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氷の滅慕  作者: SH
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102/251

いつかのルゥ



 南方大陸と呼ばれる広大な大地を、ルゥはあてどもなく彷徨(さまよ)っていた。


 方々を旅し、世界の津々浦々を冒険することがルゥのライフワークだ。まだ見ぬ驚くべき大自然や、びっくり仰天の美味しい食べ物。いつかはそういったものすべてを味わい尽くしたい。ルゥは本気でそう考えていた。


 だが今現在、ちょっぴり困ったことになっている。旅には付き物であるトラブルの発生中だ。


 次の街まで山越えのルートを取ったのだが……それが裏目となった。


 ルゥは雨の降りしきる山道で、迷子になってしまっていた。しかも、食料は尽きている。

 行程に必要な量は用意していたのだ。約十日分の糧食を。

 だが、出発二日目にはそれら全てを完食し終えていた。

 よくあることなのだ。――ルゥにとっては。


 くうぅ~と鳴ったお腹をさすりながら、狼少女は悲しげな顔をする。さきほどからルゥの高性能だが燃費の悪い胃袋が、救助要請を発していた。

 雨宿りのために入った崖下の洞窟から、憂鬱な目を木立へ向ける。

 周囲には木々が雑然と生い茂り視界が悪い。その上、雨足も早く一向に止む気配がなかった。

 晴れていれば狩りも出来るのだが……あいにくの雨で今は無理だ。雨音が気配を隠し、湿気は臭いを拡散させてしまう。

 雨が多い地方なので、これもよくあることだった。


 空腹で死んでしまう、ということもないのだが、やはりすきっ腹は辛い。


 各地を旅する間に様々な知識を身につけたルゥだったが、計画性という概念は元から持ち合わせていなかった。


 洞窟の地べたに座り込んだルゥは、背嚢(はいのう)から地図を取り出す。

 今ではルゥも、文字や地図を読めるようになっていた。

 現在地と今後の道程を確認するため、じっと地図に見入る。

 旅慣れたルゥには、地図さえあれば何処に放り出されても人里まで辿り着ける経験と生命力がある。


「う~~~~、…………ん??」


 難しい顔で唸ったルゥは、地図をくしゃくしゃと丸めて投げ捨てる。

 所々にばってん印の書かれたそれは、海賊のお宝地図以上に大雑把なシロモノだった。

 どうがんばっても使い物にならない。


 数日前に立ち寄った街で、怪しげな露店商から購入した地図はただのガラクタだったようだ。

 好奇心の強いルゥには、役に立たなそうな物でも、とりあえず買ってみて満足してしまう、という困った癖があった。


 状況的には迷子というよりほぼ遭難なのだが――ポジティブなルゥは、そんなことは気にしない。

 今度は懐から、かなり年期の入った木の棒を取り出す。


 ルゥの宝物だ。


 黒く変色してしまっているそれを、ぽいっと放ってみる。

 洞窟の壁に当たり、ころころと地に転がった棒を目で追う。


「…………」


 たたた、と走ってみずから取りにゆく。


「…………」


 さらに二度、同じことを繰り返し、ぽつりと一言。


「つまんない……」


 やはり人に投げて貰うのがこの遊びの醍醐味であって、一人遊びには向いていない。

