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天狐の初恋  作者: 当麻月菜
【序章】 それはきっとハロウィンだから
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 ──5日後。給料日。


 金曜日の夜でも美亜が住む地域は、まだ寝るのには早い時間だというのに静まり返っている。


 街灯の明かりも心なしか控えめで、エコバッグに入った金ラベルのビール缶がしょんぼりしているように見えるし、それを持って歩く美亜の足取りもトボトボだ。


 一ケ月頑張った自分を労り、来月の給料日まで頑張るためにも、もっとテンションを上げるべきなのに。


「……なんか違う。でも、これが現実なんだよね」


 立ち止まって都心の方角に目をやるけれど、東山タワーが邪魔してツインタワーは見えない。


 ギネスブックに登録された高層の駅ビルなら、名古屋のどこに住んでいても視界に入ると思っていたけれどそうじゃなかった。


 名古屋に移り住んで、がっかりしたのはこれだけじゃない。憧れの都会生活は、美亜が思っているより厳しかった。


 新幹線を降りて名古屋駅を出た時、この街は眩しいほどにキラキラしていた。

 

 ツインタワーが聳え立ち、その近くには、らせん状にデザインされた専門学校のビル。足元には都会の象徴である地下鉄が走っているし、地上を歩く人たちはスーツ率が高くて、トラクターなんて一台も走っていない。


 おばあちゃん、ありがとう。私、ここで頑張って生きていくね。そして誰よりも輝くキラキラ女子になるから!そう決意した美亜であったが、いきなり就職先で躓いた。


 地元では黙っていればそこそこ可愛いと言われた美亜は、都会なら仕事なんて幾らでもあるし、希望する仕事に就けると思っていた。


 しかし、美亜は元は引きこもり。ガチガチに緊張して面接を受けた結果、不審者と間違われても仕方がないような対応しかできず、どこからも採用通知を受け取ることができなかった。


 あまりの不甲斐なさに、美亜は半分闇落ちした。それを見るに見かねた兄が、派遣社員という道を進めてくれて、こうして都会暮らしができている。


 今の職場にいる派遣社員仲間は気さくに接してくれる。お化粧だって上手になったし、カラーリングした髪は都会色のセミロングで、ド田舎で暮らしていたあの頃より格段にあか抜けた。


 でもやっぱり何かが違う。まかり間違っても、給料日に一人寂しくコンビニでビールを買う生活を夢見ていたわけじゃない。


 美亜は手に持っているマイバックに視線を落として、溜息を吐く。


「……新しい出会いとかないかなぁー」


 などと呟いたのが間違いだったのだろう。背後から、聞き覚えのある声がした。


「おう、美亜。久しぶり、元気してたか?」


 声の主は元彼である山崎圭司(やまざき けいじ)だった。彼は美亜にとって初めての恋人であり、黒歴史でもある。


 元彼こと山崎圭司は、美亜が派遣社員に落ち着くまで働いていた居酒屋のバイト仲間だった。


 圭司はミュージシャン志望で、万年金欠。でも語る夢は一丁前。キラキラ女子を夢見るド田舎出身の美亜が、絆されてしまったのは仕方が無かったことではあるが、一生の汚点である。


 しかもこの男、別れてからも金を無心する最低な人種だった。


「お、ビールじゃん。ってことは給料日だろ?」

「……そ、そんなの、あんたに教える必要なくない?」

「もったいぶるなよ。お前、金ラベルは給料日にしか飲まないって言ってたじゃん。やりぃ、ラッキー!あのさぁ──」

「貸すお金なんてありません。それより、貸したお金返して」


 すっぱりと美亜が遮れば、圭司は露骨にムッとした顔になる。


「はぁ?貸した??馬鹿言うなよ。アレは俺に対する投資だろ?ケチ臭いこと言ってんじゃねえよ。それに俺は貸してくれなんて一言も言ってないぞ。お前が勝手に札を押し付けたんじゃん」

「なっ……!?」


 あまりの言葉に、美亜は目くじらを立てた。盗人猛々しいとはまさにこのこと。唖然とする美亜に、圭司はニタリと笑いかける。


「美亜さぁ、貴方の夢は私の夢だって言ってたよな?アレ嘘だったわけ?そんなわけないよなぁ。一生俺の一番のファンでいるって言ってたよな?今更ナシはないよな?ってことで、とりあえず3万くれ」

「は?」


 黒歴史を語られた挙句、最終的に強請られた自分は世界で一番恥ずかしい存在だ。


 美亜は一先ず周囲に人がいないか確認する。幸い通行人はゼロ。恥をかかなくて済んだことにホッとしつつ、うんざりした表情を浮かべて口を開いた。


「3万くれって馬鹿なの?冗談じゃないわよっ。確かに世間知らずの私は、あんたを応援してたけど、それは過去の話。口先だけの男に、もう情なんてないわよ。さっさと消えて」

