白蓮攻略 そして惨敗
寝台に腰かけたアルフラは、扉を見つめて白蓮が来るのをじっと待つ。
ここ数日、白蓮の来訪は夜のわずかな時間だけとなっていた。
あまり目を合わせてくれない。
ただでさえすくない口数がさらに減った。
血をくれるとすぐに去ってしまう。
距離を置かれているのだと理解した。
アルフラは十日近く食事を摂っていない。
もともと痩せてはいたが、さらに痩せた。
常に空腹で胃が締め付けられるように痛い。
白蓮はひどく心配していた。
――でも、白蓮がどこにも行かないって約束してくれるまでは、ぜったいに食べない
寝台からぴょいっと飛び下りたアルフラは鏡台の前に立ち、見返してくる貧相な少女を観察する。
「………………」
がっかりした。
白蓮を遠い所へ連れ去ろうとしている魔王を思い出す。
堂々とした立ち居振る舞いを見せた戦禍と比べ、自分はなんと貧相なことかと嘆息する。
貧弱で細く、小さな自分。とても弱い。
対して、背が高く優雅な物腰で、絶大な力を持つ戦禍。白蓮と並び立てばとてもお似合いだろう。
アルフラが戦禍へ向ける敵愾心は、強い羨望の裏返しでもあった。
――白蓮はあいつと結婚しちゃうのかな
痩せて細った顎の先から、温かい雫がしたたり落ちた。
――わるい魔王が、あたしの白蓮をさらいにくる……
鏡の中で顔をゆがめて涙を流す少女は、ひどくちっぽけだった。
朝方、湯と朝食を運んで来たのは、フェルマーではなく高城だった。
「お嬢様、さすがに体に障ります。少しだけでもお召しになられて下さい」
「……」
無言のアルフラに、高城は困った顔で立ち尽くす。
「では、フェルマーになにか甘い菓子でも焼かせ――」
「あたし、ずっと白蓮と一緒にいたい!」
高城の言葉を遮るような強い口調で、アルフラが叫んだ。
少し情緒が不安定なのかも知れない。
「白蓮がいなくなったら、あたしどうすればいいのっ!?」
「お嬢様……」
声を荒げたアルフラを、高城は気遣わしげに見やる。
やせ細った肩に手を置き、落ち着かせるように頭を撫でた。
アルフラが低くつぶやく。
「白蓮が好きなの」
「存じております」
「白蓮を愛してるの」
「存じておりますよ」
「そういう意味じゃなくて……白蓮を、あたしだけのものにしたいの!」
高城はやわらかに微笑む。
「もちろん、存じ上げておりますよ」
「え……?」
「一つ、助言をして差し上げましょう」
「助言……?」
「はい。ですが、それを実行するためには、相応の体力が必要です」
「……?」
「腹が減っては戦は出来ぬ、との故事もございますし、きちんと食事を摂ると約束して下さい」
「……はなしによる」
アルフラはなかなか頑固だ。
「いいでしょう。我が家に伝わる家訓です。心してお聞き下さい」
その朝、アルフラは朝食をきれいに完食した。
白蓮はアルフラの部屋へ向かっていた。その足どりは軽い。
アルフラが朝夕の食事をちゃんと食べたと聞いたのだ。夕食に至ってはおかわりまでしたらしい。
やる気満々ですね、と高城は微笑んでいた。言葉の意味は計りかねたが、気にかけることでもないだろう。
扉の前に立った白蓮は、ふと違和感を覚えた。室内から、アルフラが戸口へと駆けよってくる気配がしない。
そうっと扉を開く。寝台に座り、なにやら思いつめた表情のアルフラと目が合った。
なにか大切な話をしようとしている。――白蓮はそう理解した。
部屋へ入った白蓮は、寝台に座るアルフラの隣に腰を下ろし、優しく頭を撫でる。
「どうしたの? アルフラ」
「…………」
無言のアルフラはうつむいたまま身じろぎもしない。
白蓮は急かすことなく、アルフラが口を開くのを待った。
白蓮はその場にただよう緊迫した空気を読めていなかった。
だから、アルフラが自分の両肩に手をかけたとき、甘えているのだと思って抱きよせようとした。
そしてそのまま、倒れ込むように押し倒されてしまう。
「もう、アルフラったら」
白蓮は、馬乗りにのしかかって来るアルフラに、この悪戯っ子め、という表情を浮かべた。
しかし、真剣なアルフラの目に、なにかが違うと感じた。
「アルフラ?」
覆いかぶさられ、強引に唇を重ねられる。
「ん……? んんっ!?」
とんっ、とんっ、とアルフラの背中を叩くが、しっかりと腰と首に回された手は緩まない。
「んぁ……ん……」
