甘い一夜(後)
フィオナは今、かなり困った事になっていた。
恋する少年の胸へ顔を埋めたまま、アベル同様硬直してしまっていた。
――流れからすると、つぎは……キ、キス!?
考えただけで頭が霞みがかり、ぼうっとしてしまう。
妙な具合に熱くなっていた心が、急に冷静さを取り戻す。
ここから先へ進むには、さすがにアベルの助けがないと厳しい。
そういった経験のないフィオナが、次の行動を一人で行うのは、とてもではないが難易度が高すぎる。
ちょっと上手くやれる自信がない。
しかし、頼りのアベルは現在、機能停止中だ。とても頼りない。そして彼が奥手なことは、誰でもないフィオナが一番よく知っている。
こんな事になっているのも、もとはと言えば、アベルのその奥手さが原因なのだ。
色恋に疎い幼なじみが、子供の頃からフィオナに好意を持っていることは、当然のように心得ていた。だがそれは、友達へ対するものに近い。ちゃんと、女性として見られているかというと……かなり怪しい。
その上、アベルはモテる。少しでも目を離すとすぐに女が寄ってくる。
見目良く誰にでも優しく、勇者などと呼ばれる少年なのだから当然だろう。彼の魅力もまた、やはりフィオナがもっとも把握しているのだ。
このままでは、アベルに悪い虫がついてしまうのではないか――見も知らぬほかの女に、愛する少年を取られてしまうのではないか。そういった焦燥感が、今の現状に結びついたといえる。
そして、さきほどのダルカン達との会話で、ずいぶんと傷心な様子のアベルを見て感じたのだ。これはめったにない好機なのでは? と。
フィオナは恋する少年が精神的に弱っていることを、女の本能で見抜いていた。
だが、アベルのそういった行為に対する甲斐性のなさは、フィオナの予想を遥かに上回っていた。
どれほど積極的な泥棒猫がいたとしても、アベルから手を出させることは、至難の技だろう。竜の勇者が、無理矢理てごめにされるというのも考えにくい。
そういった意味で、アベルの奥手さはフィオナ以上に鉄壁だった。もしかすると自分の感じた危機感は、杞憂だったのかもしれないと思えてくる。
――すこし先走りすぎたかも……?
そんな戸惑いがあった。
調子に乗って、下着まで脱いでしまったことを後悔し始める。
あまりやり過ぎると、アベルに軽蔑されてしまうのではないかといった心配もある。彼が自分を嫌うことなど無いとは思う……が、ライバルの多さを考えれば、幼なじみの座にあぐらをかいているわけにもいかない。
嫌な汗が出てくる。
それまでアベルがあまりにうろたえるものだから、妙な余裕があったのだ。しかし、徐々に心がしぼみ始める。すこし気が大きくなってしまっていたらしい。
自分はとんでもないことをしているのでは? と考えてしまう。
「……フィオナ?」
不意にアベルが呼びかけてきた。
「な、なに?」
思わず声が震えてしまった。
「どうして、こんなこと?」
この鈍感! と口から出かかった言葉をなんとか飲み込む。アベルの質問が、なぜこんな性急な行動をしたのか、という意味合いであることに気づいたのだ。
「それは……その……」
ほかの女から取られる前に既成事実を、とはさすがに言えない。嫉妬深く浅はかな女だと思われてしまいそうだ。
「前と比べると、フィオナはびっくりするほど女の人っぽくなったよね……」
ふわり、とアベルの腕が、肩へ回される。
「きゃっ……」
アベルの胸の中で身を縮こまらせたフィオナへ、優しい声が語りかける。
「でも、本当は昔とかわらない。やっぱりフィオナは、フィオナのままだ」
意味を計りかねてどぎまぎとするフィオナに、アベルは少しおかしそうにわらった。
「今、後悔してるでしょ?」
「え……?」
