黒死の病
アルフラ達が去った天幕では、若干の休憩を挟み、ふたたび軍議が進められていた。
「今回の嵐は足が遅く、数日間に渡り強い風雨をもたらすと思われます。行軍への影響も考え――」
エレナの言葉を遮り、カダフィーが軽く手を挙げる。
「ちょっといいかい?」
「はい、なんでしょう?」
「話が長くなりそうだからね、先に聞いておきたいんだ。――昨日からグラシェールが黒煙を噴いてるだろ。何が起こったのかあんた達は把握出来ているのか?」
「それは……」
「我々も頭を悩ませているのだ。グラシェールへ斥候を送りたいのだが、トスカナ砦の存在でそれもままならん。ここから東は魔族の勢力下にあるのでな」
苦い顔をしたディモス将軍が首をひねる。
「おそらく、神族と魔族の戦いが始まったのだと推測はしているが……それもまた、我々がトスカナ砦の攻略を急ぐ理由の一つだ」
「理由とは?」
フレインの質問に、ディモス将軍は逆に問い返す。
「そなた達は、上都へ迫っておった子爵位の魔族、切令が討たれた話はすでにご存知か?」
「爵位の魔族が!?」
「なんだって?」
「倒されちまったのか!?」
フレイン、カダフィー、シグナムの三人が、口々に驚愕の声を上げた。
「落ち着いて下さい。順を追ってご説明いたしましょう」
エレナが腕を掲げ、ヨシュアをさし示す。
「竜の勇者――ヨシュア殿の弟君であるアベル・ネスティ様により、子爵位の魔族、切令は倒されました」
「その竜の勇者とは、どういった方なのですか?」
「アベル様は、このロマリアの祭神スフェル・トルグスにより、その魂魄の一部を授けられた勇者様です」
「竜神の魂魄を授かった!? そんなことが可能なのですか?」
エレナは淡々とした口調で答える。
「はい。現女王、エレクトラ・アカーシャ・ロマリノフの次女、フィオナ・アカーシャ・ロマリノフ様により、神降ろしの儀式が行われました。フィオナ様は、数百年に一人と言われるほどの卓越した力を持った、希代の巫女なのですよ」
「竜神の魂魄を人間に降ろしたのですか? そんなことをすれば……」
「確実に器が壊れる。魂魄ってのは、高密度の魔力そのものなんだからね。――無茶なことを……」
呆れたように首を振るカダフィーへ、エレナは巫女服を揺らし厳かに告げる。
「確かに負担はかかるでしょう。ですが、それを可能とするからこそ、アベル様は竜神スフェル・トルグスに選ばれたのです」
「……レギウスにもね、かつての高司祭達が、神族の魂魄を降ろしたっていう古い文献がいくつか残されてる」
カダフィーは両手を持ち上げ、お手あげの仕草をしてみせた。
「でも、ほとんどの者が力の内圧に耐えきれず、その場で命を落としたらしい。わずかな成功例もあるにはあるが、残らず早死にさ。元気に寿命を迎えた者は一人もいないはずだよ」
「それでも――」
エレナの表情は変わらなかった。
「アベル様には預言が降りています。このロマリアを救うという預言が。――少なくとも、魔族との戦いが終結するまで、アベル様が倒れることはありません」
竜の勇者への信頼と、竜神に対する信仰が、エレナに確固たる信念を与えているようだった。
閉口し黙り込んだフレインとカダフィーを尻目に、シグナムは小声で愚痴っていた。
「これだから神官や巫女なんて奴らは……預言だの神託だの聖戦だのと……」
本当にやくたいもない。そう思いつつ、シグナムの興味を惹いたのは、
「なあ、竜の勇者てのはそんなに強いのか?」
ヨシュアへにやりと笑いかける。
「あんたの弟なら、剣も相当使えるんだろ?」
ヨシュアのあまり動かぬ表情筋が、わずかに弛緩する。
「ああ、腕は確かだ。しかし、いかんせん若輩だからな。私から見れば、いささか太刀筋に合理性が欠けると言える」
「へぇ、竜の勇者なんて呼ばれても、やっぱりあんたよりは弱いのか」
「仕方あるまい。私とアベルとは一回りほども歳が離れている。あれはまだ十七だ」
「十七? なんだ、ほんとうにガキじゃないか」
