狼の末裔
コボルト達は非常に統制がとれていた。速やかに標的を囲み込むその動きは、群れで狩りを行う犬科の動物を彷彿とさせる。
ぞくぞくと群がってくるコボルトを迎撃するアルフラ達の周囲には、すでに二十ほどの屍が転がっていた。
半分ほどはフレインの魔法によるものだった。残りは剣で頭蓋を断ち割られた者、胸をひと突きにされた者、拳で顎を砕かれた者、いずれもがほぼ一撃である。
ぐるりと包囲されながらも戦闘が不得手なフレインを守るように、アルフラとシグナム、そしてジャンヌが背中合わせに陣を組んでいた。
個々の戦力はコボルト達を圧倒しているものの、遮蔽物のない平地での戦いなので四方を完全に取り囲まれてしまい、苦戦を強いられる状況となっていた。
「チッ、こんなことなら騎士どもに加勢しときゃよかったな。あいつらみたいに崖を背にして戦ったほうがいくらかましだ!」
シグナムが打ちかかって来るコボルトを剣で斬り払う。
「くそっ、数が多い! 金にもならないし、ただ働きもいいところだ!!」
十重二十重に周囲を固めるコボルト達は、数人倒したところで一向に減った気がしない。
狗頭の襲撃者は人間の戦士よりやや小柄だが、獰猛で動きも俊敏だ。
突き出た口許から絶え間なく威嚇の唸り声を上げ、獲物の隙をうかがっている。
「ねぇ、シグナムさん! ルゥが居れば戦わなくてもいいんじゃない?」
ただ働きといった意味ではアルフラも同じだ。コボルトの血になど興味はないのだから。
「ルゥ……? あっ、あれか!」
「うん! きゃおーんてやつ」
「あー、やっぱりルゥも連れてくりゃよかったな……」
「耳がいいから大声で呼べば聞こえるんじゃないかな?」
「でも、あいつ昼寝してたからなぁ。声が届いても寝直しちまいそうだ」
でしたら、とジャンヌが提案する。
「食べ物で釣ればよろしいのではないでしょうか。きっとすぐに飛んでまいりますわ」
「それだっ」
剣で突きかかってきたコボルトを、シグナムは袈裟掛けに斬り倒す。頬に跳ねた返り血をぐいと拭い、大声で叫んだ。
「おーーい! ルゥーー!! 聞こえるかーー!? 今あたし達は食事中だ! 血のしたたる威勢のいい肉がわんさといるぞーー!! 早く来ないとみんな平らげちまうから――――なぁ!?」
叫んでいる最中に斬りかかられ、剣を握った腕に浅い傷を負ってしまう。
「いてて……ちくしょう!!」
二ノ太刀を放とうとしたコボルトをシグナムが蹴り飛ばす。
「任せて下さい。すぐに回復をっ」
すかさずジャンヌがシグナムに駆けよる。その右手には、自称ダレス神の加護がどんよりとした光を放っていた。
「いやっ、頼むからやめてくれ!!」
シグナムは血相を変えてジャンヌの魔の手から飛びのく。コボルトの攻撃をかわす時より素早い動きだ。
「うぅ……」
物騒な癒しの光のやり場に困ったジャンヌは、シグナムに傷を負わせたコボルトをきっ睨む。八つ当たりである。
そこはかとなく不穏な脅威を感じたコボルトが、ジャンヌへ向かい剣を薙ぐ。繰り出された一撃は鋭く重い。
深く踏み込んだジャンヌは流れるような動作で腰を沈める。そして身体を開きながら、コボルトの剣が振り抜かれる前に、その腕を横へ払った。
つんのめるようにたたらを踏んだ体へ、まがまがしい光を帯びた拳が叩き込まれる。
辺りを囲まれているため、ジャンヌは拳を振り抜くことなくすぐに構えを取る。軽い牽制程度の打撃だ。
レギウス神拳の理念である一撃必倒には反するが、多勢に無勢なので大きな隙は見せられない。
ジャンヌは状況に合わせ、牽制を交えながら手数で攻める……予定だった。
「――――ゴッ、エエェェ!!」
なぜか軽く腹を打っただけのコボルトが、凄まじい絶叫を上げていた。
胸を掻きむしり地面を転げ回る。
