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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
107/251

鎧袖一触



 旅に必要な物資が積み込まれた馬車の中。

 積み荷に背をもたせかけたフレインは、棺に向かって語りかけていた。


「それで、ですね。そのコボルトは妙に毒々しい色合いの液体を吐き、死んでしまったのですよ」


「なるほど……」


 カダフィーのくぐもった声が棺から聞こえた。


「とは言え……あれは決して人体で生成されたものではありません。あんな鮮やかな緑色の液体が、亜人の体内に存在するはずがない」


「…………」


 返された沈黙にフレインが尋ねる。


「あなたはジャンヌさんに、一体何を教えたのですか?」


「……べつに、特別なことは何も」


「そんなはずはない。ジャンヌさんが()な夜なあなたから魔法の手ほどきを受けていた、という話は聞いているのですからね」


「まぁ……ちょっと死霊魔術(ネクロマンシー)を教えてやっただけさ」


「な……」


 フレインの顔が固く強張る。


「なんですって!?」


「おっと、誤解おしでないよ。死霊魔術といっても、肉体の修復を目的とした分野の知識と書物を分け与えてやったのさ」


「……どういうことですか?」


「そのままの意味さ。ジャンヌには神官の扱う神聖魔法――特に治癒魔法に関しての適性がない。それはもう絶望的なほどにね」


 だから、と女吸血鬼は笑う。


「それとは異なった系譜の回復魔術を教えてやったのさ。あんたにだって死霊魔術の知識はあるだろ」


 それは生物の自然治癒力を増幅させる神聖魔法とは、また別種の回復魔法である。

 損なわれた肉体組織を周囲の脂肪、筋組織などを基に復元させる魔法だ。

 死霊魔術の回復魔法は生物にしか効果のない神聖魔法とは違い、死者の肉体や不死者(アンデット)といった命を持たない者にも効果を及ぼす。


「もともと治癒魔法の最上位にあたる快癒の魔法だって、どちらかといえば死霊魔術に近いものなんだからね」


「では、やはり……」


「そう、ジャンヌが使ったのは死霊魔術――暗黒魔法さ」


「しかし……なぜジャンヌさんの治癒は、あのような効果をあらわしたのですか? 暗黒魔法とは言っても、あなたは回復魔術を教えたのでしょう?」


 棺から楽しげな笑いが()れ聞こえる。あまりたちのよくない愉悦に(ふけ)るかのような響きをともなって。


「さあ、どうしてだろうね。私にもよくわからないよ」


「そんな……無責任な……」


「仮説を立てることは出来る。おそらく根本的なところでしくじってるのさ、あの娘は」


「……と、いうと?」


「死霊魔術の回復魔法は、傷口周辺の正常な組織を組み替えて負傷箇所を(おぎな)う。正しく使えば負傷治癒(キュア・ウーンズ)だけど、正常な組織の組み替えに失敗すれば、そのまま負傷(ウーンズ)の魔法になってしまう」


「あっ……それで……」


 フレインはしきりに頷く。魔導士としては非常に興味の惹かれる内容だ。


「得心いったかい? 緑色の液体ってのはよく分からないけど、たぶん食道か胃の周辺組織を破壊しちまったのさ」


 元来、死霊魔術の起源は、かつて生命の本質へと挑んだ魔導師達の研究成果である。


 人の手による生命の創造。死者の復活――そういった夢物語に、夢破れた者達が残した技術なのだ。


 太古の魔導師達は命の理を(くつがえ)すため、持てる英知を振り絞った。

 そして多くの知識と多大な成果を勝ち得た。


 だが――


 無機物の人形を作り、魔法による擬似生物を造ることには成功した。

 ――しかし、命を創造するには及ばなかった。


 損傷した屍を補修し、死者の体に魂を縛りつけることにも成功した。

 ――しかし、命を再生するには至らなかった。


 そして長い長い探究の末に悟る。そのどちらもが、論理的に不可能なのだと。

 可能性すら否定される結果となってしまった。


 この世の(ことわり)に挑んだ、偉大な魔導師達の負け(いくさ)


