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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
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小娘’on the run



 真夏の強い陽射しの下、広い川幅を持つ緩やかな流れの中に身を浸す人影が四つ。


 ジャンヌ、アルフラ、ルゥと身長順で横一列に立ち並んだ小娘達が、川の清流で身を浄めるシグナムを凝視していた。

 全裸で仁王立ちする三人は、なぜか一様に薄い胸の上で腕組みをし、とても偉そうである。


 ジャンヌの視線はシグナムの六つに割れた腹筋へ。

 アルフラの視線は動くたびブルンと揺れる乳房へ。

 ルゥの視線は黒く繁った下腹部にくぎ付けだ。


「いや、あのさぁ……」


 汗と土埃を洗い流していたシグナムが、居心地悪そうに身じろぎする。


「見るのは構わないんだけど……そこまで食い入るように見つめられると……さすがにね……」


「お気遣いなく。どうぞ水浴びを続けて下さいませ」


 ジャンヌの言葉に、口の中で気なんか遣ってねぇよ、とつぶやきつつ、シグナムはぱしゃぱしゃと体に水をかける。


 無遠慮な視線を投げるアルフラの横で、ルゥがくすりと鼻で笑う。その目はアルフラとシグナムの股間を交互に往復していた。


「な、なによ。いやな笑いかたして」


 ルゥの面白がるような瞳を気にし、アルフラは膝まである川の流れに肩までつかる。


「ふふふん。やっぱりアルフラはまだ子供だよねー」


「うるさいわね! ルゥだって――」


 狼少女はしゃがみ込んだアルフラの正面に立ち、その眼前へ、くっと腰を突き出した。得意満面な顔つきである。


「さいきん生えてきたの。ボクはもぅ大人だもんね」


 ルゥの下腹部には、すこし長めのうぶ毛といった感じではあるが、確かにほっそりとした白い毛が、さわさわと風に揺れていた。


「ふんっ、十本もないじゃない。そんなの生えてるうちに入らないわ」


「アルフラなんて全然ないじゃない」


 こちんと来たアルフラの顔が険しくなる。

 何を思ったのか――伸ばされた手が、ルゥの大人のあかしをワシ掴みにした。


「ア、アルフラ!? なにするのさ、離してよ!!」


「ルゥのくせに生意気よ」


 ふっ、と歪んだ笑みを浮かべ――アルフラは“それ”を無造作にむしり取る。


 ぷちぷちと毛根から小気味良い音が響き――


「きゃぃぃん!」


「あら、ごめんなさいね。ぜんぶ抜けちゃったわ」


 すました顔でうそぶくアルフラ。ルゥはあるかなしかの胸をふるふるとさせ、涙目でその手に掴みかかる。


「なんてことしてくれるのさっ! 返してよ!!」


 ふふ、と笑ったアルフラが手を広げ、掌の“それ”をフーッと一息に吹き払う。


「ああん! ボクのおけけがぁーー!!」


 そよそよと風に流されるおけけへルゥが横っ飛び! そしてバシャリと腹から落ちる。


「うぇぇ……ボクのおけけぇ……」


 ルゥはぷるぷると顔を振り、濡れてしまった髪から水を切る。そしてきょろきょろと辺りを見回した。

 どうやら大人のあかしを回収することは出来なかったようだ。


「うぅ……ぐすっ……いいもんっ。ボクは白狼の戦士なんだからね! 夜になって月が昇れば、また十本くらいすぐ生えてくるんだから」


「そう、じゃああたしは毎日十五本むしってやるわ」


 ぱちゃぱちゃと水の掛け合いを始めたアルフラとルゥから、ジャンヌが軽く身を引く。


「まったく、二人とも子供ですわね」


 やれやれ、といった感じにジャンヌは肩をすくめる。その下腹部には、まごうことなきダレスの助司祭たる貫禄があった。髪と同じ色合いの茂みが、陽光を跳ね返して金色に輝いている。


