焚き火と笑い声
朝の匂いは、まだ少しだけ焦げを含んでいた。
それでも里は、音で生き返っていく。
折れた柵を直す木槌の音、走り回る子どもらの笑い声、水桶の水面が揺れる音。
戦いの名残と、生活の音が同じ場所に並んでいた。
「ここ、打ち直したらええねんな?」
拳志が借りたばかりの木槌を肩に担ぎ、杭の前でニヤリとする。
「頼む!」と若い獣人の男。
どん、と一撃。杭は気持ちよく――地中に消えた。
土がぼふっと膨らみ、木槌の柄が空に跳ねる。
「お兄ちゃんそれ、壊すために叩いてるの?」
近くの子が口をあんぐり。
「ちゃうわボケ、強すぎたんや」
拳志は木槌を見て首をひねる。
「これえらい弱いな」
「力の加減を覚えなさい」
アリシアが腰に手を当て、目だけで笑った。
口は叱る調子なのに、声は柔らかい。
反対側では、レインが膝をついて板の長さを測り、几帳面に数字を書き留めている。
横から覗き込んだガルドが鼻で笑った。
「戦士が書き物かよ」
「記録は武器になりますから」
レインは真顔。ペン先は小刻みに走る。
「字、ちっちぇえな。爪で引っかいた跡かと思った」
「ちがいますよ!」
肩がぶつかり、二人ともふっと笑う。
その向こう、離れ離れだった家族が抱き合っていた。
泣き笑いの声は、土の匂いよりも濃かった。
焼けた家の跡地を囲み、誰かが枝で地面に線を引く。
「ここが寝室」「窓は朝日の方」。土の上の間取り図に、未来が描かれていく。
足を止めて眺めていたレインが、ぽつりとこぼした。
「やっぱり、人は強いですね」
「生きるって、そういうことよ」
アリシアは空を見る。薄い雲に、煙の筋が溶けていった。
夕方、風が冷えると、広場のあちこちで焚き火が灯った。
炎が揺れるたび、子どもが歓声を上げる。焼け跡の影にも、笑い声が生まれていた。
四人は、少し外れの焚き火に腰を下ろした。
渡された串を、拳志が遠慮なくがぶりといく。
「うめぇ……!やっぱケンカより肉やな!」
「そんな名言、誰も記録しませんからね」
レインが笑ってノートを閉じる。
アリシアは革の水筒から杯へ少しだけ注いだ。赤い雫が火の色を映す。
「今日くらいはいいでしょ。勝利の夜なんだから」
「お前、まだ飲むのかよ」
ガルドが眉を上げる。
「好きにさせてあげなさい」
「よっしゃ、勝利や勝利〜!」
拳志が両手を上げると、周りの子どもらが真似をして「しょうり〜!」と跳ねた。焚き火の輪が、ちょっとだけ祭りになった。
肉が焼ける音と、木がはぜる音。空は群青に落ち、火の粉だけが星みたいに舞った。
やがて、笑い声がゆっくりと落ち着いていく。
火が低くなり、耳に届くのは、炎が薪を食むささやきだけになった。
拳志が、ふと空を見上げる。
「……久々やな。星見んの」
「ずっと、空ばかりが燃えてたから」
アリシアは同じ方角を見た。目に映る星の数を数えるみたいに、言葉も少なくなる。
火がぱち、と鳴った。
拳志は火を覗き込み、素直な声で言った。
「世界って、もっと広いんやろな」
誰に向けるでもなく続ける。
「俺らの知らんところで、誰かが理不尽に泣いてるかもしれん。なら……行かなあかんよな」
「あなたは、本当に前しか見ないのね」
アリシアは苦笑しつつ、わずかに嬉しそうでもあった。
少し間を置いて、彼女も言葉を落とす。
「国の中にいるだけじゃ、見えないものがある。
私は――王都へ戻る前に、この目で見たい。人がどう生きてるのか。正義を語る前に、まず見なきゃ」
焚き火の灯が、彼女の瞳に二つの炎をつくる。揺れない光だった。
レインは膝に置いたノートをそっと閉じる。
小さく息を吐いて、まっすぐ顔を上げた。
「……僕も、やっぱり行きたいです」
拳志が横目で見て、口の端を上げる。
「この旅を記録したい。自分の目で、世界を見てみたい。書類の上じゃなくて」
「あなた、王都に戻って報告する義務があるでしょ?」
アリシアがわざと意地悪く問う。
「……あんな書類仕事、もう懲りました」
レインは真面目な顔のまま、ちょっとだけ照れ笑いした。
拳志が肩で笑う。
「ええやん。記録は――」
「武器になりますよ」
レインが言い切る。声が、いつもより芯を持っていた。
三人のやり取りを聞きながら、ガルドは火の奥を見つめていた。
炎の向こうに、遠い背中が立っている気がする。
「……俺は、守りたい場所が多すぎて、何から手ぇ出せばいいかわかんなくなる」
ぽつりと落ちた言葉に、拳志が視線だけ寄こす。
「それ、ええことやん」
「ええこと?」
「悩むのは、ちゃんと守ってる証拠や。守るもんない奴は、悩みもせぇへん。……悩みながら、前に行かなな」
ガルドは、鼻で短く笑った。
笑ってるのに、目の奥はわずかに熱かった。
夜更け。焚き火は小さくなり、人の輪もほどけていく。
レインは火のそばでノートを開き、ページの隅に小さく一行だけ書いた。
――「今日、笑った。みんなが笑った」
アリシアは離れた石に腰をかけ、黙って剣を研いだ。
刃に映る火が、細い線になって走る。
理想を守るための刃は、曇らせない。
拳志は地面に大の字になって、腹を叩く。
「腹いっぱいやし、今死んでも文句ないわ」
「こんなところで寝ないで」
アリシアがすぐ言った。
「はいはい……ちょっと目ぇつぶるだけ……」
言い終わる前に寝息が混じりはじめた。
子どもみたいに、すぐ寝る。こういうところが、皆を安心させる。
ガルドだけは、少し離れた木陰に立っていた。
星の並びを、ひとつひとつ確かめるみたいに見上げる。
夜風は冷たいのに、胸の奥だけぬるく熱い。
「……俺も、行かなきゃな」
言葉にすると、迷いが少しだけ形を失った。
目を閉じると、兄貴――ランザの背中が一瞬だけ重なる。
大きい。遠い。けれど、追いつけない背中じゃない。
夜明け前。
鳥の声が、空のどこかで試しに鳴く。
灰の中で、誰かが忘れた串の焦げ跡が、薄く赤く見えた。
アリシアが小さくつぶやく。
「……明日から、また始まるのね」
その言葉に答えるみたいに、少し離れたところから拳志の寝言。
「……焼肉、もう一枚……」
アリシアは肩をすくめて笑い、火の灰をそっとならした。
東の空が、ゆっくりと、やわらかく明るくなる。
静かな夜は終わり、温かい朝が、また始まる。