 それが死霊魔術の起源なのだ。

 現在では法を司る神王レギウスの理に反するとして、死霊魔術は禁忌の知識とされている。

 生命をいたずらに弄ぶ邪術。一般的にも暗黒魔法と呼称され、忌み嫌われている。

 だが、ごく少数の死神ディースを崇める神官達は、この死霊魔術の奥義を連綿と伝えていた。

 信奉するディース神に少しでも近づくため――いつの日にか己の肉体を不死者(アンデット)へと変じるために――


「まあそれが、私達不死者がディースの使徒、死神の寵児なんて呼ばれる由縁(ゆえん)でもあるんだけれどね」


「しかし……まずいですよ。ダレスの神官が死霊魔術を使うなどと知れたら、間違いなく神殿から破門されてしまいます」


「誰かが口外でもしないかぎり、ばれやしないよ。それにジャンヌの父親はダレスの司祭枢機卿だからね。いざとなりゃ、可愛い娘のために揉み消してくれるさ」


「それは……」


「最悪、破門になったとしてもギルドで拾ってやればいい。ジャンヌには才能があるよ。――そうだね、きっとその方がホスローも喜ぶ」


 フレインは思わずうつむき、フードに顔を隠す。

 面と向かっているわけではないが、色濃く残る罪悪感がそうさせていた。

 冷静さを装ってみても、実際自分がどんな顔色をしているか自信がない。


「ホスローはずいぶんと興味を示していたわ。ダレスの神官なのに、死霊魔術の素質があるジャンヌにね。早く見つけ出して会わせてやれば……」


 失踪直前のホスローは、長年の復讐劇に幕を下ろしたせいか、どこかほうけたような一面があった。

 それも当然と言えよう。

 生涯をかけた、それこそ命すら投げ打った復讐が、他者の手で遂げられてしまったのだ。


 しかし、なにか刺激を与えてやれば以前のように、魔術の研究に意欲を燃やす姿が見られるかもしれない。そんな思いがカダフィーにはあった。


 元をただせば――彼女が愛したホスローは、カダフィーの姉でもある妻を(よみがえ)らせるため、死霊魔術の深奥(しんおう)へと踏み込んだ希代(きだい)の大魔導師だ。

 しかし、いつしかその目的は、凱延に対する復讐へと変わっていた。おそらく――死者を甦らせることはやはり不可能なのだと悟ったとき、その目的は変質したのだろう。


 亡き姉に対するひそやかな嫉妬はあったものの――ホスローが精力的に魔術の探究に取り組む姿は、カダフィーにとってとても好ましいものだった。

 ふたたびホスローに、生き甲斐といえるような“なにか”を取り戻して欲しい。



 それがカダフィーの願いだった。





「そのためにも……早くホスローを見つけ出さないと……」


 カダフィーがつぶやいたとき、緩やかな慣性とともに馬車が停止した。

 小窓から外をのぞいたフレインが、懐から通行許可書を取り出す。


「サリエナの街に着きました。手続きがてら、門兵から街の様子などを聞いてきます」


「ああ、行っておいで。私は日が落ちるまでもう一眠りしてるよ」


「わかりました。私達はその後、酒場へ繰り出してロマリア北部に布陣する魔族の情報収集にあたる予定ですが……あなたはどうなさいます?」


「酒場、ねぇ……」


 酒場というのは、持参した火酒を切らしたシグナムの提案だ。曰く、腹を満たし人を集める料理と、喉を潤し人の口を軽くする酒。その両方がある酒場こそは、情報を集めるのにうってつけなのだ。などと、もっともらしいことを口にしていた。


