フラッグミッションっ!! 前編
1本で纏めたかったけど旗まで遠かったっ!
11月、鏡王の月に入ってすぐにヒロシ・ドーガ・ヤクトは外の受講者達と共にギルドから学校近くの山地の麓に来ていた。
「山の方は寒いな・・」
呟くヒロシ。吐く息が少し白い。
ニックはマチカ以外の同期の女子受講者にちょっかいを掛けて面倒がられ、マチカは黙々と柔軟体操をしていた。
既に受講者全員特別実戦講義用の装備を身に付けている。
片手にのみ甲羅の籠手を付け、他は全身皮の防具を着込んでいた。魔法の使用を補助する初心者向けの魔法道具『手習いの腕輪』も片腕に付けていた。
腰の後ろにウェストバッグ、腹側には簡易なポーチを巻いていて、ウェストバッグの中身は・・
廉価品ではない標準規格の体力回復ポーション、魔力回復エーテル、解毒クリアウォーターを2本ずつ。簡易医療キット。防毒バンダナ。土壌還元タイプの樹脂袋3枚。ちり紙2袋。ただの布切れ1枚。折り畳みポケットナイフ。小さな鏡。マッチ1箱。ロープ18メートル。細鎖3メートル程。持続20分魔力充填型懐中電灯。油紙包装、松の木切れ1本。棒状携帯糧食6本。塩練り蜂蜜飴1袋。ハーブ水入り水筒。エマージェンシーホイッスル。臭気玉3個。マップ。コンパス。筆記用具。座標石。カイロ2つ。粘着テープ1つ。防水懐中時計。
水筒のサイズや糧食の量は体格や種族の違い、アレルギー等の考慮はされていた。
配られたポーチは空だったが、個々の判断でボディバッグの中身を移した。
武器は1,8メートル程ある槍ミドルスピアと、6連装リボルバー、ダガー2本。
配られたミドルスピアは粗悪な-1程度の規格の物で破損リスクが高かった。リボルバーの銃弾はラバー弾で総弾数は24発。両刃のダガー2本は特に問題は無いがごく凡庸な物だった。
極端に大柄な者には2メートル程の柄も穂先も重量感のあるやはり-1規格の粗悪なロングスピアと、4連装の重量マグナムとそれに合わせた大型ラバー弾16発、重いククリナイフ2本が配られた。
極端に小柄な者には1,6メートル程の柄も穂先も軽量なこれも-1規格の粗悪品のショートスピアと、2連装の特殊弾射出用回転式グレネードガンとそれに合わせた炸裂威嚇弾20発、投擲用で小振りなスローイングナイフ3本が配られた。
その他、特殊な体型の者は個別で調整された。
麓の舗装の粗い山の車道近くの、保護柵で覆われた魔物避けの結晶柱装置が配置された広場に受講者達は居た。
広場の端にはオフロードの中型6輪石油ボンネットバスが3台、オフロードの三輪石油自動車が5台、オフロードの中型6輪トラック2台が止められていた。トラックの内1台は医療用コンテナを積んでいる。
金が掛かっているな、とヒロシは漠然と思った。と、指導官のドワーフ族、ボルビが充填式拡声タクトを持って、一同の前に現れ、少し、タクトのテストをしてから口を開いた。
「・・ボルビです。バルバラ先生は急遽討伐クエストの増援にゆかれたので私がこの実戦講義を預かることになりました」
むしろ安堵した空気が流れる受講者達。特にバルバラが苦手なニックは心底安堵した様子だった。
「今日は講義は皆さんの戦士としてのレベルの仮認定試験も兼ねています」
実戦講義を行うことはともかく、レベル認定試験を兼ねることは初めて聞かされてザワつく受講者達。マチカ等は拳を握り締めて前のめりな様子を見せた。
「講義の結果や物見の球での観察、講義会場で保護監視を担当される先生方やギルドサポーターの方々の意見を元に判断します。後日、各指導官が面談もしますのでそのつもりで」
「・・ニックはバルバラ先生が面談するんじゃないか?」
「何で?! 講義でほぼ絡んだことないよっ??」
「講義以外では絡んだんでしょ?」
「一方的にねっ、いや俺も浮わついてて悪かったけどっ!」
ヒロシ達に限らず、受講者達の私語が多くなってきた為、ボルビは咳払いをし、これに受講者達は黙った。
「・・皆さんは3つのグループに別れ、それぞれのルートでギルドで管理している1つのダンジョンを6時間の間に踏破し、最深部にあるフラッグを取ってもらいます。フラッグは全員分あります。最深部からは安全に地上に戻れる通路があるので帰り道のリソースを考慮する必要はありません」
グループ分けがあることは聞いていたがまだ組分けされておらず、緊張する受講者達。
「小柄で力の無い者や大柄過ぎる者は踏破タイムより、脱落回避を重視して下さい。それから配布した槍はどれも不良品です。主な武器の耐久性を意識して立ち回って下さい。他にはありません。健闘を祈っています」
ボルビはそれだけ言って、さっさと指導官用の三輪石油自動車の方に歩き去ってしまった。
代わりに揃いのジャケットを着たギルドサポーターの運営スタッフ数名が前に出てきた。
「はーい、では進行は我々ギルドサポーターが引き継ぎまーす。え~、皆さん、登録番号を呼びますので、組ごとに所定の車両に乗って下さーい」