 退屈したルゥはしばらくの間、ぽ~っと雨に揺れる木々の枝を眺めていた。

 そして、ころんと横になる。

 雨がおさまるまで、お昼寝をする体勢だ。


 暗い洞窟の奥からは、すえたような生き物の臭いが漂って来ている。――が、あまり危険は感じなかった。

 規則的な優しい雨音を子守唄に、ルゥはとろとろと眠りについた。



 一般的な旅人からすれば危機的状況のルゥではあったが、彼女は今、幸せいっぱいだった。

 幼いころ夢見た――冒険の旅、食べ歩きの旅の途上にいるのだから。





「おい、なんか子供が寝てるぜ」


 そんな声でルゥは目を覚ました。

 最近、人の気配に(うと)くなったかなぁ、などと考えながら顔を上げる。


「……うさぎちゃん?」


 ルゥを覗き込んでいるのは、頭に兎耳を生やした少女だった。片方の耳が中ほどから垂れていて可愛らしい。

 綺麗な眉をひそめ、じろじろとルゥを見つめている。


「なんでこんな所に子供が……」


 うさぎ娘の後ろから、渋い声が響いた。こちらは騎士鎧を身につけた四十絡みの男だった。

 その横には戦士風の装備をした人間の若い女が一人。さらに猫耳の獣人が一人。計四名の人物がルゥの前に立っていた。


「お前、こんなとこで何してんだ?」


 うさぎ娘が肩まで届く黒髪を揺らしながらルゥに尋ねた。


「道に迷ったから寝てたの……お腹へった」


「……迷ったから寝てたって……こんなとこで? 親は?」


「いない」


 困った顔をした女戦士が騎士鎧の男に尋ねる。


「どうするフレデリック?」


 フレデリックと呼ばれた男も、女戦士に負けず劣らず困惑の表情だ。


「どうするも何も……子供一人、こんな所にほうって置く訳にもいかんだろ。ここは小鬼(ゴブリン)共の巣穴だぞ」


「せっかく目的地まで来たのに街まで引き返すのか?」


「……それも出来んな。予想より状況は差し迫っている」


 フレデリックの後ろに立っていた猫耳娘が、くんくんと鼻を鳴らす。


「ねぇ、だったら一緒に連れていっちゃえば? この子、獣人だよ。たぶん犬か狼」


 むっとしたルゥがすかさず反論する。


「犬じゃないよっ。ボクは人狼族の戦士なんだからね!」


「……人狼ぉ?」


 フレデリックが疑わしそうな目をする。


「耳もしっぽも無いのにか?」


「たまにいるんだ――」


 うさぎ娘がルゥへ、憐れみの目を向けていた。


「血が薄まり過ぎっちまって、人間とほとんど見た目の変わらない奴が」


「……そうか」


 急に四人の態度が、なにか気遣うようなものへと変化した。

 他種族との混血が進み過ぎ、人間と変わらないまでに血の薄まった可哀相な獣人族の子供、と思われたようだ。


 南方大陸には、ルゥの故郷である中央大陸より獣人族の数が多い。

 人間より身体能力に優れた獣人族は、その社会的地位も高い。また、国家の中枢が獣人だけで形成される国もいくつか存在している。

 しかし数が多い分、混血による種族特性の退化も進行しており、獣人化出来る個体はほとんど存在していなかった。

 半人半獣の姿へと変化出来るのは、貴種〈オリジナル〉と呼称される、ごく一部の血統。獣人族の血を色濃く残している血脈だけだ。そういった者達は総じて支配者階級に位置し、王族や貴族といった権力者であった。