「惹かれるものはあるけど遠慮しとくよ。――見張りをしていた術士が最後に目撃されたのは、このサリエナなんだろ?」


「……はい、そうです」


「だったら私は夜になってから出歩くよ。いろいろと調べてまわるには、その方が都合もいい」


「そうですね。それがいいでしょう」


「王都を出てから七日……そろそろ腹も減ってきたしね」


 棺から、くつくつと笑い声が響く。


「……あまり、騒ぎになるようなことは――」


「大丈夫。手慣れたもんさ。だいたいサリエナには沢山の難民が流れ込んでるんだろ? そういった者が二三人消えたところで、誰も気にしやしないさ」


「……あなたに人を殺すなというのも無理な話ですが、なるべく控えて下さい」


 妖気のこぼれ出した棺にフレインは背を向ける。

 フレインはレギウス教王ユリウス六世の署名が入ったものと、ロマリア大使が発行した通行許可書を所持していた。その二つがあれば、馬車の中をあらためられることもないだろう。が、もしもの時には、この場で人死にが出るかもしれない。

 吸血鬼の持ち込みを許可する街など、おおよそ存在するはずもないのだから。

 きっとカダフィーは安易な手段に訴えようとするだろう。


「だから大丈夫だって。フレイン坊やが心配するようなことにはならないよ」


「……そう願いたいものですね。――では、私は手続きをしてきます」



 含み笑いに見送られ、フレインは荷馬車から降りた。





 レギウス、ロマリア間に存在する国境の街サリエナ。両国のどちらにも属さず、そのどちらにも税を納めるこの街では、現在許容量を越えた難民の流入により人が溢れ返っていた。

 それらの者達は、ロマリア北部に住んでいた農民や商人といった一般人から、兵役についていた軍属の者達など多種多様であった。だが、みな一様に無慈悲な殺戮を行う恐ろしい魔族の軍勢から逃れて来た、という面に関しては同様だった。


 ロマリアにはレギウスでは禁止されている奴隷制度が存在している。重罪を犯した戦争奴隷や借金のかたに身を堕とした農奴といった者達だ。また、戦時下においては徴兵が行われるため、兵士達の士気は比較的低く、軍規が徹底されているとも言い(がた)い。