組分けが始まった。入校から1月も経つと親しい小グループができてくるので、大半の受講者は自分達のグループで集まって一喜一憂しだした。
「俺らも同じ組だといいな」
「まあねぇ。そして・・」
軽やかに身を翻し、マチカに接近するニック。
「フフッ、マチカちゃん。俺が君の背中を守るよ?」
「キモっ!」
ヒロシ達は別々の組に分けられた・・・
ヒロシのグループは二十数名。いずれもパワータイプで、オーク族等の極端に大柄な者達は全てこのグループに集められていた。
ボンネットバスから降ろされたのは目指す教練用ダンジョンのレーゲン語で『ニョ』と割り振られた入り口だった。
「このグループ構成だと、最初はアスレチック系か?」
マップを取り出しつつ、体育会丸出しの同じグループの受講者達を眺めるヒロシ。
ギルド学校は基本的に苦手分野を克服、ないし自覚させることを重視している。ゴリゴリの前衛型の自分達には走破系の課題が与えられがちだった。
「何にせよだ・・」
マップを開くヒロシ。ヒロシ以外の受講者も全員マップを確認していた。マップには回復ポイントと、大まかに生息ないし配置されたと思われるモンスターの居所も記されている。個体数まではわからない。
現地の詳細な状況は不明で、移動するモンスターもいるはずだが、モンスターの性質からそのエリアの状況を推し測ったり、逆にエリアの構造から個体数や動線を推し測ったりすることはできる。
実際の冒険者のクエストでのダンジョンマップは、マッピングを専門とした冒険者達が各地の冒険者ギルドに売った物を購入する、というのが一般的だった。
「お?」
先程の麓のキャンプから信号弾が上がった。
「開始5分前です。内部では誤射や跳弾のリスクが高いので、特にマグナムを使用する方は気を付けて下さい」
ついさっきまで無線や文字や簡単な図案でやり取りできる通信石で連絡を取り合っていたギルドサポーターの1人がそうい言って無線機材の撤収を始めた。
受講者達も懐中時計で時間を確認しつつ、それぞれの準備を始める。
ヒロシは粘着テープを使って、皮鎧の胸部の下にカイロを1つ貼った。持続時間は6時間はある。
動けばすぐに暑くなるだろうが、純粋な走破課題ではないので早く走るばかりでもなさそうなのと、ダンジョンの入り口から漏れる黴臭い空気が思ったより冷たかった。
左手に懐中時計を持ち、右手に持った粗悪なミドルスピアを片手だけで軽く旋回させ、それを握り止め、感触とリーチを確認した。
「よしっ!」
時間になった。手早く撤収準備を済ませたギルドサポーター達は懐中時計片手に受講者のダンジョン突入を見届けるつもりらしいが、何も言わない。
一瞬間ができたが、受講者達は誰ともなくダンジョンへと駆け込みだした。ヒロシもリスクの高い先頭集団は避け、中列ぐらいのポジションで中へと突入していった。
ニックも別ルートで、ほぼ同時に教練用ダンジョンに突入していた。ダンジョン内は灯り台に太い耐久蝋燭が灯されており、少なくともこのルートの入り口付近は視界が確保されていた。
ニックのグループの三十数名は華奢でもパワー型でもない中間的な性質の者達と、特殊な能力を持っている者達が多かった。
その後列の集団に混ざっているニック。
「あー、何かあんま絡んだこと無いヤツばっかりのグループだなぁ。女子3人しかいないし、ギスギスする予感・・」
最初からややテンションの低いニックだった。
マチカのグループの二十名弱は分け方が独特で当人達がやや戸惑っていた。
小柄であったり華奢な、他の受講者達からチキュウ由来のスラング『バンビ』と密かに呼ばれている者達と、マチカの様に体力と敏捷さを兼ね備えたタイプの受講者が集められていた。
ダンジョンに入って早々、大した脅威ではなく、素早く通り過ぎればやり過ごせるはずの小型で透明なゼリー状モンスター『原種スライム』の群れに対し、バンビ達が引っ掛かってワーワー騒いでいた。
バンビ達は戦士課にしては魔法が得意であったり、物理戦の不得意さを補って余りある強力な異能を持つ者達が多かった。
故に、マチカが強く蹴っ飛ばせば倒せる程度の相手に、稲妻や火球や具現化したギロチンを落としたりスライムより遥かに格上の使い魔を召喚して蹴散らしたりしていた。
明らかにオーバーキルで燃費が悪い。
「あれじゃ最後まで魔力が持たないな・・」
「ウチらにお守りしろってこと??」
「置いてったら評価点下がるのか?!」
フィジカルの高い方の受講者達はゲンナリしていたが、マチカは騒ぐバンビ達の間に割って入った。
「デイヤァーーッ!!」
槍片手に旋風脚で手近な原種スライム達を吹き飛ばすマチカ。粗悪な槍より丹氣を込めたマチカの脚は頑丈だった。
「あんた達、落ち着いてっ! 無視できる相手は無視したらいい。弱い相手に大袈裟な攻撃もしないっ。あと、バラバラに動いたらヤバいから何人かで固まって動きなっ」
一喝するマチカ。
「は、はいっ! 気を付けますっ」
「できる人は簡単に言うよねぇ」
「マチカさん・・・好きっ」
リアクションは様々であった。
