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第1話 拝島桜の落下/当然の帰結としての自殺・不条理

――俺、有明都(ありあけみやこ)には妹がいた。


 ああ、ひどいことをされているなとは思うさ。母さんは俺の体が頑丈になるにつれて、熱湯や油をかけるようになったんだ。痣と傷だらけなのも、栄養不足で不健康な見た目なのも、俺じゃなかったら耐えられまい。


 俺は、必然だから、そのように、不条理は、歓迎できるさ。


「相変わらずひどいですね。何年も()っていることですが、お母さまの件、警察などに相談する気はないのですか」


 随一の優等生にして、唯一の幼馴染は変わらずに心配してくれる。中学生のころから春休み明け、高校二年の初日までこいつと同じクラスでいられるのは素直に嬉しいことだった。


「どうせ、卒業後はもっと "ひどくなるんだ"」

「まだ傭兵になるつもりなのですね」

「いやだから軍人であって傭兵では――」


 長谷方剣(はせほうけん)ははいはいと流したが、この差は存外に大きい。

 ともかく、俺はこの高校を卒業したらスペイン軍に入隊するつもりでいた。ずっと前から決めていたことだ。そうしなければならない。

 だからこそ、母親にいくら傷つけられても、武術の稽古で死にかけても、よい予行練習ととれる余地があるというのもある。精神衛生上、よろしい。


「ところで奨学金の書類は提出しましたか?」


 長谷方剣は如何にもできる上司といった雰囲気で――彼の容姿は四角四面の堅物上司といったところだ――「アンク奨学会」と書かれた書類を指さす。俺とこいつは、学年でただ二人の特別待遇学生だ。


「まだ。これから。丁度いいから一緒に行こう」

「そうですね。でも『アンク』って何なのでしょう。調べてもよくわかりませんでした」


 彼とは職員室前で別れた。


 無駄に凝った内装の廊下を歩いて教室に忘れ物を取りに行く、その道中、いやに華美な階段の上の方からものおとが聞こえて、ふと足を止めた。何がおかしいって、そこは屋上に通じる階段だった。屋上は、閉鎖されている。ものおとには、生徒の声も混じっていた。


 どうしても気になって、施錠されているはずの扉を開けると、複数の生徒に囲まれた女子と目が合った。

 ゴシック・リヴァイヴァルには不釣り合いな取るに足らない奴らは、数秒はっとした顔をして固まったが、すぐに軟体動物から美しさを抜いたまことに骨のない動きを再開させ、潮騒から荘厳さを抜いた不規則な雑音を発し始める。


「はあ? 鍵しとけって云ったじゃん」

「空気読めない奴入ってきちゃったってえ」


 俺を囲んだ体格の良い男子生徒は、既に傷だらけで痣だらけな俺を見て一瞬戸惑ったが、目の前で煙草をふかせ、怖くてカッコいいつもりの顔を見せつける。


「悪いけど、優等生は帰ってくれない?」


 別に、帰ってもよかった。この程度のいい子ちゃんを強いて止めようとは思えない。

 だが、不意に彼がズボンに手を入れる仕草をしたのがいけなかった。それは、拳銃を取り出す動作だ。彼にそのつもりがなくとも、俺には反射というか、染み付いた癖というものがある。


「……!?」


 左脚が無意識に関節を蹴り壊していた。

 もうどうしようもないので、肘で脳を揺らして気絶させる。


「おいてめえ!」


 わらわらと群がる蝿を叩き落とすように。

 いい子ちゃんを殴るのは気が引けたが、始めた後に"乗り切れなかったら" 死ぬと教わっている。

 律儀に学生服を着ている程度の同級生なり先輩なりを、安いコピー用紙を破るより簡単に、天然水のペットボトルを潰すように、蹴って沈めた。


「おい冗談だって! 落ち着けよ!」


 哀れな女子どもは悲鳴なんて上げている。ストリートに戻った気分で、きっと人間の脳はそういう仕組みなので、ついテンションが上がってしまう。


「クソputa(売春婦)どもは母親の子宮にでも戻って寝てろよ!」


 後ずさりする金髪男にローキックをかます。執拗に下半身ばかり痛めつけて、最後の最後で頭をぶち抜く。女みたいな悲鳴も上げられずに、尖った校舎にぶっ倒れる様は滑稽だ。


 俺の容姿があまりにも不健康で不気味だから、余計怖かったのだろう。女子の中には失禁した奴もいた。


「贅沢なことだな。漏らすなら地中海にやってほしいね。こっちは雨が少なくて死にかけなんだ。女子高生のそれなんて大ウケだろうよ」


 おっといけない。メリリャのジョークはここでは下品に過ぎるか。

 興奮も冷めてきて冷静にあたりを見渡すと、残っているのは動けない奴らと、いじめの被害者らしき同級生の姿だった。彼女はたしか拝島桜(はいじまさくら)という名前だったと記憶している。


「私を犯すの?」

「どうしてそうなる?」

「そう。なら邪魔しないでね」


 そう云って拝島は尖塔に登る。制服すら地雷系に魔改造している彼女はよく映えたが、そんなことよりも何をしようとしているかは明白だった。飛び降りるのだ。


「待ってくれ。頼む自殺はやめておいてほしい」

「邪魔しないでって云った。関係ないでしょ?」

「いやそういうわけにもいかない。君が落ちても関係ないが、特待生から落ちるとやばいんだ。ここの学費なんて払えたものじゃない。この状況では俺が加害者になりかねない」


 一瞬呆けた表情を見せてから、辺りを見回して、呟く。


「もう手遅れじゃないの?」

「そうかもしれないけど! まだ可能性があるから、死人を出すのはその可能性すら潰しかねないんだ! 頼む! この通り!」


 実際、実家に帰ることになったら普通に死にかねないので、ここの特待生制度が最後の頼みなのだ。うっかりハイになってやらかしてしまったが、徐々にこの窮地に冷や汗をかきはじめる。それはもう、華麗な土下座をきめるくらいに焦っていた。


「そう。はあ、面倒だからやめてあげる。じゃあね」


 あまりの無様さに毒気を抜かれたのか、拝島桜は存外あっさりと降りてきて、そそくさと帰ってしまった。


「色々と気まずいな。ああ……」


 教室に戻ることにした。


 忘れ物を拾い上げてふと前を見ると、ドアに加聖水文(かせいみふみ)が寄り掛かっている。手には過酷な業務で使うようないかついタブレットを持っていた。スマートな彼にはおよそ似合わない代物だ。


「派手にやらかしたのな」


 見られていたらしい。


「まあ、えっと、まあ」


 加聖は見通すような細い目で、端的に忠告する。


「手を出したのなら、最後までやりきるべきだ。拝島桜は駅前のラブホテルに向かっている。早く追いかけないと全部無駄になるぞ」


 余裕たっぷりのにやけ方で付け加えるに


「おっと。下ネタじゃないからな?」

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