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旅人の歌は永遠に


旅人はいまにもヤマネコ貴族に食べられてしまいそうです。

それでもなんとかこの状態から抜け出して、生きて帰らなければいけません。

生きて帰れたら、きっと乙女が待っているはずです。

旅人は震えながらも、乙女の言ったとおりにある提案をすることにしました。


「たしかに約束通り、この身を差し出しましょう。

しかし、私は私より美味のものを知っています。

もしよろしかったら、それが何なのか聞いてから私を召し上がってくださいませんか?

後悔はさせません。」


「お前よりうまいものだと?!」


今にもかぶりつきそうな形相でギラギラと目を光らせながらヤマネコは男に迫りました。

ヤマネコが近づけた鼻から息がフーフーと男の全身にかかり、口からはぬめぬめとしたよだれが男に滴り落ちます。


「はい。いい餌をたべた家畜は、決まっていい味になるものです。

芸術家(アーティスト)は自分の作品を作るべく、ほかの芸術を肥料にし、自らの精神を高めているから美味なのでしょう。

ではその芸術家を餌にし、良質な肉を蓄えたものはその芸術家たちの何倍も美味だと思いませんか」


「どういうことだ!?ええい!回りくどい!」


「つまり、あなた自身が最上の芸術で、

あなた自身が極上のごちそうになりうると申し上げたのです」


「ばかめ!おれを馬鹿にしているのか?

自分の体を食べるなんて、そんな罠にみすみす引っかかるような下衆に見えたのか?

このマヌケめ。貴族相手に礼を欠くこの口から食ってやろう。」


「いえ、わたくしめは本気でございます。

なに、なにも私は自分の体にわざわざ痛いことをしろというのではありません。

その長く伸びた両手の爪ならば、立派に10本も生えそろっているではありませんか。

少しぐらいかじっても、ちっとも痛くありませんでしょう。

私のまわりにも爪を噛む悪癖を持つものがいるくらいです。

試しに一本かじってみるのはいかがですか?さすらば、私が嘘つきでないとおわかりになるでしょう」


ヤマネコは不本意ながらも自分の爪を見つめました。

なるほど、こうしてみると白く柔らかく見えるこの爪はおいしそうに見えます。

ヤマネコは男の体から降り、試しにとびきり伸びた爪をかじってみることにしました。


「む!これは…」


そういってヤマネコは体を震わせました。


「なんという味!

たしかな歯ごたえで、想像するよりもずっとクリーミィだ!

血の匂いも相まって、今まで食べた人間たちを想起する味わいだ。

この味…この味は…この指で刺し殺したあのバイオリンニスト…

まろやかで母親の抱擁のように暖かく懐かしいスープのような…

あの味と酷似しているではないか!」


ヤマネコはしばらくマタタビを嗅いだかのようにうっとりと味に酔いしれていました。

そして狂ったように次々と爪をかじります。

それぞれの爪にそれぞれの殺した人間の思い出の味が詰まっていて、食べるたびによみがえるようでした。


そうして、ヤマネコはすべての爪をかじってしまいました。

すべて食べ終わると、ヤマネコははっと我に返りました。

そして今度は指を見つめます。こうなると止まりません。


目をらんらんと光らせ、今度はがぶりと指をかじりました。


「痛い!痛いがこれすらも芸術のように思える!

深くのしかかる、目のさえるような痛み、そしてその向こう側に感じるおれが殺した人間たちのうまみ…

なんと懐かしい味わい!ああ、なんて残酷で美しく甘美な晩餐(ディナー)なんだ!これが芸術だ!」


痛さすら克服してしまったヤマネコにもう自身を止めるすべはありません。

血を流し、痛さにうめきながら、ヤマネコはどんどん自分の体にかじりつきます。


旅人はその恐ろしい姿を見るに堪えれず、部屋の柱の物影へと隠れました。

周りを見ると召使たちも逃げていきます。


ヤマネコは手、腕、足、胴体と順々に食べつくし、最後はついに顔だけになってしまいました。


「なんということだ!

こんなにも素敵な最後の晩餐なのに、おれはおれの頭を食べれないなんて!

悔しいなあ、悔しいなあ。

ああ、おれの苦痛の末に搾り出た、この一滴の涙。

せめてこれを最高のデザートとして味わおうじゃないか!

さあ、おれの命の最後の雫よ。この口に入っておくれ。」


そうやってヤマネコは一生懸命顔を動かしますが、一筋の涙は思ったように口に入ってくれません。

ヤマネコはそうこうしているうちに、血をたくさん流して動かなくなってしまいました。


旅人はそろりと物陰からあらわれ、ヤマネコの死を確認しようと近寄りました。

顔は変に歪んでいて長い舌がだらりと出ています。

それは大変不気味で、変に滑稽な顔でした。

とても貴族の最後とは思えない姿でしたが、ヤマネコが最後に飲もうとした「涙」だけは妖しく、誘惑するように光っていました。


その時、旅人はその妖しい美しさに取りつかれてしまいました。そういえば、大変のどが渇いています。

さんざん脅されたこのヤマネコを最後にあざけってやろう、という気持ちも合いまったのかもしれません。

旅人は取りつかれたように手を伸ばし、ヤマネコの涙をぬぐい、そのまま指をなめてしまいました。


その途端、男は後悔しました。

涙は塩辛く、喉は余計に乾いてしまいました。

その上、ものすごくおなかがすいてきたのです。

慌てて外にある庭の噴水や庭木になった果実などをたらふく平らげましたが、収まる様子がありません。


旅人は気づきました。


これはヤマネコ貴族が感じていた渇き、飢え、そのものであると。

そして、この渇きを満たしてくれるのは、ヤマネコ貴族と同じように、芸術しかないのだと。


あの涙はきっと「呪いの涙」だったのです。

旅人は呪われてしまったことに、愕然としました。

そして満たされることのない飢えを感じながら、さめざめと涙を流しました。


そうして悲しみに暮れ、日が沈み夜が更けたころ、やっと自分がここにいてはいけないことを悟りました。自分が人間を食べる獣になってしまう前に、早く人里から遠く離れなければいけません。

それしか彼には愛すべきあの乙女や優しくしてくれた村の人たちに報いるすべを知らなかったからです。


男は悲しみ、ギターをかき鳴らし、彼ができる唯一の歌を歌いました。

彼のお腹を満たすにはもう、彼自身が奏でる芸術(メロディ)しかありません。

男は自分の歌で空腹を紛らわしながら、遠く遠くの人がいない森の奥深くにおぼつかない足取りで消えていきました。



あくる日、心配した乙女や村長たちは旅人を一生懸命探しました。

はずれの森、宿にある彼の部屋‥。恐る恐る例の屋敷にも行きましたが、ヤマネコ貴族の死体だけで、旅人の痕跡は見当たりませんでした。


村人たちは大変悲しみました。彼の歌声も素晴らしい歌も、もう聞くことができないことを心底残念に思いました。


そこで彼の勇気を忘れることが無いように、村人たちは歌を作ることにしました。

彼の愛したあの曲に乗せて、人食いヤマネコを退治した吟遊詩人の物語を歌詞につけたのです。


そして、いつまでもいつまでもその歌を子から孫へと伝えていきました。吟遊詩人の愛した歌はこうしたかたちで永遠に愛されるようになったのです。めでたしめでたし。


おしまい

+・―・+・―・+・―・+・―・+・―・+・―


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