ヒロシ達のグループは身体に生えた苔と共生する樽2個分くらいの胴体を持つ蟹型モンスター『モスクラブ』が群生する窪地になった広大なフロアに来ていた。空気がかなり冷たい。
この場に来た全員が防毒バンダナで口と鼻を覆い、ライトトーチの灯りを頭上に灯している。
モスクラブの身体に生えた苔は蟹以外にも生える。岩、土、そして人肉。致死性は無いが、痒くなり、目や鼻や耳や肺で増えると厄介なことになる。
冷たく湿った空気のこのフロアには青臭く黴臭い苔の胞子が充満していた。
毒の類いや甲殻類が苦手な受講者達5名が遠回りになっても別のルートを選び、来ていなかった。
このフロアも壁際の高い位置には灯りが点いていたがフロアが広く、窪地は岩場にもなっている為、見通せる範囲は限られていた。
ヒロシ達は頷き合い、それぞれのライトトーチの灯りのみをフロアにゆっくりと進め、窪地の先の出口のある壁際まで順に照らし、地形とモスクラブの配置や反応を確認するとまたライトトーチを、今度は手早く自分達の元へ戻した。
窪地の多くは上から滴り落ちる水滴によって池になっていた。一定量を越えると壁にいくつか空いた穴から排水されてる構造。
洞窟の中であることを差し引いても空気が冷たいのはこの池の為と思われた。
苔による浸食は何らかの制限があるのか? 概ね窪地のみで天井には達していない為、天井からランダムで落ちる水滴にはそこまで注意する必要は無さそうだった。
ただし、池は苔まみれで、何より陸上ではさほど脅威ではないモスクラブも水中で戦うとなればそれなりの強敵だった。
水溜まりやモスクラブの密集ポイントを避け、最短で走破できそうなルートは2つあったが、遠回りすれば岩や水溜まりの障害が比較的少ないルートは1つ、更に遠回りになるが岩や水溜まりの障害が少ないルートも1つあった。
「俺達はショートカットさせてもらう」
「この先の露払いまでするつもりは無いけどなっ!」
「そういうことでっ」
飛行能力の有る受講者達3名が、翼を拡げたり、浮遊したりして飛び立ち、自前のライトトーチに照らされながらさっさと出口に向かっていった。
「この試験でやたら先行するのは賢い選択じゃねぇよ」
「どの道俺達デカブツは遅いけどなっ」
大柄な受講者2人が、一番遠回りになるが走破難度の低いルートへドタドタと駆けていった。
「じゃ、俺らは残り物で」
ヒロシが言って、最短ではないが比較的障害の少ないルートに駆けだすと、身軽さに自信のある数名は最短ルートを目指したが、残りの9名はヒロシに続いた。
水溜まりは避け、苔の浸食が脳に当たる器官にまで達している為に反応の鈍いモスクラブにもなるべく接近せずに駆けてゆくヒロシ達。
希に苔むした岩かと思わせて眠っていたモスクラブであることもあったが、素早いモンスターではないので落ち着いて対処すれば避けるなり乗り越えるなりすることは可能だった。
皆、苔の生えた岩を掴むの嫌ってミドルスピアの石突きを引っ掛ける様にして岩を越えていったが、粗悪なミドルスピアは予想を越える脆さで、力の掛け方をミスしたり丹氣で補強しなかった者達は次々と柄を破損させていった。
「このフロア、蟹はフェイクで槍を折りにきてるぞっ?!」
「運営の悪意を感じるっ」
共に来た大半の受講者達はイライラさせられていたが、ヒロシはというと、少しルートからズレても段差の低い岩を選んで乗り越えていた為、槍の破損は回避できていたが最初は先頭だったのにいつの間にか中列くらいに落ちていた。
実は槍の強度がどれほど貧弱かわからなかったのと先頭はリスキーなので後ろに下がりたかったので、わざと少しルートからズレていた。
「・・やっぱテキスト色の強いダンジョン構造だなぁ。本当の実戦とは少し切り離して考えた方がいいかもな」
小声で冷静なことを言うヒロシだった。
・・5分程で蟹と苔だらけの池の窪地を走破し、ヒロシ達は出口から抜け、蟹の苔の臭気から遠ざかる所まで来た。通路に灯りはあったがライトトーチはキープしていた。
と、全員防毒バンダナを脱ぎ捨て、クリアウォーターを少し飲んでからで靴底や石突きを消毒し、医療キットから目薬も取り出し、目も消毒してポケットティッシュで拭いた。
ヒロシ達が来る前に捨てられていた防毒バンダナは6枚だった。飛行した者達と最短ルートを選んだ者達で計算が合う。
「当分蟹や藻の料理は御免だなっ」
「いやモスクラブって珍味食材モンスターだぜ?」
「私、食べたことあるわ」
「お前ら昼休みじゃねーんだぞっ!」
等と言い合いながら、ヒロシ達は進行を再開し駆け出した。皆、鍛えているので5分で走破できる岩場等ウォームアップ程度だった。
「ん? 皆、ちょっと待ったっ!」
ヒロシは、前方のやや開けた通路を前に、一緒に走る9名を呼び止めた。この先の開けた通路はマップ状はモンスターはいないはずで、その動線でも無いはずだった。
「配られた槍の破片が落ちてる。入る手前から様子を見よう」
全員ライトトーチの光量を落とし、素早く5人ずつに別れ開けた通路へ入る手前に屈んで開けた通路を伺った。