 そして多くの一般的な獣人族は、耳やしっぽといった部分的な箇所にしか、種族の特徴が見られなくなっていた。

 また、血が薄まりすぎて獣人化できず、外見的特徴も全く人間と見分けのつかない個体も多く存在している。


「オレやアリシアみたいに耳やしっぽが生えてる奴は、血の濃い方なのさ。人間と変わらない見た目の奴も結構いるんだ。そのことを隠してるだけでね」


 うさぎ娘の説明にフレデリックが頷く。


「……なるほど。種族を問わず、混血ってのは嫌われるもんだからな」


「ああ――」


 うさぎ娘は見た目の愛らしさにそぐわない粗野な口調で吐き捨てる。


「実際混じりけ無しの獣人なんていないんだけどな……くっだらない話さ」


 不機嫌そうにひそめられた柳眉(りゅうび)が、その心情を物語っていた。


「ともかく、そういう奴らは獣人族の混血だってのを隠して、人間に混ざって暮らしてるんだ。仲間内では馬鹿にされてイジメられるからね」


 話を聞いていたルゥは、少し悲しそうな顔をしていた。

 それを誤解した猫耳娘が慰めの言葉をかける。


「だいじょぶ! あたし達はイジメたりしないよっ」


「余計このまま置いてくことは出来ないね」


 露出度の高い部分鎧を身につけた女戦士が、ルゥを胸元に抱きしめる。

 完全に可哀相な子扱いだ。


「あたし達はこれから洞窟の奥へ行くんだ。ここに一人でいちゃ危険だからね。ついて来なよ。――ああ、あたしの名前はキャスリンてんだ」


 キャスリンは姐御肌の女性のようだった。そこはかとなく母性と包容力が感じられる。特に大きな胸元に。

 ルゥ好みのタイプだった。


「しょうがないか。危険な任務だが、この辺りには小鬼(ゴブリン)が出る。一人で置いていくのはもっと危険だからな」


 フレデリックがかるくため息をつき、猫耳娘がルゥの肩をぽん、と叩く。


「あたしはアリシア。人虎族の戦士だよ。よろしくね」


 アリシアはルゥよりいくぶん背が高く、歳もいくつか上のようだ。

 やや吊り気味の大きな瞳が特徴である。


「ボクはルゥ。なんか食べ物ちょうだい」


「ああ、お腹へってんだっけ。ほら、これでも食ってな」


 アリシアがポーチから干し肉を取り出し、投げてよこす。

 受け取りざま干し肉へかぶりついたルゥへ、微笑ましげな視線が向けられていた。

 すぐにおかわりを要求しだした狼少女に苦笑しつつ、一行はカンテラに火を点す。


「隊列を少し変更しよう」


 フレデリックがてきぱきと指示を出す。


「予定通りネッツァーは先頭を行ってくれ」


 ネッツァーと呼ばれたうさぎ娘がぴょこりと耳を動かす。

 涼しげな目をした、鋭い印象を受ける面立ちの少女である。


「最後尾はアリシアに頼む。俺とキャスリンでルゥを挟むようにして進もう」


 暗い洞窟内では視界が制限されるため、聴覚に優れた人兎族のネッツァーが先頭だ。そして最後尾には気配に聡いアリシアを置き、フレデリックとキャスリンでルゥを守る配置である。