内心を見透かされたような気がして、フィオナはよけいに慌ててしまう。
「子供の頃のフィオナは、結構おてんばだったよね」
「う、うん……?」
なにかとても失礼なことを言われているような気もするが、アベルの優しい声音に、思わず頷いてしまう。
「大きな木に登って、降りれなくなって泣き出したり。地下迷宮の探索だ、とか言ってお城の地下で迷子になったり。――その場の勢いで、あまり後先考えない」
「……うぅ」
「今も、やってしまってから後悔しちゃったんでしょ?」
いつの間にか、アベルは普段の冷静さを取り戻していたらしい。
フィオナがそうであるように、アベルもまた、幼なじみの恥ずかしい過去をいくつも知っている。心の動きが分かるも、お互い様だ。
それは嬉しくもあり、赤面ものでもあった。
今は室内も暗く、火照った顔を見られることはない。だが、薄い部屋着一枚へだてたアベルの胸板に、頬の熱さが伝わっていることだろう。
「ずるいよ、アベル」
声は弱々しいものだった。
受け手に回ると脆い性格だという自覚はある。
「フィオナだって、ずるい」
「え?」
「だって最近のフィオナは、急に女らしくなって……一人だけ大人になっちゃったような気がしてたんだ」
二年ほど前からだろうか。フィオナは王宮の社交界で貴婦人に交じり、夜会や舞踏会にも出席している。
おそらくアベルは、そういったことも踏まえて言っているのだろう。だがそれも、王家の血を引く者としての責務ともいえる。
「近頃は、立ち居振る舞いにもすごく気品が出てきたし、しゃべり方もずいぶん上品になったよね。勉強にあてる時間も増えて、王宮ではなかなか会えなかったし」
「そんなの……」
「フィオナは王女さまだからさ。本当は僕なんかじゃ、気軽に声をかけられないことは分かってるけど……すこしさみしかった」
「ばか……」
短く囁いて、強くアベルの胸に顔を押し付けた。高鳴る鼓動が身近に感じられる。だから――分かってしまう。アベルとて、見た目通りの平静さを保てているわけではないことが。
「私が礼法や座学をがんばったのは、アベルに相応しい淑女になりたかったからなんだから」
いらえはなく、緩やかな沈黙が流れる。だが、それは心地好い静寂だった。
黙りこくるアベルが、闇の中でこれ以上はないほど赤面していることを、フィオナは確信する。そして自分が女性として、ちゃんと意識されているのだということも。
だから、次はフィオナの番だ。今度は攻め手を休めない。
「ねぇ、覚えてる?」
「……フィオナが覚えてるなら、たぶん僕も覚えてるよ」
「じゃあ、十年前にした、大人になったら結婚しようって約束は、まだ有効なのね?」
「えぇ!? い、いや、だってあれ……」
「やっぱり。覚えててくれたんだ」
かすかに身じろぎした少年を逃すまいとするかのように、フィオナは首に回した腕に力をこめる。
「あの時はまだ、お互い七つか八つだったし――」
「八歳の誕生日よ。私のね。アベルはまだ七歳だったわ」
「う……でも、あの頃はフィオナが王女さまだってあんまり意識してなくて……」
「約束は約束だわ。アベルは嘘なんてつかないよね?」
ごにょごにょと、身分がどうのなどと言い出したアベルの肩に、フィオナは軽く爪を立てる。
「いたっ! 痛いよフィオナっ」
軽く、のつもりだったのだが、少し力が入りすぎたようだ。
アベルの体の上をずり上がり、顔の位置を合わせ、もう一度問いかける。
「約束は、守るよね?」
わずかな沈黙の後、アベルの頷く気配がした。
手の平がフィオナの頭に移動し、軽く引き寄せられる。
「好きだよ……」
緊張に身を固くするフィオナの頬に、熱い唇がふれた。
「あ……」
初めて言葉にされた告白。
フィオナの身の内から、凄まじい歓喜の渦が沸き起こった。
