プリンとさよならの予感
夢の世界に、空気の揺れがあった。
花の咲く丘にいた少女がふと立ち止まり、空を見上げた。
剣を研ぐ老騎士が、ふと手を止めた。
魔法都市の広場で詩を歌っていた旅人が、静かに詩を閉じた。
まるで風が「誰かがいなくなる」ことを知っていたかのように。
「ID042、永久眠結が決まった」
アキラはその報告を受け、手元の鍋を止めた。
「……今夜か」
AIミレイの無機質な声が続く。
《脳の深部組織の劣化が進行。医療ユニット判断により、意識同期夢からの切断処理が実施されます》
アキラは頷いた。
彼らの眠りは、“生”そのものと等しい。
だから、夢を切られるということは、本当の終わりを意味していた。
「最後に、何か食べたいものがあるかって聞いたのか?」
そう言って、アキラはカラメルを火にかけた。砂糖がゆっくりと焦げていき、ほろ苦い香りが立ち上る。
《返答内容:『母のプリン。すこし苦いカラメルがいい』》
「渋いチョイスだな」
プリン液を湯せんにかけてオーブンに入れながら、アキラはその記録者の夢履歴を呼び出した。
夢の中の彼は、剣士だった。寡黙で、孤独で、何かを守り続けていた。
そして唯一、母が作ったものを食べるときだけ、彼は表情を緩めていた。
夢の世界。
その男は、古びた小さな食堂に座っていた。
正面には、亡き母がにこやかにプリンを差し出していた。
「すこし焦がしすぎたかも。でも、昔からおまえは嬉しそうに食べていたね。。。」
「……ああ。これが、いちばんいい」
彼はスプーンを手に取り、すこし震えながら一口すくった。
やさしい甘さと、舌に残るほろ苦さ――それが、“さよならの場所”の味だった。
厨房。
オーブンの中で、プリンがゆらゆらと揺れている。
アキラはそれを取り出し、静かにカラメルをかけた。
「……俺にも、こういう味、あったのかな」
記憶の底に沈んだ甘さが、ほんの少しだけ、彼の胸をくすぐった。
《ID042、意識同期の切断完了。生体活動停止を確認。記録データ、保存》
アキラは何も言わなかった。ただ、目の前のプリンにスプーンを入れた。
すこし苦くて、あたたかい甘さだった。
「おつかれさま。――また、どこかで」