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それぞれの出発、揺らぐ秩序

夜明け前の空気は、昨日までの熱気が嘘のように静まり返っていた。


焚き火の残り火がぱちりと弾け、小さな光がまだ暗い地面に踊っている。

拳志たちは準備を整え、出発の時を迎えようとしていた。


アリシアはすでに旅装を身にまとい、腰に剣を下げている。

王女の面影はすでになく、そこに立つのは一人の戦士。

世界を変えると誓った、強い目をした一人の女だった。


「レイン、地図は確認した?」


「はい。西の町ベルンまで、森を抜けて二日。途中に川があります」


拳志は干し肉を噛みながらあくびをひとつ。


「よっしゃ、ほな行くで……」


獣人の里の外れ。

誰も近づかない、古びた訓練場。

枯れ草の匂いと、焦げ跡の残る土の上に、ガルドは一人で腰を下ろしていた。


小さな焚き火を見つめるその瞳は、獣の鋭さとは程遠い。

ただ、ひたすらに弱く、脆く、揺れていた。


「……行けるかよ、そんな簡単に……」


低く呟いた声に、誰も応えはしない。


「もし……俺がこの里を離れたら、何かあった時、誰が守る?また誰かが攫われたら……」


唇をかみしめる。


「……でも、あいつらの旅に、本当は……俺も、行きてぇって思っちまってる」


焚き火がぱちりと鳴った。


「笑えるよな……守りたいって気持ちで、二つの道に挟まれてんだ」


そのとき、背後から杖の音。

振り返らなくても、わかっていた。


「迷うのは当然だ、ガルド」


長老の声は静かで、けれどしっかりと届く。


「お前が考えているのは、どちらも守るための道だ。だが、人はな……一度に二つの場所は守れん」


ガルドは唇を噛む。


「……ランザ兄貴なら、どうしてたと思う?」


「そうだな……あいつはきっと、誰より守りたい奴がいる場所に行っていたろうな」


「……!」


「ランザは最後まで、外の世界を見てきた。

知らねば守れぬものがあると知っていた。

だからお前も、行け。知れ。見てこい。

──この世界が、どれだけ広いかを」


長老は、焚き火越しにガルドを見つめる。


「里は、誰かが守る。お前がその誰かにならなくてもいい時もある。

だが、お前が行かなきゃ救えない未来も、きっとある」


ガルドの目が揺れる。


「……俺はずっと、里に残ることが正しいと思ってた。でも、拳志たちを見てると……それだけが正義じゃねぇって思った」


焚き火の揺らめきが、過去の記憶を呼び起こす。


「兄貴は……怖くても進んでた。俺には、あの背中がずっと、でけぇまんまなんだ」


気づけば、自分はずっとその背中を追ってきた。

今、自分の足でその先へ行くときが来た。


「その直感を信じろ。お前は今、道を選ぼうとしている。

迷ったまま止まるな。あのバカがいつも言ってただろう?」


……言ってた。

いつも背中で語るように。

黙って進むことで、正しさを貫いていた、あの背中。


ガルドは、深く息を吐いた。


「長老。……行ってくる」


立ち上がるその姿に、もう迷いはなかった。


「旅に出る。外を見て、力をつけて……この里を、俺の大事な場所を、守りきるために」


長老はゆっくり頷く。


「……それでこそ、獣人の戦士だ」


空は、ようやく東の空に光を灯し始めていた。

ガルドは拳を強く握り、獣のように駆け出す。


──仲間のもとへ。

──自分の信じた正義の先へ。



朝日が昇りはじめる頃。

拳志たちはすでに里の門を出ようとしていた。


「……行くか」

拳志が短く呟き、背を向けて一歩踏み出す。


アリシアとレインがその背に続こうとしたとき──足音が。


そのときだった。

背後から足音が響く。誰かが、息を切らして走ってくる。


「──待て!!」


振り向いたアリシアの目に飛び込んできたのは、肩で息をするガルドの姿。

その顔には泥がつき、目は真っ赤に腫れていた。


「……俺も行く! 行かせてくれ!!」


拳志が一歩、近づく。


「……ええんか?」


「……兄貴が見せてくれた背中、今なら少しだけ……わかる気がすんだよ」


ガルドは拳を握りしめたまま、拳志を見据える。


「俺も……守れるように、強くなりてーんだ」


一瞬、沈黙が流れる。


拳志はふっと笑って、肩をすくめた。


「ええやん」


そして、自分の拳をぐっと突き出す。


「行こか、相棒」


ガルドはゆっくり拳を合わせた。

拳と拳がぶつかった瞬間、何かが確かに繋がった気がした。


レインが目を潤ませる。

アリシアは目を細めて、微かに笑った。


「まったく……また騒がしくなるわね」


「ええやん。それが旅やろ」


レインも肩をすくめて涙目で笑い、ガルドは静かに頷く。


四人は並んで歩き出す。

地面には、朝日に伸びるそれぞれの影が重なっていた。