瞬間、暗いはずの視界が真っ白に染まる。思考が拡散する。
気がつくと、にじんだ瞳から、涙が滴り落ちていた。
「フィ、フィオナ!?」
あせった声を出すアベルの首筋で、涙を拭う。
「く、くすぐったいよっ」
おもしろいほどうろたえるアベルに、思わず笑いが込み上げてくる。
「ふ、ふふふ。もぅ、アベルはやっぱりずるい」
恋愛には不慣れな癖に、肝心な場面では外さない。ここ一番に強いのだ。それは勇者の勇者たる由縁なのだろう。
そして、竜の勇者は狼狽もあらわに提案する。
「ね、ねぇ。そろそろ服を着てよ」
「……んー、どうしようかな」
「そ、そのぉ……い、いろんなとこが当たっちゃって、すごく落ち着かないんだ」
すこし考えたフィオナだったが、あまり事を急ぎ過ぎるのもよくないと思い、アベルの望みを叶えてあげることにした。
すでに言質は取れたも同然だ。焦ることはない。
アベルにカンテラを点けてもらい、律儀に後ろを向いた少年の背中を見つめながら、身仕度を整える。
噛み締めた幸せをもう少し共有したくて、フィオナはふたたび寝台に上がる。
いまさらながらに淑女の嗜みを思い出し、今度はあまり胸を押し付けすぎないよう気をつけ、アベルの背中に抱き着く。
無言のアベルは、さきほどの口づけが今だに恥ずかしいようだ。うなじを赤く染めたまま、振り向けないでいる。
「もう少しだけ、こうしていてもいいよね?」
「うん、でもダルカン達が来たら……」
「大丈夫よ。あの二人、いつも明け方まで飲んでるんだから」
アベルにおぶさるような態勢のまま、フィオナはごろりと横に転がる。
「朝になったら、見つからないうちに部屋へ戻るわ」
アベルが、くすりと笑みをもらす。
「僕、ちゃんと夜鳴鳥と雲雀の区別はつくよ」
少しきょとんとしてしまったフィオナだったが、すぐに言葉の意味を悟り、ぽかぽかとアベルの頭を叩いた。
「もぅ! こんな時に気の利いたこと言わないでよっ」
閑散とした酒場の卓に着き、二人の男が杯を酌み交わしていた。
ダルカンとメイガスは差し向かい、ちびりちびりと手の中の杯を傾ける。
「くぅ~~。この蜂蜜酒ってやつぁ、口当たりはいいが喉は焼けるようだな」
「うむ。じゃがその酒気の強さがまたよい。大陸広しといえど、ここまで強い蜂蜜酒はこの町にしかないからの」
つまみの塩漬け肉を一口かじり、ダルカンは杯を置く。その顔は真剣そのものだ。
「しかしよ。ああは言ったが、実際のところ爺さんはどう思ってる?」
先にアベルと交わした、今後の行程についての話だと察したメイガスが、難しい顔をする。
「儂は先程もゆうた通り、一刻も早くグラシェールへ向かうべきだと思うておる」
自らも杯を卓に戻し、メイガスは表情を引き締める。
「ただ、な。アベルの言うことも分からんではない。青臭くはあるがの」
「ああ……その青臭さが空回りしないところが、あいつの凄いとこなんだよな」
「いかにも。そなたの言うところの――綺麗事では渡れぬはずの世の中で、綺麗事を押し通す力を持っておる…………厄介なことだ」
神妙な顔つきのメイガスが、大仰に肩をすくめた。
「しかし……今回ばかりはのう」
「どうするよ。アベルは絶対、納得なんてしてないぜ? あいつのことだ……明日にでも同じ話を蒸し返すだろうさ」
「うむ、とはいえバイラウェ降臨の知らせを受けて九日が過ぎておる。あまり時を無駄には出来ん」
「確かに……神族と魔族の戦いが始まっちまえば、グラシェールには正直なるべく近づきたくはないよな。アベルがこの町を救いたいってのも分かるが、あまり時間はかけられない……」
「この世は二者択一ではない。救えるはずの多くの手の中から、一つだけを選ばねばならんこともある……より大きな一つをな」
