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再会

さゆりはハナとともに少し小高い丘にある洋館のドアの目の前に立っていた。

丘からは海がよく見える。

離れている距離にも関わらず、潮風がここまで来ているかのようにも思えた。

さゆりは空気を思いっきり吸い、吐き出した。

緊張するときは、いつも深呼吸をする。

このドアの向こう側に行けば憧れのあの人に会えると想像するだけで、高揚感も一層増す。


さゆりはドキドキしながら呼び鈴を鳴らした。

一呼吸おいてガチャリとドアが開く。

目の前には懐かしい、一人の茶髪の西洋人がいた。


「ロドリゴ先生!お久しぶりです。お変わりのないご様子で!」

さゆりは思わず懐かしさで、顔がほころんでしまった。

ロドリゴはあのころから9年たっているにもかかわらず、若々しい印象であった。


白い肌は透明で張りがあり、栗色の髪は白髪がところどころ混じっているが、相変わらず頑固なくせ毛だ。整髪剤できれいにまとめられている。

日本人にはない彫の深い顔に、それにはめ込まれた硝子のような薄い灰色(グレー)の瞳。


そして、あの頃と同じような洋装だ。髪の毛と同じ栗色のズボンと、洗いざらしの麻でできたワイシャツを着ていて、生成りの白がまぶしかった。


さゆり思わず視線をそらした。さゆりにとって憧れと呼ぶのにふさわしい外見だ。


「やあ、さゆりさん。ひさしぶりだねえ。先生なんてやめてくれ!

前のようにロドリゴおじさまと呼んでくれていい。」


ロドリゴはそう言ってにっこりと笑みを浮かべた。

心なしか昔よりも雰囲気が柔らかくなったように思える。


「まあ、先生。私、そんなあの小説を生み出した大先生によもやおじさまなんて言えないわ。

私はもう子どもではないし、先生の大フアンなのよ。」


「そうか。たしかに君は素敵なご令嬢になったようだ。だが、私は何も変わっていない。

今も昔もただのおじさんさ。

さて、ここまで遠かったろう。中に入ってくつろぐといい。

おつきの方もよかったら腰かけてくれ。

いま中のものに、紅茶と菓子でも用意させよう。昨日、町の港に着いたばかりの品だそうだ。」


そういってさゆりたちを中に引き入れた。

先生はハナにも気を使い、くつろぐように勧める。

ハナはあわてて先生にいった。


「小説家の大先生よ。あたしゃ、ただのつきそいなんだ。

奥様にはお嬢様がゆっくりここで昔話をしてやれるように、とだけいわれてるだ。

だからわたしゃほかのところに通してくんろ。

もしこの家の女中さんが、邪魔じゃなければ台所でもええに。」


そういって、鞄を持ちながらわたわたとしている。

ロドリゴはそのほうが落ち着くなら、と言い、中から女中を呼びつけた。

不愛想な女中がぬっとあらわれ、ハナを台所へ案内する。

ロドリゴはついでに冷たい紅茶と菓子を二つ用意してくれ、と声をかけた。


一方、さゆりは客間に通された。

客間には無骨だが造形が美しい椅子が4脚と、金合歓(アカシア)の木のテーブルが置いてあった。

深い茶色が目に心地よかった。

さゆりはロドリゴが勧めるまま、その一脚に腰かけた。


「女中さんをお雇いになっているのですね。珍しい」


さゆりはずいぶんと昔の記憶を掘り起こしていた。

彼女は当時彼の支援者(パトロン)であった父とともにたびたび彼の家に訪れていたが、当時の彼は一人暮らしを好んでいるように思えた。

雇われといえど誰かと暮らしているなんて、とても想像がつかない。


「ああ。田舎に引っ越してずいぶん家は広くなったんだ。

快適になった代わりに家事がどうもまわらなくなってね。

このままでは執筆活動も危うく感じたから、人を雇うことにしたんだよ。

彼女は近くに住んでいて、通いで来てもらっている人さ。

家事の腕が確かなうえ、口も堅いから助かっているよ。」


そういってさゆりは少し納得した。

ロドリゴは当時どんなに親しくても、人を家に泊まらせなかった。

それはまるで仕事以外は、深い関係を築きたくない意志の表れのように思えた。

奥方もいないのに住み込みで働きに来られるくらいなら、家事も一人でする、なんて殿方はこの国では珍しい。それとも異国なら皆そうなのであろうか。もしくは彼の性格がそうさせるのか。


…さゆりにとってはそれは定かではない。

だが邪魔されることなく、彼が満足する几帳面な生活が手に入るのであればきっと彼は大歓迎なのだろう。

昔住んでいた家はよく手入れさえ、ほこり一つついていなかったから容易にその想像はつく。

そして、人間観察に長けた彼が信頼するのであれば、あの不愛想な顔をした女中は秘密を話したりする性格ではないのだろう。

煩わしい家事から解放されたからか、ロドリゴはあの頃よりも顔色がよく見えた。


「さて、さゆりさんは今女学生かい?物語を書いているんだってね」


柔らかく見えたまなざしが途端に引き締まり、さゆりを見つめていた。

ロドリゴは執筆しているときに使う、万年筆を手にしていた。

机を挟んださゆりの向かい側に腰かけて、落ち着いた声色で問いかけている。

さゆりは目の前にいるのが憧れの小説家であることを急に自覚し、どきりとした。


「ええ」


「作家というのは、面白くも苦しい職業でね。

多くの人が挫折する一方で、君はたしかにひとつ書き上げることができたそうだね。

そして、君は原稿を郵送するのではなく、わざわざ会いに来た。

こんなところにまで来るなんて、ひどく私にご執心のようだね。

私もおじさんながら捨てたものじゃないようだ。

君は私に直接感想をききたいとだけ手紙に書いていたが、きっと別の目的もあるのかもしれない、と私なりに推測してるんだ。

実際のところは、どうなんだい?

このまま君の小説を読む前に、教えてくれないか?

昔から腹の探り合いは得意じゃなくてね。

気持ち悪いから、こういったことは早く済ませたいんだ」


さゆりは目を見張った。

そして、やはりこの人はいまだに物語を描く前線にいて、その感覚を一人で磨いているに違いないと確信した。

言葉選びも、事の運び方も大人びていて素敵だ。憧れの作家が目の前にいる興奮で、さゆりは場違いにも高揚していた。

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