舌が差し込まれ、白蓮の咥内で目茶苦茶に動きまわる。
ピチャ、ピチャと湿った音が響いた。
首に回されていた腕が、手前に降り胸元へと滑りこむ。
アルフラが唇を離して上体を起こした。
荒く肩で息をしている。キスの最中、呼吸を止めていたらしい。
「ア、アルフラ? いきなりなにを……?」
白蓮も体を起こそうとしたが、アルフラはしっかりと胸と肩を押さえつけていた。
「あなた、自分が何をやってるかわかってるの?」
言った白蓮自身も、激しく混乱していた。
「わかってるよ。白蓮をあたしのものにするんだっ!」
「わかってないでしょ! なにを言ってるのか全然わからないわ!」
アルフラは白蓮の胸元に手をかけ、白い薄手のドレスを一気に引き裂いた。
色素の薄い白磁のごとき白蓮の胸に、アルフラの目は釘付けとなる。
頬を紅潮させたアルフラの鼻から、つうっと血が垂れてきた。
「あ……」
パタ、タタタ、と白蓮の胸元にアルフラの鼻血が滴る。
「アルフラ? いい加減に……いたっ! あ……ぁ……っ!」
薄い胸を乱暴にこねくり回され、白蓮は苦悶の声をあげた。
「ちょっと! アルフラ! あなた女の子なんだから、そんなにしたら痛いってわかるでしょ!?」
「あ、ごめん……」
「どうしていきなりこんな事するのよ?」
我に返り、大人しくなったアルフラに声をかけながら、なんとかその体勢から逃れようとずり上がる。
「だって……白蓮が好きなの。あたしだけの白蓮にしたいの」
「アルフラ……。でも、いきなりこんな事して、私が怒るとは思わなかったの?」
「高城が……」
「高城?」
――なぜここで、高城の名が出てくるのだろう……?
「女なんざ一発やっちまえば、後は思いのままだ、て」
――高城め……
「とにかく! どいてちょうだい」
「いやっ!」
アルフラがふたたび唇を押し付けてくる
「ん……ふ……」
白蓮はアルフラの顔を押し退けようとしたが、逆に腕を捕まれ寝台の上に押さえつけられてしまった。
しばらくバタバタと手足を暴れさせていたが、不意にアルフラの動きが止まった。
白蓮も抵抗をやめて様子をうかがう。
「ん? んんー?」
唇はまだ合わされたままだ。
アルフラは、キスしながらでも呼吸できることに気づいたらしい。
「んん?」
アルフラはぴくりとも動かずなんの反応もない。
「……?」
「……っ」
「……??」
「ひっく」
顔を上げたアルフラが、突然しゃくりあげ出した。
「アルフラ?」
「うぅ……ひっく」
「ど、どうしたのアルフラ?」
急に泣き出してしまったアルフラに、白蓮は困惑する。押し倒されてからこっち、困惑しっぱなしだ。
「ねぇ……? アルフラ?」
「…………いの」
「え? なあに? どうしたの?」
なるべく優しげに尋ねてみる。
「わからないの」
「……は?」
「やり方がわからないのっ!」
「……」
「うぁぁあぁぁん!」
ついにアルフラは、声を上げて泣き出してしまった。
肩をふるわせ、大きく開いた口から、むずかるような声があふれる。その愛らしい様に、白蓮は思わず吹き出してしまう。
「ぷっ……くくっ」
高城からそそのかされ、白蓮を力ずくで自分の女にしようと考えたこの可愛らしい少女は、事におよんではみたものの、キスから先、ナニをすればよいのかという知識が欠如していることに、今頃になって気づいたらしい。
「う、うわぁぁぁん」
心を溶かすような暖かな涙が、白蓮の胸にぼろぼろとこぼれ落ちる。
「まったく、しょうのない子ね」
白蓮はアルフラの肩を引き、くるりと体勢を入れかえた。
「え?」
一瞬で白蓮に組しかれる形となってしまい、アルフラはきょとんとする。
「あれ?」
白蓮はアルフラに顔をよせ、その下唇にチロリと舌を這わせた。
「あ……んん……白蓮? ……あ、ぁん」
「しょうがないから、私がしてあげるわ」
舌を唇から首筋、耳元へと滑らせながら、アルフラの脇腹を指先で撫で上げる。
「あ……あぁ? だめ、そこだめぇ! 白蓮……あ、あぁぁぁん!!」
「まぁ、私も女同士ってのは初めてなんだけどね」
翌朝、アルフラは白蓮の薄い胸の上で目を覚ました。抱き着いたまま眠ってしまったらしい。
少し顔が痛かった。
枕がわりにしていた物が、あまり柔らかくなかった(硬かったのではなくボリューム的な問題で)のだろうか?
