剣魂自負
アルフラ達は、一際大きな天幕へと案内された。所々を木材で補強された、どちらかと言えば仮設の兵舎に近い建物だ。
天幕の前には、槍を手にした十名ほどの衛兵が、物々しい警備を敷いている。
二人の騎士に先導され、レギウス教王からの親書もあるため、尋問されるといったことは無かったのだが、衛兵達からはかなり警戒されているようだった。――特にカダフィーが。
取り次ぎのため衛兵の一人が天幕へ入って行くのを横目で見つつ、フレインが幾分迷惑そうに囁きかける。
「やはりあなたは、馬車で待っていた方がよかったのではないですか?」
不満げな表情をしたカダフィーも、小声で応じる。
「これでも限界まで妖気は抑えてるんだよ。それに、あんた達みたいな下っ端だけ行かせるのも、少し心許ないからね」
百数十年もの間、魔術士ギルドに在籍しているカダフィーは、ホスローほどでは無いにしろ、名だたる魔導師として近隣諸国に知られている。しかしそれも、あまり良くない風評の方が多い。――呪われた不死者。死霊魔術の秘術により不老を得た魔女――といった噂がそうだ。中には、夜な夜な生き血を啜る吸血鬼の類だ、という正鵠を射たものも広く知られている。
「私もすでに宮廷付きの魔導士なのですよ? 使者として不足はないはずです。出来ればあなたには、棺桶の中で大人しくしていて欲しいのですが――」
フレインが愚痴っぽくつぶやいていると、天幕の中から衛兵を伴い、一人の騎士が姿を現した。
「お、お待たせいたしました。どうぞお通り下さい。中でディモス将軍とアラド子爵がお待ちです」
カダフィーに気圧された様子を見せながらも、騎士はうやうやしく頭を下げた。
促されるまま天幕の戸口をくぐると、中には位の高そうな装いの男女が四名、アルフラ達の入室を待ち構えていた。それらの視線は友好的なものもあれば、決してそうとは言い切れぬ、険を含んだ微妙な眼差しもあった。
なかなかに威圧感を覚える状況ではあるが、アルフラ達の中に臆した様子を見せる者はいなかった。逆に、同種の視線でもって、天幕の主であるロマリア人達を観察する。
入口の正面、天幕中央には二人の男が立っていた。向かって左手に立つ大柄な男が、おそらくはディモス将軍なのだろう。いかにも軍属といった厳つい面構えの、壮年男性である。そしてその隣に立つ、細身ではあるが、やはり長身の男が後方へ顔を向ける。
彼は天幕の奥に立つ一組の男女に目を走らせ、軽く頷き口を開いた。
「ようこそおいで下さいました。私はラッセル・ブロムベルク・アラドと申します。伯爵位の魔族を倒したという、あなた方の到着をお待ちしておりました」
アラド子爵の言葉に、フレインが一歩前へ出て応じる。
「私は宮廷魔導師補佐、フレインと申します。教王ユリウス六世陛下の命により、貴国の安寧を脅かす魔族達を排するべく遣わされました」
「ご助力感謝いたします。まずはこの場に居合わせる方々のご紹介を――」
「待て、話の前にいくつか確認したい」
アラド子爵の言葉を遮り、大柄な男が払うように手を振った。
「そなた達は本当に凱延を倒した者なのか? 私が聞き及ぶところによると、かの恐るべき魔人を倒したのは、魔術士ギルドの長であるホスロー殿だという話だったぞ」
これにはフレインが答えるより先に、不快さをあらわにしたカダフィーが言い放つ。
「名乗りもしないでいきなりそれかい? ずいぶんと礼儀を知らない若造だね」
「カダフィー!」
フレインが制止の声を上げるがもう遅い。ディモス将軍の厳つい顔つきが険しさを増す。
「私は敬愛する女王陛下により、トスカナ城塞奪回の指揮を命じられた、クリストファー・ディモスと申す。そなたが何者であれ、若造呼ばわりされる謂われなど無い!」
「ふんっ。あんた見た感じ四十そこそこってとこだろ? 私の半分も生きてないじゃないか」
慌てたフレインがカダフィーの口を塞ごうとするが、軽く押し退けられてしまう。
「目上の者に対する敬意ってもんが足りてないよ。不愉快だね」
ディモス将軍は、怒りに顔を歪めながらも、鋭い眼光でカダフィーを睨みつける。怒りに任せて怒鳴り散らす、といった性格ではないらしい。