「あるね」
「2本だな」
「飛んだヤツらか、最短で行ったヤツらか・・」
「ラバー弾も落ちてるぞっ?!」
開けた通路には折れたミドルスピアの穂先が1つと、半分欠けた穂先が1つ落ちていて、よく見るとラバー弾も数個転がっていた。
「吹き抜けになってるっ!」
1人が小さな鏡を使って開けた通路の上方を見ていた。ヒロシ達も続き、鏡で見た。
鏡越しに見ると、確かに天井が無く、2階フロアいくつかの通路と繋がっていた。
「何かいるな・・モノアイロックかっ」
吹き抜けと接した通路に浮遊する目の付いた石のモンスター『モノアイロック』が群れがいた。
「2階のここだよっ。方角と形、繋がってる通路の位置、モノアイロックの出現場所。一致しているっ!」
マップとコンパスを取り出し、同伴の受講者の1人がマップを手に興奮していた。
「2階のマップだけ見ると侵入できない壁みたいに見えないでもないけど、吹き抜けだったんだな」
自分のマップを見ながら感心するヒロシ。
「座標を書き込んでおこう。ここがわかれば2階と1階を符合し易くなる。二層ダンジョンだからこれで全体像がはっきりする!」
1人が1階基準で座標が標示される座標石と筆記用具を取り出すと、全員それに習った。
「モノアイロックは自生ではなく、配置モンスターだ。行動範囲は限られているはず」
「落ちている武器の破片も少ないし、先に行った6人が全員襲われてるとは考え難い」
一同の話題はこのまま進んだ時のリスクに移った。
「吹き抜け以前に数名ならまぁ飛べそうな程度に天井の高さはあるし、1階のマップだけ見れば開けた通路にはモンスターはいないはず。先に飛行した連中だけが襲われたんじゃないか?」
ヒロシが落ちた穂先の1つを見ながら言った。
「空中ならともかく、地上でも襲われたら何体かは倒してるさ」
モノアイロックの死骸は見当たらなかった。
「それに、そうなるとマップのモンスターの位置表記の信用度が下がり過ぎる。さっきの蟹のフロアの意地の悪さとやり口の質が違い過ぎて違和感がある」
「制限時間は最大6時間で、配られた武器もちょっと貧弱過ぎるしな。俺はモノアイロックの攻撃対象は『2階のテリトリーに近付く者』に限られると思う」
ヒロシは一同を見回して言った。
「賛成」
「まぁヒロシに賛成だな」
「仮に襲われてもとっととバックレようぜぃ? モノアイロックは硬いからこの槍じゃ丹氣を相当消費しないとキツい」
「リボルバー抜いてこう」
「全く利かないに2万ゼムっ!」
「賭け成立しねぇよっ」
「灯りも低くしようっ!」
一同は利き手にリボルバーを構えつつ、槍は逆手に持ち、光量を落としたライトトーチを低く操作して、少し身を屈め、頭上の様子を伺いつつ、開けた通路に駆けだした。
モノアイロックは・・・襲ってこない。
「よしっ」
「間抜けな石ころどもっ!」
「そういう設定されたんでしょ?」
「・・穂先、俺拾っていいか?」
と言いつつ、駆けながら落ちた槍の穂先を1つ拾うヒロシ。
「ヒロシ、そういうヤツだよな」
「拾うと思ったぁ」
「ええ?」
拾った刃の少し欠けた槍の穂先をただの布切れで包みつつ、自分が他の受講者達からどう思われてるが少し不安になるヒロシだった。
一方、ニックは同伴者3名と共に、蝋燭の灯る通路で毛むくじゃらの大トガケの様なモンスター『リザードビースト』の群れに通路の前後から挟まれる形で襲われていた。
丹氣を込めて既に刃がボロボロになっているミドルスピアを振るうニックだったが、穂先を噛み砕かれた。
「だぁっ!! 酷い仕様っ。何だこの試験っ!」
ニックはリボルバーを抜いて片手でラバー弾を6発全弾撃って威嚇して飛び退いた。手早くスピードローダーで給弾する。
別教室で行われた上級者向け講義で覚えた魔法で対処するしかない、とニックは思いったが、それには少し時間を稼いでもらわなければならなかった。
「悪いけど、ちょっと・・っ?!」
背中を預けていたはずの同伴者3名を振り返ると3名は、宙に出現した3つの巨人の手に掴まれ浮遊していた。ニヤニヤ笑いながら浮上してゆく。見れば遥か頭上に通路らしき横穴があった。
3名の内、額に第3の瞳を持つ鬼眼族の男はニックにエーテルの瓶を1本放ってきた。両手が塞がっているので思わず口で器用にキャッチするニック。
「俺の異能『歪な手』の定員は3人だっ。そしてこの俺ジェインはっ! 女と友達しか助けないことにしているっ! ニックっ、お前は男で、友達じゃないっ!」
鬼眼族の男は笑ってそう叫び、
「ざんねーんっ」
「頑張るにゃ!」
歪な手で運ばれている残りの2名、猫型獣人ワーキャット族の双子も笑顔で手を振ってきた。
「嘘だろっ?!」
ニックはエーテルを穂先を砕かれた槍を持つ左手で取ってポーチに素早くしまって代わりに臭気玉を2つ取り出し、前後から迫るリザードビーストに右手のリボルバーで交互に連射しながら、横穴に去りゆく3名を見上げた。
「ジェインっ! 今度学食で奢らせるからなぁっ!!」
