静かな焔
夜の空気は冷えていた。
傷だらけの拳志とガルドが、ふらつく足取りで獣人の里へ帰還する。
拳志は擦り傷と打撲だらけで、服は破れ、髪には土埃がこびりついていた。
ガルドの肩には生々しい裂傷が残り、右手にはまだ乾ききらない血がこびりついている。
「拳志!ガルド!」
焚き火の前にいたアリシアが声をあげた。
その背後には、レインと無事に解放された獣人たちの姿がある。皆が駆け寄る中で、拳志はレインの前で立ち止まり、じっと見下ろした。
「なあ、レイン」
「は、はいっ!」
「敵、めっちゃおったよなぁ?」
「す、すいませんっ……予測よりも三倍以上、数が……!」
レインが涙目になりながら弁解するより早く、拳志の中指がレインの額をはじく。
「いって!」
「デコピンや。まあええわ。怪我なかったんならそれでええ」
拳志はどさりとその場に座り込む。レインは額を押さえながらも、どこか嬉しそうに笑っていた。
その後ろで、ガルドにも小さな影が走り寄っていた。
「ガルドお兄ちゃん!!」
小さな獣人の少女が勢いよく抱きついてきた。彼女は、かつての兄貴分の娘で、今回捕らえられていた一人だった。
「ありがとう……助けてくれて……!」
その言葉に、ガルドは一瞬、表情を止める。強面の顔がわずかに震え、小さな身体を力強く抱きしめた。
「……良かった」
それ以上の言葉はなかった。ただ、彼の大きな手が少女の背を優しく包んでいた。
その様子を見ていた拳志の背を、アリシアが優しく叩く。
「お疲れさま……よく戻ってきたわ」
彼女は目を細め、拳志のボロボロの姿を見てふっと笑った。
「にしても、あんたがそんなボロボロなの、珍しいわね」
拳志は肩をすくめたまま、ぐしゃぐしゃの頭をかきながら答える。
「数で来られたらなぁ……さすがにダルいわ」
そしてそのまま、どさりと地面に倒れ込む。
「腹減った……ねむい」
地べたに寝転ぶ拳志に、アリシアとレインが思わず苦笑する。
こうして、獣人の里に平穏が戻ってきた。
──そして、夜が明けた。
砦での激戦から一日。夜の帳が降りた獣人の里は、いつになく活気に満ちていた。
広場のあちこちに焚き火が焚かれ、串焼きの肉の匂いがそこら中に漂ってる。
誰かが太鼓を叩けば、それに合わせて子どもが跳ね回り、酒瓶を手にした大人たちがやたらと陽気に笑い声を上げる。
「よく生きて帰ってきた!まずは飲め!食え!」
「本当に……よく戻ってきてくれた……」
涙ながらに抱き合う家族の傍らで、武骨な戦士たちが肉を引きちぎるように食らい、ひたすら杯を交わしている。
レインはふと目を伏せた。
(まるで……戦争に勝った夜みたいだな)
拳志は焚き火の前で、豪快に肉をかじっていた。
「んまッ……肉、うめぇ……!」
骨までいきそうな勢いでかぶりつく拳志に、レインが横目で苦笑する。だが視線には、どこか尊敬と安堵の入り混じった色が浮かんでいた。
一方、少し離れた場所。
ガルドが壁にもたれ、肩の傷を押さえながら夜空を仰いでいた。荒い包帯の隙間から、まだ血の滲む皮膚が覗いている。
そこへ、アリシアがそっと歩み寄る。
「どう? 傷の具合は」
「大したことねぇよ。……獣人の回復力、なめんなよ」
「……それより」
「お前の連れがな。少しだけ、俺の過去を思い出させてくれた」
そう言って視線を焚き火の方へ移す。
拳志が豪快に肉をむさぼりながら、周囲の子どもたちに囲まれていた。誰よりも泥だらけで、誰よりも楽しげに。
「……あのバカ、見てるとさ。自分が……何を守りたかったのか、思い出すんだよな」
アリシアはそっと口元を緩めた。
「案外、あなたも似てるのかもね。あのバカと」
ガルドはわずかに顔をしかめた。
「……冗談はやめろ。あんなのと一緒にすんなよ」
だがその表情は、どこか誇らしげでもあった。
宴の熱気が少しずつ落ち着きを見せ始めた頃だった。
中央の焚き火の近くで肉をかじっていた拳志たちのもとへ、一人の獣人の青年が駆け寄ってきた。まだ少年の面影が残る若者で、息を切らしながら簡潔に告げる。
「村長が……あなたたちを、お呼びです」
「今ええとこやのに……」