「……しかし、本当に見事ですわ……」


 シグナムの動きを目で追いながら、ジャンヌはしなやかに躍動する筋肉にうっとりと吐息をつく。

 心なし頬を色づかせた神官娘に、ルゥがちゃぱちゃぱと水を掻いて近づいてきていた。


「……なんですの? というか、やっぱり泳ぐときは犬掻きですのね」


 敏感に身の危険を感じとったジャンヌが後ずさる。その背後で、水音をたてて何者かが立ち上がった。


「はっ! いつの間に!?」


 後ろからがっしりとジャンヌを羽交い締めにしたアルフラが、芝居がかった口調で一言。


「ルゥ、やっておしまい!」


 収穫期の小麦畑を思わせるキラキラとした黄金の実りを、狼少女の手ががっしりと掴む。


「な、なにを……おやめなさいっ!!」



 にっこりとしたルゥは、一気にそれを――





「いだぁぁ――――――――っ!!!!」


 馬車の外から凄まじい悲鳴が聞こえた。

 (ひつぎ)の上に腰かけていたフレインは思わず立ち上がる。


「いまのは……」


 ジャンヌの声のようだ。しかも、かなりの苦痛をともなった切迫した響きが感じられた。

 思わず馬車から出ようと扉へ手をかけたフレインは、危うくその姿勢で踏み止まる。


 彼はアルフラ達が水浴びをしている間、馬車の中で留守番を申し付けられていた。

 のぞこうなんて考えたらひどいわよ、と言っていたアルフラの目は、真夏に凍死出来そうなほど冷たかった。その時のことを思い出し、ぶるりと身震いする。

 以前にアルフラが体を拭いている所を目撃してしまった時には、短刀の的にされかけた。

 いかな理由があろうとも、この扉を開けてしまえば大幅に寿命を縮めることになりそうだ。


 ――だが、先程の悲鳴はただ事ではなかった。もしかするとアルフラが何かの危険に巻き込まれたのかもしれない。しかし――


 葛藤するフレインの耳に、きゃいのきゃいのと罵り合う三人の声が聞こえて来た。


「………………」


 ほっ、と一息つく。

 どうやらただの喧嘩のようだった。声の調子からするに、かなり険悪な状況ではあるようだ。が、シグナムもついているのだし、心配はないだろう。なにより命には代えられない。


 フレインはふたたび棺に腰を下ろす。

 中ではカダフィーが安眠している。


 いろいろな意味でカダフィーを警戒しているシグナムから、頼まれていたのだ。



 水浴びの最中、好色吸血鬼が起き出して来ないよう見張っていてくれと。





 夕刻となり、アルフラ達は国境にもほど近い宿場町に到着した。その日の寝床を求め、安宿の一つをとる。


 王都を発ち、大河を船で下って大きく日程を短縮した一行は、わずか六日でレギウス教国の南端に到達していた。


 その町からはレギウスとロマリア、どちらの国にも属さない中立地帯の目印でもある大きな橋が視認できる。


 夜の(とばり)が降りてくる夕闇の中、ジャンヌは河のほとりで一人涼んでいた。しばしの間、神官娘はまぶたを閉ざし、せせらぎに耳を傾ける。そして懐から取り出した金属板を、じっとのぞき込む。