「は?俺、ライブやってるじゃん」

「来客が会場の半分にも満たないのは、ライブとは言えません」

「ふざけんなっ。それは他のメンバーが悪いんだよっ」

「相変わらず責任転嫁するのね。あんたのギターが下手なのが、最大の要因でしょ!?ってか、いい加減、コード覚えたの?」

「知ったようなこというなよ!あのなぁ、ギターは感性で弾くんだから、コードなんて覚える必要ないんだよっ」

「それアルファベット覚えなくても、完成で英文書けるって言ってるのと同じ。基礎できていないのに、偉そうなこと言わないで。そんなことより、これまで貸したお金返して」

「だぁーかぁーらぁー、あれはお前が勝手にくれたやつだろっ」

「あげてないわよ!」


 もういい。本当に馬鹿馬鹿しい。こんな奴に構っていられない。


 返済してくれることを期待してなかった美亜は、不毛な言い争いより、冷たいビールを選んで青筋を立てたまま歩き出した。しかし五歩足を進めた時、


「おいっ、とにかくお前は黙って金出せばいいんだよ」


 耳を疑う台詞と共に、エコバックを取り上げられてしまった。バックの中にはビールが2本とつまみが2種類。あと、お財布。


「ちょっと返してよ!」

「うるせぇ!」


 バックから財布を取り出した圭司は、当然のように札を抜こうとする。こんな最低な男に、汗水たらして稼いだ給料を誰が渡すものか。


「おめぇこそ、うるさいっ!はたくぞ!!」


 封印していた方言を丸出しにした美亜は、圭司に体当たりをして財布を取り返した。そして地面に投げ捨てられたエコバッグを拾い上げると、全力で疾走する。


 人通りの無いアスファルト通りに、サンダルのパタパタ音が響く。遅れて追いかけてくるスニーカーの音は圭司のもの。


「おい待てよ!」


 臨時収入を逃すまいと、圭司はがむしゃらに追いかけてくる。


 山育ちの美亜は脚力には自信がある。それなのに引き離すことができないなんて、すごい執念だ。美亜は少し悩んで裏路地に入る。


 時刻は23時。住宅街は金曜の夜とはいえ、明かりはほとんど消えている。


 ああ、何が悲しくて給料日に元彼と逃走劇を繰り広げないといけないのか。こんなのキラキラ女子がすることじゃない。


 テレビドラマのようにイケメンに追われて口説かれるならまだしも、捕まったら最後、財布の札が消える状況に、美亜は足を止めずに涙を浮かべた。


 そうしていても、まだ圭司は追ってくる。本当にしつこい。


「おい止まれって!家賃払わないと俺、アパート追い出されるんだよ!頼むから金くれよ!」


 背後から叫ぶ声に、美亜は知ったことかと心の中で悪態を吐く。


 もううんざりだ。そう言われて何度も家賃を肩代わりした過去の自分が憎らしい。あと友達と言っておきながら、圭司を寝取ったあの女も憎らしい。


 たしか加奈って言ったっけ。初対面で「あー名前に”美”が付く人って大概美人じゃないんですよねぇー。あ、美亜さん”美”がつくんですかぁー?マジうける」と言ってくれた失礼女。全然、ウケないよ。


 などと美亜の思考が脱線した瞬間、空気が変わった。


 いや、美亜を取り巻く空気だけじゃない。視界も音も全てが遮断された真っ黒な()の世界になった。


 得も言われぬ不気味な感覚に、美亜がひゅっと喉を鳴らしたのは一瞬だった。


 すぐにパチッと電気を付けるように、車の行きかう音と、ポツポツと寂しげな民家の明かりが視界に映る。


 時間にして数秒。でも不思議な感覚は、今なお生々しく体に残っている。恐る恐る胸に手を当てれば、心臓が今にも壊れそうなほどバクバクしている。


「……酸欠で失神しかけたの?……私」


 きっとそうだ。そうに違いない。ここは都会だ。田舎じゃないから、科学で証明できないことは起こらないはず。


 そう自分に言い聞かせながら後ろを振り返れば、圭司の姿はどこにもなかった。あんなに近くにいたのに。


「諦めて……くれたんだ」


 違和感はあるが深く考えないでおこうと決めた美亜は、鳥肌が立った二の腕をこすりながら、エコバックを強く握りしめて歩き出す。


 しかし、あと少しで大通りといったところで、美亜は足を止めた。民家の陰に身を隠す若い男がいたのだ。


 圭司ではないその人は、平安衣装姿にピンとした耳。背中のあたりにはモフモフ尻尾が4本、ふぁーさふぁーさと揺れている。


 闇夜でもわかる表情は厄介な仕事を片付け終えて、やれやれと言いたげなもの。5日前にベランダ越しに目が合った狐人で間違いない。そしてその顔は、派遣先の上司である指宿と瓜二つだった。


 上司は狐だった。なんていう有り得ない現実を受け入れることができない美亜は、彼の趣味はコスプレなんだと結論付ける。きっと間近に迫ったハロウィンに向けて、予行練習でもしているのだろう。


 明らかに無理がある推測だが、狐狸妖怪がいる職場で働いている現実よりはまだマシかと結論を出し、指宿にペコっとお辞儀をすると何事もなかったかのように歩き出した。


 ただすれ違う際に、うっかりこう呟いてしまった。


「課長、ハッピーハロウィン」

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