「え? えぇぇ!?」
「オッゴォォォォ――――!!!!」
その、身の毛もよだつ苦悶の叫びとあまりの苦しみように、コボルト達が竿立ちとなる。
しかし一番驚いていたのはジャンヌ当人だ。
「な、な、なぜですか!? いくらなんでもそれはあんまりです!!」
「ほら、やっぱり」
さも当然といった口調で、アルフラはジャンヌから少し身を引く。
「なんか……殺傷力が増してないか?」
シグナムもまったく驚いてなかった。
「腕を上げましたね、ジャンヌさん」
フレインは素直に感心していた。
やがて、苦悶に咽ぶコボルトはひくひくと二三度痙攣し、その動きを止めた。
眼球はこぼれ落ちそうなほど眼窩から飛び出し、掻きむしられた胸は血まみれだった。よほど強く掻いたのだろう、ところどころに剥がれた爪が突き刺さっている。
目も覆わんばかりの死に様だ。
口腔からは垂れ下がった長い舌とともに、鮮やかな緑色の液体がだらだらと滴り落ちていた。
「な、なんなんですの……」
口から垂れ流される正体不明の液体は、どう見ても哺乳の体液といった色合いではない。
非業の死を遂げた仲間から、コボルト達が後ずさる。
空気感染する疫病か毒の類いだと思ったとしても無理はないだろう。
「ダレス神よ……わたしの治癒魔法は本当にどうなっているのでしょうか……」
「お前……まだそれを治癒って言い張るつもりかよ」
シグナムが呆れたようにぼそりとつぶやいた。
「さすがに無理があるだろ」
アルフラ達を――主にジャンヌを警戒して、コボルト達の包囲は大きく半径を広げていた。その人垣の後方から、なにやらざわざわとした気配が届いてくる。
しだいにざわめきは広がり、戦いの緊張感とは違った張り詰めた空気が周囲に流れる。
「…………? なんでしょうか。コボルト達の様子がおかしいですわ」
ジャンヌの言葉へ被さるように、お姉ちゃ~~ん、というルゥの声が聞こえてきた。
狼狽したようなざわめきが増す。
「イヌガミさま……」
「イヌガミさまのにおい……」
「まちがいない……イヌガミさまだ」
ざざっと人波が割れ、アルフラ達とルゥの間に道が出来た。
そんなコボルト達の様子を不思議そうにしながらも、狼少女がてててっと駆け寄ってくる。
「お肉! お肉どこ!?」
妙な反応を見せるコボルト達を警戒しつつシグナムは苦笑する。
「むちゃくちゃ早かったな、ルゥ」
走って来るルゥの近くにいるコボルト達は、狼少女と目を合わせないようにして大きく道をあけていた。
口々に、イヌガミさま、イヌガミさま、という囁きがそこかしこから聞こえてくる。
「なんだこれ? イヌガミさまってどういう意味だ」
そういえば、とフレインが手を打つ。
「コボルト族は自分達を狼の子孫だと信じ、野生の狼を神獣として崇めていると聞いたことがあります」
「そう……なのか?」
「イヌガミさま――おそらく犬神様という意味なのでしょう。彼らも獣人族と同じく、祖霊信仰を行っているようですね」
コボルト達の様子をうかがうシグナムへ、ねぇお肉は!? とルゥが詰め寄る。
「いや……この状況見てみろよ……」
周囲はぐるりと取り囲まれ、足元には無数のコボルトが転がっている。
「もしかして……ボクがいないうちに、お肉ぜんぶ食べちゃったの!?」
「まずお肉から離れてくれ」
お肉お肉とごねるルゥに辟易としてしまう。
そんなシグナム達の前へ、一人のコボルトが進み出た。
片言の共通語で、ルゥにうやうやしく話しかける。
「あの、イヌガミさま。おれたち、これ、みつぎもの」
縄でぐるぐる巻きにされたエルテフォンヌ伯爵令嬢が引っ立てられてきた。
さらにその後ろから、武装解除された二人の騎士が荒縄で拘束され引きずられてくる。
「やめろ! 姫様に何をするつもりだ」
