7.抱きしめて、くれる?-もう襟坂でいいよ-
全47話予定です
日曜~木曜は1話(18:00)ずつ、金曜と土曜は2話(18:00と19:00)をアップ予定です(例外あり)
「千歳ちゃん、今年大学院を卒業でしょ? これからどうするか聞いてる?」
恵美は、今度は改めてカズのほうを見る。
「ああ、それね。実はこの県内にさ、とある研究所ってのがあるんだよ。確か、生体応用工学研究所って言ったかな。実は大学院二年目、まぁ要は今年度になってすぐにその研究所から声がかかったんだよ[大学院と並行してウチで働いてみないか?]って。どうも相手方がどこから聞きつけたのか、千歳の研究内容に惹かれた? みたいでさ。今は大学院とその研究所に交互に通っているんだ」
「研究職を続けられるって事なの? それはうらやましい事だけど、その……生体応用なんちゃらってどんなところなの?」
疑問が口を衝く。
「何でも、機械と人間の融合? を目指しているらしくてさ。人間が機械をコントロールするのにどんな方法がいいのか、機械はどんなものを用意するべきか、実際にそれらを接続してみてどうか、とかそんな感じみたい。母体は半官半民の、まぁ言葉が悪いかも知れないけど政府の監視下の施設なんだ」
カズは自分が知っている内容を伝える。
「ふーん、何かロボットでも作りそうだね」
と恵美が言うと、
「ああ、実際に人間が操縦するようなロボットの作成を目指しているみたい。実はさ、俺も大学院を出たらそこに雇ってもらえればいいなー、なんて思ってる」
カズが今考えている事を口にする。
大学を卒業後、カズは大学院に進む道を選ぶつもりである。そして、機械生体工学の分野で[人と機械の融合]を目指し、出来ればそのあとは前述の研究施設で総合的に続けたい、カズはそう考えているのだ。
「そうかぁ、私もそこに入れてもらえないかなぁ」
恵美がそんな事を口にする。
「あっ、よこしまな考えがあるんじゃあないよ。私の専攻しているのが生理学だし、そのあたりから何か役に立てないかなぁって。まぁ、もちろん……みんなと一緒にいたいっていうのもあるんだけどね」
その笑顔に満ちた表情の片隅に[カズへの想い]が無い、とは言い難いが、
「そうだな、そうすればまたみんなで一緒だしな」
流石にそれに気付かないカズてはないが、今は話を合わせる。
――ゴメンな、きみに生理学を進めたのは、俺だ。それも計算のうちではあるんだ。
「でも、それにはまずお互いに大学院に進めるくらいにはなってないとね。そのあたりはどうなの? 勉強、進んでるぅ?」
「うっ、痛いところ突いてくるねぇ。でも大丈夫、通いではあるものの、向こうの出席をこちらのカウントに入れてくれているみたいなんだ。それに、大学院に行くための条件はほぼクリアしてるんだ。そう言う襟坂さんは?」
「おかげ様で。どこにでも進めるように、どんな道にでも対応出来るように勉強のほうはしっかりやってるよ。まぁ、今は卒業と国家試験が当面の目標だけどね」
そう言いながらアイスコーヒーの氷をストローでコロコロ突く。
「ねぇ、和也くん」
改めてカズのほうを見る。そこには[何か言いたい事があるんだな]という顔をしたカズがいた。
「どうしたの? 何かあるなら言ってみて」
「あ、あのね、お、お願いがあるんだけど」
そんな恵美からは明らかな動揺が伝わって来る。
「うん、何だろう?」
「今だけ、今だけでいいから手を握ってくれないかな」
そう言うと対面で座っていたイスから立ち、カズの隣に来る。
「ああ、いいよ」
カズは少し思うところがあったのだが、あえてそれには触れず、恵美のする事を黙って見ていた。
恵美はカズの隣に来ると、そっと手を取る。
しばらくそうしていたのだが、不意にカズが恵美を見ると、彼女は泣いていた。
――襟坂さん……。
「ゴ、ゴメンね、イキナリ手を握っておいて泣いたりして。おかしいよね」
何とか取り繕おうとするが、涙が止まらない。片手では無理だと判断したのか、一旦カズの手を放してカバンからハンカチを取り出す。
カズは何と声を掛けたらいいか分からないでいた。
元々[異性が苦手]というのもあるが、女の子に目の前で泣かれれば、カズでなくともどうしたらいいか分からなくなっても不思議ではない。
だが、カズにはその理由が、涙の理由が何となく分かっているのだ。
――こんな事を言ってはいけないんだろうけど……。
「何かして欲しい事、ある?」
意を決してそう尋ねる。
自分でも[卑怯な言葉]だと思う。だが、手っ取り早くこの場を収めるのはその言葉が効果的なのも分かっている。
それは同時に、千歳に一つ後ろ暗い点を持つ事も意味している。それを全部鑑みても、カズはこの言葉を選んだのだ。
「和也くん……」
恵美は一瞬ためらった様子だが、
「抱きしめて、くれる?」
カズは無言で恵美を抱きしめる。千歳も小柄だが、恵美も負けないくらいの小柄さだ。その細い体をしっかりと抱く。心臓の音が聞こえそうなくらい早い。
「ねぇ、和也くん。ダメだって事は分かってる。だけど、今だけ、今だけでいいから恵美って呼んでくれるかな? そして私を千歳ちゃんだと思って、そ、その……キ、キスを……」
声も体も、明らかに震えている。よほど意を決して伝えようとした言葉なのだろう。
そんな恵美に、カズは、
「俺も、今しようとしてる事はダメな事はもちろん分かってる。でも、きみが俺に好意を寄せてくれて、一度断ったあともこうして好意を寄せ続けてくれている。それはとても嬉しい事なんだ。それを一度きみに伝えたくて。でもなかなか機会が無くて。だから、恵美」
そう言ってカズは恵美のハンカチを持っていない左手を握る。それも、お互いの手を正面から組む形で。そしてもう片方の手で自分の口を恵美の耳元に持ってきて、
「恵美。形は違うけど、好きだよ」
囁くようなその声に一瞬、目を瞑ったままの恵美がビクつく。
カズは、自分の口を恵美の口に持っていって、キスをする。それは、慣れた恋人同士がするような濃厚なものではなく、淡い、まるで恋について無知識な子たちがするような、とても純粋なキス。
恵美は、というと、一旦止まった涙がまたあふれ出す。だが、それを気にする事なく行為に集中する。ずっと好意を寄せている人からの[好きだよ]の言葉。それがどんなに彼女の心に沁みわたる事か。
どのくらいだろう。しばらくして二人がどちらとなく口を離す。恵美は組んでいない手に持っていたハンカチで涙を拭く。
「ゴメンな、恵美」
「ううん、もう襟坂でいいよ、和也くん。こちらこそゴメンね、無理なお願いしちゃって。もちろん今日の事は内緒だよ、誰にも、千歳ちゃんにも、ね」
恵美は涙顔に笑顔を浮かべる。その笑顔は、カズにとっては救いでもあり、苦痛でもあるのだ。
全47話予定です