場の空気は険悪なものへと変わる。アラド子爵はおろおろとしながらも、ディモス将軍をなだめ始めた。
フレインも小声で、事を荒立てぬようにと訴えるが、カダフィーは余裕の表情で笑う。
「悪いようにはしないからさ、私に任せときなって」
女吸血鬼はディモス将軍に歩み寄り、その顔を見上げる。
一国の将軍に対し、魔眼の力を行使するのはさすがにまずいので、軽く妖気を漂わせて威嚇する。
「うっ……」
溢れ出した禍々しい気配にたじろぎ、アラド子爵は壁側まで後ずさる。
ディモス将軍も一歩足を引きしたが、かろうじてその場に踏み止まっていた。
「フフッ。一軍を任されるだけあって、なかなか肝が据わってるね」
雰囲気を一変させ、本性を垣間見せた女吸血鬼が、鋭い犬歯をのぞかせて笑った。
相対するディモス将軍は、少しでも眼前の脅威から遠ざかりたいという思いに抗うことで精一杯だった。生存本能に起因するその衝動を抑えるのは、並大抵の精神力で出来ることではない。
全身にふつふつと汗をにじませ、ディモス将軍は歯を食いしばる。肌に纏わり付く妖気にさらされ、うなじの毛がぞわりと立ち上がっていた。言葉で説明されなくとも分かってしまうのだ――目の前の女が、血の流れる生身の人間にとって、どれほど恐るべき者なのかが。
人の命を糧にするといった意味において、吸血鬼は魔族よりも余程危険な存在と言えるだろう。
肉食獣と出会った小馬のように、この場から駆け去りたいという恐怖にせき立てられながらも――それでもディモス将軍はカダフィーの視線を受け止めていた。その驚くべき豪胆さは、一重に、幾万もの兵士を束ねる将であるという矜持に依るものであった。
「その辺りでよろしいでしょう」
天幕の奥に佇む女性が、穏やかに告げた。
垂れ流された妖気により、圧迫感著しい天幕内の空気が、わずかに和らぐ。
カダフィーは、おやっ、といった感じでその人物へと注意を向けた。
巫女衣装を身にまとった女性が、さらに告げる。
「ディモス将軍。あなたの言い草は、私にもいささか不躾なように聞こえました」
「……はい。ですが私は――」
「魔術士ギルドの名高き導師であるカダフィー殿に謝罪を」
ぴしりと命じる言葉に従い、ディモス将軍は顔を強張らせながらも、カダフィーへと頭を下げる。
「幾分、言葉が過ぎたようだ。どうか許してほしい」
かなり根に持つ性のカダフィーではあるが、正面から深く頭を下げられ、鷹揚に頷く。
「ん……いや、まあね。そうかしこまらなくてもいいよ」
「レギウスからわざわざ来ていただいたのに、失礼をいたしました」
進み出た女性と共に、口髭をたくわえた青年がカダフィーの前に立つ。
「私はロマリアの暦司、エレナ・ライーザ・ロマリノフと申します」
カダフィーが少し驚いた顔で首をかしげる。
「ロマリノフって……もしかして、あんたロマリアの王族かい?」
「ええ、ライーザ・ロマリノフ家の次期当主でございます」
優雅に腰を折ったエレナに、ますます首をかしげたカダフィーが尋ねる。
「こんな前線に、なんで王族の姫さんが居るんだい?」
「それは追い追いご説明するとして――」
エレナは軽く足を引き、隣に立つ青年に体を向ける。
「まずはこの者の紹介をさせていただいても、よろしいでしょうか?」
「ああ……そうだね」
「では、改めまして。こちらは王宮近衛の副隊長、ヨシュア・ネスティ殿です」
ヨシュアはカダフィーから視線を外さぬまま、軽く会釈をして見せる。同時に、大きく息を呑む音が天幕内に響いた。
それまで事の成り行きを静観していたシグナムが、何故かそわそわとしている。
「どうしました?」
「あ……いや……」
訝しげなフレインの問い掛けに、シグナムは言葉を濁す。しかし、今のやり取りで一同の視線が集まってしまい、何か言わなくてはいけない雰囲気が出来ていた。
「その……ちょっと驚いたんだ。ほら、こんなとこで、ヨシュア・ネスティ本人と会えるなんて思わないだろ。そりゃ誰だって驚くよ」
「ヨシュア殿はそれほど有名な方なのですか?」
シグナムは、本当に知らないのか、といった顔をフレインへ向ける。そして少し考えた後、一人納得したように頷いた。