叫びつつ、リボルバーを右の腰のホルスターに素早く戻し、臭気玉を右手に持ち変え、スィッチを押して前後から尚迫るリザードビーストの群れに1つずつ投げ付けた。
玉の上部が展開し、猛烈な勢いで悪臭のガスを撒き散らした。堪らずのたうつリザードビースト達。
しかし怯ませたのは群れの前衛にいる個体達だけだった。
「やるしかないっ。・・水よっ!」
ニックは右腕の手習いの腕輪に集中し、真水を造り出す『クリエイトウォーター』の魔法を発動させ、腕の周囲に100ミリリットル程度の水を生み出した。
「から・・ミストクラウドっ!!」
僅かでも支配下にある水を触媒に、ニックは通路の前後に蠢く全てのリザードビーストを覆う程の大量の濃密な霧を発生させた。臭気ガスも霧に押されて拡がり、リザードビースト達は視覚と嗅覚を奪われた。
霧は水同様、ニックの支配下にある。ニックは自分に周囲のみ霧が除かれる効果を付与した。
「・・やれるっ! 俺は末っ子だけどできるっ」
自分に言い聞かせ、ホルスターに入れたリボルバーを留め具で固定し、足に丹氣を込めるニック。一気に壁に駆け上がり、そのまま壁走りをしだした。
チラリと横穴を見る。このまま上ろうと思えば上れる高さ。
「気まずいから合流してやんないっ! ケッ」
ニックはジェイン達が去った頭上の横穴をスルーして、眼下の霧の中でで混乱しているリザードビースト達をやり過ごし、群れの最後尾から遠ざかると壁から通路に駆け降り、一旦立ち止まって呼吸を整えた。
「ハァハァ・・丹氣の走力転用、もうちょっと練習しとけば良かった・・・」
ポーチから先程ジェインがよこしたエーテルを取り出し、飲み干して、ミストクラウドと臭気玉の効果が切れる前にと、また駆けだした。
合わせてマップと塩練り蜂蜜飴を1つを取り出し、飴の袋を器用に片手で剥いて飴を口に放り込みつつマップを見るニック。
「美味っ、癒されるわぁ・・。変なとこ来ちゃってるな。あ、でもこっちはヒロシさんのルートに近いな。合流できんじゃね? ん~、どっちかと言うとマチカちゃんと合流したかったけど、まぁヒロシさんで妥協しておくかぁ。ゴリラパワーで代わりに戦ってくれそう」
何やら勝手なことを言いつつ、ニックはダンジョンの攻略より一先ずヒロシと合流することを優先することにした。
マチカは穂先が取れた槍を手に、フィジカルの高い4腕族の男と共並ぶ形で、バンビ組の3人を引き連れて灯火の少ない通路を走っていた。
バンビ組が出したライトトーチ3つに照らされている。
同じルートの高フィジカル組の多くは『全員でバンビ達を守るのは過保護で、そうまでしないと減点されるならそれは運営の採点基準に問題がある』として、バンビ達を置いて先へ行ってしまった。
残ったマチカ達とバンビ組も進路選択で意見が別れて二分されていた。
同行する人数は随分減ったが、マップ通りならば既にダンジョンを中盤まで踏破していた。
「マチカっ! フナート君っ! ちょっと速いっ」
バンビ組の1人が青い顔で言ってきた。
「誰か回復してあげてっ。もうすぐ治癒の泉のある部屋に着くから、魔力温存しなくていいよっ」
マチカが振り返って言うと、他のバンビが手習いの腕輪を白く発光させだした。
「光よっ!」
『ヒールライト』の魔法で体調を崩したバンビを回復させる他のバンビ。
「ありがと・・」
「うん」
と、前方から銃声が聴こえた。
「誰か戦ってるのかな? 一応、跳弾気を付けよう」
フナートは後ろのバンビ達に呼び掛けつつ、マップを確認した。
「崖でしょ?」
「ああ、この先は両サイド崖になってる。魔物はいないし、動線でもないはずだけど・・?」
「反響した音のようでした。通路ではなく崖の下では?」
長い耳を持つ、エルフ族のバンビが言った。
「崖下・・左右どちらの崖下にも魔物はいるが、どっちも順路の攻略ルートじゃないなぁ? 飛んで通路まで襲ってくる可能性があるのは向かって左手の崖下のフットバットだが・・」
思案するフナート。
「フットバットは飛行力の低い魔物だから、あまり高い位置までは突っ掛かって来ないんじゃね?」
バンビの一人が大雑把に言った。
「そうじゃなくて、誰か襲われているかもしれない、ということですよっ?」
「何で私に怒んの?」
「怒ってませんっ」
バンビ同士がやや険悪になりだした。ここで、ここで、前方からエマージェンシーホイッスルの鋭い音が響き渡った。
「エマージェンシーホイッスルっ! 詰められてるなっ」
「急ごうっ」
マチカとフナートは走力を強め、バンビ達は慌てた。
灯りの足りない通路を抜けると、左右両サイドが崖になった細長い通路のフロアに出た。灯りは無く、自分達で視界を確保しなくてはならないフロアだった。
マチカとフナートは崖の通路に少し入った所で立ち止まり、しゃがんで懐中電灯で崖下の確認を始めた。
「ライトトーチを落としましょうか?」
追い付いたエルフのバンビが申し出た。
「いや、取り敢えずは3人は通路の先と頭上や左右を確認してくれ。ここ暗いし、1つは近くにキープして」
