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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
114/251

風雲急転



 正午に程近い夏の朝。昨日と同じく、人気(ひとけ)もまばらな酒場の席に、アベル達の姿があった。

 場には気怠(けだる)げな空気がただよっている。

 精気の削げた、げっそりとした様子のメイガス。やけ酒の挙げ句、二日酔い気味のダルカン。そして、アベルとフィオナは若干の寝不足顔だった。


 すでに今後の方針について長々と話し合いがなされ、各人落としどころを模索している段階だ。


「アベルよ。そなたの決意の程はようわかった」


 深く頷いたメイガスが、柔和な笑みを浮かべた。


「昨日のそなたは、感情に任せてものをゆうておったが、今は見違えるようじゃ。筋道立て、論理的に行く末を見つめておる」


「じゃあ――」


 勢い込んで身を乗り出したアベルへ、メイガスは苦笑する。


「そう()くな。総て納得したわけではない。だが、妥協出来る点もある」


「妥協?」


「うむ。二日じゃ。この町に滞在するのは、明日まで。その間にコボルトの本陣を急襲し、明日の夜にはグラシェールへ発つ」


「でも、千を越えるコボルト達が陣を張ってるんだよ。さすが一日二日で追い払うのは無理だ」


 アベルの隣に腰掛けたフィオナも、これには少し渋い顔をする。


「町の衛兵達の助けは、あまり期待出来ないのでしょ? ただでさえ昨日の戦闘で死傷者が出てるのに、無理な強襲は被害を拡げてしまうだけだわ」


「それに関しては、執政官が自衛団を守備兵に組み込み、部隊の増強、編成を進めている最中だ。平行して、穀物庫を開き町の住民を疎開させるため、様々な準備もなされておる」


「なるほど……」


 水差しから直接喉を潤していたダルカンが、少し感心したかのような声をあげた。


「後手後手だが、この町の執政官殿はなかなか有能だな。やるこたやってるわけか」


「うむ。加えて南のストルファ城塞へ使者を送り、救助要請も行っておる。これには儂も一筆(したた)めたでな。数日中にはストルファの常備兵一個大隊が送られてくるはずじゃ。儂もやることはやっておるということよ」