「ボク、普通に戦えるよ。もっと食べ物くれれば」


「とりあえず俺達もそれほど余分な食料は持って来てない。任務さえ果たせば近隣の街まで送ってやるから、少し我慢してくれ」


「……うん、わかった」


 ネッツァーがうさ耳をゆらしながら皮の小袋を取り出す。


「ほら、オレの()り豆分けてやるから歩きながら食ってろ」


 袋の中には、こんがりと炒られた豆がぎっしりと詰まっていた。

 ルゥは思わず小鼻にシワを寄せてしまう。

 香ばしくはあるが焦げたような匂いが強く、あまり美味しそうには見えない。

 人兎族の食べ物は少々特殊なようだ。


「あまり時間はかけたくない。急ごう」



 フレデリックの言葉に従い、一行は隊列を整える。そして暗い洞窟内部へと行軍を開始した。





 剥きだしの岩壁に囲まれた天然窟(てんねんくつ)を、奥へ奥へと進んで行く。

 辺りの空気はじんわりと湿っており、あまり風の流れがない。しかし、入口付近でルゥが感じたすえた匂いは、徐々に強まってきていた。


 ルゥは歩きながら、フレデリックたちにいくつもの質問をしていた。

 小さな物音でも周囲の壁に反響してしまうため、声は潜め気味だ。


「ふぅん、じゃあその魔導師は悪いやつなんだ?」


「ああ、この洞窟を根城にして、手下のゴブリン共に隊商なんかを襲わせたりしてる悪党さ」


 答えたキャスリンが忌ま忌ましげに肩を怒らせる。


「付近の街道を通る隊商がいくつもやられてね、この近辺じゃ食料や医薬品が品薄になってるんだ」


 フレデリックが極力音を立てないよう、中綿(なかわた)を詰めた鎧の胸を叩く。


「そこで下級騎士である俺に、お鉢が回ってきたって訳だ」


「きょにゅりんは騎士じゃないの?」


「あたしは近くの街で雇われた……て、ちょっと待ちな。きょにゅりんてあたしのこと?」


「うん」


 前を歩くネッツァーが、思わずクッと吹き出した。まあるいしっぽがふりふりと揺れている。

 キャスリンは顔を赤くしてルゥをにらんだ。


「勝手に変なあだ名つけないでよっ」


「声が大きいぞ、キャスリン」


「あ、すまない」


「……少し休憩を入れるか。だいぶ奥まで来たはずだ。今のうちに軽く食事を摂っておこう」


 足場の悪い暗がりを歩くのは、通常よりも体力と精神を消耗する。

 一行はカンテラを地面に起き、思い思い保存食を取り出した。

 座ることはせず、みな壁に寄りかかり時間をかけずに腹を満たす。


 ルゥの目が、ふみゃふみゃと干し肉を頬張るアリシアへと向けられていた。


「な、なにさ? あなたにはさっき分けてあげたでしょ。これはあたしの分なんだからね」


「ねぇ……キミ、虎じゃなくて猫――」


「あたしは人虎族だっ!」


 フーッ、と唸ったアリシアがまなじりを吊り上げる。


「でも、さっきから食べる時、ふみゃふみゃゆってるし……」


「ルゥ、止めておけ。アリシアを怒らせてもいい事はなにもないぞ」


 フレデリックが宥めるようにアリシアの肩を叩きながら、ルゥをたしなめる。


「こいつはな。ナリは小さいが、立派な人虎族の戦士だ……そうだ。近隣じゃちょっと名の知れた追跡者〈チェイサー〉なんだよ。――賞金稼ぎ専門のな」


「……へー」


 ルゥはまじまじとアリシアを見つめ、疑わしそうな顔をする。確かにアリシアの臀部から生えたしっぽは、黒と黄の虎柄っぽい縞模様なのだが……


「アリシアは賞金首からも恐れられてるんだ」


 フレデリックは両手で鉤爪を作り、脅かすように歯を剥く。


「人食い〈マンイーター〉て通り名でな」


「うひぃ!!」


 髪の毛を逆立てて飛び上がったルゥは、さささっとネッツァーの背に隠れる。


「た、たべるの? たべちゃうのっ!?」


 ぶるぶると震えるルゥに、今度はアリシアが手をわきわきとさせる。


「ちなみに、あなたが背中に隠れてるそのネッツァーは、魔物専門の賞金稼ぎだよ。虐殺〈モンスターマーダー〉って二つ名のね」


「ひゃあぁぁ!!」


 慌ててネッツァーから離れたルゥが、キャスリンの腰にしがみつく。


 ぶるぶるぶる……


 女戦士がルゥの頭を優しくなぜる。


「ほら、あんまりイジメるなよ。怖がってるじゃないか」


 なにごとかを返そうとしたアリシアを、ネッツァーが手で制す。


「騒ぎすぎだ……奥の方から結構な数の集団が近づいて来てる……」


 うさぎ娘が切れ長の目をすっと細めた。長い耳をゆらせて、じっと光の届かぬ暗闇を見つめる。


「構わん。どのみち掃討が俺達の仕事だ」


 剣を抜き放ったフレデリックが、ルゥを壁際へ押しやる。


「すこし壁の窪みにでも隠れていてくれ」


 四人がルゥを守るようにぐるりと囲む。

 キャスリンも幅広の剣を構え、軽く腰を落とす。