「わかりました」
「エマージェンシーホイッスル鳴らしたんだし、保護監視してる先生達やギルドサポーターの人達が助けてくれるんじゃない? あ、でも見捨てたら減点かも・・」
「そういうことではっ」
「とにかく調べようよ」
バンビ2人がまた喧嘩しそうになったので3人目のバンビが取り成した。
「・・・いたっ! 火が見えるっ」
マチカが崖下の暗闇の中に、旋回する様な動きをする炎を見付けた。
「ウィスプ系モンスター? 配置違くない??」
マチカはバンビの1人の発言に構わず、懐中電灯の光を旋回する火に合わせた。
・・小柄な娘が、紐か何かと繋がった燃える素材を振り回し、フットバットの群れを牽制していた。既にショートスピアは失っている様だった。
「チュンコだね。あたし、目がいいんだ。猟師の娘だから」
エルフとモメがちなバンビが言った。チュンコは鈴蘭種のワープラント、植物の特性を持つ亜人だった。バンビ組で、マチカ達とは違うグループに入って行動していたはずだった。
「私が行くよ。フナートは3人を連れて先へ行って」
「いや、2人で崖を降りよう」
「通路に3人だけ置いてゆくのは危ないよ? 降りたら簡単には戻れないだろうし、フットバットの群れくらいなら何とかなる。それに崖下からも進めるでしょ?」
「うーん・・」
マップを確認するフナート。
「遠回りではあるが、先へゆけば比較的魔物は少ない。まぁこの講義課題、というか試験は制限時間緩めに設定されてるしな・・わかった。マチカ、これを持ってけ。残り1本だろう?」
フナートは体力回復効果のポーションを1本、マチカに渡した。
「私も。丹氣やライトトーチで魔力も使うと思うから」
バンビの1人がエーテルを1本、マチカに渡した。
「私は守りの魔法を・・風よっ」
エルフのバンビは手習いの腕輪の周囲に風を起こした。
「ウィンドヴェールっ!」
マチカを風の衣が包み込んだ。
「持続時間は10分程度です。ついてゆけなくてごめんなさいっ」
「いいよ。3人ともありがとう」
「バフィは何かないのですか?」
「・・・」
出遅れた形になった。猟師の娘のバンビ、バフィはムッとした顔をして、自分のショートスピアを差し出した。
「交換しよう。穂先があるだけマシだよ」
「・・ありがとう、バフィ」
「別に・・」
槍を交換して礼を言われると、バフィはそっぽを向いてやや赤面した。
「じゃ、行ってくる。光よっ!」
自分様にライトトーチの魔法を使い、光の球を造り出しその明かりで照らしながら、マチカは足に丹氣を付与して崖を駆け降りだした。
「マチカっ! フットバットの『怪音波』には気を付けろよっ?!」
フナートの声が後ろから響く。なるべく傾斜がなだらかで、凹凸の少ないルート取りで降りるが、勢いが付き、滑り落ちそうになる。
「くっ」
マチカは靴底に沿わせた丹氣に棘の様な形状を持たせ、少し減速しつつ踏ん張った。
崖下の地面が迫る。が、このまま駆け降りるには足の負担が大き過ぎる気がした。
「セィッ!」
マチカは崖の表面が砕ける程強く両足で蹴って、真下に向かう勢いを横に逃がしながら宙に跳び上がった。
それでも落下の勢いは止まらない。マチカは縮めた体を後方に回転させてさらに勢いを殺し、いよいよ地面が迫ると丹氣を乗せた足でスライディングする形で着地して、そのまま、身を起こして走りだした。
着地に気を取られてやや後ろに置いてきてしまったライトトーチを引き寄せつつ、マチカはもらったエーテルを取り出して飲み干し、瓶を投げ捨てた。
前方の、紫色の人の足に蝙蝠の羽根と人の目と口が付いた様なモンスター、『フットバット』の群れに向かって駆けてゆくマチカ。群れの中心で時折、旋回する炎が見えた。
「チュンコーっ!!! 助けにきたっ!」
ギルド学校で、チュンコとは殆んど喋ったこともなかったが、気にするマチカではなかった。
マチカはリボルバーを抜き、一応、旋回する炎が見える魔物の群れに囲まれた中心は避けて連射した。フットバットには鼻が無く、臭気玉が効かない。
ラバー弾では薄い羽根等に当たらない限り大したダメージにはならないが、少しは注意は引けた様で、8体程が迫ってきた。
「負けないっ!」
走りながら、リボルバーをホルスターに戻し留め具で止めたマチカは、バフィのショートスピア-1を構えた。
「ディヤァーーーッ!!!!」
石突きの辺りを持ってリーチを最大にしたショートスピアに丹氣を纏わせ、跳び上がって一閃するマチカ。4体を切断して倒した。
続けて迫った2体の内、1体を蹴り殺し、もう1体は石突きで殴り殺した。残る2体は1体の噛み付きを躱し、もう1体の怪音波は飛び退いて避けた。
槍を旋回させ、踊る様な足捌きをするマチカ。瞳が戦闘に高揚している。
「セェアッ!!」
一足で飛び込み1体を穂先で突き殺し、側面から奇襲しようとした残る1体にカウンターの飛び膝蹴りを放って打ち殺した。
「マチカさんっ!!」
未だ20体以上いるフットバットの群れの中心部に頭から鈴蘭の花が生えているチュンコが見えた。