 げっそりと枯れたような顔で笑うメイガスを、ダルカンが茶化す。


「爺さんはやらないでいい事までやらかしてるみたいだけどな。ほどほどにしとかないとぽっくりいっちまうぞ」


「うむ、うむ。昨晩の未亡人はよほど淋しかったとみえて、少々激しかったでな。老体にはちときつかった。命からがらじゃ」


 メイガスは目尻をたれさげて笑う。これにはダルカンだけではなく、フィオナも少し嫌そうな顔をしていた。


「おう、すみませなんだな。姫さまの前でこのような下世話なことを――」


「いえ、いいわ。話をつづけて」


「でもストルファにそんな余裕はあるの? 上都を守っていたロマリア軍主力は北上して、トスカナ砦の攻略に向かったんだよね?」


 アベルの疑問に、メイガスは含みのある笑みを浮かべる。


「ストルファは兵を出さざるえんのじゃよ。儂が送った書状には、フィオナ王女もこの件に憂慮しておると書き添えておいたからの」


「ああ、それなら間違いないな。姫さんがここに居るのを知った上で兵を出し渋れば、ストルファ城塞指令の首が飛ぶ」


 とうのフィオナは少し不本意そうな顔をする。しかし、アベルが安堵のため息をこぼすのを見て、思わず口元がゆるんでしまった。

 自分の存在がアベルの役に立ったと感じたのだ。


「ようは、救援部隊が到着するまでの数日間、コボルト共が組織立った行動をとれなくなるほどの打撃を与えればいいってことか」


「いかにも。その(のち)街道を北上し、大森林を迂回すれば三日ほどでグラシェールの裾野じゃ」


「トスカナ砦の魔族はどうするの?」


「そちらは北上している皇竜騎士団に任せてよいじゃろ。ラザエルとエスタニアの援軍も向かっておるし、レギウスからも部隊が派遣されておるはずじゃ」


「なら当面の問題はコボルト共をどうするかだな……」


 ダルカンが腕を組み考え込む。


「そこで儂に策がある」


 メイガスは導衣から虹竜珠(こうりゅうじゅ)を取り出して見せる。


「上手く事が運べば二日と言わず今日中にでも…………どうした?」


 正面に座るアベルとフィオナの視線は、メイガスを通り過ぎ、その後方へと向けられていた。


「なんだ……?」


 後ろを振り返ったメイガスとダルカンだったが、店内に取り分け変わった様子はない――――いや、まばらに居る客達のほとんどが、北側の鎧戸を注視していた。


「なにかあったのか?」


 ダルカンの問いに、アベルが軽く首をかしげる。


「……よく分からないけど、外が真っ白に光ったんだ」


「ふむ……? まあよい。今は――」


「待って! さっきの光、ただ事じゃなかったわ」


「うん。ちょっと普通じゃないくらい光ってた」


 やや茫然とした面持ちだったアベルとフィオナが、席を立ち鎧戸へと近づく。

 その頃には店内も騒然とし始め、外からもかすかな喧噪が届いてきていた。


「――ッ!?」


 不意にフィオナがぐらりと姿勢を崩し、その上体が大きく(かし)いだ。とっさに伸ばされたアベルの腕が腰に回され、フィオナを抱きよせる。


「あ、ありがとう」


 礼を言ったフィオナの吐息が、アベルの首筋を撫でた。その顔がみるみる赤くなる。

 抱きすくめるような体勢になってしまい、顔の近さに気が動転してしまったらしい。

 慌てたように身を引いた幼なじみの少年に、フィオナはこっそりとため息をついた。


「フィオナ、平気?」


「うん……今、少し地面が揺れ――」


 その言葉は、つづいて上がった悲鳴に掻き消された。


「地震だ!!」


 店内の食卓がカタカタと細かく震えていた。そして突然、酒場の床がたわみ、激しく揺れ始める。数瞬の(のち)――下から突き上げるかのような衝撃がきた。

 でかいぞ! と客の誰かが叫ぶ。

 アベルはフィオナを抱き上げ、壁際へと走る。


「伏せろ!!」


 ダルカンの声が聞こえた時には、ほとんどの者が立ってはいられないほどの揺れとなっていた。

 フィオナを横抱きにしたアベルは、壁に背を付け周囲を見回す。

 そこかしこで食器が床に叩きつけられ、酒壷の割れる破砕音が響く。

 店内に並べられた卓が、飛びはねるように倒れる。

 床板が凄まじい音を立てて歪み、亀裂が走った。

 皮膚を圧迫するかのような空気の振動。低い地鳴り。混乱した人々の悲鳴と怒号。


 アベルはフィオナに覆い被さり、きつく抱きしめる。何があっても自分の体を盾と出来るよう、さらなる危険に備える。耳から入ってくる雑多な音に惑わされないよう、フィオナを守ることだけに意識を集中していた。


 かなりの時間揺れてはいたが、徐々に震動も弱まりだす。それでも大気を震わす地鳴りだけは、長く長く尾を引いていた。


 アベルは、腕の中でかすかに震えるフィオナに語りかける。


「フィオナ。もう大丈夫だよ」


「うん……」


 力が入り過ぎていた腕をフィオナから引きはがす。


「ごめん。痛かったよね」


 幼なじみの少女に怪我をさせてはいけないという思いが強すぎて、体が硬直してしまっていたようだ。


「ううん。平気よ」


 硬直した“ふり”をしてしがみついていたフィオナは、名残(なごり)惜しげにアベルの胸から顔を離す。

 幼なじみの少年さえ(そば)に居れば、何があっても大丈夫だと信じるフィオナは、混乱の最中(さなか)にあって、誰よりも余裕があった。


 ただ、ちゃんと可愛らしく震えられただろうか、ということだけが心配だった。しかし、そんなことを気にかけるほど、アベルには余裕がなかったようだと気づき、ちょっと残念に思う。