ガルドが歩き出したそのとき──

ふと背後で、しゃくりあげる声が聞こえた。


「……ガルド、おにいちゃん……いかないでよ……っ!」


振り返ると、そこには小さな少女が立っていた。

乱れた髪。こぶしで涙を拭って、それでも懸命に笑おうとする。


「また、また誰かさらわれたら……今度は、だれが……」


言葉の途中で、少女は顔を覆った。


アリシアも、レインも、何も言えずに立ち尽くす。


ガルドはゆっくり近づき、しゃがみ込んだ。


「ナナ……」


少女ナナは、ランザの一人娘。

今まで何度も励まされ、守られてきたあの背中。

その背中が、今の自分に重なる。


「ごめんな……俺、ここにはいられねぇ。けどな……」


ガルドはナナの頭を優しく撫でた。


「俺は強くなって帰ってくる。今度は、お前が泣かなくていいようにする。……絶対だ」


ナナは何も言えず、ただ小さく頷いた。


そしてガルドは、そっと立ち上がって拳志たちのもとへ戻る。


「気ぃつけてなー!」「また帰ってこいよー!」


子どもたちの元気な声が背中に届く。


(誰かのために強くなる...俺も昔はそうやったな)


振り返らずに、拳志は手だけを軽く上げた。


遠くで焚かれる朝の火の匂い。

見送りの大人たちは、何も言わずにその背中を見送っている。

言葉はいらない。想いは、それぞれの胸にあった。


拳志たちの影は、朝靄のなかをまっすぐ進んでいく。

アリシア、レイン、ガルド。それぞれが心に決意を宿し、歩を進める。


拳志は肩をぐるりと回し、空に拳を突き上げた。

「さて──次は、どんな奴に会えるかな」


その声は、朝焼けに溶けるように広がっていった。



静寂に包まれた黒い円卓。

壁一面の金属は光を拒み、息をしても反響しない。

この場所こそ――

世界の頂に君臨する「統律の塔」。


八つの椅子が半円に並ぶ。

そのうち一席は、空のまま。


「……獣人収集部隊の全滅、確認。操制核の反応も途絶えました」

報告した声は冷たく、感情の起伏を持たない。


「原因は?」

「外部干渉。魔力構造の崩壊による同時暴走。破壊者は――異物」


低い息が混じる。

白い仮面がゆっくりと首を傾けた。


「名は?」

「真堂拳志」


名を口にした瞬間、空気が硬直した。


「またか。たかが異世界の迷い人が、ここまで干渉するとはな」

皮肉を含んだ声が卓の右端から響く。

黒鉄の鎧を纏う騎士――カガーノスが、片手を組み合わせた。


「軽率な判断で放置した結果だ」

「ほう? 軍の不始末を、我らの怠慢にすり替えるか」

「どちらも正しいだろう。過剰な支配は、反発を生む。計算式の通りだ」


三者の声が重なり、わずかに空気が歪む。

それでも、誰一人として感情を露わにしない。


「……くだらん」

最上座から低い声が落ちた。

金の線が刻まれた仮面――頂点の男が、卓に指を置く。


「異物はただの誤差だ。

誤差は修正されるべき。だが……その速度が問題だ」


そのとき、扉の外から杖の音が響いた。

二度、規則的に。


全員がそちらへ視線を向ける。

入ってきたのは、漆黒の外套の男。

仮面をつけていない。

顔の半分を覆う文様が、わずかに光を返していた。


「珍しいな」

「報告会議に外部の者とは……」

「いや、彼の“商品”が壊れたのだ。報告の権利はある」


外套の男――冥道蓮は、ゆるやかに頭を下げた。


「ご挨拶を。

件の“異物”について、少々お耳に入れたくて」


「語れ」


「目覚めた、と言うべきでしょうか。

理を知らぬ者ほど、理を壊す。

彼は、世界の秩序という概念を知らない。

ゆえに、いかなる制約も受けぬ」


「……危険すぎる」

「ゆえに、価値がある」


冥道蓮の声は笑うようでいて、どこまでも軽い。

その無重力な口調が、かえって場を冷たくした。


「彼は壊す。己を、他者を、そして――この世界を。

だが“壊す方向”を与えれば、我らの理想へ辿り着く」


「導く気か」

「いいえ。泳がせるだけです。

混乱の中でしか、秩序は再定義されませんから」


しばし、沈黙。

やがて、カガーノスが低く息を吐く。


「……お前の理屈は嫌いだ。だが、筋は通っている」


「ならば、進めばいい」

冥道蓮はゆっくりと踵を返す。


「彼の向かう先はベルン。

交易と密売の拠点。その地下に、あなた方の“歯車”がひとつ眠っています」


扉の前で立ち止まり、軽く笑う。


「試すといい。

どこまで壊せるか――この異物が。

どこまで壊されるか――あなた方の理が」


外套の裾が音もなく翻る。

扉が閉じた瞬間、会議室には息づく音ひとつ残らなかった。


それでも、誰もその場を立たない。

八つの椅子に残る七つの影が、再び静寂に溶けていった。

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