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掠め風  作者: 一枝 唯
第2章

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09 焼こうが煮ようが、俺の勝手だ

 詰め所に戻ったザック少年は、ほっと肩を落とした。

 この半刻で唯一の安堵が、彼を訪れる。

 幸いにして、会議は思った以上に長引いている様子だ。ラウセアはまだ、隊長室から出てきていない。

(ええと、何かしなきゃ)

 何もしていないのに何かしていたことにする、というのは彼の処理能力を超えたことだ。ちょっとの間でもいい、書類の整理でも以前の事件についての資料を読むのでも部屋の掃除でも、何かしら実際にやっておけば、「これこれをしていました」と言うことができる。時間の割に大してはかどっていなかったとしても。

 彼ははっと思いついて、資料室へ行った。

 この前ラウセアが話してくれた、トルーディの作成した「秘密の帳面」を見てみようと思ったのだ。

 話から考えると過去に片づいた事件に関することのようだが、類似事件の参考にはなる。内容だけではなく、情報の整理方法、というような勉強にもなるかもしれない。

 ザックは資料室の鍵を借り、先輩町憲兵に教わった引き出しから噂の帳面を数冊取り出した。

 だいぶ古びてきている。

 二十年、という重みが手にずしりときた。

(ぱらぱらとめくって済ませられるようなものじゃないな)

 そう考えると少年は、空いている部屋を探すことにした。ちゃんと座って、しっかり読みたいと思ったのだ。

 詰め所勤めの町憲兵は、勤務時間の多くを巡回や、各街区の消防隊(キルデアータ)に出向している町憲兵から細かい事件の概要を聞くことに費やす。あとは剣技や体術の訓練、重要な事件を伝達し合う会議その他諸々――報告書の作成などは勤務時間後になることも珍しくない。

 そうなると合間合間の息抜きは大切で、休憩室には数名の町憲兵が雑談をしていることもあった。ザックのように相方だけが会議に参加するようなことになれば、一緒になって休憩をしていても、咎められることはない。

 しかしもともと真面目な少年であるし、いまはうしろめたいところもある。帳面に興味も湧いた。

 集中をしよう、と彼は、小さな卓がふたつほどあるだけの、読み物に向く小部屋に向かうと無造作にそれを開けた。

 そこでザックは目と口を大きく開けることになる。

「な」

 ぎくっとして少年は、慌てて部屋を見回した。

 殺風景な部屋のなかに、たとえば花瓶などはない。唯一の水気は、卓上にある茶杯の中身だった。

「何ごとですかっ」

 叫ぶと少年は、部屋のなかにいた人物の答えを待つことなく、茶杯の中身を――燃えさかる灰皿にぶちまけた。

「何っ、危ないじゃないですかっ、町憲兵の詰め所から瓏草(カァジ)の不始末で出火なんて、笑い話にもなりませんよ。何をぼんやりと――」

 咎めるような声で半ば叫んだザックはそこで言葉をとめ、顔を青くした。

「阿呆」

 不機嫌な声が返ってきた。

「底には水が張ってあるんだぞ。吸い滓が山になってたって、そうそう燃えるか。だいたい、目の前のそれに気づかないなんざどういう鈍感だ。お前じゃあるまいし」

「トっ、トトト、ト……」

「何だ。鶏の真似か」

「ト、トルーディ先輩」

「阿呆」

 ビウェル・トルーディはまた言った。

「ラウセアはまだ、お前に『先輩』なんて戯けた呼び方を許してるのか?」

 アーレイド町憲兵隊の最年長町憲兵は、しわの増えた顔をしかめた。その硬い髪は白いものの方が多くなり、ほとんど灰色だ。年齢は六十を越しているだろう。

 だが、彼を「老人」などと侮る者はいない。

 彼を知る者は、誰でも彼を怖れる。

 犯罪者のみならず、仲間の町憲兵たちも。

 燃える炎に泡を食ったが、そこにいるのがトルーディだと気づいていたら、ザックは手を出さなかっただろう。まさかこの人が呆けるはずもないし、いい年をして火遊びをしていた訳でもあるまい。

 どういう理由であれ、何かしらの意図があったのだ。

「あ、あの」

 ザック少年はごくりと生唾を飲み込んだ。

「す、すみませんでした。ト、トルーディ」

 「先輩」をつけないように頑張った。

「俺、か、片づけます」

 彼のぶちまけた茶で、卓上は濡れている。雑巾を取ってきてもよいのだが、ザックはとにかく早くしようと焦って、隠しからしわくちゃの手布を取り出すと茶を拭いた。それから、無事に火の消えた灰皿に手を伸ばす。

「いや、これは俺がやる」

 しかし、そこに手を届かせる前に、トルーディが燃えかすの山を取り上げた。

(……ん? 燃えかす?)

 見れば、残っているのは瓏草の吸い滓ではない。大雑把に破った紙切れの、燃えたものだ。

(何だろう)

 小心者の町憲兵であれば、巧く書けなかった報告書を破るのみならず、焼き捨てようなどと考えることがあるかもしれない。もしも悪徳町憲兵であれば、何か都合の悪い書類を隠滅してしまおうとすることも――もちろん、犯罪だが――あるやも。

 しかし、ビウェル・トルーディである。どちらも当てはまるはずがない。

「あの。何ですか。それ」

「お前には関係ない」

 実にきっぱりとした返事がやってきた。

「で、でも、それ」

「隊の書類じゃない。俺の私的なものだ。私的な文書を焼こうが煮ようが、俺の勝手だ」

「そ、それはもちろん仰る通りですけれど」

 私的なものならば、何も詰め所のなかで、こっそり焼却するようなことをしなければよいのではなかろうか。

(こっそり)

(……ええと、この人に似合わない言葉だけど)



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