 辺りを見回すと、店内は酷い有様だった。さいわいたいした怪我をした者は居ないようだが、ほとんどの者がひどく怯えた顔している。

 ふと、食卓の下に伏せていたダルカンと目が合った。

 向けられた冷やかすような笑みへ軽く舌を出し、フィオナは立ち上がる。


「すごい揺れだったわ……。外の様子を見に行きましょ」


 かなりの揺れだったにも関わらず、外は静かなものだった。それが逆に不気味でもある。

 酒場に面した大通りに出たアベル達は、すぐその異変に気づいた。

 路上にへたり込むように腰を落とした者が数人。その視線の先には――


「グラシェールが……」


 遠く、朧げに望む天山から噴き上がる太い黒煙。北東の空は暗雲に呑まれ、日は陰っている。

 上空に滞積した噴煙は、さらに密度を増し膨れ上がっていた。


「な……んだ、こりゃあ……」


 茫然とつぶやいたのはダルカン。その横でフィオナが顔を強張らせる。


「ねぇ……なにか、風が……」


 アベルは皮膚にちりちりとした不快感を覚え、そこはかとない不安に駆られた。


「みんな酒場に戻って! 早く!!」


 フィオナの手を引いたアベルにつづき、ダルカンとメイガスも酒場へ転がり込む。直後――


「おぁ!?」


 凄まじい衝撃が酒場の壁を打ち叩き、鋭い風音が吹き抜ける。

 ぎしぎし軋む音がそこかしこから響き、建物全体が斜めに傾くのが知覚出来た。


「くそっ!! 今度はなんなんだよ!!」


 床に伏せたダルカンが頭をかかえて叫んだ。

 酒場自体が倒壊するのでは、という恐怖が全員の脳裏によぎる。しかし、それも一瞬であった。

 すぐに静寂が戻り、大気の流れも停滞する。


「もう、大丈夫か……?」


 おそるおそる入口へと向かうダルカンに、アベル達もならう。

 ふたたび外へ出てみると、通りには無数の瓦礫が散乱していた。

 町の建造物が倒壊し、その残骸が飛ばされて来たようだ。

 周囲を見回すと、いくつか火の手が見える。


「湿気の多い時期じゃ。それほど酷いことにはならんだろう」


 延焼の危険は低いと判断したメイガスが、視線をグラシェールへと移す。


「問題は、何が起こったかじゃ」


「神族と魔族の戦いが、始まったのか……?」


「おそらく……そうじゃろうな。自然災害というわけでもなかろう。グラシェールが噴火したなどという話は、今まで聞いたことがない」


「こんな……」


 アベルは茫然と北東の空を見上げる。


「すまんが、アベル。先ほどの話は無しじゃ……すぐにグラシェールへ向かおう」


「え……待って! それじゃ町の人達が――」


「そんなことを言うておる場合か。もう一刻の猶予もない」


「なあ……」


 青ざめた顔のダルカンが、大きく息をはいた。


「あれが戦神の仕業か魔族の仕業かは分からねえけどよ……巻き込まれでもしたら俺達だってただじゃ済まないぞ」


「それよりまずはコボルトをどうにかしないと!」


 メイガスが首を横に振り、黒煙噴き上がるグラシェールを指さす。


「見てみよ。もしもあのような戦いがロマリアへ(およ)ぼうものなら……町が二つ三つ消し飛ぶどころでは済まんぞ」


 その言葉に、アベルとダルカン、そしてフィオナもゾッとしたように身を震わせた。


「危険だろうと捨て置くわけにはいかん。ましてコボルトなどに関わっている暇はない。――下手をすると……誇張抜きでこのロマリアが滅ぶ」


「あ、ああ……俺達に出来ることがあるとも思えんが、何が起こっているかだけは見極めないといけねえ……早急にな」


 ロマリア建国以来最大の国難が迫っているのではないか。皆等しくそんな思いにせき立てられていた。


「よいなアベル。こればかりは……選択の余地はない」


「う……うん。分かったよ」



 完全に納得したという様子ではないものの、グラシェールを見上げたまま、アベルは首を縦に振った。





 ロマリア北部、トスカナ砦。レギウスとの国境線に敷設された、重厚な石造りの城塞である。その最上階から、噴煙を昇らせる天山グラシェールを眺め、大笑する男が一人。


「すげえ! すげえ! クハハハッ!! 見てみろよ。グラシェールが煙を吹いてやがる!!!!」


 手を打ち鳴らし、男は笑う。


「ククッ、ハハハハッ!! あのくそったれな神域が消し飛びやがった!!」


 腹をよじらせ荒い息を吐くその男の名は、咬焼(こうしょう)。男爵位の魔族だ。

 あざ黒い肌と赤銅色の髪を持った、精悍な印象をうける青年である。しかしその目には、残忍さをうかがわせる光が絶えず、見る者に声をかけることを躊躇(ためら)わせる不穏さがある。


