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支配の理、自由の海

黒い玉座の間に、血よりも濃い魔力の霧が漂っていた。

壁は黒曜石のように鈍く光り、空気そのものが重い。


玉座に座る男――魔王は、まだ包帯で覆った腕を組み、静かに目を閉じている。


その前に跪くのは、一つの影。

黒いドレスに紅い瞳を宿す吸血鬼の女。

彼女の名はヴァルリシア・ノクティア――

魔王の側近にして“血の貴婦人”と呼ばれる。


ヴァルリシアが艶やかな声で問いかけた。


「魔王様……お体の具合はいかがですか?」


魔王はゆっくりと目を開き、わずかに笑う。


「ふん、大したことはない。素手で殴られたのは生まれて初めてだったがな。少し面を食らっただけだ」


「でしたら、良いのですが。魔王様を殴った“異物”の居場所がわかっております」


「ほう。どこだ」


「港町、ベルンでございます」


「ベルン、か……」


「兵を向けましょうか?」


「いや、いい。あそこは塔の連中の管轄だ。泳がせておけ」


「かしこまりました。監視は継続しておきます」


その会話に、荒々しい声が割り込む。


「魔王様よォ、統律の塔ごときにびびってんのか? あいつらも所詮は人間だろ?」


低く笑うその声の主は、牙を剥いて笑った。


赤黒い皮膚に角を生やした巨漢。

筋骨隆々の腕には無数の古傷が走る。

鬼の頭領・オウガン・レッドハンド――戦乱を好む最古の鬼である。


「俺たち鬼族なら、一夜で人間の国を焼き払えるぜ?」


ヴァルリシアが即座に睨みつける。


「オウガン。口を慎みなさい。殺しますよ?」


「ははっ。あんたみたいな美人に殺されるなら本望だな」


オウガンは顎をかき、ニヤリと笑う。


「でもよ、いい加減俺たち鬼も痺れが切れちまう。なんで人間どもに攻め込まねぇ?」


魔王がわずかに片眉を上げた。


「人間を滅ぼすのは容易い。勇者2人もまだ幼い。だが――滅ぼして何になる」


「利用価値がある、ってことか?」


オウガンが眉をひそめる。


魔王は玉座から立ち上がり、黒炎をまとって一歩踏み出す。


「そうだ。人間を滅ぼせば、労働も、収穫も、祭りも消える。

支配とは奪うことではない。維持し、制御し、循環させることだ」


魔王の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。

その声音は冷たく、まるで論理だけで世界を支配する者のようだった。


「それが“永続する支配”だ。」


ヴァルリシアは微笑み、片膝をついた。


「さすがです、魔王様。我ら六魔将は最初からそのために動いております。


この城に残っているのは、私とこのバカだけですけれど」


「おいおい、バカはやめろよ」


オウガンが頭をかく。


「悪ぃな、頭使うのは苦手でよ。でもよ、その異物を放置する理由は?」


魔王は一拍置いて答える。


「……契約だ」


「契約? 誰との?」


「それはまだ語れん。語った瞬間、枷が動く」


「……なるほどね」


魔王は再び玉座へと戻り、静かに命じた。


「侵攻はまだだ。準備を進めろ」


「かしこまりました」


オウガンがニヤリと笑う。


「まぁ人間への侵攻は我慢するけどよ……その異物、ちょっと遊んでみてもいいか?」


「好きにしろ。ただし、異物がベルンを発ってからだ」


オウガンの笑い声が広がる。

笑っているのは忠誠ゆえか、それとも――別の思惑か。



森を抜けた先で、風の匂いが変わった。

湿りを帯びた空気に、塩の気配がまじる。

梢の向こうでカモメが鳴き、遠くに白い光がきらりと揺れた。


「この小道をまっすぐ。半日もかかりません」

地図を畳みながら、レインが言う。


拳志は大きくあくびをひとつ。


「なぁ、なんで俺らベルンに向かってるんやっけ?」


アリシアは足を止めず、前だけ見て答えた。


「一度、見てみたかったの。人間と他種族が同じ場所で暮らしてる港町。――調べたいこともあるしね」


ガルドが横目をやる。


「調べたいこと?」


「後で説明するわ。まずは行ってみましょう」


短く、それでも揺れない響きだった。声の端に、わずかな警戒が滲む。


丘道はなだらかで、草の間から白い砂がのぞく。

拳志が石を蹴りながら言った。


「港って言うたら魚やな。刺身とかあるんか?」


「刺身?」


アリシアが小首を傾げ、レインが首をかしげる。

拳志が手振りを交えて説明する。


「魚をな、生で切って食うんや。しょうゆとかにちょっとつけてな」


レインが目を瞬かせる。


「生で……?調理しないんですか?」


「せーへん。でも新鮮なやつやったら最高やで」


ガルドが鼻で笑う。


「肉じゃあるまいし、魚を生で食うと腹壊すだろ」


「生肉のほうが怖いわよ」


アリシアが呆れた声で返す。


拳志はにかっと笑って肩を竦めた。


「生肉もうまいよなー」


三者三様の顔が、同時に呆れた。

その表情のずれが妙におかしくて、風の中に小さな笑いがほどける。


笑いがひと息つくころ、海風が少し強くなる。

霧の膜の向こう、白い帆の影がいくつも浮かんでいるのが見えた。


道ばたの石標には、削れた文字で「ベルンまで五里」と刻まれている。


レインがぽつり。


「人と金が集まる街は、どこも賑やかですが……静かな場所は少ないですね」


「だからこそ、見る価値があるのよ」


アリシアの返事は、海のほうへとまっすぐ伸びた。


草いきれが薄れ、潮の匂いが濃くなる。

丘を登りきった瞬間、視界がひらけた。


群青の面が、世界いっぱいに広がっている。

陽にきらめく波の向こう、煙を上げる港、行き交う帆船、岸辺を埋める屋根の群れ。


人のざわめきが、風の背に乗って届いてくる。


「なんや知らんけど……おもろそうやな」 


拳志が目を細める。


「……ええ。だけど、気を引き締めていきましょう」


アリシアの横顔は穏やかで、目だけが鋭かった。


ガルドが肩を回す。


「ま、俺らの旅が静かになるわけがねぇな」


レインは鞄の紐を握り直す。


「次も……記録が増えそうですね」


陽光が海面を白く跳ね返し、四人の影を長く伸ばす。

その先に横たわるのは、新しい出会いと、知られざる渦の街――ベルン。

彼らは風下へ、一歩ずつ足を運んだ。


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