シグナムのその言い草に、フレインはこの場にアルフラが居なくて本当に良かった、と心底思った。
「勘違いをするな。私はアベルが弱いと言っているわけではない。あれは後三年もすれば、大陸最強と呼ばれる剣士に育つだろう。アベルは剣において、それほど稀有な才覚を持っている」
弟の話をするヨシュアは、とても誇らしげだ。
「しかもアベルは、この私ですら呆れるほどに鍛練が好きだからな。三年といわず、二年もあれば私を越えて行くだろう」
「へぇ……」
シグナムは半信半疑といった顔をする。ヨシュアの物言いに、弟へ対する欲目が交じっているのではないか、と考えたようだ。
「アベルを見ると、常々感じるのだ」
かすかな憧憬すら感じさせる声で、ヨシュアは髭を撫でつけながら語る。
「私は剣の才に恵まれなかったのだな、と。稽古に励むアベルの姿を見るたびに、つくづくそう感じる」
「あんたに剣の才能がない? 冗談はそのヒゲだけにしてくれよ」
「む……」
シグナムのかなり失礼な軽口に、ヨシュアが初めて不機嫌そうな表情を見せた。どうやら髭については何らかの思い入れがあるらしい。その背後から、くすくすとエレナの笑い声が聞こえた。
軽い咳ばらいでエレナを黙らせ、ヨシュアは真顔に戻る。
「天賦の才を持った者に努力までされたのでは、生半な才になど何の意味もない」
ヨシュアは少し哀しげに、顔をうつむかせた。
「私のような歳を重ねただけの凡人は、いつかは追い抜かれて行くだけだ」
「あのぉ……」
遠慮がちにフレインが声をかけた。
「トスカナ砦の攻略を急ぐ理由というのは……?」
竜の勇者について語るヨシュアへ、しきりと頷いていたディモス将軍が我に返る。
「おお、そうであったな……はて、どこまで話したのであったか……」
「竜の勇者殿が、切令という魔族を倒したとだけ」
ディモス将軍がひとつ手を打つ。
「そう、その子爵位の魔族、切令が率いておった軍勢の大半が、東の国境ではなく、北東へと潰走したのだ」
「といいますと……トスカナ砦へ?」
「いや、どうやらグラシェールへ向かったらしい」
弟自慢が一段落ついたヨシュアが話に加わる。
「おそらく魔王口無の本隊が、グラシェールに存在するのではないかと予想している」
「降臨した戦神との戦いに、魔族の軍勢が集結しているということでしょうか?」
「確証はないが、状況から見て間違いないはずだ」
ヨシュアが背後の略地図を指さす。エルテフォンヌ伯爵領の全体図だ。
「この地図には載っていないが、トスカナ砦からグラシェールまではそれほど離れていない」
「なるほど……切令という魔族の報復に、新たな軍勢が派遣されることを危惧なされているのですね?」
「そうだ。より具体的に言えば、さらに高位の――人の手には負えないような力を持った魔族の襲来を、我々は恐れている」
ロマリアは、二人の貴族がもたらした戦乱により、東部から北部一帯にかけての広い範囲に、甚大な被害を被っている。
多くの要塞、関所が落とされ、地方領主達の兵員にも多数の死傷者が出ていた。
人的、物的双方において疲弊している現在、さらなる魔族の進攻を受ければ、ロマリアの中枢である首都へも戦火が拡がるだろう。
「我々は早急にトスカナ砦を奪還し、南下中のラザエル、エスタニア連合軍と合流する必要がある。そして来たるべき脅威に備えねばならない」
淡々と語るヨシュアへ、シグナムが質問を投げる。
「なあ、あんたの自慢の弟は今どこにいるんだ?」
「アベルはトスカナ砦を迂回し、グラシェールへ向かっているはずだ」
ヨシュアが簡潔に、竜神からの神託でアベル達一行がグラシェールと向かっている経緯を説明した。
「ふうん……そりゃ大変だな。グラシェールに魔族が集まってるなら、トスカナ砦との間で前後を魔族に挟まれてるってことか」
表情を曇らせたヨシュアに気をつかうでもなく、シグナムは言葉をつづける。
「あんたも心配だろ。弟さんのためにも早くトスカナ砦を落としてやらないとな」