 ネッツァーは半円に大きく歪曲した剣、ショーテルを両手に持っていた。その隣でアリシアが鋭い鉤爪の付いた手甲(ガントレット)を装着する。


「来たな。やっぱりゴブリンか……」


 濃密な闇の中から、無数のゴブリン達が姿を現す。小柄な――身の丈はあまりルゥと変わらない程度だが、ごつごつと節くれだった体と濃緑色の肌を持った亜人種だ。

 小鬼達は銘々(めいめい)が粗末な短剣と古びた革鎧を身につけていた。比較的武装度は低いが、動きは素早く夜目も利く。

 カンテラの淡い光しか光源のないこの現状では、なかなかの難敵と言えるだろう。


「どんどん湧いて出やがる……思ったより数が多いな」


「ふふんっ、あたし達の敵じゃあないよ!」


 周囲を取り囲んだゴブリンの群れへ、両手から鉤爪を生やしたアリシアが飛びかかる。


「あまり前に出すぎるな! 奥から後続がぞろぞろ来てるぞッ」


 ネッツァーが制止の声を上げる。しかしその警告も聞かず、アリシアは跳びはねるような身のこなしでゴブリン達へと襲いかかった。

 とたんに凄まじい絶叫が響き、次々と血煙りが吹き上がる。


 自称、人虎族のアリシアは、目で追うことも難儀なほどの身体能力を発揮し、見る間に敵を引き裂いていく。


「ちっ、聞いちゃいねぇ」


 軽く舌打ちし、ネッツァーはしゃがみ込むように身体をたわめる。――そして跳躍。

 一足飛びにアリシアの背後へ着地したネッツァーが、両の手に持ったショーテルを振りかざす。

 両刃の曲刀は薙がれるたび確実に、ゴブリンの首を宙へと舞わせていた。


「二人とも出すぎだ! 囲まれてるぞっ」


 フレデリックが苦々しげに呟く。


「ネッツァーのやつ、言ってるそばから自分まで……」


 背中合わせに戦う二人の獣人娘は、その四方を完全に包囲されていた。そして、ルゥ達の方にも数人のゴブリンが寄ってくる。


「俺達は二人でルゥの直衛だ」


「わかってるわ」


 フレデリックの指示に、キャスリンが剣を構えて応えた。


「ねぇねぇ」


 長剣でゴブリン達を牽制するフレデリックへ、ルゥが声をかける。


「やっぱりあのアリシアって子、猫でしょ?」


 フレデリックは長剣を振り回しながら口早に返す。


「今ちょっと立て込んでるんだ! 戦いが済んでからにしてくれっ」


「ボクは絶対ね、猫だと思うんだけどなぁ……」


「あいつは人虎族の戦士だ。あんまりしつこくすると――後で怒られるぞ」


「でも、ほら。あの子うにゃうにゃゆってるし」


 うにゃにゃにゃ、っとゴブリンを引っ掻くアリシアを指さす。


「さ、さあ……一向に聞こえんな。……アリシアは気分屋だが、怒らせると手がつけられないんだ。頼むからその件には触れないでくれ」


 二人の会話が聞こえたのか、にゃんにゃんとゴブリンの群れを駆けぬけるアリシアが、キッとルゥを睨む。


「あたしは人虎族だっ! 猫なんかと一緒にするにゃ!!」


「あああ!! いま、にゃってゆった。にゃってゆったよ!!」


 忙しそうにゴブリンを追い払うフレデリックは、気まずげに視線を逸らす。


「いや……俺には聞こえなかったな。なぁキャスリン?」


「うそだよっ! 絶対ゆったよね!?」


 話を振られたキャスリンが迷惑そうに顔をしかめた。

 こちらはこちらで三人のゴブリンを相手にしてる。なにげに手一杯なのだ。

 剣を振るたび豊かな胸を揺らす女戦士へ、ルゥが再度尋ねる。


「ねえっ、きょにゅりんも聞いたでしょ?」


「えっ、いや。あたしも……て、だからきょにゅりん言うなっ!」


 乱戦の最中とは思えないやり取りをするルゥ達の元へ、二人の獣人娘が駆けて来る。


「おい! あたしは“にゃ”なんて言ってにゃいぞっ!!」


「ああああ!! ほらっ! またゆった! こんどはにゃいってゆったーー!!」


 絶対猫だよっ、と叫ぶルゥの口をネッツァーが手で押さえる。


「うるさいっ。今はそれどころじゃねぇ!」


 二人の後方から数十人のゴブリンが、なだれを打って押し寄せて来ていた。


「さすがに数が多すぎるよっ。倒しても倒してもきりがにゃい」


「洞窟の奥からどんどん湧いて来やがるんだっ。たんぶ百じゃきかねえ!」


 ネッツァーの垂れていた耳が、ぴんっと立ち上がっている。


「くっ、予想外の数だな……一旦引こうにも囲まれちまってる」


 ルゥはネッツァーの手を引き剥がし、くいくいと袖口を引っ張る。


「ボク、助けてあげようか?」


「ああ? お前みたいなガキが一人加わったところで――」


「後でお礼にたくさんごちそうしてねっ」


 ルゥはくっと顎を逸らし、薄い胸いっぱいに空気を吸い込む。


「お、おい。いったい何するつもり――」


 ネッツァーの言葉は、すさまじい咆哮に遮られる。



 きゃおぉぉおぉぁ~~~~~~ん!!