 咬焼は気の済むまでひとしきり笑い転げると、上機嫌な様子で振り返る。


「あー、悪い悪い。待たせたな」


「いえ、お気になさらないで下さい」


 背後で膝をつき控えていた女は、緊張の面持ちでかぶりを振る。まだうら若い、人間であれば十代後半といった歳の頃だろうか。ほっそりとした見目よい娘である。


「ハハッ! お前、運が良かったな。本当なら切令(きれい)の部下なんざ、話を聞く前に焼き殺してやるとこだが、今の俺は最高に気分がいい」


 女は床に視線を落としたまま、咬焼の言葉を聞いていた。彼女の名は鈴音(すずね)。竜の勇者に殺された切令の配下である。戦いの後、敗走する軍勢の中にあり、切令の死を咬焼へ伝えるために遣わされた使者だった。

 鈴音の主である切令と咬焼とは、かなり険悪な間柄だ。ともに魔王口無の配下ではあるが、かつては四六時中戦端を交えもしていた。

 相手の何から何まで――その生い立ちすら嫌悪していたことは、配下の者であれば皆熟知している。

 二人が互いに向け合っていた憎悪の念は、犬猿の仲と評すのもおこがましいほど、殺伐としたものであった。


「それで? 切令の野郎はどんな用件でお前をよこしたんだ」


「どうか、心してお聞きして下さい。今から(さかのぼ)ること、九日前の話です。ロマリアの都へ進軍中であった私達――」


「おい! 前置きはいらねぇんだよ!! 俺はいま絶好調なんだ。せっかくの気分をだいなしにする気か!?」


 咬焼はつかつかと歩みより、ひざまずく鈴音の髪を掴み、端正な顔を上向かせる。


「要点だけ話せ! くだらない話はいらねぇ。俺を楽しませるんだ。退屈させるようなら焼き殺すぞッ!!」


「し、失礼しました」


 鈴音のうすい肩が、小刻みに震える。怯えを見せた顔には、焦燥感がにじんでいた。鈴音は咬焼という男が、どういった人物かをよく心得ている。

 焼き殺す、という言葉はただの口癖だ。しかし、ほんの気まぐれや思いつきでそれを実行に移してしまうのが、咬焼という男なのだ。

 だから鈴音は、早口で話をつづける。


「私達は再三に渡り、人間共の奇襲を受けておりました。そして九日ほど前の戦闘の際、切令様は不覚を取り……人間どもの手にかかり、討たれてしまわれました」


「…………あ? なんだと――」


 一瞬、ほうけた顔をした咬焼が、大きく目を見開く。そして声を荒げる。


「馬鹿を言うなッ!! あの切令が人間ごときに殺されたってのか!? ありえねぇ……くだらない寝言こいてると焼き殺すぞ、このアマ!!」


「……残念ながら、私も戦場に(かか)げられた切令様の首を、この目で確認しておりますので――」


「ふざけるな!! どうやって人間が切令を殺すってんだよ!? あいつらにそんな力はねえだろうが!!」


 激した感情にともない、咬焼の体から熱気が放たれていた。

 深く叩頭(こうとう)した鈴音は、上擦った声で報告をつづける。


「それが、人間達の中に竜の勇者と呼ばれる少年がおりまして……その者は、我らの障壁をも破る剣を(たずさ)えておりました」


「竜の勇者……聞いたことがあるな。確か、焼き討ちした町の奴らが口にしてた……」


「竜神の加護を受けた者だそうです。このロマリアを救うという予言がなされたとか」


「思い出したぞ! 人間どもがほざいてやがった。その竜の勇者とかいう奴が、いつかこの俺を倒すとかいう世迷い言をな」


 もちろんそんな奴らは皆殺しにしてやったけどな、と咬焼は嘲笑(あざわら)った。しかし、すぐにその顔は怒りに歪む。


「クソッ!! じゃあ本当に切令は()られちまったのか!?」


「……はい」


「――畜生ッ!!!! あのガキ! いつか俺が焼き殺してやるつもりだったのに!! 勝手にくたばりやがって――」


 激昂する咬焼が、ぴたりと口をつぐんだ。そして真顔で尋ねる。


「――待て。なんで十日も前の報告が今頃届く。その半分もありゃ余裕だろ! 貴様はどこで道草こいてやがった!!」


「すみませんでした。ですが私は、可能な限り早急にこちらへ参りました。ただ、ロマリアの首都防衛にあたっていた人間の軍が北上を開始したため、それを避け大きく迂回して来ましたので――」


「ああッ!? 人間どもの軍勢がこの砦に向かってるのか!?」


 身を竦めた鈴音は、さらに深く叩頭する。


「はい。二万に及ぶ軍勢がロマリア北部に散在する兵を吸収しながら――」


「このバカ女がッ!! なぜそいつを先に言わねえ!? 報告の順序が違うだろうがよ!!」


「申し訳ございません! どうかお許し下さい」


 舌を打ち鳴らした咬焼は、壁際に控えた臣下達の一人に問う。


「おい、北へ()った斥候はまだ戻らないのか?」


「はっ、まだです。昨日(さくじつ)あらたに数人の者を放ちましたが、現状なんの報告もありません」


 北西から来るラザエル皇国の援軍を捕捉させるため、北へと向かわせた斥候は、あまりにもその帰還が遅い。


「……南からのぼってくる奴らがエルテなんとかの残党と合流したら、三万を超えそうだな……」


 咬焼は厳しい表情で思案する。

 ロマリア軍の動静については、それほど問題ない。程なく他の斥候が情報を持ち帰るだろう。出来れば早めに潰しておきたいところではあるが、南下して来るラザエル軍の動き次第で対応を変えなければならない。しかし、肝心の斥候が戻らないため、ラザエルの援軍がどの辺りまで迫っているかが不明瞭だ。それが分からない以上、下手に砦を空けられない。