ボロボロに泣きべそをかきながら、細鎖で繋いだ火を灯した松の木切れを振り回していた。松は燃え尽きかけている。
「よく1人で頑張ったっ!! すぐ行くよっ?!」
マチカはチュンコが持たないと判断し、多少強引でも近くへ向かうことにした。早くも刃こぼれしだしたショートスピアを構え直し、フットバット二十数体の群れに突進した。
「うわああああーーーっ!!!」
丹氣を乗せた槍を振り回し、とにかく前進する。歩みが止まるので蹴りは打てない。
「退けぇーーっ!!」
1体を叩き切りながら、転がる様にチュンコの元へたどり着いた。細鎖を持つ、指貫グローブをしたチュンコの両手の指は皮がめくれて血塗れだった。
周囲を威嚇して、ほぼ燃え尽きた松木を振り回すの止めてへたり込んで泣くチュンコを庇う体勢を取るマチカ。
こごで多数のフットバットに手傷を負わせたが、倒せたのは数体。残りは20体弱程度だった。
「ポーションは?! 回復魔法使えたよね? 自分でもライトトーチも使ってっ」
「ふぇええっ。み、皆とぉ、ハグれちゃってぇっ、魔法使う暇が無くて、ポーションももうありませんっ」
マチカは残り2本のポーションの内、1本をチュンコに渡した。
「早くしなっ、動けっ! ひっぱたくよっ?!」
「ふぇええっ、ビンタは嫌ですぅっ!」
チュンコは泣きながらポーションの3分の1程度を両手に掛けて手の怪我を直し、残りは飲んで体力を回復させた。
一息ついて泣き止む現金なチュンコ。
「ライトトーチっ!」
自分でも光の球を作るチュンコ。灯りが増え、周囲の見通しがよくなった。
「よしっ、当て易くなった! 他に魔法は?!」
「ん~、ちょっと集中します・・」
「わかったっ」
マチカはチュンコを庇って威嚇するだけでなく、不用意に近付いたフットバットに攻撃も始めた。
手習いの腕輪に魔力を溜めるチュンコ。
「・・土よっ! ガイアランスっ!!」
地面から岩の槍というより、矢を複数発生させて4体程のフットバットを撃破するチュンコ。マチカも守りながら数体倒したので残りは12体となった。
「凄いじゃんっ! もっと撃ちなよっ?!」
「これ以上撃ったらライトトーチ維持できません・・エーテルももう無いです」
「ホントに?! 私も1本しかないやっ」
と言いつつ迷わず最後のエーテルを投げ渡すマチカ。
「数を減らそうっ! この槍ももう折れるっ」
「は、はいっ、大事に使います!」
チュンコはエーテルも飲み干したが、ポーションを飲んですぐにエーテルを飲んだせいで胸が悪くなった。
「うっぷ・・」
「吐かないでねっ、それ最後だよ」
フットバットに回し蹴りを放ちつつ、疑わしそうな顔をするマチカ。
「はい・・この数なら囲えそうなので、次、違うのいきます」
もう1度、手習い腕輪に集中するチュンコ。
「土よっ! ガイアブリッツっ!!」
無数の岩の礫弾を地面から発生させ、残りのフットバット全てに命中させるチュンコ。
ガイアランス程の火力は無い為、即死は1体もさせられなかったが、半数以上を羽根や目を損傷させて落下させ、残りにもおおきなダメージを与えた。
「いいじゃんっ!」
マチカは地に落ちたフットバットに次々と槍で止めを差し、チュンコもすぐ近くを瀕死でふらふら飛んでいたフットバット1体に「ちゃーっ!」と気の抜ける様な気合いを入れてスローイングナイフを投げ付けて倒した。
残るは手傷を負った3体になった。
「勝てるねっ。ヤァッ!」
勝利を確信したマチカはやや甘い制御の丹氣を乗せた既にヒビが入っていたショートスピアでフットバットの1体を切り付けた。
頭はカチ割れたが、穂先も砕け散ってしまった。
「?!っ」
驚いて、一瞬動きを止めてしまうマチカ。
「ギャッギャッギャッ!!」
「ギギギッ!!」
最後に残った2体の手負いフットバットは耳障りな鳴き方をしながら、マチカに中空から捨て身の体当たりを仕掛けてきた。丹氣を乗せた槍の柄で受けるマチカ。
「何だぁ?!」
フットバット2体は攻撃はせずにひたすら受けた柄越しにマチカを後方へ押し出した。
「っ??」
意図がわからず困惑するマチカ。
「マチカさんっ、後ろっ!」
チュンコの叫びに振り返るマチカ。後方の暗がりの地面に大きな裂け目があった。横一文字に20メートルは有り、深さはわからない。マップに表記の無かった地形だった。
焦ったマチカの集中が切れ、丹氣が揺らぐとヒビ割れながら支えていた槍の柄が砕け散り、マチカは両腕で抱える形でまともにフットバットの体当たりを受けた。
風の衣の交換で何とか噛み付かれるのは回避できたが、一気に後方の裂け目へと押される。
「マチカさんっ!」
スローイングナイフを投げるべきか? 何か魔法を使うべきか? どうしていいか判断できず混乱するチュンコ。
「ギャッギャッギャッ!!」
「ギギギッ!!」
嗤い、押すフットバット2体。
「唾が・・臭いんだよっ!!!」
フットバットを抱える形になっている両手に丹氣を溜め、2体のフットバットのそれぞれ片方のこめかみに、貫手を打ち込むマチカ。