「いや……戦いにそういった私情を挟むつもりはない」
きっぱりと言い切ったヨシュアへ、エレナが優しく告げる。
「私情ではありませんよ。アベル様はこのロマリアに必要な方です。竜神様の魂魄を宿した勇者なのですから」
「エレナ様……」
ヨシュアは感謝の念を、黙礼という形でエレナにあらわした。
「微力ながら、アベル様のお役に立てるよう頑張りましょう」
「はい。ですがまずは、目先の戦いをしっかりと見据え、最善を尽くしませんと。アベルには心強い仲間達が同行している。当面心配はないでしょう」
ヨシュアの言葉に、あっ、とエレナが声を上げた。そしてカダフィーへ顔を向ける。
「そうそう、アベル様に同行している者達の中に、メイガス・マグナ殿がいらっしゃるのですよ」
なぜかエレナは期待に満ちた瞳をしている。
「……え?」
カダフィーは意味が分からず、困惑したように首をかしげた。
「ロマリアの前宮廷魔導師、メイガス・マグナ殿です」
「メイガス…………ああ! 懐かしい名前だね」
エレナがにっこりとする。
「よかった。覚えていらしたのですね。私、子供のころメイガスから勉学を見てもらっていたのですよ。レギウスの話もいろいろと聞かされていました」
「へぇ、あの男がロマリアへ帰ってから、もう二十年くらいたつんじゃないかな」
「ええ、かつては魔術士ギルドで様々な知識を学び、カダフィーさまも師の一人であったとお聞きしています。メイガスは、それは楽しそうにカダフィーさまの話をなされていましたよ」
顔をほころばせるエレナに、カダフィーは苦笑して見せる。
「どうせロクでもない話だろ?」
「いいえ、メイガスはカダフィーさまのことを大層褒めておられました」
少し気をよくしたカダフィーが尋ねる。
「なんて言ってたんだい?」
「いい女だ、とおっしゃられていました。とにかくいい女だ、と」
「……魔術の扱いや知識の広さについて褒めてたんじゃなく?」
「はい。すごく色っぽくて、ふるい付きたくなるほどいい体をしている、とも」
ヨシュアがぼそりとつぶやく。
「あの助平爺め……エレナさまになんと下世話な話を……」
カダフィーも呆れたような、そして少しがっかりしたような顔をしていた。
「まったく……あいつには随分と目をかけてやったのに……」
「メイガスはとても面白い人ですよね。レギウスで魔術を学んでいたころの彼は、どういった様子だったのですか?」
「ん……そうだね……覚えもいいけど要領もいい男だったかな。たしか無類の酒好きでね、よくギルドから割り当てられた仕事をさぼって、二人で飲みに行ったりもしてたっけ」
あなたまでさぼっていたのですか。と思ったフレインだったが、口を閉ざしていた。
「そういえば聞いた覚えがあります。メイガスはカダフィーさまを酔わせて、寝所へ連れ込もうとしていたらしいのですけど、ことごとく先に酔い潰れてしまったと」
「なんだって!?」
驚愕の声を上げたカダフィーだったが、フレインはもっと驚いていた。
こんなところでバイケンをも越える兵の存在を聞かされたのだ。
ロマリアは勇者の国だ、と畏敬の念をいだいた。
そんなフレインの隣で、カダフィーが牙をのぞかせ怒りをあらわにしている。
「あいつめぇ、一時期毎晩のように飲みに誘ってきやがると思ったら……そういうことだったのか」
さらにエレナが、満面の笑顔でとんでもない告げ口をする。
「メイガスも酒では勝てないと悟り、しまいには睡眠効果のある霊薬を盛ったりしていたそうですよ」
「クッ。次に会ったらあいつの血で乾杯してやるっ」
「あらあら……」
カダフィーの不穏な発言に、エレナはちょっとだけ反省した。
「ごめんなさいメイガス」
――私、ついつい話を盛ってしまいました
女吸血鬼はあさっての方角へ向かい、メイガスに対する悪態をついていた。
ひとしきり罵り、満足した様子のカダフィーがエレナへと向き直る。
「ところで、さ。実はね、ひとつ姫さまに頼みたいことがあるんだけど……いいかい?」
