始業っ!!
至って真面目に講義を受けてますっ!
10月、兎王の月の中旬、一般枠トライアウト合格者73名と特別枠合格者11名が、入校式も何も無くヌルっと冒険者ギルド学校戦士課の講義を受け始めて2週間程が経過していた。
・・午前5時、戦士課の男女の寮に爆音の放送で全アマラガルド世界の冒険者ギルドのテーマ曲『ゆけゆけっ! 我等、無一文っ!!』のインストゥルメンタルバージョンが流れ、4人部屋の2段ベッドの上下で寝ていたヒロシとニックは跳ね起きた。
「あ~、朝礼かぁ」
「・・朝礼自体意味がわからないけど、朝食前に、というのがホント意味わからないっ。俺は育ちいいからねっ? 朝起きて身支度を整えたら、まずエスプレッソとレーゲンオレンジジュース。パンはクロワッサン。プレーンヨーグルトを掛けたカットフルーツも欠かせないっ! からのレコード聴きながら共通語新聞を読みつつのフレッシュハーブティ! 飲むでしょ?!」
絹のパジャマを着てナイトキャップもしっかり被ったニック・ポッキー・カールはベッドの上段で不満気だった。
「それ、朝からちょっと水分取り過ぎじゃないか?」
「あ、道理で午前中トイレ近いと思った・・」
「ニック、早く身支度整えないと洗面所混むぞ? 旧台の方はお湯出ないからなっ」
既に受講者用の麻の制服に着替えているヒロシ・ドーガ・ヤクト。同室の他の2人も着替え出している。
「え~っ、ちょっと待ってくれよヒロシさぁん!」
「お前、掲示板見てないだろ? 今日の朝礼、担当変更になってバルバリ先生だからな? 遅れたらまたラリアットでぶっ飛ばされるぞ?」
不敵に笑って言い残し、洗面セットを持ってさっさと部屋を出てゆくヒロシ。顔色を変えるニック。
「えぇーーーーっっ?!!!」
ニックは入校早々、昼休みに大人しそうな魔法課の女子受講者をマチカをイジる時と同じノリでウザ絡みした結果、大泣きさせてしまい、たまたま通り掛かったバルバリ・ナッパ・ドズル上級指導官に『痴漢の類い』と認定されて神速のラリアットを喰らって昏倒させられていた。
ニックは魔法の様に素早く着替えてベッドを飛び降り、同室の他の2人をギョッとさせつつ、洗面セット片手にヒロシの後を追った。
「これ以上心証悪くなったら退校以前に撲殺されるっ!」
必死なニックだった。
身支度を整えて、洗面セットを部屋に戻したヒロシとニックは、走って朝礼のある第3校庭に向かった。十分間に合う時間だったが、なるべく後列の、バルバリに目を付けられ難い位置を取りたい2人。
他の受講者も考えることは同じで、『戦士課の筋肉どもっ、走るなっ! 危ないっ』と事務局が貼り紙を壁にしていたが、廊下を全員走っていた。
暫く走ると、紙袋を抱え、骨付き肉を咥えて、なぜか競歩スタイルで高速移動するマチカ・ソチカ・ドチカと合流した。
「お、おはようマチカ」
戸惑いつつ、挨拶してみるヒロシ。
「むぐっ・・おはようヒロシ。と、チャラ夫」
「ニックっ、ねっ! というかマチカちゃん、何で肉? 何で競歩??」
「・・昨日、購買で見切り品の『メルメル鶏のスパイシー焼き』を纏め買いして休憩室の冷蔵庫に入れてた。私は寝起きは低血圧だからすぐ走るとクラクラする。だから競歩」
よく見ると紙袋には『マチカの肉 勝手に食べたら凄い蹴る』とレーゲン語で殴り書きされていた。
「・・合理的だね」
「低血圧ならしょうがない、か?」
肉を食いながらの理由は依然、不明だったが、腹が空いているんだろうと推察はできた・・。
「ヒロシ、1本食べる?」
「ああ、むぐっ?」
口にスパイシー焼きをねじ込まれるヒロシ。
「チャラ夫も喰うか?」
「いやっ、俺は朝はエスプレッソとクロワッサ・・むぐっっ?!」
強めにスパイシー焼きをねじ込まれるニック。
「ムググっ、・・美味しいけど冷たくて固いよ」
「休憩室にオーブンまでは無いから」
「まぁ、肉は肉だ。今日もどうせキツいからありがたい」