「ギャアッ?!」
「ギィーッ?!」
押しながら踠くフットバット2体。
「ううっっ・・ディヤァアアーーッ!!!」
頭蓋骨を突き破り、フットバット2体の頭の中で脳を握り潰すマチカ。
ビクリと身体を震わせ、裂け目ギリギリの所で突進を止めるフットバット2体。しかし、
「・・ウパァアアーっ!!!」
「パァアアーっ!!!」
フットバット2体は最後の力で0距離で怪音波をマチカに放った。
「うっ?!」
風の衣ごと吹き飛ばされ、鼓膜を破られ、両耳から少し出血して裂け目に落ちてゆくマチカ。
音が聴こえず、頭が痺れ、上手く身体を動かせず丹氣も練れない。
視界の向こうで2体のフットバットが地から尽きて地に落ちていったのは安心だったが、マチカは濃密な死の可能性を感じざるを得なかった。
こんな所で死ぬのか? まだ何も目的を果たしていない。やはり、ギルドに等頼らず個人で活動すべきだったか? 落下しながら、意識が薄れ、ライトトーチも消えた・・
・・燃え落ちる館。惨殺された使用人達と大人達が勝手に決めた婚約者だった男。2年前の、お伽噺に出てくる姫の様なドレスを着た自分は、背中を引き裂かれ、床に転がり、ただ涙と鼻水を垂らしていた。
目の前には異形であるが子供の様でもある怪物が両親と妹の頭部を抱え、血の涙を流しながらそれを齧っていた。
怪物の周囲には醜い小人の様な魔物達が、黙々と両親と妹の身体を貪り喰らっている。
「美味しい・・義姉さん、僕はもっと『健康』になるから。いつか、その時は」
その血涙する子供の様な怪物は家族の頭部を半ば食べ終えながら、マチカに笑い掛けた。
「うわああああーーーっ!!!」
落下しながら意識を取り戻し、不完全ながら『正中灼氣』を発動して全身を発光させるマチカ。
「許さないっ!!!」
マチカは左の腰に差したダガー2本を抜き、爆発させる様に丹氣を纏わせ、身体を錐揉み回転させて崖に近付けると逆持ちしてダガーを崖に2本とも突き刺した。
崖を引き裂きながら減速させつつ、降下してゆくマチカ。
降下が完全に減速されたタイミングで、ゆっくりと裂け目の底に着地すると、真っ赤になってマチカの指も火傷させていたダガーは砕け散り、正中灼氣も解け、暗闇の中にマチカはヘタリ込み、ダガーを取り落とし、激しく吐いた。
闇の中、裂け目の底に巣くっていた長虫系モンスター、グリードワーム達がマチカに迫りつつあったが、耳が聴こえず、吐き終わって泣いて放心するマチカは反応しなかった。
と、闇から液体が飛び、マチカは全身でそれを被った。体力と魔力を回復させる高級薬のエリクサーだった。
湯気を立てて傷と体力と魔力を回復させるマチカだったが、これにも反応は無い。
「・・来たのがアタチじゃなかったら問答無用で強制リタイアさせるとこだじょ?」
闇の中空にヌッと、青い陰火の灯るカンテラを持ったシェード族の指導官のサイアンが現れ、影の髪を伸ばしてそれらを槍に変えて攻撃する『影蛇淵』の異能を使ってグリードワーム達を一掃した。
マチカは鼓膜も回復していたが、反応しなかった。
「この裂け目はたぶん3年前の地震でできた地形だじょ。こんなルート誰も使わなかったからマップ造りでスルーされたんだじょ。担当の専業マッパー達は後でこってり絞るじょっ」
伸ばした髪でワシワシと蜘蛛の様に放心するマチカに近付くサイアン。
「鼓膜治ってるじょ? 個別の身辺調査はとっくに済んでるじょ。理由のある受講者は珍しくないじょ? アタチも井戸の底に80年くらい封印されてたじょ? これくらい、あるあるだじょ」
マチカは僅かに苦笑した。
「・・あるある何ですか?」
「だじょ。よく連るんでる『お昼寝トリオ』の他の2人みたいに、ふわっとこっちの世界に来るヤツもそこそこいるけどじょっ!」
「・・ですね」
マチカはようやく柔らかい表情に戻って顔を上げた。
「お迎えも来たけど、逆にフォローした方がよさそうじょ?」
サイアンは新しいダガーを2本、マチカの座った近く投げて地面に突き差しつつ、裂け目の崖の上を見た。
ライトトーチを灯し、どこかに引っ掛けたロープを使ってチュンコが降りて来ているが、ロープの長さが全く足りず、想定していたらしい足場に届かず、「えー? えー?」と半泣きになっていた。
笑ってしまうマチカ。
「裂け目の先は坂になっていて、比較的、上のフロアの近く崖の傾斜も甘いじょ。後は勝手にするじょ?」
サイアンは顔が影なので表情は知れないが、マチカには微笑んだ様に見えた。
カンテラも消し、スッと音も無く飛び退き、サイアンは裂け目の底の闇の中に消えていった。
「ありがとうございます、サイアン先生」
マチカは礼をして、サイアンが残した2本のダガーを自分の鞘に入れ、大きく息を吐き、立ち上がった。
「おおーいっ! チュンコーっ!!」
「あっ! マチカさ~んっ!! 助けてっ! 凄い二次被害が発生してしまって・・」
「わかったっ。動かないでねっ?」
マチカは軽やかに崖を駆け上がっていった。