「老体の言葉は重いな」
冗談めかしてつぶやかれたダルカンの言葉は、しかし暗いものであった。
戦神降臨より九日。奇しくもこの翌日、勇者抹殺の指令を帯びた侯爵位の魔族が、ロマリアへ送り込まれることとなる。アベル達にとって、それは知るよしもないことだ。しかし、十分に予測の出来る事態でもあった。
「本来であればな……アベルの思うようにさせてやりたいという気持ちもある。しかし、問題は時間だ。我らは爵位の魔族を倒した。さらに強大な力を持った魔族の来襲は、目に見えておる」
「だよな……そのとき俺達に力がなければ、また沢山の人間が犠牲になる。やっぱりグラシェール行きは最優先だ」
子爵位の魔族に苦戦するようであれば、さらに高位の貴族には抗いようがない。最悪の場合、ロマリアという国そのものが、消し飛ぶ可能性も否定出来ないのだ。
「じゃがな……もしもアベルが、手の中からこぼれ落ちる多くの人々のことを理解した上で、自らの信念を貫きたいと言うのであれば――儂はそれでもよいと思う。失われる、より多くの命と向き合えると言うのであればな」
「……元宮廷魔導師の爺さんが、そんなこと言っていいのかよ?」
「ここ数年は、ただの隠遁した爺じゃよ。時代を担う若者の意思も、尊重してやらんとな」
にっかりと愛嬌のある笑みをもらしたメイガスが、軽く息をつく。
「儂も歳を取った……魔族の進攻さえなければ、またレギウスの魔術士ギルドにでも赴いて、余生を知識の探究に捧げようと思っておったのだがな」
「そういや爺さんは、レギウスに長いこと行ってたんだっけか」
「まだ若い頃の話じゃがな。――あそこはよい所だった。貴重な書物が山と積まれ、知的欲求を満たすのにいくら時間があっても足らん」
少し興味を惹かれたように、ダルカンが問いかける。
「その辺り、あまり詳しく聞いたことがないんだが、爺さんは元々ロマリアの出なんだよな?」
「うむ。没落してはおるが、数代前にもロマリアの宮廷魔導師を輩出した家系じゃよ。若い頃は見聞を広めるため、国外に出ておった。魔術を志すなら、やはりレギウスのギルドが環境も整っておるでな」
昔話に興の乗って来たらしいメイガスが、杯をぐびりと傾ける。
「十五年ほども大導師殿に師事しておったのだが、現女王の即位に際し、召還されたというわけよ。いきなり宮廷付きの高給取りとなりはしたが、本心ではギルドの蔵書豊かな書庫が恋しゅうてな」
懐かしむようにため息を落としたメイガスが、何かに気づいたように顔を上げた。
「いかんいかん。思いのほか時を過ごしてしもうた」
そう言いながら、名残惜しそうに蜂蜜酒を飲み干す。
「ん? こんな時間になんか用事でもあるのか?」
怪訝そうなダルカンへ、メイガスはぴんっと小指を立てて見せる。
「昼間、家屋に放たれた火を消しとめた折りにな。その家に住んどる妙齢の御婦人が、是非に礼をしたいから今晩泊まって行けとゆうてきかんかったのよ」
これがまた色っぽい未亡人でな、とメイガスが嬉しそうに相好を崩す。どことなくいやらしい笑顔だ。
「……元気だな、爺さんも。でも、いいのか――」
呆れたように言ったダルカンが、懐からじゃらりと重い革の袋を取り出した。
「今夜はフィオナの奢りだぞ? 朝まで飲み放題だ」
「なに!?」
血相を変えたメイガスへ、本当に元気な爺さんだ、とダルカンは笑う。
「さっき金子を部屋に忘れたことに気づいてな、取りに戻ったんだ。そしたらちょうど、フィオナが俺達の部屋へ入ろうとしてるとこに出くわしちまったんだ」
「姫さまが?」
「ああ。なんでこんなに早く戻って来たと聞かれたから、金を取りにと答えたんだが……そしたら金子を袋ごと渡されたんだ。――朝まで飲んで来いとよ」