 王都を出立(しゅったつ)するさいに、カミルから手渡されたものだ。

 可愛らしい少年魔術士は、照れたようにうつむきながら、僕が始めて作った抗魔の護符です、と言っていた。


 くすりとジャンヌは微笑む。


 それを見ていたルゥが大層うらやましがり、ボクのぶんはーー!? と、かなりごねていたことが思い出されたのだ。


――カミルはずいぶんとルゥに謝っていましたわね


 急な話だったので、ジャンヌに渡した護符しか持ち合わせがないと聞いて、ルゥは余計にヘソを曲げていた。

 結局は、王都の出掛けにシグナムからお菓子を買ってもらい、ころっと機嫌を直したのだが。


 やわらかな素の表情を浮かべ、ジャンヌは護符を指先でなぞる。その表面にはダレス神の鋭角的な紋章が彫り込まれていた。


――なかなか気の()く子ですわ


 おそらくカミルは、ロマリアへの遠征を聞かされる前から用意していたのだろう。

 率直ではあるが、どこか不器用な好意を向けられ、ジャンヌは少なからず戸惑っていた。

 もちろんそれを迷惑だと思っているわけではない。カミルは見た目も人柄も、おおよそ人から嫌われる素養のない少年だった。


 ただ、面と向かい頬を赤らめたりされると、妙に意識してしまって気持ちが浮つくのだ。そうなると逆に怒ったような態度をとってみたり、変に素っ気なくしてしまう。


 幼い頃から武神の信徒として修業に明け暮れていたジャンヌには、男女の色恋といったもに対する知識も免疫も欠乏気味だ。

 それはカミルとしても同様だった。半ば俗世との交わりを断ち、魔術の探究に(いそ)しむ見習い魔術士。彼らは白亜の住人とも呼ばれる、隔絶した人生を歩む学問の徒でもあるのだから。