「あんたは魔導士だからしょうがないか。でもね、剣を握る仕事をしていれば、知らない奴はまず居ないね」
初耳だったアルフラは、じろじろとヨシュアを見る。ジャンヌとルゥも興味深々だ。
アルフラ達一行から好奇の目を向けられ、ヨシュアは真顔でシグナムへと尋ねる。
「それはたまたま、私の名をあなたが知っていただけでは?」
「いや、あんたは有名だよ。傭兵の仲間内で飲んでるとね、たまに剣士の中で一番強いのは誰かって話になるんだ。そういった時には必ず上がる名だからね」
フレインはこっそりと、シグナムにも意外とミーハーなところがあるのだな、と思ったが、空気を読んで黙っていた。
当のヨシュアは、あまり感情の起伏を見せない人柄らしく、静かにシグナムの言葉を吟味していた。その顔を見て、何がおもしろかったのか、エレナが巫女服の裾を揺らし、おっとりと微笑む。
「ヨシュア殿のはすごいのですね。遠く離れたレギウスにまで、そのお名前が轟いているなんて」
「いえ、私など……父に比べれば、まだまだ若輩もいいところです」
ヨシュアは表情を崩すことなく首を振った。その生真面目な様子に、シグナムが感心したような顔をする。
「ずいぶんと謙虚なんだな。語り草になるような武勇伝をいくつも持ってる人とは思えないね」
「事実を述べたまでだ。別に謙遜したわけではない」
「ふうん……確かにあたしよりも歳がいってる傭兵連中にはさ、あんたの親父さんが大陸最強だって言う奴もいるよ。でもさ、ロマリアの牙なんて呼ばれてるギリアム・ネスティも、そろそろ六十近いはずだよな?」
「父は今年で五十七になる。――それでも、私はいまだに三度試合って、一本取れるかといったところだ」
「そうなのか? 聞いた限りじゃ、あんたは今まで一度も斬り合いで負けたことがないって話だったが……?」
「それもまた事実だ。真剣を握った戦いでは、今のところ負けたことはない」
つい先ほどまでは、二人の話に聴き入っていたアルフラであったが、すでに興味を失ったらしく、退屈そうにシグナムの横顔を眺めていた。どうやら人間同士の強い弱い、といった話には、それほど食指が動かないようだ。
対象的に、シグナムは若干の敬意と挑戦的な眼差しをヨシュアへ向ける。
「なあ、あたしは前から思ってたんだ。あんたの話を聞くたびにさ。――強い強いとは言われてるけど……実際のところはどうなんだろう――もし仮に、噂通りの強さだったとして……あたしよりも強いのか? ってね」
場に、先ほどのものとは別種の緊張感が流れだした。その源であるシグナムが、笑いながら言葉を続ける。
「なんせあんたがそう言われてるように、あたしも斬り合いでは負けたことが無いんだからね」
胸元に手を掲げたシグナムが、ごきごきと骨を鳴らしながら、ゆっくりと指を折りたたんでいく。
「や、やめて下さいシグナムさん!」
フレインが焦った顔で、筋肉の浮き出たシグナムの腕を掴む。しかし、ぐいぐいと引きはするが、彼の細腕では小揺るぎもしない。
「――だから。あたしとも一つ、試合ってみちゃくれないか?」
それまで一歩後ろへ下がっていたディモス将軍が、怒声を上げる。
「なんと無礼な女だ。場をわきまえよ――」
しかし、すっと腕を横に振ったヨシュアが、変わらぬ冷静さで告げる。
「すまないが、その手の申し出はすべて断っている。私は野試合で勝つために、剣の腕を磨いているのではないからな。――それに、出陣を明日に控えた現状で、そのようなことにかまけている暇はない」
「えっ!? 出陣は明日なのですか?」
じっとシグナムを睨みつけていたディモス将軍が、フレインの問いに答える。
「そうだ。本来ならば使者殿も交え、今回の戦いにおける軍議を、早急に終わらせねばならん。これ以上我等の邪魔をするのであれば、魔導士殿以外はこの場から退室してもらいたい」
ディモス将軍はアルフラ達一行をぐるりと見渡す。そして、ふたたびシグナムへ視線を戻すと、天幕の戸口を指差した。
「そなたのような者にかかずらって、時間を無駄には出来ん。この場から失せよ」
やや執り成すような口調で、ヨシュアが言葉を継ぐ。