 ルゥはぷるぷると身を震わせ、精霊を召喚する。その和やかな吠え声は洞窟内の隅々にまで響き渡った。そして一瞬後には水を打ったような静寂が訪れる。


 わらわらと群れ集ったゴブリン達がにこにこしていた。

 周囲には和みの精霊が()()ち、和気あいあいとした雰囲気が漂っている。

 小鬼達の凶悪な顔相も緩みまくりだ。


 得意げに小鼻をひくつかせたルゥが、右手を大きく掲げる。

 ゴブリン達は行儀よく列を作り、ルゥと手と手を打ち合わせて次々と去っていく。


「いぇ~~ぃ!」


 ルゥとゴブリン達は背丈も同じくらいなので、ハイタッチもスムーズだ。


 なかなか終わらない行列の最後尾が洞窟の入口へと消えていった時、やっとフレデリック達は我に還る。


「えっ……? ええぇ!? 何だったんだ今の??」


「精霊だ……和みの精霊だよっ!」


 アリシアが興奮冷めやらぬといった面持ちで、ルゥへ驚愕の眼差しを向ける。

 普段から冷静な立ち居振る舞いが信条のネッツァーもまた、大きく目を見開いていた。


「獣人族の中でも、限られた血脈の貴種〈オリジナル〉だけが使える……召喚咆哮〈シャーマンハウリング〉……」


「貴種だって!?」


「ああ、しかも和みの精霊は上位の精霊だ。獣人国家の王族ですら呼べる奴なんて聞いたことがない。――召喚て言うか、奇跡級の咆哮だよ」


 ネッツァー達の驚きをよそに、ルゥはいたって呑気に告げる。


「はやく移動した方がいいよ。そのうちゴブリン戻ってきちゃうから」


「……あ、ああ。――今はともかく、この洞窟に巣くう魔導師を倒すのが先決だ、な……」



 こうして一行は、さらに洞窟の深部を目指し、歩みを再開した。





 ――翌日。

 三人の獣人娘は街の酒場で飲んだくれていた。

 ルゥが迷子になっていた山の麓に位置するこの街は、通商の中継地点として、なかなかの賑わいをみせる中規模の都市であった。


「その時だ! あたしたち絶体絶命のその瞬間! ルゥ姉さんが、にゃにゃ、にゃんと!! 真っ白な人狼にびしっと変身してミノタウロスやゴーレムをちぎっては投げちぎっては投げ――」


 卓を囲んだ客達に、ねこ耳娘がルゥの武勇伝を身振り手振りを交えて熱狂解説していた。

 アリシアが手にしているジョッキの中味は、普通の果実水である。しかし、輪切りにしたマタタビの実が浮かべられているため、かなり呂律(ろれつ)が怪しくなっていた。


 カウンター席では、ルゥが出て来る料理を味わうことなく胃袋へ直送している。もの凄い勢いだ。

 その隣ではうさ耳娘が酒場の店主相手に(クダ)を巻いていた。


「それでな……て、おやじっ!! ちゃんと聞いてるか!? ルゥの姐御が人狼から雪狼に化けて悪の魔導師をガブっと一噛み――おいっ! 今いいとこなんだからちゃんと聞けっ。ガブっとだ。ガブっとだぞ~~」