砕けた口調で告げたカダフィーであったが、雰囲気はすっかり真剣なものへ変わっていた。
敏感にそれを察知したエレナも、口元の笑みは絶やすことなく用心深く応対する。
「……なんでしょう? 私に出来ることでしたら、もちろんやぶさかではございませんが」
「大したことじゃないよ。ちょっとね、ロマリア東部の地図を貸して欲しいのさ。なるべく詳細なやつをね」
大したことではないと言いつつ、カダフィーが口にしたのはかなりの大事であった。
エレナはあからさまに表情を曇らせる。
「地図、ですか……」
地図はとても貴重、かつ重要な品だ。精緻なものは、国家の機密として扱われることもしばしばである。また、市井の――とくに商人などといった者が、国の許可なく取り扱うことも禁じられている。
戦ともなれば、その精度の高さが勝敗を分けることも珍しくない。
詳細な地図さえあれば、進軍経路から要塞、関所などといった防衛施設の存在まで明らかとなってしまうのだ。
事実、子爵位の魔族、切令が上都への進攻半ばで討ち果たされた要因の一つは、ロマリアの街道、地形を把握していなかったからである。
大まかな方角と道標を頼りに行軍を続けた切令は、上都へ攻め上る最適な経路を取ることが出来ず、天然の要害とも言える大湿原に迷い込んだのだ。そして結果的に、そこが彼の死地となってしまった。
もしも切令がロマリアの地図を所有していれば、上都攻略は成功していた可能性が高い。武装を必要とせず、身体能力も高い魔族の軍勢は機動力に秀でている。本来なら電撃的に上都を落とすことも出来たはずなのだ。
「申し訳ありませんが、カダフィー殿の頼みであってもそればかりは……」
エレナはすまなそうに頭を下げる。
いくらレギウス教国とは友好的な関係であるとはいえ、他国の者に貸し出せるような品ではない。
「レギウスの魔術士ギルドならば、精密なものではないにしろ、ロマリアの地図をお持ちなのでは?」
「そりゃ商人が使ってるような、大都市を繋ぐ街道だけが記載されてるのは持ってるさ。でも縮図なんかも目茶苦茶でね。あたしの目的からすると、使い物にならないのさ」
態度を硬化させたエレナが尋ねる。
「目的、と申されますと? よろしければお聞かせ願えますか?」
探るような目を向けるエレナへ、カダフィーはひらひらと手を振って見せた。
「ただの人探しだよ。ギルドの……まあ、裏切り者ってやつさ。そいつの故郷がセイバスって小都市らしくてね」
「セイバス……ですか……」
エレナの表情は硬いままだったが、そこには微妙な変化が生じていた。
「なんだい? なにかまずいことでもあるのか?」
「い、いえ……ですが人探しが目的なら、セイバスへ向かわれても無駄足になると思います」
「……どういうことだい?」
エレナの顔から血の気が引き、表情に翳りが差す。
「それが……現在、ロマリアの中東部から北部の広い範囲で、黒死の病が発生しているのです」
「黒死の病だって!?」
それは、最も恐ろしい悪疫の一つだ。
強い感染力と高い致死率を持った伝染病。――気候や衛生環境にも影響されるが、一旦大流行を起こしてしまうと、一国の人口が数割減じるような大惨事となりえる。
黒死の病に罹患した多くの者は敗血症を併発し、全身に及ぶ皮下出血により肌が黒く変色する。また、病症が肺に至ると、咳や血痰から他者へも伝染し、その感染力は非常に強い。そして、一度罹患してしまえば、ほぼ確実に死へと至る。適切な治療を受けられたとしても、回復する見込は薄い。
原因となる病原菌は、主に鼠などの小型哺乳類を宿主とし、吸血性の昆虫により人間へと媒介される。そして、空気感染もすることから、流行の兆候が見られた頃には、爆発的な勢いで罹患者数を増やしていく。
「魔族の軍勢が通り過ぎたあと、犠牲になった者達の遺骸が野ざらしとされ……そこに鼠が湧いたのです。あまりにも多くの者が魔族に殺され、夏場ですので屍の腐敗も早く、恐ろしい早さで黒死の病が広がりました。さらに、難民の流出により、被害の広域化に拍車がかかり、今では手の付けられない状態となっています」