「動きづれぇな……。とりあえず、北へ遣った斥候が戻るのを待つか。南下してくる奴らの動きを把握してから、どちらか一方を先に叩くのが無難だな……」


 独り言をもらした咬焼は、遠巻きに言葉を待っていた配下の一人へ命じる。


「野郎共に出る用意をさせとけ。数日中に出陣する」


「はっ! ただちに」


「……クソッ! めんどくせぇことになりやがったな」


 命じられた者は、足早に退室して行く。残された数人の臣下は、そわそわと咬焼の顔色を伺っていた。

 機嫌の悪そうな主と同室することが、かなりの重圧となっているようだ。


「あの……咬焼殿」


 青ざめた様子の鈴音が、不安げに声をかける。


「私もおいとま願ってよろしいでしょうか?」


「――あ?」


 今その存在を思い出した、というように、咬焼は眉を跳ねさせる。


「おいとまって、どこ行くつもりだよ?」


「は、ぁ……とりあえずは、口無様のいらっしゃるグラシェールへ向かおうかと……」


「ふうん……」


 値踏みするかのような目が、鈴音の身体(からだ)を上下する。

 不安が募り、鈴音はか細い声で尋ねる。


「もう、行ってもよろしいでしょうか?」


「ああ、死んで構わねぇよ」


「…………え?」


 眼前に立つ咬焼の右腕が、炎に包まれる。

 思わず身を引いた鈴音に、火の粉を散らす腕が伸ばされた。


「ま、待って下さい! なんで――」


「なんでもくそもねぇだろ。最初に言ったぞ。俺を楽しませろってな」


 鈴音は助けを求めるように咬焼の臣下へ目をやるが、返されたのは憐れみの視線だけだった。


「退屈させたら焼き殺すとも言ったぞ。もう忘れたのか?」


「ですが、私は――」


「お前の話の中に、俺が楽しめるような要素がひとつでもあったか?」


「そ、んな……むちゃくちゃな……」


「答えろ――」


 咬焼の右腕から、うねるように炎が伸びた。そして、返答を催促するかのように、鈴音の肌をあぶる。


「お前は何かひとつでも、俺が笑えるような話をしたか?」


「い、いえ……」


 浮かべられた酷薄な笑みに、鈴音は弱々しく哀願する。


「お、お願いします……許して、ください」


 クッ、と咬焼は喉を鳴す。その笑みに、好色なものが混じる。


「なら脱げよ」


「……え?」


 呆然とする鈴音を、咬焼は耳障りな声で笑う。


「クッハハッ! 脱げって言ったんだよ。死にたくなけりゃ、お前の体で俺を楽しませろってな」


 じりじりとうぶ毛を焦がす炎から顔を背け、鈴音は慌てて衣服に手をかけた。

 服を脱ぐ間、向けられた舐めるような視線を、きつく目をつむり耐える。

 一糸まとわぬ姿となった鈴音は、胸を両手で覆い、咬焼の前に立つ。


「あ、あの……私、まだ……そのぉ……」


 うつむきがちな上目遣いで、鈴音は咬焼を見上げる。


