プロローグ
とある国――それは グラン帝国 と呼ばれる。
この国に住む者は、生活が豊かで、安心して暮らせる。そう語る者がいる。
だが一方で、こう囁く者もいた。
――この国は、腐っている。
ーー
「誰か……助けてくれ。上層部は腐りきっている。原因は“アイツ”だ。皇帝の側近……ヴォルン。あいつのせいで、この国は変わってしまった」
一人の男が、震える手で手紙を綴っていた。
インクが紙に滲む。外では、夜更けのはずの足音が近づいてくる。
「これを……誰かに渡すんだ。帝国腐敗の証拠だ。これを見れば、誰かが動くはずだ……」
その瞬間――。
「させませんよぉ? そんなこと」
扉が開き、帝国兵が雪崩れ込んだ。
そして兵の列の奥から、年配の男が悠々と入ってくる。
「この男は、革命軍と繋がっている疑いがある――そう情報が入りましてねぇ。身柄を確保しなさい。手紙も、全部」
「……俺は元軍人だ。まだ希望はある。帝国を――」
男は年配の男へと飛びかかった。
だが無慈悲にも、その特攻は複数の兵に押さえ込まれる。
「離せ……! まだ俺は死にたくない……ミカと、お腹の子のために生きるんだ!」
「哀れですねぇ。帝国を裏切ることさえしなければ――」
男は拘束され、連行された。
――
グラン帝国、皇宮・謁見の間。
「アリアス陛下。革命軍に加担しようとしていた者を捕らえました」
先ほどの年配の男――ヴォルン大臣は、縄で縛られた男を差し出した。
「離せ! こいつがこの国を腐らせた原因だ! 陛下……どうか、私を信じてください!」
「……と言っておるが。ヴォルン。そなたが腐敗の原因だと?」
若き皇帝――グラン・アリアス は、表情を動かさず言った。
ヴォルンは、口元だけで笑う。
「陛下。私がそんなことをするはずがありませんよぉ。もし私が腐敗の原因なら――先代陛下が、とっくに私を殺しておられます」
「……そうだな。父上の側近でもあったそなたが、誤る理由はない」
「そんな……! なら俺はどうなってもいい! 頼む、妻だけは助けてくれ……! ミカは……お腹に子供がいるんだ!」
男は声を絞り出す。
だがヴォルンは、黒い笑みを深くした。
「あぁ。心配はいりませんよぉ」
一拍置いて、甘い声で告げる。
「“処理”は、もう済ませてありますから」
「……なに?」
ヴォルンが指を差した。
視線の先、柱の陰から担ぎ出される――見覚えのある服。細い腕。乱れた髪。
「ミ……カ……?」
男の喉が、音にならない息を吐いた。
「この外道が……!」
「スパイの妻はスパイ。腹の子も、革命軍に流れる“芽”になり得ますからねぇ。グラン帝国の情報網を、舐めないでください」
アリアスは淡々と頷く。
「うむ。ではこの男も、同様に処刑せよ」
「離せ……離してくれ……ミカ……!」
引きずられていく男の視界の端で、ヴォルンの顔だけがはっきりと残った。
黒く、悪意に染まった笑み――。
(誰か……この帝国を止めてくれ。
このままでは帝国民は搾取され続け、あいつらの至福に変えられる。
革命軍よ……希望は、お前たちだ。どうか、この腐った帝国を救ってくれ)
――
時は少し経ち――。
「誰か、捕まえてくれー!」
グラン帝国・城下町。
露店の並ぶ通りで、商人が喉を裂くように叫んだ。
その前を、幼い少年が駆け抜ける。
「捕まるもんか……!」
少年は必死に走る――だが、一人の男がするりと前へ出た。
迷いのない足取りで距離を詰め、少年の腕を取る。
「俺がこの国にいる限り、どんな悪行も許さねぇよ」
男は乱暴にせず、しかし確実に少年を捕まえ、片手で抱え上げた。
「おい。なんでこんなことした」
問いかけても、少年はうつむいたまま口を閉ざす。
「このガキ……! いつも盗みに来やがって。今日こそは許さねぇ!」
商人が拳を握り、少年へ詰め寄る。
「待ってくれ」
男は一歩前に出て、その怒りを遮った。
「……こいつは、いつも盗みに来るのか?」
「あぁ。ウチだけじゃねぇ。他の店もやられてんだよ」
男は少年をじっと見つめた。
(食べ物を盗んでる割には、痩せ細ってる……。飢え方が違う。何かある)
「じゃあ、こいつを預かる。助かったぜ」
商人が少年を奪い取ろうと手を伸ばす。
「ダメだ。こいつは俺が預かる」
「おいおい兄ちゃん。アンタにそんな権利ねぇだろ? このガキには仕置きが必要だ」
「権利ね……これじゃ、ダメか?」
男がポケットから取り出したものを見せる。
商人の顔色が変わった。
「そ、それは……軍バッジ。じゃあアンタ……」
「グラン帝国軍だ。少年を引き取る権利くらいはある」
「軍人さんよぉ。それじゃ俺たちの気が済まねぇ。親からでも金を巻き上げてくれんだろ?」
軍人相手でも、商人は引かなかった。
むしろ噛みつく勢いだ。――流石に、商売人は強い。
「金なら俺が払う。いくらだ?」
「全額、払ってくれんだな?」
「あぁ。食べ物だけなら、たかが知れてる」
「おーい! 軍人さんが立て替えてくれるらしいぞ!」
商人の声に呼ばれるように、遠くから店主たちが集まってくる。
次々に、手を上げ、口を開き――。
「え……? この人だけじゃないの?」
男は少年と目を合わせようとする。だが少年は、うつむいて視線を逸らした。
「軍人さん。嘘は良くないよな? きっちり払ってもらうぜ」
「あ……あぁ……俺の、金が……」
「毎度あり! これからもご贔屓に――“良い軍人”さん」
男の財布が空っぽになったことは、言うまでもない。
そしてこの少年との出会いが、男の運命を変えていくのであった――。




