おにぎりと帰るべき場所
それは夢の中で始まった。
記録者ID042、コードネーム“ミナ”。
彼女は広い草原の中で、ぽつんと一軒の家の前にいた。
微かな懐かしさを感じ扉をくぐる。
なぜか部屋の構造も分かる。迷うことなく廊下を進み出たところは
台所だった。
炊きたての白米の匂い。海苔の香り。そして、ほんのり塩のきいた手の温もり。
小屋の中央に、誰かが握ったおにぎりが置かれていた。
「……これは、わたしの、家……?」
ミナの目から涙が流れた。夢で泣くのは、本来あり得ない。だがそれは確かに、彼女の心のどこかに刻まれた“記憶の味”だった。
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一方、シェルター。
アキラは炊飯器を開け、湯気と共に立ち上る米の香りを吸い込んでいた。
今日のメニューは「おにぎり」。
「中身は……昆布と梅干し。定番すぎて地味かと思ったけど、今日はこれしかないって気がしてさ」
そう呟くアキラに、AIミレイが応答する。
《記録者042の夢において、“おにぎり”が強く象徴化。夢世界に家族構造の原型が再現されつつあります》
「家族……か」
アキラは、ふとシェルター内の旧データベースを開いた。
記録者042――ミナの本名、ミナミ・ユイ。
年齢8歳。避難時には母とともに登録。だが、避難直後に母親は医療ブロックで凍結処置中に故障が起き、現在は稼働不可のままだった。
「……ミナの母親、“もう帰ってこられない”って、AI診断ではなってたな」
アキラは静かに手を洗い、炊きたての白米を丁寧に握る。
炊飯器の温度、塩加減、手の圧力、海苔の巻き方。どれも機械では出せない「人間の作業」だった。
1個目は昆布、2個目は梅。
どちらも、母親がよく作っていたという記録に基づいていた。
《補足:ミナの夢内で“母親らしき人物”が現れ、おにぎりを渡す描写が記録されました》
「じゃあ、俺のこの手は……間接的に、あの子に“母の記憶”を届けてるってわけだ」
アキラは、おにぎりを一口かじった。
塩味、昆布のうま味、白米の甘み。
それは“地球の味”だった。地上で人類が当たり前に味わっていた、記憶の中の幸せ。
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夢の中。
ミナは、母親の姿をした女性からそっとおにぎりを渡されていた。
「いつでも帰っておいで。うちにあるのは、おにぎりだけだけど……それでいいでしょ?」
ミナは涙を流しながら、うん、と小さくうなずく。
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料理が“居場所”や“絆”として機能し始めている。
眠るだけの夢ではなく、
逃避するだけの幻想ではなく、
失われた物、思いが蘇る
アキラは食べ終えたあと、そっとつぶやいた。
「もう一度、あいつらに会えるとき……ちゃんと届けてやりたい」