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さゆりの願い

さゆりは憧れのロドリゴの対応に、高揚していた心を落ち着かせた。

そして来る途中にも何回も頭の中で練習していた言葉を思い出しながら話し始めた。


「先生、たしかに先生のおっしゃる通りです。

私はなにも自作の小説の感想だけを聞きにここに来たのではないです。

実は、一つお願いがあります。」


そういって、さゆりは一息深く吸い込んだ。

ここが一番さゆりにとって本題だからだ。

なるべく落ち着いて話せるように、感情を抑えて話すように意識する。


「私は今、お母さまと戦っています。内容は、私の結婚についてのことです。

私は先日十六になりましたが、来年の春に女学校を卒業します。

お母さまは私を卒業とともにすぐに結婚させようと、その相手を今血眼になって探しております。

お母さまは私を家柄のいい男性に嫁がせようと必死です。

手塩にかけた娘ですもの、若く美しく選べるうちにそれ相当の男のもとに行ってほしいのでしょうね。

そのほうが家の存続が、安泰になるともいえましょう。


けれど私はまだ結婚したくありません。

先生、私は今手紙にある書き終えた物語と並行して、もう一つ別の長編小説を書いている最中です。

学業の合間に書いているものですから、進み具合は牛歩ですわ。

ですからもし卒業後すぐに結婚してしまったら、私はこの書いている物語とは別れ離れになる可能性が高いのです。

先生は異国の方なのでご存じないかと思いますが、このようなことは結婚相手の殿方と向こうのご家族がすべて決めることなのです。

なので、結婚後も執筆を続けられるかの可否は、私に決定権がまるでありません。


しかし、この物語はもうすでに私の一部になっています。書き終わるまで離れることなんてできません。

それなのにその殿方が私の執筆を厭うことになったら、私はこれからそれを一生やめないといけないのです。それは本当につらく、苦しいことです。


…とはいえ、私は家のためにこの先結婚しないというわけにはまいりません。

いずれはしなければならないこと、なのです。

だから、それは運命として受け入れましょう。

けれどせめてもと願うのは、今手元にあるこの物語を完成させたい、ということです。

女学校では本当に素敵な時間を過ごせました。

学業や習い事はあったにせよ、たくさんの文学に親しみ、私は言葉を蓄積することができました。

私は今度はこの言葉を使い、できうる限りの表現でこの物語を書き終えたいのです。

そのために半年とはいいません、三、四か月でもいいのです。

ただ、時間が欲しい。

だから、私は両親を説得しなければいけません。」


「なるほど。それで、君は今両親にその意思を伝えている最中なのかい?」


「ええ。今のところお母さまには話を少ししましたが、猛反対にあうばかりでした。

ですが、娘の結婚は父親が最終的に決めることです。

なのに、私はまだこれっぽっちもお父さまに話してないのです。

お父さまは仕事が忙しく、話し合いをお願いしてもちっとも私の番がきません。

お父さまは仕事にかかりきりで、今まで私のことはお母さまに全て任せていましたから。

結婚のこともいくつか候補だけを伝えて、あとはきっとお母さまにゆだねるつもりなのでしょう。


だから、私はまずお父さまの視界に入る必要があります。

そのためには、お父さまが信頼している人から、私のことを話してもらう必要があるのです。

そうしない限りは、お父さまは私に関心を示さないでしょう。」


そういってさゆりは話の途中に女中が持ってきた紅茶に口をつけた。

気持ちを落ち着かせたいのと、相手の出方を見るための間が必要だったからだ。

ふんわりと紅茶の香りが漂ってきて、さゆりの緊張は幾分か和らいだ。

ロドリゴは尋ねた。


「つまり、君は私に、お父上を説得してほしいのかい?

そのためにこの物語を評価してほしいと?」


さゆりはそのロドリゴの様子を伺ってから、突然深々と頭を下げた。


「先生、どうか私の作品に箔をつけてくださらないでしょうか。

私の作品を気に入ったら、でいいです。

お父さまの前で認めてくださらないでしょうか。

お父さまは話すたびに、あなたの名前を口にします。

きっと尊敬するロドリゴ先生が認めたとあれば、お父様は私と話す時間を設けてくれるでしょう。


そのうえで私はお父さまにお願いしたいのです。

私とお母さまの間に入って、時間をかせいでほしいと。

そして、私に物語を作る時間をくださると約束してほしい、と。」


そう聞くと、ロドリゴは意地悪くにやりと笑った。


「ふふ、なるほど。

君はとんだ食わせ物のようだね。

親のコネを利用して私に会うだけでなく、その言葉を利用して親を説き伏せることを狙うなんて。

ご両親にはなんて言ってきたんだい?

学生最後の思い出として、あの有名作家にもう一度お目見えしたいとか、いかにもしおらしくお願いしてきたんだろう?

ところが君はとんでもないじゃじゃ馬だったようだ。

彼らは君を思いながら行動したのに、きっと裏切られた気持ちになるだろうね。

君は親の気持ちを考えたことあるかい?」


そう言ってロドリゴは呆れた様子でため息をついた。

さゆりはすこし言葉に詰まりながらも、ロドリゴに問いに応えた。


「…そうです。とんだ親不孝ものだとは思います。

けれど、私の心はどこまでも自由です。

たとえ親とはいえど、心まで奪うことができるものではありません。

私はお母さまに執筆はお遊びだと言われ、よく原稿を取り上げられました。

いつもお母さまや家のものに監視され、どんなときでもお稽古の練習や勉学をしていないと厳しく叱責されるような子供でした。

私は遊ぶことはままならなかったので、いつも空想に逃げ込んでいました。


あの時は、空想だけが味方でした。

つらいことがあっても空想の世界で、私は自由になれます。

あの世界があったからこそ、お稽古にも励み、なるべく良い娘でいられるように努力することもできました。

両親には確かに感謝をしています。ここまで立派に育ててくれたのですもの。

けれど、これは私にとっておそらく人生で初めてで、それで最後の好機なのです。

私はこの女学校と結婚のはざまの、唯一あるこの自由な時間で、自分の物語を書き終えてしまいたいのです。

この最後の好機のためなら、私は全力を尽くします。


先生、ぜひ私に『物語を満足いくまで書けた』という思い出を下さらないでしょうか。

人生は思い通りにならないことも多いですもの。

それでも、あの時だけは夢を叶えることができたんだという時間があれば、きっとつらい時も切り抜けられると思うのです。

そういう思い出は、いつも自分を励ましてくれます。今までも、そうでしたもの。


先生は私に物語の魔法をかけてくれた、初めての魔法使いです。

私にもう一度あの煌めく魔法をかけて、せめてもの『思い出』をください。

そしてその『思い出』を糧に、これからの人生を乗り越えていく勇気をください。


先生に嘘をついてほしいのではありません。

先生にこの小説を正当に評価されたうえで、その名前を説得に使わせてほしいだけです。どうか、お願いします 」


そういってさゆりは高ぶる感情が、心からあふれていくのを感じながら、もう一度深々と頭を下げた。


一瞬この男性になんて思われるだろうかと不安がよぎった。

だが、もう伝えたいことを伝えるには感情を味方にするしか術がなかった。

さゆりにはまだ交渉の知識も経験もなかったからだ。


そんなさゆりを見つめながら、ロドリゴは真顔でつかみどころのない表情をしている。

彼は冷静に物事を見極めているのだろうか。それとも、感情的になる若い女性にうんざりとした気持ちになっているのだろうか。

彼の灰色(グレー)の瞳はなにを考えているか、いつもだれもわからない。彼の中の不思議な重苦しさは、分厚い霧のように立ちこめていた。


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