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美亜の家系は女性に限り、昔から不思議なものが見えた。祖母と母、それと美亜だけに受け継がれる能力だ。
といっても、見えるだけで他に何もできやしない。兼業農家の星野家では、そんな能力は無用の長物で、美亜にとっては呪わしいものでしかなかった。
幼い頃から美亜は、田舎道で三つの目を持つお坊さんとか、真冬の河原でじっとしている女の子とか、中央分離帯でボール遊びをしている男の子とか、自動販売機と壁の間に挟まってブツブツ呟いている作業着の男とか──そんな摩訶不思議なものを見てしまっていた。
母親も祖母も同様に見えていたので、星野家では「あ、やっぱあんたも見えるんだ」と別段大騒ぎすることはなかったが、「変なものが見えることは絶対に口にするな」と厳命した。
素直に頷いたみたものの、幼い美亜にとって、人ならざるものとそうでないものを区別するのは難しかった。
見た目からおかしいのは、すぐにわかる。有り得ない所にいる人っぽい何かも、半透明な人も無視の対象だとわかる。
だがしかし、限りなく人に近い何かは存在する。
一緒に遊んでいた友達が急に増えたり、友達の家に遊びに行った際に、赤ちゃんがハイハイしていたり。友達のお父さんの後ろに奇麗な女性がいたり。
悪気は無かった。でもうっかり口にしてしまうことは防ぐことができなくて、気付けば美亜は「嘘つき」と呼ばれるようになった。友達は一人、二人と去っていった。
美亜は嘘は吐いていない。見たままを口にしただけ。しかし稀眼を持たない人にとっては、美亜は嘘つきでしかない。
その結果、美亜は孤立し、虐めを受けるようになり、だんだん学校を休むようになった。両親も祖母も兄も、学校を休み続ける美亜を咎めることはしなかった。
学校に行きたいのに行けないジレンマを抱えて自宅に引きこもっている間、美亜の心の拠り所はテレビだった。
画面越しに見る都会は夜がなくて、色んな人がいる。ここでなら自分はきっと自分らしく生きていける。
そんな願望から美亜は都会を目指し、再び学校に行くことにした。無視をされ、陰口をたたかれても、ぐっと堪えてとにかく短大まで出た。変なものを見てしまう能力は、受験勉強中にいつしか消えた。
そうして普通の人として手に入れた、都会暮らし。
なのに……まさかここで、自分のコンプレックスをさらけ出されるなんて夢にも思わなかった。
*
余命宣告を受けたような表情で地べたに蹲る美亜を見て、くくり姫は口元を扇で隠しながら指宿に問いかけた。
「のう、狐よ。この童は何をそんなに嫌がっておるんだ?それとも遊んでおるのか?」
「さあな。まぁ、遊んではいないだろう。おそらく稀眼持ちのせいで嫌なことでもあったんじゃないのか?」
「それはまたけったいな。童、その能力を誇れ。悪く言う奴がおるなら何が悪いと開き直れ。そなたは稀有な力を持っておるのだぞ。わらわとこうして会話ができるのは、大変有難いことなのじゃ」
「誇れません!嫌ですよ、こんなのっ。私、普通がいいんです!」
嚙みつくように叫ぶ美亜に、くくり姫は扇を閉じると困ったものだと言いたげに額に手を当てた。指宿も理解できないといった顔をする。
「はぁー。一昔前じゃ、皆喜んでいたのにのう。……これも時代か」
「ま、時代だな」
「ほんに時代の流れとは面白い」
「だな」
最終的に悲痛な訴えをのほほんと受け流すこの二人は、やっぱり人間じゃないと美亜は痛感した。
「あの……本当にお二人は、本当に人じゃないんですかぁ?」
「ああ」
「そうじゃ」
あっさりと認める二人に、美亜はちょっとは空気を読んで迷うふりくらいして欲しいと切に願う。
それなのに指宿とくくり姫は、地べたに蹲ったままの美亜を無視して淡々と会話をする。
「ま、童。そう落ち込むでない。ところで狐よ。この童の悪縁とはなんぞや?」
