けっしてカブトムシを放ってはいけない部屋
親友の美沙が一日だけマンションの部屋を留守にするというので、私が留守番をすることになった。
留守番とはいっても、じつはお願いしたのは私のほうだ。彼女の豪華なマンションの部屋にぜひとも住んでみたかったのだ。
「置いてあるものは動かさないでね。ゲーム機は好きに使っていいわよ。蛇口も好きにひねってね。猫とも好きに遊んで。スマホも見ていいし、オ・ナラもしていいわよ」
私を連れて、美沙は部屋の中を案内してくれた。
「汚したらちゃんと掃除してね? ベッドのシーツは私が帰るまでに取り替えて」
「男なんか連れ込まないわよ」
私はそんなつもりは本当になかった。
「ただ、いつもの安アパートとは違う暮らしがしてみたいだけだから」
キッチンへ案内すると、美沙は冷蔵庫を開けた。
「中に入ってる食料品、自由に食べていいわよ。賞味期限の近いものから片付けてね?」
開けられた冷蔵庫の中を見て、私は盛大に驚いた。
「高級食品がいっぱい! これ、好きに食べていいの?」
「うん」
「わぁい♪」
「ただひとつ、カブトムシだけは絶対に部屋に放たないでね」
「そんなの放つわけないでしょうが!」
「それじゃお留守番、お願いね」
美沙はまるで海外旅行にでも行くみたいな大荷物を身の回りに出現させると、部屋をすうっと出ていった。
「へへ……。ブルジョワ気分」
私はふかふかのベッドの上で飛び跳ね、ゲーム機で遊び、蛇口をひねり放題にひねり、猫と遊び、スマホを見ながら放屁し、冷蔵庫の高級食品を猫と一緒に食い尽くすと、やることがなくなった。
ふいに呼び鈴が鳴った。
美沙の客だろうか? 男だったら品定めしてやろうと思いながら出ると、小学校低学年ぐらいの男の子がそこに立っていた。
「お姉ちゃん! カブトムシ持ってきたよ」
虫採り網と虫かごを装備したその子は、あかるい声で自慢するように、そう言った。
「え……。や、やめて」
私は首を横に振り、追い返そうとしたが、男の子は私の横をすり抜け、部屋の中に入っていた。
「放すよー?」
「やめてえええぇえ!」
カブトムシが飛んだ。
ビイィィィン……と、おそろしい音を立てて、天井のシーリングライトめざして、羽根を広げて飛んだ。
カブトムシを部屋に放ってしまった!
一体どんなおそろしいことが起きるのだろうと思っていると──
部屋のあちこちから、虫が現れた!
クワガタ、コガネムシ、ゴキまで、さまざまな虫が、カブトムシに釣られるように姿を現した。みんな体が透き通っている。虫の幽霊だ!
「ゲハハハ!」
男の子が、餓鬼のように笑う。
「虫だ! この部屋を虫で満たしてやるのだ!」
戦慄しながらも、ふと姿見に視線をやると、そこに鬼のような形相の美沙が映っていた。
「あれほどカブトムシを放ってはいけないと言ったのに!」
私のせいじゃない!
私が放ったんじゃない!
そんな言い訳も頭の中でぐるぐる回るだけで、いつしか私もウフフ、アハハと笑いながら、男の子と一緒に虫だらけの部屋で赤いスイカを切っていた。