「あら、やっとお目覚めね」
「あ、おはよぉ」
まだ眠い目を擦りながら、白蓮の胸が目の前にあることに気づく。
とりあえずぺたぺたと触ってみた。
「フフ……くすぐったいわ」
ぎゅ~っと抱きしめ、顔を胸に押しつけてみた。もちろん埋もれることはなかった。
「白蓮は全身すべすべで気持ちいい」
「アルフラもすべすべよ」
「昨日、すごい力だった。くるっ、て」
「え? ……ああ」
馬乗りになっていたアルフラと、体勢を入れ替えた時のことを言っているのだと気がついた。
「あたしより力、ぜんぜん強いのになんで? 最初っから押しのけようと思えばできたよね?」
「なにがなんだか分からなかったのよ。それに、変に力が入って、アルフラに怪我をさせてしまうかも知れなかったし」
白蓮は食卓に置いてあった水差しをアルフラに渡した。
「水、飲んでおきなさい。脱水症状起こしちゃうわよ」
白蓮の目線が、寝台の敷布に向かう。そこには特大のシミが出来上がっていた。
「あ……う、うん。ありがとう」
「ご感想はいかがだったかしら」
「え、え~と。すごかった。なんてゆうか、ものすごかった……」
アルフラは恥ずかしそうにうつむく。伏せられた顔は、耳まで真っ赤になっていた。
昨晩、大変な量の水分を敷布に奪われたことを思い出したのだ。
高城は満足していた。
アルフラは少し遅めの朝食を、残さずに食べたらしい。
白蓮も朝方までアルフラの部屋に居たようだ。添い寝のひとつもしてあげたのだろう。
以前聞いた話では、白蓮の血筋は力持ちの家系らしい。親娘三代びっくりするほど足腰が強いのだとか。
もとよりアルフラに白蓮をどうこう出来るはずもない。
きっと高城が作ったきっかけで、腹の底に溜まった物をはきだせたのだろう。
体育会系の高城はそう考えた。
やはり本音でぶつかり合うのが一番だ、と。
アルフラがちゃんと食事を摂るようになった時点で、高城としては大成功であった。
アルフラに吹き込んだ戯れ事は、ちょっとしたきっかけ作りであって、まさか大事になるとは思っていなかったのである。
だからアルフラの一言に高城は凍りつく。
「高城の言う通りだったよっ! 家訓てすごいねー。ありがと」
――いったい何が起こっているのだ!?
アルフラは厨房のおおきな竈でクッキーを焼いていた。その隣では、フェルマーが焼き加減を確認してくれている。
「んー、いい匂いだね。もうそろそろかね」
「今回のは、ちゃんと上手にできたと思うよ」
「そうだね、でもまだまだ形が……そういやお嬢様さぁ」
「ん、なに?」
「敷布に血がついてたけど怪我でもしたのかい?」
「え!? え~とぉ……」
アルフラの顔が、ぼっと赤くなる。
「ちゃんと手当はしたのかい? 見せてごらんよ」
なぜかきゃわきゃわし出したアルフラを怪訝そうにしながらも、フェルマーはクッキーを焼き釜から取り出す。
「あ……うん。ちゃんと手当したから平気だよ」
「そうかい? ほら」
フェルマーがアルフラの口の中に、クッキーをひとつ放りこむ。さくっ、さくっ、と香ばしい音が響き、甘くてよい匂いが辺りにただよった。
「どうだい、味は?」
「ん、おいし…………うぇ……」
「うぇ?」
アルフラが、桃色の舌を突き出し、ぺっ、ぺっ、とやりながら水差しに手を伸ばす。
「へんな味ぃ~。……なんでだろ」
すこしかじってみたフェルマーもまた、顔をしかめる。
「こりゃあ、砂糖と塩の比率がおかしいね」
「え~なんでー、ちゃんと計ったのに」
フェルマーがさらにもう一つ、クッキーをアルフラの口の中に突っ込んだ。
「こっちは、あたしが生地を作ったやつさ」
さくっ、さくっ、さくっ。
「うんっ! あまくて美味しい!! もいっこちょうだい」
「ははっ、全部食べていいんだよ」
アルフラはせっせと自分の作ったクッキーと、フェルマーのあまくて美味しいクッキーをより分け始めた
高城は、心配げな顔のフェルマーに報告された。
「お嬢様の寝具にさぁ、結構な量の血がついてたんだけど、どっか怪我したんじゃないかねえ」
――奥様!?