 ネッツァーはガブガブとジョッキをあけ、空になったそれを店主へ押しやる。

 若干、迷惑そうな顔をしながらも、店主はうさ耳娘へ気遣いの言葉をかけた。


「なあ、ネッツァー。あんたが強いのは重々承知だが……もうそのくらいで()しといた方がいいんじゃないか?」


「うるせぇ!! 今日はオレらと姐御の出会いを祝して、一晩中飲み明かすんだよっ! とっととお代わり持ってきやがれってんだ」


 たちの悪い客に絡まれ、店主は辟易(へきえき)とした様子だ。

 ネッツァーは見た目こそ愛らしいうさ耳の持ち主ではあるが、かなり柄の悪い客だった。


「……しょうがねえなぁ。ほらよ」


 ネッツァーは受けとったジョッキを置くことなく、すぐに口をつける。


「しかしあれか? 人狼化出来るってことは貴種なんだろ。――この嬢ちゃんは貴族の娘さんかなんかなのかい?」


「馬鹿野郎っ! ちゃんとオレの話聞いてたのか!? 姐御は人狼だけじゃなく狼にもなれるんだ。貴種〈オリジナル〉どころか純血種〈ヴァージン〉なんだよ!!」


「い、いや……純血種〈ヴァージン〉て……。そんなの獣人の王族にすら居ないはずだろ」


「姐御は北方大陸の出身なんだとさ。よく知らねぇけど、あっちの方には結構居るんじゃないか? 純血種〈ヴァージン〉も」


「聞いたことないねぇ……」


 店主はまじまじとルゥを見つめる。


「嬢ちゃん、あんた本当に純血種〈ヴァージン〉なのか?」


 周りでヴァージン、ヴァージンと連呼され、ルゥの頬がポッと赤くなる。


「うん、ボクまだ純潔〈ヴァージン〉だけど……いい人がいたらそのうち……」


 もじもじと妙な具合に照れ始めた処女へ、ネッツァーと店主が(いぶか)しげな目を向ける。


「まあいい。それで――? さっきこの嬢ちゃんについて北方大陸へ渡るとか言ってたよな。ずいぶんと急な話じゃないか」


「へへ、そいつが聞きたきゃもう一杯持ってこい」


 またも空いたジョッキが、カウンターに叩きつけられる。


「わかったわかった……ほどほどにな」


「おぅ。それがな、昨日山を降りて来たところで、姐御の知り合いだっていう魔術師と出くわしたんだ」


「ほう?」


「なんでも北方大陸くんだりからわざわざ姐御を探しにやって来たんだとさ」


「……この嬢ちゃん、本当に何者なんだ?」


 とうの狼処女は、ホワイトシチューの木皿をぺろぺろしている。


「すごいんだぜ。その魔術師は、姐御のことをルガール侯って呼んでぺこぺこしてんだ」


「いやっ、待て待て! なにか? じゃあ嬢ちゃんは本気で貴族様のご息女なのか!?」


「……ん? ちがうよ。フレインは貴族だけど、ボクはそんなんじゃないよ」


「フレイン??」


 店主の問いに、ジョッキを飲み干したネッツァーが答える。


「なんでも偉い魔導師様らしい」


「うん。ボクの子分なんだよ。なんかちょっと大変なことがあったみたいで、フレインがお使いの人をよこしてきたの。すぐに国へ戻って来てくれって」


「――なるほど。それで嬢ちゃんの帰郷に付き合ってネッツァーとアリシアも……」


 言いかけた店主が、眉間にシワを寄せて考え込む。


「……北方大陸の偉い魔導師で……フレイン、だと……?」


「そうだよっ、ボクの一番の子分なの」


 胸を張るルゥから、店主が一歩後ずさる。


「まさか……大導師フレイン・ホスローのことじゃ……」


 うなずくルゥを見た店主の顔が蒼白となる。


「おい、おやじ。どうしたんだよ? そのフレインなんとかって奴のこと知ってんのか?」


「……知ってるもなにも……いや、知らない方がどうかしてる」


 ネッツァーのうさ耳が、要領を得ない店主の態度にぴくぴくとする。


「知らねぇな。魔導師なんかに知り合いは居ないし」


「お前……魔導侯フレイン・ホスローっていや、とんでもない大物だぞ」


 しかも、あまりいい噂は聞かない、と店主は声を潜める。


「悪いことは言わん。そんな厄介なもんとは係わらないのが身のためだぞ」


 ガンッと音を立ててジョッキを置いたネッツァーが、据わった目で店主をねめつける。


「うるせぇ、オレは姐御に惚れたんだ。どこまでだってついて行くぜっ!」


「えぇ!? ボ、ボクの純潔〈ヴァージン〉はあげないからねっ!」


 素でボケたルゥには構わず、店主はネッツァーの説得を試みる。


「今は飲みすぎて頭が回らんだろうが、シラフにもどったらよく考えてみろ。お前だってあの大魔導師の逸話を、一つや二つは聞いたことがあるはずだ」


「説教なんざ真っ平だ! いいからキュロットジュース持ってこいっ!!」



 大きなため息をこぼした店主は、その日二十本目のニンジンを擦り下ろし始めた。

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