 なかには山賊紛いのならず者が多々混じっていたりもする。

 そういった訳で、アルフラ達が訪れた酒場には、かなり柄の悪い荒くれ達がひしめき合っていた。

 客のほとんどが兵隊であり、ほぼ全員が男だった。甲冑を着込んだ者こそいないが、大抵が帯剣している。

 そんな店内へ入って来た女四人は、おそろしく注目を集めてしまっていた。


「おう、ちょっと通してくれ」


 慣れた様子のシグナムが客達を掻き分けてカウンターへと向かう。長い傭兵経験を持つ彼女は、この場に混じってもなんら違和感がない。


 どさくさ紛れに体を触ろうと伸ばされる酔漢(すいかん)達の手を、シグナムは笑顔で払いのけながら歩く。


「あたしは飲み物と料理を注文してくる。アルフラちゃん達はてきとうに卓を見繕っててくれ――あ、フレイン。あんたはついて来てくれ。杯や皿を運ぶ手が足りない」


 大混雑のこの酒場に、給仕などといった気の利いたものは居ない。それどころかあまり広くはない店内を有効利用するため、椅子がすべて撤去されていた。

 客達は飲み物や料理の皿を卓に置き、立ったまま飲み食いしている。


 空いている卓を探すアルフラとルゥ、そしてジャンヌはきょろきょろと辺りを見回す。


「…………」


 三人とも小柄なのでつま先立ちになっても、体の大きな客達に埋もれてしまって周囲の様子が見渡せない。そしてめいめいが思い思いの方向へと歩き出す。

 戦いにおいてもそうなのだが、彼女達に協調性といったものはほぼ存在しない。基本的にみな自分勝手だ。


 ジャンヌは物おじすることなく卓を探してまわる。まとった神官服を物珍しげにじろじろと見つめてくる目も、まったく気にならないようだ。


 ルゥは酒や料理の匂いに混ざった汗くさい男達の体臭に顔をしかめていた。小鼻にシワを寄せながらも、湯気の立つ料理の前で捕まってしまい、足を止める。


「……なんだ、このガキ?」


 食事中の二人組が不審そうにルゥを見る。

 腹ぺこのルゥが指をくわえたたまま、よだれを垂らさんばかりの勢いで自分達の皿を凝視しているのだ。


「難民の子か?」


 尋ねられたルゥは無言だ。

 ほうっておけば、そのまま口に入れた自分の指を食べてしまうのではないか、と心配になってくるほど、ひもじそうな目をしている。


「……そんなに腹が減ってんなら分けてやるよ。ほら、食え」


 すこしうろたえた顔をした男が、自分の皿をルゥへと押しやる。

 なかなか気のよい人物のようだ。

 肉団子を手づかみで食べはじめたルゥを、微笑ましい表情で見ている。


 そして、アルフラはというと……


「痛ぇ! なにしやがる!!」


 赤ら顔の大男に因縁をつけられていた。


「なんだ? どうしたバジル?」


 大男の仲間が寄って来る。細身ではあるが、やはり長身の男だ。

 バジルと呼んだ男とアルフラを見比べて、薄笑いを浮かべている。

 アルフラは嫌な笑い方だ、と思いながらもバジルをきつい目で睨んだ。


「こいつがあたしのお尻さわろうとした」


「ああ!? てめぇがいきなり俺の手をはたきやがったんだろ!!」


 怒りで顔の赤みを増したバジルが怒鳴る。体に見合った大声だ。

 その大柄な体で威圧されれば、あらかたの者が(すく)み上がるだろう。――しかし、相手はアルフラだ。


「うそだよ! 絶対さわろうとした!! あやまりなさいよ!!」


 この時のアルフラは、バジル以上に激昂していたかもしれない。

 男に体を()れられるなど、考えただけで堪えられないほどの嫌悪感が込み上げて来る。


「おいおい、バジル。お前、こういうガキが好みなのか?」


 仲間の冷やかしに、バジルはさらに色めき立つ。


「冗談じゃねえ!! いくら酔ってても、こんなどっちが前か後ろかも分らない小娘になんざ欲情しねえよ!!」


 身体的劣等感を刺激され、アルフラの顔も赤く染まる。そして周囲には、やじ馬の人垣が出来ていた。

 この酒場では酔っ払い同士の喧嘩など日常茶飯事ではあるが、その片方が年端もゆかない可愛いらしい少女となれば話は別だ。