拳志が骨の残った肉をくわえたままぼやくと、すぐ隣で座っていたレインが、苦笑しながら肘でつついた。
「たぶん……大事な話ですよ、これ」
アリシアとガルドも立ち上がり、四人は静かに長老の住まう屋敷へと向かった。
広くもないその屋敷の囲炉裏部屋。既に火は落ちていたが、炭の赤みが仄かに残っていた。長老はその前にどっしりと座り、目だけで彼らを迎える。
「来てくれて、感謝する」
長老の声は低く、だが確かな力があった。
「さきほど、昼間に若い戦士たちに命じて砦の再調査を行わせた。敵の残党が潜んでおらぬかを確認するためじゃ」
ガルドが眉をひそめた。
「で、何かわかったのか?」
「……砦には、もはや一人もおらなんだ。人の気配すら、完全に消えとった」
重い沈黙が落ちた。
しばしの間を置いて、レインが静かに口を開く。
「やっぱり……あの兵たちは、生きた人間じゃなかったんですね」
「……何?」
「砦の周囲に魔力の残滓が残ってました。しかも、構築系――つまり創造魔法の痕跡です」
レインは淡々と続ける。
「恐らくあの兵たちは、誰かが魔法で造った模造兵。一定の命令に従って動くだけの、言ってしまえば魔力の塊です。指示が途絶えれば、残滓とともに消える仕組みでしょう」
拳志が鼻を鳴らした。
「だからバラバラにしたとき、やけに軽かったのか……血も出んかったしな」
「はい。死体がなかったのも、それが理由でしょう」
静寂が落ちる。誰もがその異常さを、改めて飲み込もうとしていた。
──その中で、長老がぽつりと続けた。
「だが、妙なものが残っておった。地下の隠し部屋から、複数の記録文書が見つかってな」
長老は背後から、分厚い巻物の束を取り出す。古びた羊皮紙に、魔術的な封印と記号が描かれている。
「これは……奴隷売買の記録⁉︎」
アリシアがページをめくりながら呟いた。そこには、連れ去った獣人の数、年齢、性別、取引先の名が細かく記されていた。
「まぎれもなく、人攫いの犯罪集団のものじゃ。攫われた者たちは、奴隷として各地へ売られ、あるいは……燃料として使われるつもりだったのだろう」
焚き火の赤が揺れた。誰も、次の言葉を継げなかった。
「……燃料ってなんやねん」
拳志が眉をひそめて問い返す。
レインが顔を曇らせたまま、口を開く。
「……禁呪魔法の中には、生きた魔力を持つ存在を媒介にするものがあります。生きたまま、その力を……搾り取るんです」
「はァ!? 人間を魔法の材料にすんのか!? 頭イカれとんのか、ボケが……!」
拳志が怒声を上げ、拳を握り締める。
「けど……おかしい」
レインが紙束を凝視したまま、小さく首を振る。
「この団体──“冥道組”って名前。昔、王国騎士団によって壊滅させられたはずなんです。幹部は全員捕縛、記録では組織も解体されたはずなのに…」
拳志の眉がわずかに動く。
(冥道……)
胸の奥で、かすかなざわめきが走る。
「……ほな、あいつら何やってん……残党か?」
アリシアが目を細め、首を振る。
「……それとも、別の何か……かもしれない」
「──この事件の裏には、わしらの知らぬ闇が潜んでおるのかもしれんの」
長老の言葉が落ちた瞬間、囲炉裏の炭がパチ、と音を立てた。
静寂が、場を覆う。
アリシアが、静かに前を見据えたまま口を開く。
「……私、もっと知るわ」
拳志が視線を向ける。
「この国を変えたいなんて、口だけで言うつもりはないわ。
綺麗なものだけ見て、正義を語って、満足してたらきっと、また同じことが起きる」
アリシアの瞳は揺れていなかった。
「見なきゃいけないのは、汚れてるところ。
踏み込まなきゃいけないのは、見たくなかった場所。
それでも、前に進む覚悟がなきゃ……この国は、何も変わらない」
その言葉には、揺るぎのない意志が宿っていた。
ガルドもまた、赤く燻る囲炉裏の火を見つめていた。
レインの瞳にも、確かな決意の光が宿っている。
拳志は焚き火の前から立ち上がり、誰に向けるでもなく吠えた。
「ええやん。潰したるわ!冥道組も、国も、クソも──全部まとめてや!」
静寂が落ちる。
だが、彼の目にもまた、揺るぎのない意志が宿っていた。




