと混じりあった。


「……お嬢、さま?」


 フェルマーはさらに一歩、身を引いた。


「でも、白蓮と高城、フェルマーは別だよ。あたし、フェルマーは好きだから殺さない」


「な、何を言ってんですか!」


「いいから早く行って。一人で」


 細剣を握った右手が持ち上がり、西をさす。


「そんなこと出来るはずないじゃないですか! あたしゃ高城からお嬢様のこと頼まれてるんですよ!」


「うん、ごめんね。でも決めたから。あたしは行かない」


「……なら、ふん縛ってでも連れて行きますよ! おいたをする子にゃ、お仕置きが必要だっ!」


 フェルマーは腰を落とし剣の柄に手を掛けた。


「抜かないで。抜いたら、殺しちゃう」


 フェルマーの顔に朱が差し、その表情は怒りに歪む。


「……お嬢様といえどもね、人間風情にそんな舐めた口叩かれて、黙ってる魔族なんていやしませんよ!」


「ねぇ、お願い。あたしフェルマーが好きだよ。だから抜かないで」


「……っ」


 悲しそうに見つめてくるアルフラに、中ほどまで剣を抜きかかっていたフェルマーの動きが止まる。


「だから、ね。やめようよ。きっとあたしの方が強いし」


 最後の一言が、フェルマーの腕を動かした。

 力を重んじる魔族が人間の小娘に、お前は自分より弱い、と言われたのだ。


「――ッ!?」


 一息に剣を抜き放とうとしたフェルマーは愕然とする。

 十分な間合いは取っていたはずだ。

 足場の悪い雪上。にもかかわらず、フェルマーが剣を抜ききるより先に、アルフラの顔が目の前にあった。


 高城からアルフラが優秀な生徒だとは聞いていた。特に瞬発力には素晴らしいものがある、とも。

 しかし――――この踏み込みの速さは異常だ!


「クッ!」


 フェルマーは、一足飛びに後方へと跳び退く。

 ヒュッと風切り音をさせ、白刃が眼前(がんぜん)を駆け抜けた。

 かわした、という感覚はしなかった。

 わざと外してくれたのだろか? そうフェルマーは思った。

 抜刀し、構えながら告げる。


「お嬢様、そんな脅しであたしを追い払おうったって、そうはいきませんよ。抜いたからには殺す気で――」


「あ、もったいない……」


 アルフラが、フェルマーの足元を見て呟いた。

 釣られたフェルマーが目を向ける。

 足元の雪が、真っ赤に染まっていた。

 蕾が花開くかのように、真紅のそれはじわじわと大きさを増してゆく。

 養分を吸い取っているのだ。花弁の中央に転がるフェルマーの右腕から。


「な――?」


 フェルマーは、剣を構えていたはずの己の腕を見る。

 鮮やかな桃色の断面を見せ、肘から先が消失していた。


 そこにあるはずのものは、剣を握ったまま地に転がっている。


 さきほどの一撃は外してくれた訳はなく、最初から腕を狙っていたのだ。

 理解した時には、すべてが手遅れだった。


 フェルマーは、かなり厚手の長手袋を着けていた。革をなめした頑丈な物だ。

 みずからの腕を易々と切り落とした細剣を見る。白蓮がアルフラへと贈った魔力を帯びた業物(わざもの)


 無造作に凶刃を構える眼前の少女は、その腕だけではなく、得物も一級品なのだ。


「チッ!」


 その時になって、やっと魔族の本能が働いた。


 目の前の小娘は自分より強い、と。


 (きびす)を返し、その場から逃れようと足を踏み出した瞬間、背中にトンッと軽い衝撃を感じた。


「あ……」


 左の胸元から生え出た魔力を帯びた切っ先。



 それが、フェルマーの見た、この世で最後の光景となった。





 無風の雪原には、柔らかな粉雪が舞い降りていた。

 アルフラはうずくまり、はらはらと涙を(こぼ)す。


 本当に、殺したくはなかったのだ。

 フェルマーは優しかった。

 よく世話を焼いてくれた。

 お菓子をいっぱいくれた。

 そう、フェルマーから貰ったクッキーを食べたのは、ついさっきのことだ。


「ごめんね。フェルマー」


 アルフラは声を上げて泣いた。

 泣きながら、血を(すす)った。

 甘くて美味しいクッキーを焼いてくれた腕から、力ある血を。


「ごめんね、ごめんね……」


 血には催吐(さいと)作用がある。一定以上の量を経口摂取すると激しい嘔吐感(おうとかん)に見舞われるのだ。

 また、塩分濃度も高いため、喉が渇く。


「ごめんね。でも、フェルマーは全部あたしのものだよ。ごめんね」


 血を啜っては吐き、喉が渇いては雪を喰らい喉を潤す。

 そしてまた啜り、嘔吐する。


 正気では、とても耐えきれないその行為。


「フェルマー、これからはずっと一緒だよ」


 優しい狂気がアルフラを包みこむ。



 アルフラはフェルマーの全てを自分のものにした。





 一年が終わるその日は、アルフラの誕生日でもあった。



 アルフラは十五歳になった。

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