6
教室ではみんなが私を見た。
「お姫様だっこされた人初めて見た」とか、「キスで目覚めたのかな」とか、そういう声が聞こえてきた。
翔子ちゃんは、「気にすることはない。一日経てばだいたいのやつは忘れる」とアドバイスをしてくれたが、今のこの状況を改善するには至らなかった。
席に着くと私はため息をついた。
私は結局、翔子ちゃんには話さなかった。さっき保健室で起きたことを、私は話していいものなのかわからなかったからだ。
――清水くん……。あんなことをするなんて……。
と、そんなことを考えている時、夏月くんが席に戻ってきた。
――そういえば夏月くんが私を保健室につれていってくれたんだよね。ちゃんとお礼をいわなきゃ。
「あ、あの夏月くん……」
「暦」
「は、はい!」
「勘違いするな。俺はお前を一度だって友達だと思ったことはない」
「え……?」
――友達じゃない……? 違うの……?
「それと」
「う、うん……」
「もう清水とは関わるな。あいつは危険だ」
「それってどういう――」
「話は以上だ」
そういって夏月くんは前を向いた。
――夏月くん、私のこと怒ってるのかな。昔と違って、今はすごく冷たい……。
◇
六限目の授業に清水くんはいなかった。
だけど、さっきのことが忘れられず、とてもじゃないけどまともに授業を受ける気にはなれなかった。
授業が終わると、私は翔子ちゃんをつれてトイレにやってきた。
「はあ……。私おかしくなっちゃったかも」
「どうしたの?」
「考え事が多くてちゃんと授業を受けれなかった。ノートも取れなくて……。だから翔子ちゃん、今日だけノートを貸してくれない?」
「……ついに来たか」
「ついに?」
「暦、ノートは貸してあげる。でも、それは一時的な解決に他ならないぞ」
「うん?」
「私にはわかる。明日からも暦は悩み続けるだろう」
「どうしたらいいかな……」
「早い話が身を固めることだな」
「身を固める? どういうこと?」
翔子ちゃんは蛇口を止めハンカチで手を拭きながらこちらを向いた。
「恋多き乙女には恋の病が存在する。一口に恋といっても形は様々だ。暦の場合、その病名は恐らく『トライアングラー』。つまり三角関係だ」
「三角関係……」
――私は清水くんと夏月くんを思い浮かべた。
「病の特効薬は一人を選ぶこと。暦、ちゃんと考えるのだ。どちらと付き合うのかを」
――どちらと付き合うのか……。
「それと、これをあげる」
「なあにこれ?」
「私からの処方箋だよ。昨日家で作ったの」
翔子ちゃんからもらった白い小さな紙袋を開くと、中にはヘアピンが入っていた。
「え~すごい! 可愛い~!」
「相手が見つかればこそ見た目から自分を変えるものだ。暦への診断書にもそう書いておこう」
私は早速髪型を整え、もらったピンで髪を留めた。
「うん。可愛い!」
鏡に映るのは、ピンクと緑の交差したバッテンピンをつけた、より自信に満ち溢れた自分の姿だった。
「桜のピンクと木々の緑をイメージして作ったの。その意味はいわなくてもわかるよね」
清水春日くんの春と、家風夏月くんの夏からとったのだとすぐにわかった。
「翔子ちゃんはすごいね。ほんとに何でも知ってて、すごく頼りになる。どうしてそんなに詳しいの? 恋愛の本とか読んでるの?」
「愚問だな。これはただの恋愛漫画から得た知識だ」
「恋愛漫画!?」
「……今ばかにしたか?」
「してないしてない!」
「中身のある漫画やアニメは学校で採用されている教科書よりも濃い内容なのだぞ」
「へ、へえ~そうなんだ~」
「今度暦にお勧めする漫画を持ってくるよ。教室の後ろに置いた被り物の横にはまだスペースがいっぱいあるから、そこに棚を作って漫画をしまい込んでおけばいつでも読めるな」
――翔子ちゃんは学校をどういうところだと思ってるんだろう……。
◇
終礼にも清水くんは現れなかった。
先生の終わりの挨拶で今日の授業は終わりみんなは教室を出ていく。翔子ちゃんは私に「じゃあね」といって部活に向かった。私は今日の掃除当番なので教室に残り、他の掃除当番と掃除を始めた。
「ちょっとあんた!」
見ると横松さんと慕梅さんだった。
「横松さん? どうしたの?」
――いつも一緒にいる恋竹さんがいない?
