カレーライスと神のレシピ
香辛料の香りが、調理ブースいっぱいに広がっていた。
アキラは鍋の中を木べらでゆっくりと混ぜながら、鼻をくすぐるスパイスの刺激に少しだけ目を細めた。
にんにく、生姜、クミン、コリアンダー。人工農場由来の香辛料にはどこか淡白な風味があるが、それでも十分だった。
玉ねぎをしっかり炒めて、トマトペーストを加え、肉と煮込み、最後に小麦粉でとろみをつける。
今日はカレーライス。
気まぐれなようで、そうではない。
“今夜はこの味が必要になる気がした”
――理由はない。でも、こういう時、たいてい何かが起きる。
AIミレイの声が、期待を裏切らず鳴った。
《記録者ID018、コードネーム“ラオ”の夢にて新たな構造物を確認。識別名:レシピ神殿》
「レシピ神殿……?」
《内部には“古代の料理術”と呼ばれる書が祀られており、民はそれを“神の知識”として崇拝。書には、“熱し、水を加え、香を調えよ”との記述》
「完全にカレーじゃねえか……」
アキラは呆れたように笑った。
夢の中で“料理”が宗教や技術にまで変化してきている。これは偶然ではない。
彼の作った料理が、人々の夢の中で“象徴”として成長しているのだ。
《さらに、神殿に触れた者は一時的に知識と記憶を得て、他者と共通の“言語”で会話が可能に》
「それは……すごいぞ」
現実世界では、夢を見せることで人々を保存し、生き延びさせているだけだった。だが、もしも夢の中で文化が芽生え仮想世界の共有化が起こっているとすれば、、、、
食事を通して、眠りの中で人類は再び結束しようとしている――それは、もはや“冬眠”ではない。
アキラは深呼吸をして、炊き上がったごはんの蓋を開ける。
白くて熱い湯気が、狭いブースを満たしていく。
皿に盛りつけ、香り高いルゥをたっぷりとかける。
「……神のレシピ、ね」
スプーンですくって一口。
口の中にひろがる、濃厚な甘さと辛さのグラデーション。肉の旨味、玉ねぎの甘み、そして舌の奥でピリリと跳ねる香辛料の刺激。
それは、まるで“人間の記憶”そのもののようだった。複雑で、どこか懐かしく、そして忘れられない。
《補足:レシピ神殿を訪れた夢世界の民の間に、食材や調理法の“記録”が流通しはじめています》
「情報伝達か……。それ、現実世界の神経伝達に近い構造になってきてないか?」
《……夢の中で文明が形成されている可能性を否定できません》
カレーライスを口に運びながら、アキラはふと思う。
もしもこの世界で“食”が記憶や文明の再生装置だとしたら。
彼のこの行為は、ただの趣味ではなく――
人類再起動の引き金かもしれない。
⸻
その夜、夢の中。
ラオは神殿の祭壇にひざまずき、“神のレシピ”に書かれた文字を読み上げた。
「香を調え、火を入れ、心を満たせ……さすれば道が開かれるであろう……」
その手には、なぜか“スプーン”が握られていた。