「姫さま……?」
ルゥがまじまじとエルテフォンヌ伯爵令嬢を見つめる。
「だれ、この人達?」
「エルテなんとか伯爵って奴のお姫様だそうだ」
「エルテフォンヌ伯爵ですわ!! お前達、早くこの獣どもから私を助けなさい!!」
金切り声を上げる姫様を、コボルトが押さえつけてひざまずかせる。
「ねぇ、お姉ちゃん。なんであの人、こんなに偉そうなの?」
「さぁ? お姫様だからじゃないか」
ルゥはぷくりと小鼻を膨らませる。
「じゃあボクも偉い? お姫さまだから偉いの?」
「……は?」
怪訝な表情のシグナムの横で、アルフラも何を言ってるんだ、といった顔をする。
「だってボク、白狼族のみんなからは、姫さまって呼ばれてたもんね」
「あ……そうか。族長の娘だから、姫っちゃ姫なの、か?」
「うん!」
「えー」
胸を張るルゥを、アルフラはなんともいえない目で見つめる。
おお、と周りではどよめきが起こっていた。
「びゃくろうぞく……」
「じんろうのヒメさま……」
コボルト達はふさふさとした尻尾を股の間に丸め、前屈みになる。
向けられる畏怖の視線が心地好いルゥは、えっへんとふんぞりかえっていた。
一番ルゥの近くにいたコボルトが、柔らかそうな腹を見せ、地面にごろりと体を投げ出す。
犬科、猫科の動物に共通する、服従をあらわす姿勢だ。
他のコボルト達もそれに習い、次々と腹を向けて寝転がった。
「――っ!?」
押さえつける者のなくなったエルテフォンヌ伯爵令嬢が、意外な素早さで立ち上がった。
「早くっ! 早くこの縄をときなさい!!」
駆けて来た伯爵令嬢の足をアルフラが引っかける。
「むべっ!?」
「あ……ごめん」
奇声を発して顔から転がった姫を見て、アルフラがすまなげな表情で謝った。
転ばせてやろうと思ったわけではない。無意識のうちに、自然と足が出てしまったのだ。
「貴様ッ! 姫様になんということを!!」
やはりこちらへ駆けて来た騎士の一人がアルフラへ詰め寄る。
「もべっ!?」
シグナムが騎士の足を払っていた。
「少し寝てろ」
頭を蹴り飛ばして昏倒させる。
以前、女だという理由で正規兵になれなかったシグナムには、騎士というものに若干思うところがあるようだ。かなり当たりがきつい。
初対面の相手にはとことん強気に出るルゥが、伯爵令嬢の腹をぐりぐりと踏み付ける。
「くっ、無礼者!! お前達、必ず不敬罪で――」
「あんまり偉そうにしちゃだめだぞ。ボクだって姫なんだからねっ」
よっこらしょ、とルゥは伯爵令嬢を担ぎ上げた。
そのままコボルト達のそばまで運んで、ぽいっと捨てる。
「これ、いらないから。持って帰っていいよ」
しかし寄ってきたコボルトの一人が、ルゥに伯爵令嬢をぐいぐい押し付ける。
「イヌガミさま、おなかへってる。おにく。おそなえもの」
「……え? お肉……?」
まじっ、としたルゥの視線に晒され、
「ひぃぃ!?」
伯爵令嬢の喉から引き攣った悲鳴が漏れた。
「姫って食べれるの?」
これにはフレインが慌てた。
「だ、だめです、ルゥさん!!」
食欲旺盛なルゥが人の味を覚えてしまえばとんでもないことになる。そんな焦りがフレインにはあった。
「姫は食用ではありません!! 次の町でご馳走しますので、ここは我慢して下さい」
「う、うん……やっぱりこれ、いらない」
ルゥは伯爵令嬢を押し返す。
「私はエルテフォンヌ伯爵の娘なのよ!! このような扱いをして――」
伯爵令嬢は、あまり品のあるとは言えない怒声を上げる。
その様子を冷めた目で見ていたアルフラがふと気づいた。
「……あれ?」
交互に伯爵令嬢とジャンヌを見比べて首を捻る。
「あれれ?」
「なんですの、その目は?」
「あの人、伯爵の娘だから姫なんだよね?」
「それがなにか?」