「ふむ。姫さまもなかなかどうして……。機というものをわきまえておる。――アベルは随分と落ち込んでおったからのう」
ふむふむとしきりに頷いたメイガスが、意味ありげな視線を向ける。
「よいのか? 実の妹のことが心配ではないのか?」
「いや、まあ。相手はアベルだしな」
ロマリアは長きにわたり、女系支配を守り続ける国だ。
無用な権力争いを避けるため、現王家に生まれた男児は幼い内に里子へ出され、その存在も秘匿される。元々男子に王位継承権は存在しないのだが、それは古くから続く女系支配を確固たるものにするための慣習であった。
そういったいきさつで、三十年ほど前に地方貴族の養子となった王家の男児。それがダルカンの生い立ちである。血筋的にはフィオナの実兄なのだ。しかしそのことは、当時を知る極々一部の者しか把握していない。
「次代の女王となるかもしれん姫さまが、五巫家以外の者と結ばれるようなこととなれば、分家筋が大騒ぎするのではないかの?」
本来、王家の者は五巫家と呼ばれる分家の中から、婿を取る習わしとなっている。ロマリア建国にも関わった、竜神を奉る五人の巫女の血を伝える古い家系。万が一、王家が女児に恵まれなかった場合、その血を絶やさぬため、一時的に五巫家の者が王位に就くこともある。
もしもフィオナがアベルとの婚礼を望めば、血筋と伝統を重視する者達の間から、猛烈な反発が起きることは想像に難くない。
「まあ、以前ならそうなるだろうが、アベルも今じゃ竜の勇者さまだ。巫女の血筋が、竜神さまの選んだ勇者にケチはつけられんだろ。心配ないさ」
「そう単純な話でもないと思うがの……とはいえそれも、この戦いが終わってからじゃな」
「ああ、それに相手がアベルじゃ、そうそう進展もしないだろ。フィオナもなかなか手を出してこないアベルに焦れて、今ごろぷんすかしてるんじゃないか」
メイガスが愉快そうに笑う。
「うむ。姫さまが不機嫌そうに自分の部屋へ戻る姿が、目に浮かぶようじゃ。――アベルには、そのうち儂らが女扱いにについても教授してやらんとな。でないと姫さまの想いは、いつまで経っても叶いそうにない」
「だな。そして今は、未亡人だろ?」
「おお! そうであった、そうであった」
手を打ったメイガスが、空になった杯をのぞき込む。
「琥珀の誘惑には心惹かれるが、儂には寡婦暮らしの女性を慰め、その心と体を癒すという使命があるでの」
「……爺さんの体には、ずいぶんと負荷がかかりそうだな」
嬉々として酒場を出て行くメイガスを、心底呆れた目でダルカンは見送った。
人気の絶えた店内で、ダルカンは一人黙々と蜂蜜酒を煽っていた。
一時はフィオナから預かった金子で、娼館にでも繰り出してやろうか、とも考えたのだが……さすがに実妹の金で女遊びをするのも気が咎め、なんとか思いとどまった。
外も白み始めた明け方近く。
店員のそろそろ勘弁して下さい、といった視線に負け、重い腰を上げる。
支払いを済ませ、二階へ上がり廊下を歩く。
すると部屋から出てくるフィオナとばったり出くわしてしまった。
着乱れた巫女服を整えていたフィオナの口が、まるく開かれる。
「あ……」
「な……」
「あ、はは……」
「……」
「あははははは……」
「……」
気まずげに笑いながら、フィオナは自分の部屋へと消えていった。
ぱたん、と閉ざされた扉を、ダルカンは呆然と見つめる。
「なん……だと……? 俺だけか? 俺だけが、一人淋しく飲んでたってことか?」
少しやさぐれてしまったダルカンは、返しそびれてしまった金子袋を握りしめる。
「くそっ、今から娼館へ行って豪遊してやる!」
だが、ダルカンは知らなかった。なにぶんそれほど大きな町でもないので、この時間に店を開けている娼館がないことを。