2
変化その一。
授業中、清水はまだ教材が届いていないということなので、窓側に座る彼と机をくっつけて教科書を見せてあげた。彼はノートや筆箱は持ち歩かない主義らしく、たまたま持っていた新品のノートを彼にあげた。
――なのにこいつはお礼の一つもいわなかった! ほんと図々しい!
変化その二。
休み時間がくる度、清水は多くの女子に囲まれる。意気揚々と話す彼がいうには、自分が気に入った相手にはプリンスやプリンセスと呼ぶらしい。
――どうやら私は気に入られたみたい……全っ然嬉しくないんだけどね!
その理由は二つある。
一つ目は清水の図々しいさを好きにはなれないこと。最初の授業で貸したシャーペンは今や彼の私物となった。結構お気に入りのウサギさんだっただけに少し悔しかった。
二つ目は――。
「ちょっとあんた。清水くんの席が隣だからっていい気になるんじゃないよ! 清水くんのハートは私がもらうんだからね!」
「そうよそうよ!」
横松阿子と恋竹伊子、そして慕梅宇子の三人組だ。いつも三人でいる。
「た、確かに横松さんのほうがお似合いだよね、あはは……」
――ほんとにあいつには興味ないのに。
なのに。
「調子に乗んじゃないわよ! 自分は隣だからって余裕ぶっこきやがってよお!」
「そうよそうよ!」
――はあ……。
「あ、あのねえ横松さん、私はほんとに――」
「いい? よく聞いて? 次に私の清水くんに手を出してみなさい、許さないからね!」
――人の話は最後まで聞いてよ……。もう、私はそっとしておいてほしいだけなんだけどなあ……。
◇
昼休み、私はいつも校舎の屋上でお弁当を食べる。親友の永瀬翔子とのこの時間が私の楽しみの一つだった。この日もお母さんのお手製弁当を食べながら翔子ちゃんに朝の出来事を話した。
「今日はいろいろと災難だったね」
「翔子ちゃんならわかってくれるって信じてたよ~」
「見た感じだけどメイプル王子は結構癖が強いと思う。隣の席だからしばらくは気をつけたほうがいいかもね」
翔子ちゃんは清水が私のことをプリンセスと呼ぶところから彼にメイプル王子というあだ名をつけていた。
「いいアイデアがあるよ。この方法なら席が隣でも『この人に話しかけるのはやめとこう』って思わせられる」
「え! なになに?」
「被り物だよ。被ればもうメイプル王子には声をかけられなくなる。そして気がつけば接点なしというわけだ」
「被り物か~」
翔子ちゃんはコスプレが趣味の女の子だ。赤のラインが印象的な赤松高校の制服を好きにはなれず、少しずつ制服に裁縫の手を入れていった。ただ、どこまでいっても先生にはばれず、今となっては翔子ちゃんだけがチェックのスカートとなっている。
――うん、ありかもしれない。
「ものは試しだよね! 明日被ってみようかな」
「わかった。じゃあ明日持ってくるね。そしたら私は何を被ろうかな……」
◇
昼食を終え、私たちは階段を降りて教室に向かっていた。
「お! いいところにいたな。おい一年! ちょっとばかり荷物を運ぶんだが手伝ってほしいんだ」
「先生、何で私が?」
「今日の日直はお前だろう?」
「そんなあ~」
「暦、私も手伝うよ」
◇
職員室の向かいの棚には、様々な本の入った段ボールが一つ置いてあった。
「これを教室横の空き室に入れといてほしいんだ。鍵は空けてあるから。じゃあ頼んだぞ」
――完全なる雑用じゃん!
私はため息をついて段ボールを持ち上げようとした時、「永瀬さーん!」と呼ぶ声がした。
見ると上級生がこちらに向かっていた。
「ちょっと話があるんだけど。明後日からの三連休で練習試合を組むんだけど……って今は取り込み中?」
翔子ちゃんはバスケットボール部に入っている。身長がそのまま有利となるスポーツと聞くけれど、翔子ちゃんの並外れた運動神経が身長の低さをカバーし、一年生ながらもスタメンなのだ。
「あ~……」
翔子ちゃんは困ったような素振りを見せる。
「いいよいいよ! これは私が運んでおくから!」
「ごめんね暦」
翔子ちゃんと別れた私は一人で段ボールを運んだ。
◇
段ボールはとても重たかった。何とかふらつきながらもゆっくりと運び、階段までやってきた。
――これを持ちながら四階まで……地獄だ……。
一歩、また一歩と階段を上がる。その度に呼吸は乱れ、上がるペースは遅くなる。そしてまた次の一歩を踏み上がろうした時、私は段を踏み外してしまった。
バランスを崩し、後ろへと身体が倒れていく。
――あ。終わった……。
そう覚悟した時――。
ガシっと。
私は誰かに支えられた。
――あれ? 助かった……?
「何をやっている。プリンセス」
振り向くと、支えてくれたのは清水だった。
「あ、ありがとう……」
「これを運ぶのか? どこまで?」
「一組の横の空き室まで、かな……」
「こんなに重たいものをか?」
「うん……」
「こっちに渡せ。俺が運ぶ」
「え? あ、でも……」
「いいからよこせ」
「ありがとう……」
◇
空き室に着いた。結局、段ボールは最後まで清水くんに持ってもらった。
教室には様々な資材が置かれており、清水くんはその隙間に段ボールを置いた。
「これでよし」
「ありがとう……」
「あのさ」
突然、清水くんは一気に距離を詰めてきた。唇三十センチの間で私たちは見つめ合う。
――え? えええ!?
「な、なな、何!?」
「それだけ? 荷物さ、すごい重かったんだけど」
清水くんは尚も私に近づき、唇二十センチの距離になる。
「ああ!? えっと……重い荷物を運んでくれて、あ~ありがとう……?」
「そうじゃない」
――じゃ、じゃあいったいどういう意味なの!?
「俺は、言葉だけでは満足しないんだ」
唇十センチの距離で清水くんはそういった。
――ちょ、ちょっと! 近いからっ!
「満足しないって、どういう――」
ゼロセンチメーター。
ワーニング。ワーニング。
私の唇は、清水くんに奪われてしまった――。
何が起きているのか理解できなかった。
――今、私……はっ!?
冷静さを取り戻すとすぐに状況を理解し、私はパチンと清水くんの頬を叩いた。
「な、何するのよ!」
「ビンタか。やってくれるね」
清水くんは赤くなった頬を軽くなでるとニヤッと笑った。
「急に何するの!? ほんとにもう……知らない!」
そういって私は空き室を後にした。
◇