 奥手なことに関してはどっこいどっこいである。


 和やかに黄昏れていたジャンヌの背後から、ひとつの気配が近づいてくる。


「あーっ、ジャンヌったらまたお守り見てにまにましてるー!」


「に、にまにまなんて、していませんわっ」


 少しすねたような、からかうような口ぶりのルゥが、神官娘の背にのしかかる。


「そろそろご飯出来るから、ジャンヌ呼んでこいって言われたの。はやくしないとボクがぜんぶ食べちゃうよ」


「しょうがありませんわねぇ、ルゥは」


「ボクもぅお腹ぺこぺこ~。はやくゆこっはやくゆこっ」


 ふっ、とため息をはき、ジャンヌはルゥを背負ったまま立ちあがる。


「お肉が出たら、少し分けて差し上げますわ」


「うわい!」


 盛んに空腹を訴えかけていた狼少女は大喜びだ。


 ジャンヌは歩きながら、抗魔の護符を大切そうに神官服の中へしまい込む

 まだ、好意とも言えぬカミルへの興味が、ほのかな想いとしてそこにはあった。



 当年取って十七歳。

 ジャンヌはお年頃なのだ。





 その日の深夜。

 昼間の暑さから水分を摂取しすぎたジャンヌは、尿意を覚えて目を()ましてしまった。


 いそいそと(かわや)へ入ってしゃがみ込んだ神官娘は、月明かりに照らされた己の恥丘を見て愕然とする。



 つんつるてんだった。



「はわわ……」


 あまりにも壊滅的な被害だ。実り豊かだった柔らかな茂みは、見るも無惨な荒涼とした景色に変わり果てていた。


 寝ぼけていた頭に冷たいものが広がる。

 昨日までは確かにそこに在ったものが、今ではかくも儚く散り急いでしまったのだ。


 ジャンヌは世の無情さを思い、豊作と多産を司る地母神ダーナに祈った。



 そしてちょっぴり泣いてしまった。





 ――同日同刻。

 明かりの落とされた白蓮の寝室では、それまで繰り広げられていた宴も終わり、気怠い静寂だけが漂っていた。

 しかし、その静けさは不意に破られる。

 薄闇の中、寝室の扉がけたたましく叩かれた。


「起きているわ」


 一言発した白蓮は、寝台にぐったりと横たわる黒エルフの王女を押しのけ、扉へと歩み寄る。


 室外には高城の気配。

 本来であればその不作法さを叱責するところだが――


「なにがあったの?」


 扉を開いた白蓮は、無表情ではあるが真摯な瞳で問いかけた。

 儀礼に関しては完璧とも言える作法を身につけている高城が、このような振る舞いに及ぶのだ。すぐにただ事ではない知らせを持って来たのだと察せられていた。


「夜分に申し訳ありません」


 深々と頭を下げる高城へ、軽く首を振り話をうながす。


「構わないわ。――それで?」


「はっ。レギウスに残して来た間者からの急報です」


 上げられた高城の顔は落ち着いている。だが、普段より幾分か口早に話すその口調に、彼の内心が如実に浮き出ていた。


「レギウスの魔術士ギルドが、ロマリア王国へ援軍を向かわせました。その部隊に、どうやらお嬢様が同行なされているらしいです」


「なんですって? あの魔導士……私が逢いに行くまで、アルフラにはくれぐれも王都でおとなしくしているよう伝えろと命じたのに……」


「報告によりますと、お嬢様がロマリアへ向かったのが六日前の早朝。河を下る行程を取れば、一両日中にも国境付近に到着するはずだとか」


「そう……でもロマリアへ送られているのは、確か二人の下級貴族ではなかったかしら? 凱延を倒したアルフラの敵では――」


「問題はそこではありません」


 口上をさえぎられたことにやや不快さを見せながらも、白蓮は目顔で尋ねる。

 お前は何をそれほど慌てているのか、と。


「現在ロマリア北部には、男爵位の魔族が陣を張っております。おそらくお嬢様は、まずその貴族と対峙することになるでしょう」


「男爵位の魔族など……」


 話しにもならない、といった風に白蓮は冷たく笑う。


「ですが、ロマリア北部から東へ向かえば、平野部を越えてすぐにグラシェールがございます」


 はっと息を呑む。


「はい。現在グラシェールへは数万の軍勢と多くの貴族。そして東方魔族のすべての王。それだけではなく――」


「戦禍が向かっている……」


「もしそのことをお嬢様が知ったなら、非常にまずい事態が引き起こされるかと」


 その言葉の効果は劇的だった。


 蒼い瞳が大きく見開かれ、動かぬ表皮の下で表情筋が硬く強張る。

 凄まじい力で高城を押し退けた白蓮は、足早に歩きだす。


「お待ち下さい! どちらへ行かれるのですか!?」


「ロマリアよ」


 白蓮の後を追いつつ、更に問いかける。


「奥様はあの方から、呼び出しがかかっているのではないのですか?」


「お前に任せるわ」


「それはさすがに……今回ばかりはまずいでしょう」


 自室を出た白蓮は、無言でつかつかと歩を進める。


「私は先日、松嶋殿から奥様の動静を今まで以上に気を遣うようにと言伝(ことづて)られているのです」


 白蓮は、言外に含められた真意を指摘する。


「ものは言いようね。要するに、私が勝手をしないよう見張っていろと言われたのでしょ」


「……有り体に言えば、そういうことかと……」


「好きになさい。ただし、邪魔は許さないわ」


「そのような積もりはごさいません。……ですが、私は本来、奥様をお止めしなければならない立場なのです」


 そうは言いながらも、老執事は白蓮の後ろに付き従い、その行動を(さまた)げようとはしなかった。

 それは本来の主より、仮の主である白蓮の意向を尊重するという、明確な意思表示ともいえる。それは白蓮へ対する敬意のあらわれのみならず、アルフラの行く末を案じての行動でもあった。

 一刻も早く、戦禍を殺して白蓮を迎えに行くと言っていた少女を、危険から遠ざけなければならない。

 おそらく、今それが出来るのは、白蓮だけなのだから。


「高城。あの方へ伝言を」


「……はい」


「私はロマリアから戻り次第、その足でご機嫌伺いにまいりますと、そう伝えてちょうだい。今回ばかりは大目に見てくれと」


「かしこましました」


 城門を出た両者は、道を(たが)える。


 情にほだされ、職務を(おこた)った老執事は北へ駆ける。


 情に溺れ、主ともいえる人物の言い付けを反古(ほご)とした麗人は西へと急いだ。





 回り始めようとしていた。

 しかし、ゆっくりと動き出した歯車は、正確に噛み合うことなく、やがて不協和音を奏でだす。



 ――訪れる。

 さらなる変転をもたらす逢瀬が。



 身を焦がす恋慕に(さいな)まれ、己の情愛に翻弄される少女。その未来を強く決定付けることとなる、再会の日は近い。

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