「じゃあセイバスの街は……?」
青ざめた表情で、エレナは首を振った。
「おそらく、全滅に近い状況かと。セイバスは、黒死の病が発生した魔族の進軍経路からも、ほど近い場所に位置します。難民となって逃れた者もいるはずですが、それもごく少数でしょう」
「そんな……」
茫然とするカダフィーの様子を、フレインが冷静な目で盗み見ていた。
「このクリオフィスから南に点在する数ヶ所の村に、難民を集めています。そちらをあたればセイバスの住民が居るかもしれません。ただ……あまり期待はされない方がよいでしょう」
「……村に集めているってことは、難民達を隔離しているのかい?」
「……はい。黒死の病に罹患してから症状があらわれるまで、四日前後かかります。私達には感染者と健常者を見分けるすべはありません――」
エレナはかすかに唇をわななかす。
「――ですので、感染の疑いがある者はすべて隔離しています」
罹患の疑いがある者の隔離は、ごく一般的な黒死の病への対処法である。しかし、隔離されて生き残れる者は、非常に稀と言えるだろう。
民家などに数名づつを隔離した場合、一人でも発病者が出れば、一戸全員が感染している可能性が高い。罹患者と数日間、寝食を共にしていたのだから当然の結果だ。
隔離とはある意味、死刑宣告に等しい。
「……その命令はあなたが?」
消沈した様子のエレナへ、フレインが尋ねた。
「そうです。私達はクリオフィスへの行軍中に、黒死の病発生の報を受けました。事態は急を要しましたので、私の判断で該当各所の街道を封鎖し、難民を保護、隔離するよう早馬を走らせました。加えて、近隣の村、全戸を借り上げ、難民の収容施設として転用するように、と」
「……そういうことだったのか」
エレナの蒼白な顔を見ながら、シグナムは眉根をよせた。
「ロマリア国境へ向かっている道すがら、途中から難民の姿を見なくなったと思ったら……」
シグナムはそれを、盗賊まがいの仕事をこなすコボルト達のせいだと考えていた。
「あれは難民達を片っ端から隔離していたのが原因だったんだな。――それで関所にやたらと人員を割いていたのか」
「ええ、魔族からの進攻を受けている現状、黒死の病が蔓延すれば、このロマリアは国として立ち行かなくなります。万が一、軍にまで病が広まれば……私達は戦わずして魔族に膝を屈することとなるでしょう」
「なるほどね。なんか違和感があったんだ。騎士の奴らは全員スティレットを装備してたしさ」
スティレット。慈悲の短剣とも呼ばれる、刃のない短剣だ。
戦場においては、その鋭い尖端で一突きにして、重篤な負傷兵へとどめを刺すことに用いられる。
「感染者はそのまま棺桶へ、それ以外はまとめて隔離してたんだな?」
顔を伏せたエレナへ、とくに気を遣うでもなくシグナムは頷く。
「いい判断だと思うよ。黒死の病を封じ込めるにはそれしかないしね」
「……はい。難民を見過ごし、被害の拡大を許せば、とてつもない疫禍となるでしょう。このロマリアはおろか、レギウスにまでご迷惑をかけることになります」
その声はとても細く、悲痛なものだった。
それも当然だろう。
重苦しい雰囲気の中、フレインは考える。
守るべき国民を救うため、守らなければならないはずの国民を殺すよう、命じなければならなかったのだ。その無念はいかばかりであろうか。
為政者の責務とはいえ、のしかかる重圧と心労は計り知れない。
「私はあなたを尊敬します」
目に見えて罪悪感と悲壮さをにじませるエレナへ、フレインは穏やかに語りかける。
「魔族の進攻を受け、黒死の病まで猛威を振るえば、今のロマリアには致命傷となりかねない。――苦渋の選択をしいられ、手遅れとなる前に正しい決断を下すことが出来たエレナ様を、私は尊敬いたします」
エレナは、深々と頭を下げる。
「……ありがとう……ございます……」
面映ゆそうに微笑んだフレインへ、ヨシュアからも感謝の目礼が送られた。