「どうしようもねえ下衆な男に付きまとわれてるんだ。さっさと切ってくれ」
「あい、わかった」
会話を終えたくくり姫は美亜の前に立つ。そして優雅な所作で膝を折り、手に持っていた扇で美亜の顎をすくい上げた。
「……ほう。狐の言う通り、面倒な縁がからみついておるわ」
「だろ?俺でも見れるくらいなんだがら、相当な悪縁だろうな」
「そうじゃな。これは笑うしかないなぁ。ほほっ」
「他人事だからって、笑わないでください」
愛想笑いではなくガチ笑いするくくり姫に、美亜がジト目で訴えれば、指宿もゲラゲラと笑い出す。最低だこの二人。
神様か何だか知らないけれど、人の不幸を笑うなんて最低だ。などと美亜が心の中で悪態を吐けば、くくり姫は猫のように目を細めた。
「童も笑え。笑い飛ばせば大概は上手くいく」
「えー」
「えーではない。とにかく笑え。そうしてわらわに願え。悪縁を切っておくれと。さすれば万事解決じゃ」
「……あ、あははっ。ははっ。あ、あのう……何とかしてください。お願いします」
「良い、それで良い。人は笑っておればよいのじゃ。笑ってもどうすることができないことは、わらわ達神の出番じゃ。愛しい人の為に何とかしてくれよう」
笑みを深くしたくくり姫は、おもむろに立ち上がり扇をパチンと鳴らした。その一拍後、美亜は驚愕した。
「な、な、な……なんっ」
扇を鳴したくくり姫は、瞬き一つで巫女の姿に変わったのだ。
しかし驚くのはそれだけではない。くくり姫が手に持っていた扇は神楽鈴に変わり、美亜を中心にして色とりどりの糸がグルグル円を描き始めた。
廃墟寸前の庵の中で繰り広げられるイリュージョンに、美亜は目を白黒させる。
「見えるか、童。これがそなたの縁じゃ」
「……えん」
「そうじゃ。人は生まれながらにして縁を持つ。そして生き続ける限り縁は増え、減っていく。見よ、これが童を苦しめる悪縁じゃ」
「くっろ」
赤、青、水色、金に白。クラッカーから飛び出た紙テープみたいな色彩が溢れる中、一際目立つ黒い糸……いやロープと言っても過言ではない太いそれが一際主張している。
なるほど。これは太い。ちょっとやそっとじゃ切れなさそうだ。
「ほんに醜い縁じゃ。しかも強固であるなぁ。……童、泣くでない。よいよい。わらわの手に掛かれば、造作はない。安心しろ、涙を拭け」
半信半疑どころか一信九疑だった美亜だが、目に見えてしまえばあっさりと手のひらを返し、くくり姫に向け深々と頭を下げる。
「よ、よろしくお願いします!」
「ほほっ、現金な童じゃこと。だが、人とはそうであれ。童、そなたの名は?」
寛容な神様のお言葉に礼を言い、美亜は己の名を告げる。
「星野美亜……良き名じゃ──美亜、そなたの悪縁は、縁を結び縁を繋ぎ縁を司る菊理媛神の名の下に断ち切ろう」
くくり姫は神楽鈴を掲げシャンと鳴らす。明るい色彩の糸は消え、禍々し悪縁の糸だけが残った。
「天格大凶、地格大吉。悪運強めの星野美亜にこの先、幸多からんことを」
「ちょっと!」
シャン、シャン、シャン。酷い言われように美亜は、ついついくくり姫に嚙みついてしまったが、鈴の音にかき消されてしまった。手の甲で口元を押さえて肩を震わせる指宿が忌々しい。
そんな状況でも、くくり姫は黒い糸だけを見ている。その美しい立ち姿に、そのまま舞の一つでも披露してくれるのかと思いきや──
「ぅおりゃーーー!!」
くくり姫は有り得ないことに、神楽鈴をハンマーのようにして悪縁の糸をで叩き切ったのだ。
「っーーーーー!!」
ブチンッと音を立てて切れた悪縁に美亜は声にならない悲鳴を上げ、上り框で足を組んで傍観していた指宿は慌てて立ち上がる。
一仕事終えて満足げな表情を浮かべるくくり姫と、血相変えてこちらに駆け寄ってくる指宿を視界に入れながら、美亜はあまりの衝撃に耐え切れず意識がプツンと途切れてしまった。