 周囲からは囃し立てるような声が飛ぶ。


「ははっ、元気のいい嬢ちゃんだな」


「おい、バジル。お前ナメられてるぞ」


「大人に対する礼儀ってやつを教えてやれよ」


 大きくなった騒ぎに、これはさすがにまずいと思ったアルフラはバジルから顔を(そむ)ける。


「もう、いい……」


 一言つぶやき、アルフラは身を(ひるがえ)す。怒りはいまだ収まらなかったが、シグナムへ迷惑をかけることを嫌ったのだ。――だが、その肩へバジルの手が伸ばされる。


「待て! このガキ――ッ!?」


 言葉の語尾は、苦痛の呻きに変わっていた。

 鋭敏に反応したアルフラが、手の甲でしたたかにバジルの腕を打ったのだ。

 事の発端となった事象が、正確に再現される形となっていた。


「あたしに、さわるな」


 溢れ出した怒気。

 憎悪と形容しても過言ではない感情の発露に、バジルは瞬間ひどく唖然とした顔をしていた。かすかに気圧されたような表情がうかがえる。


「な……てめぇ!」


 我に返ったバジルは、取り繕うように怒鳴る。

 自分の半分ほどの横幅しかない小娘相手に、わずかにではあるが怯えたような顔をしてしまったという自覚があったのだ。それがバジルの怒りをより増幅させる。


「ナメたまねしやがって……殺されたいのか!!」


 その一言で、アルフラの(いきどう)りが霧散する。

 スッと目が細まり、熱くなっていた思考が瞬時に凍てつく。

 怒りが……殺意へと変わる。


 あまりにも高圧で混じりけのない殺気を放ちだしたアルフラに、辺りはしんと静まり返る。やじ馬達も気を呑まれてしまっていた。


 しかし――


 不幸なことにバジルは気づけない。

 子供ですら分かるであろう、あからさまな死の気配に。

 そんなことも分からないほど、怒りに目が眩んでいた。



「表へ出やがれ! ぶっ殺してやるッ!!」





 アルフラとバジルを囲んだ人垣の後ろからシグナムの声が響く。


「おい! どけ!!」


 人の波に阻まれて様子は分からないが、アルフラが絡まれているらしいと気づいたのだ。

 フレインの、お願いです通して下さい、という声も聞こえる。

 店内はにわかに騒然としてきた。


 だがアルフラには、すでにその声も届かない。

 軽く自分の倍はありそうなむさ苦しい大男が、怒りもあらわに叫ぶ。


「表へ出やがれ! ぶっ殺してやるッ!!」


 男は酒場の入口へと顎をしゃくり歩き出した。


 さきほどから安易に殺すと口にする男へ、アルフラは冷笑を向ける。

 本当にそうしたいのならば、口ではなく手を動かすべきなのだ。

 ――ばかな男だ、とアルフラは嘲笑(あざわら)った。

 腰に吊した剣が飾りではないのなら、抜剣して一歩踏み出せば、たやすく“それ”が出来るというのに――



 だから代わりに“そう”してやった。



 鋼の擦れる鞘鳴りが響く。

 その音に、騒然としていた店内が一転、無音の空間となる。

 直後――――


「ぬ、抜きやがった!?」


「うわあぁぁ!!」


「このガキ、店内で剣を抜きやがったぞ!!」


 実際は抜いただけではなかった。――しかしやじ馬達は、誰もそれを知覚出来なかった。

 唯一、アルフラへ背を向けて入口へと歩き出していた男だけが、それに気づけたようだ。


「痛っ……?」


 うなじに感じた鋭い痛み。

 首筋を押さえた手の、ぬめる感触。

 べっとりと血にまみれた掌を、男は呆然と見つめる。


「あ……ああぁ!! このガキ! 斬りやがっ――」


 愚鈍な動作で振り返った男は、言葉の途中で眼球を反転させた。

 ぐるりと白目を剥き、体をさらにもう半回転させ、アルフラに背を向け倒れ込む。

 脳へ供給される血が、意識と命を保たせる必要量を大きく割ってしまったのだ。

 男の襟首から凄まじい勢いで噴き出した体液が、赤い飛沫となって周囲に飛び散った。



 まさに鎧袖一触(がいしゅういっしょく)