「……出来れば、あまり乱暴には、しないでください……優しく、してください」


 声にはかすかな媚びが含まれていた。涙を(にじ)ませながらも、鈴音は安堵を覚えていた。

 無理難題を押し付けられ、体を蹂躙される理不尽より――複数の者に肌を見られる羞恥より――殺されることの方が恐ろしかったのだ。女としての尊厳を、恐怖が上回っていた。

 少なくとも、死からは遠ざかることが出来た。その思いが、脱力感をともない、大きな安堵をもたらした。


「手ぇどけろよ」


 咬焼の言葉に従い、鈴音は胸に置いた手を下ろす。


「これで、よろしいですか……」


 周囲に居並(いなら)ぶ咬焼の配下から、感嘆のため息がもれた。


 鈴音は、美しかった。


 均整の取れた肢体は、白く細い。

 華奢な肩へ流れ落ちる黒髪は、艶やかな光沢に濡れていた。

 くびれた腰は肉が薄く、かすかに腰骨の線が浮き出ている。

 男を知らぬ少女のような柔肌は、きめ(こま)かくなめらかだ。


「あの……」


 恥ずかしげに頬を染めた鈴音が、無言の咬焼へふたたび同じ言葉をかける。


「これで、よろしいで――」


「よろしい訳ねぇだろッ!!!!」


 手の平にすっぽり収まる小振りな乳房を、咬焼がワシ掴む。


「なんだこの貧相な胸は!!」


「痛――っ!」


「こんな薄っぺらいモンをどうやって楽しめってんだ!! お前は馬鹿か!?」


「す、すみません、ごめんなさいごめんなさい!」


 チッと舌打ちし、咬焼は鈴音を突き飛ばす。


「つまらねぇもん見せやがってッ。もういい。やっぱりお前は死んで俺を楽しませろ」


 咬焼の腕から炎が走り、鈴音の足に絡み付く。


「あっ! 熱っ! い、いぎぃぃ――――」


 絡んだ炎は蛇のように鈴音の体を駆け登る。

 室内に、肉の焦げる異臭と熱気が立ち込めた。


「アアァァ、熱い! 助け……熱、い……」


 断続的に悲鳴が響く。そして、鈴音の胴体にとぐろを巻いた炎が、鎌首をもたげ大きく顎を割る。


「い、あぁぁ……咬焼さま、助けて……お願いします……お願い、します……」


「クッ。恨むなら、その貧しい胸を恨むんだな」


 炎蛇の口が、鈴音を呑み込む。


「ヒィィィィ、ギャャアアァァァァァァ――――!!!!」


 頭に喰らいつかれた鈴音の体が、生きた松明のように燃え上がる。

 ばたばたと手足が出鱈目に動き、それは世にもいびつな舞踏のようだった。


「クッハハハハハッ!! いいぞ、そのダンスはなかなかいい。お前は喋っても脱いでもつまらねぇ女だったが……ハハッ! やれば出来るじゃないか。踊れ踊れ、踊れッ!!!!」



 悦に入った凶笑(きょうしょう)の響く中、鈴音は炎を振り撒きながら、息絶えるまで踊りつづけた。

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