オルタ・コード -その記録、やり直しますか?-
その日、私の世紀の大告白は、あっけなく失敗した。
「……ごめんね」
藤倉紅葉はそう言って、少し困ったように笑った。
私が、いちばん見たくなかった顔で。
教室の窓から差し込む光も、夕暮れの匂いも、全部色を失って見えた。
私はうまく返事ができなくて、俯いたまま、「そっか」とだけ言って、その場を立ち去った。
帰り道、イヤホンから流れる曲が、やけに軽くて腹が立った。
通い慣れたはずの道が、いつもより広く感じる。
期待なんてしてなかったはずなのに。
でも、ちゃんと傷ついていた。
家に帰り、制服のままベッドに倒れ込む。
スマホの画面が、やけにまぶしい。
──オルタ・コード起動中。
選ばれなかった記録を、ひとつだけ改変できます。
やりなおしますか?
……は?
疲れていたせいだと思いたかった。
でも画面は消えない。問いかけは、何度も繰り返された。
「あなたの“好き”が成功する確率、初回は3.2%。
失敗後、やり直した世界では5.8%。
次は、もう少しうまくいくかもしれません」
……もう、どうにでもなれ。
私は、震える指で「はい」を選んだ。
*
次の朝、世界は“書き換えられて”いた。
紅葉は、私の気持ちなんて覚えていなかった。
いや、“なかったこと”になっていたのだ。
ふたりは、また普通のクラスメイトに戻っていた。
「ねえ、真白ちゃん。お昼、コンビニ行こ?」
「……うん」
私は頷きながら、胸の奥に残った小さなざらつきを飲み込んだ。
あの日の答えは消えた。
でも、あの日の感情は、私の中だけにちゃんと残っていた。
それが、たまらなく怖くて、たまらなく愛しかった。
「次は、ちゃんと伝わるように言おう」
私は、もう一度、紅葉に想いを伝えた。
言葉を選び、タイミングを変えて、手作りのお菓子まで添えて。
でも──結果は同じだった。
「うれしいけど……ごめん」
また、あの画面が現れた。
「成功確率は14%。
記録を、もう一度改変しますか?」
私はうなずいた。
3回目は、放課後の帰り道。
風に吹かれながら、並んで歩く瞬間を選んだ。
紅葉は頷いてくれた。でもその一週間後、突然学校に来なくなった。
理由は誰にも知らされず、私も聞けなかった。
4回目は、手紙にしてみた。
でもその世界では、紅葉は違う誰かとよく笑い合っていた。
言葉を交わすことすら難しかった。
5回目、6回目、7回目。
私は“伝える”ことを、何度もやり直してきた。
伝えるたびに、世界は形を変えた。
だけど、望んだようには変わらなかった。
「変えなきゃよかった世界」ばかりだった。
気づけば、私は紅葉の“笑顔”を思い出せなくなっていた。
どの改変でも、その笑顔は長くは続かなかった。
「私の想いが、彼女の未来を奪っているのかもしれない」
そう思ったとき、画面が静かに告げた。
「記録改変可能回数:残り1回
これ以上は、“対象の中身”に影響が生じます。」
私は黙って、画面を閉じた。
*
翌日、私は紅葉に会いに行った。
いつもの屋上。
風が少し冷たかった。空は澄んでいて、遠くの校庭の音が小さく聞こえた。
「ねえ、真白ちゃん」
紅葉は、夕陽を背にして微笑んだ。
その目は、やっぱり少しだけ、寂しそうだった。
「また何か、隠してる?」
私は、黙って頷いた。
本当は、話してはいけないのかもしれない。
でも、話さなければ、私はまた彼女を見失ってしまう気がした。
「元気ないの、見てたらわかるよ。
だって、親友なんだもん」
紅葉は、そんなふうに笑った。
変わらない声、変わらない距離。
でも私は、胸の奥で、ほんの少しだけ深く息をついた。
スマホの画面が光る。
「最終改変の確認です。
“想いが通じる世界”を選びますか?」
私は、画面を見つめた。
いまなら、もう一度だけやり直せる。
想いが通じる結末に、書き換えられるかもしれない。
でも。
それは本当に、彼女の言葉だろうか。
私の望んだ世界が、彼女の気持ちごと塗り替えてしまうのなら。
「……もう、大丈夫」
私は、静かに「いいえ」を選んだ。
画面が、ふっと暗くなる。
一瞬のノイズのあと、表示は完全に消えた。
まるで最初から、何もなかったみたいに。
私はスマホをそっと伏せる。
その重さが、少しだけ軽くなった気がした。
「ありがとう、紅葉」
「え?」
「ううん、なんでもないよ」
紅葉は首をかしげて笑った。
その笑顔が、初めて会ったときと同じで、ほんの少し、まぶしかった。
私は、届かなかった“好き”を、これからの時間でちゃんと“たいせつ”に変えていく。
言葉にならなかった想いも、選ばれなかった記録も、全部この胸にしまって。
たとえその気持ちが返ってこなくても──
この感情は、私がちゃんと生きていた証だから。
“やり直す”必要なんてどこにもなかったんだ。