 抜き打ちされた一振りで、男の命は断ち斬られてしまっていた。

 アルフラは上体を沈め、しぶいた血を余裕を持って避ける。

 力のない血は、アルフラにとって汚物同然だ。身を浸すに値しない。


 周囲は阿鼻叫喚の様相をていしていた。

 あまりにも唐突に起こった凶行に凄まじい悲鳴が上がる。前列にいた者達は返り血をどっぷりと浴びてしまっていた。

 人の集まる場で剣を抜くのはもちろん御法度である。

 とくに室内での刃傷沙汰は、無関係に巻き込まれて命を落とす者も多い。わずかにでも分別(ふんべつ)のある者なら、決してやらない。

 狭い屋内で長物を振り回せばどうなるかは自明の理である。

 やじ馬達もとばっちりを食っては堪らないと、どっと入口へ雪崩をうつ。


「このガキ……なんてことしやがる!?」


 長身の男が倒れた仲間を呆然と見つめていた。

 アルフラは嘲笑(ちょうしょう)の顔のまま、目で問いかける。


 どうするの? あなたもやるの? と。


「アルフラちゃん!! こりゃ一体……?」


 客達のあらかたが避難したため、だれにも邪魔されることのなくなったシグナムが駆け寄ってくる。


「あっ、シグナムさん」


 男に向けていた険呑な笑みではなく、アルフラは少しばつの悪そうな笑顔をする。まるで悪戯っ子のような年相応の表情である――――が、背景がとてつもなく不穏だ。

 アルフラの背後では、倒れた男の首から間欠泉のように血が噴き上がっている。その命の鼓動に合わせ、勢いは急速に弱まっていた。


「どういうことだ! なんで殺した!?」


 その剣幕さに、アルフラはおずおずと答える。


「え……あ、あの……だってこいつ、あたしを殺してやるって言ったんだよ。こいつが――」


「ばか!! そんなのは喧嘩にゃ付き物の売り言葉だ!」


「だ、だって……」


 感覚の鋭いアルフラは感じたのだ。男の中に生じたかすかな殺気を。実際に殺すまでのつもりはなかったにしろ、それは確かだ。

 なぜ自分が責められるのか、とても理不尽に感じる。

 アルフラにしてみれば、床に転がる男は“殺す”と明確な意思表示をした。ならば逆に殺されても文句は言えないはずだ。しかも男は殺意を見せた直後、その相手に背中を向けたのである。死んで当然の迂闊(うかつ)さだ。

 なのに、シグナムは自分を責める。


「あたし……悪くない……」


「あのなあ……酔っ払いの喧嘩でいちいち人を殺してちゃ、世の中の男が半分くらいになっちまう。アルフラちゃんならここまでしなくても、相手を動けなくするくらい簡単に出来るだろ!?」


「……たぶん、できるけど……」


 とはいえアルフラには殺さない方がよほど難しい。

 盛大に顔をしかめたシグナムが、大きなため息を落とす。


「アルフラちゃんを甘く見てたよ……まさかここまで思いっ切りがいいなんて……常識ってもんが足りてない……」


 アルフラはこれまで喧嘩らしい喧嘩などしたことがない。幼いころ住んでいた村では年の近い子供はいなかったし、雪原の古城でもしかりだ。

 友達が出来たのはごくごく最近である。

 敵意を見せて対峙すれば、後は命のやり取りというのがアルフラにとっての常識だった。


「とりあえず逃げよう。話は後だ。すぐに衛兵が飛んでくる」


「あ、うん……」


 シグナムはまだ細剣を握っているアルフラの手を引き、酒場から連れ出した。

 後ろで呆然としていたフレインもそれに(なら)う。

 すぐに酒場から出てきたルゥは、人の居なくなった店内で腹を満たしてきたらしく、指をぺろぺろとやっていた。


「いったん宿へ戻ろう…………ん?」


 シグナムは続いて出て来たジャンヌへ目を止める。その手には大振りな酒壷が抱えられていた。


「でかしたジャンヌ」


 ひょいっとジャンヌから酒壷を取り上げる。


「あっ、それはわたしの――」


「神官が火事場泥棒みたいなまねしちゃまずいだろ。あたしが始末しといてやるよ」


「失礼なっ。ちゃんとお代は置いて来ましたわ。むしろ店主が厨房に引っ込んで出て来なかったので、お釣りを貰いそびれてしまいました」


「お前……意外と節度ってもんがあるんだな。……うれしいよ、あたしは」


 アルフラは少しすまなそうな顔をする。

 ただしそれは自分の非を認めたからでなく、これ以上シグナムの機嫌を損ねないためのものだった。


「今日は出歩かない方がいいな。というか、もうこの町には長居できそうにない」


「そうですね……この時間だと門は閉まっていますので、明日の早朝にでもサリエナを発った方がよいでしょう」



 その夜は宿に篭ってジャンヌの仕入れた火酒で飲んだくれよう、ということで話がまとまった。

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