もしかして自分は大変なことをしてしまったのかもしれない、と高城は悟った。
もちろん敷布の血痕が、アルフラの鼻血であることは言うまでもない。
「高城」
「はっ」
「あなたアルフラになんてこと吹き込んでるのよ」
高城の肩がピクッと震える。思わず彼は、生まれて初めての行動を取ってしまう。
「さ、さあ、なんの事でしょう」
とぼけた。
「聞いたわよ。あなたの家の家訓」
「ああ、あれはですな。正確には祖父の口癖でして」
「ろくなもんじゃないわね」
「はい。実際ろくな死に方をしませんでした」
「死に方?」
「女に刺されて」
「……」
「刺した方は私の祖母ですがね」
「ちょ……あんたアルフラになんてこと教えてんのよ!」
なにかが吹っ切れた感のある白蓮だった。
久しぶりに練武場での修練が行われていた。
木剣で打ち合いながらアルフラは尋ねる。
「高城のおじいちゃん、刺されちゃったの?」
「はい。おだぶつでした」
「高城の家訓守ると刺されちゃうの?」
「そうですなぁ、女性というのはなかなかに情がこわい。往々にして、そういった事にもなりましょうな」
「じゃあ、やっぱり私も白蓮に刺されちゃうのかな?」
「――!?」
高城はつんのめった。
その日、アルフラは高城から初めて一本取ることができた。
戦いにおける言葉の駆け引きの重要性を理解した。
しかし結局のところ、すべては問題の先送りであり、なんの進展もしていないのが現状である。
白蓮は折につけ、アルフラに説いた。
やはり人間は、人と共に暮らすが結局のところ幸せなのだと。
二度と会えなくなるわけではないので、すこしの間、人の街に住んでみたらどうだろうかと。
最終的にはアルフラが泣き出して話は終わる。たまに怒り出す時もあった。
そして、機嫌を取るために朝まで添い寝をしてやり、アルフラは大量の水を飲む。その繰り返しだった。
寝台の上で、かるくアルフラをあしらってやる時などは、あぁ……前以上に情が移ってきているな、と白蓮は実感した。
――高城家の家訓も、なかなか与太話とは言い切れないわね
別れの日が訪れたとき、本当に自分はアルフラを手放すことができるのか、不安になっていた。
深夜、アルフラは白蓮の腕の中で、目を覚ました。
体温を感じさせない冷たい腕が、しっかりとアルフラの肩に回されている。
頬に触れた胸の感触もまた、ひんやりとしていて、呼吸の音も聞こえない。
「…………」
アルフラはすこし不安になってしまう。
「……白蓮?」
小声でささやき、白蓮の顔へと手を伸ばす。
「……ん……」
暗闇の中でもぞもぞと動く気配に、白蓮はすぐに気がついたようだ。
寝ぼけるということがあまりないらしく、はっきりとした口調でアルフラの名を呼ぶ。
「アルフラ、どうしたの?」
かすかな不安は一瞬で消え去り、ふたたび幸せに満たされる。アルフラは強く白蓮の胸へ顔を押しつけて、甘えるように首を振る。
「ううん、なんでもない」
「そう……」
それきり言葉は途切れ、白蓮は寝息も感じさせない、静かな眠りの中へと落ちたようだ。
アルフラはしばしの間、愛する人の胸の上で、その冷たさを堪能する。
肌の触れた部分から、みずからの体温が流れ出てゆくのが感じられる。
白蓮の細い肢体は、どれだけ肌を重ねても、決して温もりを帯びることはない。だから常に、アルフラの体温は流失しつづける。――それでも、寒さを感じることはなく、アルフラの体内からは、際限なく熱が生まれてくる。
――白蓮
その名を想うだけで、無尽蔵の温もりが湧き出してくるのだ。
白蓮へ対する思慕は決して尽きることなく、愛しい人の冷めた体を温めつづける。
アルフラは思う。
たとえ神族が住まうといわれる天上楽土でさえ、いま自分が居る場所ほどには、居心地良くはないだろう、と。
此処は、なにを心配することもなく、ただ身を委ねているだけで――――ただそれだけで安寧を得られる、楽園なのだ。
強く抱きしめれば、ひとつに溶け合ってしまえるような気がして、白蓮の腰にしがみつく。そして、安息のまま愛する人と同化し、その一部になれることを切に願いながら、アルフラは鳶色の瞳を目蓋で閉ざした。
楽園の住人は無意識のうちに、自分は決して醒めることのない夢の中に居るのだと――そう思い込んでいた。