「聞いての通りです。あなた方は、私ではなく魔族を倒すためにレギウスからやって来られたのでしょう? まずはその責務を果たして下さい」
「……なんだよ。逃げるつもりかよ」
安い挑発の言葉とともに、ぎらついた視線がヨシュアへと注がれる。
普段は分別のあるシグナムだったが、この時ばかりはどこか変なスイッチが入ってしまったらしい。その目つきは、路地裏の不良少年と大差がなかった。
「シグナムさん。いい加減にしてください」
交錯する視線には温度差があり、熱くなったシグナムの戦意は、あしらうように受け流されていた。そして不意に、緊張感のないエレナのつぶやきが天幕内にぽつりと響く。
「……残念、ですわ」
「エレナさま?」
気負うことなくシグナムから視線を外したヨシュアへ、ほうっとかすかな吐息が届く。
「試合でもよいので、ヨシュア殿が戦っているところを見てみたいですわ」
「いえ……ですが、現状を鑑みるに――」
「だって私、今回の戦いには従軍できませんでしょう? 前々からヨシュア殿の凛々しいお姿を拝見したいと思ってましたの」
「はあ……そうはおっしゃられましても、私は――」
「残念ですわ。そちらの女戦士殿は、とてもお強そうなので、きっとヨシュア殿の勇姿が見られると思いましたのに……残念ですわぁ」
渋面を作ったヨシュアが、なにやらもごもごと口を動かす。しかしその度に、残念ですわ残念ですわぁ、とエレナがため息を被せていた。
「ほんとうに……残念ですわ……」
伏し目がちのエレナが、かなりわざとらしく、ヨシュアの顔をちらちらとうかがう。
「……わかりました」
しばしの間、その内心ではかなりの葛藤があったらしいヨシュアが、とても疲れた顔でシグナムへ尋ねる。
「そなた、名は?」
「……シグナムだ」
「では、シグナム殿。さすがに戦いを前に控えた今日この場で、剣を交えるという訳にはいかんが――」
ヨシュアは右の手をシグナムへと伸ばす。
「共に爵位の魔族を倒せし後、たがいに生きて日の目を見ることが叶えば――その時こそ、私の剣技を存分にお見せしよう」
「あ……ああ!」
満面の笑みを浮かべたシグナムが、差し出された手を握り、ぶんぶんと振り回した。
「約束だぞ。後で忘れたなんて言わせないからな!」
嬉しそうなシグナムへ、にっこりとしたエレナが他意のない微笑みを送る。
「よかったですわね。ギルドの女戦士殿」
「ん、ありが……」
礼を言いかけたシグナムであったが、王族に対して日頃と同じ言葉使いではさすがにまずいと思い、口調を改める。
「感謝します。エレナ様」
「どういたしまして」
気さくな一面を見せたロマリアの王族を、ディモス将軍が物言いたげに見つめていた。それに気づいたエレナが、ひらひらと手を振る。
「よいではありませんか。シグナム殿は、あの恐ろしい男爵位の魔族など歯牙にもかけず、当然のように勝った後の事を考えておられるのですよ。とても頼もしいと思いませんか?」
「はっ――」
――とディモス将軍は息を呑む。
「まさかエレナ様は……この命と引きかえにしてでも、爵位の魔族を討とうと考えていた私を諌めるために……」
エレナは一瞬、いったいこの人は何を言っているんだろう? といった顔をしたが、すぐに真顔を作り大きく頷く。
「やっと気づいたようですね、ディモス将軍。戦いを始める前から将が悲壮さを漂わせれば、それは全軍の士気にも影響します。礎となるのではなく、勝って未来を創ることを考えなさい」
もっともらしいことを言うエレナに、深い感銘を受けてしまったディモス将軍は、がくりと片膝を付く。
「ああ……さすがは建国の巫女、ライーザ様の血を伝えるお方だ。このディモス、エレナ様の聡明さを前に、ただただ己の浅慮を恥じ入るばかりです」
「わかってくれればよいのです。さあ、顔を上げなさい」
ほうっておけば、涙の一つも流しそうなディモス将軍へ、ヨシュアが小声で囁く。
「エレナ様のお言葉は、たぶん一から十までその場の思い付きですよ。ロマリアの女は竜より強かだ、という諺をお忘れなきよう」
にこにことこめかみに青筋を浮かべたエレナが、やんわりとヨシュアを睨んでいた。