「あんたに私いったよね? 気安く清水くんと関わるなって! なのにさっきのあれは何? 説明してくれない!?」
「そうよそうよ! 説明しないさいよ!」
「あれのこと?」
「お姫様だっこのことよ! 何で私じゃなくてあんたがだっこされてるのよ!」
「されてるのよ!」
――それは私じゃなくて清水くんに聞いてよ……。それに私は気を失ってたし……。
「え~っと、それはその~ごめんなさい! そういうつもりはなかったの!」
私は頭を下げる。
――何で謝ってるんだろ私……。
「ど~だか! それにね、聞いた話によると家風くんにもお姫様だっこされたんだってね」
――あれ……? どうしてそれを知ってるの? 授業中の出来事なんだけど……。
「私あんたにいったよね? 家風くんは伊子が狙ってるって! あんたは誰でもいいわけ? あんたみたいにね、手当たり次第に男をたぶらかすのほんっと嫌いなんだよね!
「嫌いなんだよね!」
「ご、ごめんね横松さん……。次からは気をつけるから……」
「はあ~? 謝って済む問題と思ってるわけ? 本当になめてるわね」
「なめてるわね!」
他の掃除当番は呆然として私たちのことを見ているが、誰一人止めようとはしなかった。
そんな時、教室の扉が開いた。
「あ~きたきた」
そこに現れたのは水の入ったバケツを持つ恋竹さんだった。
「ねえ知ってる? 学校はね、間違った行いをする生徒にはちゃんと指導をするの」
横松さんは恋竹さんからバケツを受け取る。
「あんたのそのいい加減な行いは、学校の代わりに私が正してあげる!」
そういって、横松さんは私に向かって勢いよくバケツを振った。
――うそでしょっ!?
私は水がかからないよう顔を覆い隠した。
バシャーン!
教室の真ん中で横松さんはバケツの水を振りまいた。
「おいおいまじかよ……」とか、「やべえだろ……」とかの声が聞こえる。
私は目をそっと開ける。
――あれ? 私、濡れてない……。
足元には大きな水たまりができている。
どうして? と、振り返ると、理由がわかった。
「夏月、くん……?」
私を覆い被さるようにして、側に夏月くんが立っていた――。
「大丈夫か? 暦」
「夏月くん、どうしてここに……?」
「いちゃいけないのか?」
「え? いや、そうじゃないけど……」
夏月くんから滴る水が彼の頬を伝い、それが落ちると私ははっとした。
「夏月くん! そのままじゃ風邪を引いちゃうよ!」
私はポケットからハンカチを取り出し、夏月くんの顔に当てた。
「そんな……! え、どうして……家風くんがここにいるの……?」
横松さんたちは驚いていた。手に持っているバケツを手放すと、バケツは彼女の足元で転がった。
夏月くんは、「もう大丈夫だから」と、私のハンカチで拭く手を優しく払うと、横松さんたちを睨みつけた。
「何もいわなくてもわかるよな?」
小さい声だった。だけど、三人を追い払うには十分だった。
「お、覚えてなさいよ! 伊子! 宇子! いくよ! ……ほら伊子! 何してるの!? ほら、いくよ!」
横松さんが恋竹さんの手を取りながら三人は教室を出ていった。
――やることがひどすぎるよ、横松さん。
そう思いながら、私は開いた扉の向こうを見つめていた――。
◇