「でもそれじゃあ、ジャンヌもお姫様なの?」
そこでジャンヌもはっと気づく。
「そうですわ。格式で言えばエルテなんとかいう伯爵より、侯爵家の娘であるわたしの方がより姫なはずです!」
「えー」
ルゥは不満そうだ。
アルフラも視線をジャンヌからルゥ、伯爵令嬢へと移し、とても嫌そうな顔をする。
お姫様という人種に偏見を持ってしまいそうだ。
「わ、わたくしはエルテフォ――」
「とりあえずうるさいから、早く持って帰って」
ルゥは伯爵令嬢を返却し、仰向けになっているコボルトの腹をさわさわと撫でてやった。
それを見ていたシグナムが少し羨ましそうにする。
「そういや子供のころ、ずっと大きい犬を飼いたかったんだよな……」
ルゥを真似て手を伸ばしてみる。
ぐるる、と威嚇されてしまった。
「な、なんだよ……ルゥはよくて、あたしは駄目なのか?」
不満げな声を上げたシグナムを横目に、ルゥがコボルトの頭をがしがしとかいぐる。
「ボクのお姉ちゃんなんだから撫でさせてやりなよ」
「おねえちゃん……」
「イヌガミさまのおねえちゃん……」
「アネガミさま……?」
唸り声を発していたコボルトがおとなしくなった。
「おっ?」
シグナムがふたたび手を伸ばすと、今度は素直に撫でさせてくれた。
鼻面を寄せてくるコボルトに、シグナムはとても上機嫌だ。
「ははっ、こうやって見てみると……こいつら結構かわいいな!」
「……え?」
「……かわいい?」
フレインとアルフラが信じられないといった反応をする。
鋭い牙をのぞかせて舌を垂らしたコボルト達は、
「ハァハァしてるし舌出てるし……」
アルフラには狂犬のようにしか見えなかった。
同じようなことを考えていたフレインだったが、狂犬度ではアルフラの方が上だ、などと思ったのは秘密だ。
「コボルト族は犬科の動物と同じで汗をかきません。ですからこうやって舌を出して体温調整しているのですよ」
「ふぅん……あなた、ほんとに物知りね」
学習能力の高いフレインは、二の舞を踏むことなく今回はきっちり謙遜する。
「いえ、それほどでもありません。まだまだ若輩の身です」
よし、とシグナムが立ち上がる。ひとしきりコボルトを撫で回して満足したようだ。
「そろそろ馬車に戻ろう。これならもう、危険もないだろうしな」
「ええ、今日中には次の町につきたいですしね」
フレインの言葉でルゥはさきほどの約束を思い出す。導衣をつかんでくいくいと引っぱる。たかる気満々である。
「早くっ! 早くゆこっ!! ボクのお腹ぺっこぺこだよ!」
「お、お待ちなさい!!」
切羽詰まった伯爵令嬢の叫びに、シグナムは少し考える。
危険をおかしてまで助けるつもりはないが、今なら言葉ひとつでそれも可能だ。
「ルゥ、あたし達がここを通り過ぎたあと、その姫さんを解放してやるようコボルトに頼んでくれ」
「うん」
あとで逃がしてあげてねっ、とコボルトの頭をわしゃわしゃとやる。
「今です! 今すぐこの縄を解くのです!! そしてレギウス領内までわたくしを護衛しなさい!!」
なおもきんきんとした声を上げる伯爵令嬢に、アルフラが面倒臭さそうな顔をしていた。
早くこの場を立ち去り、魔族の待つロマリアへ行きたいのだ。長々とわがまま貴族に付き合ってる暇などない。
「…………」
アルフラの手が細剣の柄にかかる。
手っ取り早い手段を思い付いたのだ。
「いや! さすがにそりゃ駄目だ!!」
膨れ上がった殺気にシグナムが慌てる。
「ほうっておけばいい。あたし達は先を急ごう」
アルフラの肩を抱き、足早にその場を後にする。
伯爵令嬢は真夏に感じたかじかむような寒気に、言葉を失っていた。
「イヌガミさま……」
「アネガミさま……」
コボルト達だけが、名残惜しそうに去りゆく一行の背を見送った。