「わかってるね、ヒロシ。山分けする? ナプキンもあるよ?」
「今、口がクロワッサンだっんだけどなぁ・・」
3人は慌ただしく競歩とダッシュで移動しながら、紙袋一杯のチキンを食べ切ってしまった。
「おはようっ、ビチグソどもっ! 朝っぱらから週3の朝礼なんぞ意味があるか? と思っている者もいるだろう。勿論、意味等無ぁいっっ!!!」
朝礼台に乗って充填式拡声タクトを構えて回答1番、朝礼を全否定してくる露出過多な格好をしたバルバリ。
これにリアクションを間違えるワケにはゆかないっ、と無言で正解を探るヒロシ達を含めた戦士課受講者達。
「この世は不条理な物だっ。都市部で発生するクエストの大半は魔物の類いではなく、『人』に由来した物になる。少なからずの案件は戦士の理屈では消化仕切れない。わかるか? 剣では斬り難いのだ、世の不条理は」
意外と真面目な話になった? と面喰らう受講者達。
「だが、冒険者は世の摂理から半歩、ハミ出た存在だ。我々ならば不条理の向こう側に片手は届く。一般人が街中で悪人を斬り捨てたらどうなる? 裁判だろう。だが、我々は斬れるっ。裁判でも相当に有利だ。それは法的配慮もあるが、根本的には、我々がその様な物である、という『認知』に寄って成り立っているのだ」
バルバリが普通に話せることをヒロシ達を含めた大半の受講者は知らなかった為、この人は本物だろうか? という空気が漂い始めた。実際、変装術や変化の魔法や異能が得意な講師もギルド学校にはいた。
「その『認知』こそが我等の真の剣。それを失えば我々は単なる奇人変人の暴力集団でしかない。お前らビチグソどもも、不条理の境界を見極め、耐え、それを突き抜けられる様に、真の剣をくれぐれも見失うなよ? いいな?」
「イエッサー・・」
互いに様子を見ながら恐る恐る返事をする受講者達。
「声が小さいっ!! そんな小虫の鳴き声でっ、このバルバリ・ナッパ・ドズルに認知されると思ったかっ? ! 返事ぃーっ!!!」
「イエッサーっ!!!」
どうやら本物らしいと了解した受講者達。
「よしっ。では、今日は天気も気持ち好くなりそうであるから、スクワット3000回やっておくかっ! 1っ! 2っ!」
唐突にスクワットが始まり、出遅れて、慌てて追従してスクワットを始める受講者達。ヒロシ達も続いた。
「朝一でスクワット3000とかっ」
「チキン食べといて良かったわ」
「コーラかアイスコーヒー的な物も飲んどくんだったな」
この後、一部のフィジカル強者を除いて、午前中の体力系講義はガタガタになったのは言うまでもない・・。
戦士課では戦闘系訓練の他に、戦士の生業に直結した座学や戦闘以外の実技も学ぶが、それ以外にも学ぶことは多かった。
その内、最も講義コマの多いのは副職能の基礎学習。
薬師、狩人、地図師、大工、船乗り、農民、機械工、商人、盗賊、魔法使いの必修副職が10種と、プラスアルファで選択副職を最低1つ、その基礎を学習する。
と言っても、詳細な信用審査がまだ済んでいない為、戦士の腕力と合わせると悪用され易い盗賊と商人の職能学習はまだ始まっていない。
選択副職も必須副職の10種がある程度片付くまでは講義は無く、ヒロシを含め、殆んどの受講者は選択副職を何にするかも未定だった。
メインジョブの戦士系職も適性を見極めている段階で、現状全員未分化な戦士見習い、通称『若玉葱』の状態である。
初等学校卒程度の学力の無い者には最低限度基礎学力指導もあった。
各種乗用獣の扱い、車両等の扱い等も学んだ。朝礼の話でもないが、冒険者は特に都市部では起訴されがちなので法学基礎も学ぶ。他にも基本的な語学や作法、マスコミ対応、等々・・。
教養を重んずるのはかつて戦士系職の生存率が他の職に比べて極端に低かったことや、脱落して犯罪に手を染める者が多かったことが由来だった。
全体として見れば意外と御行儀の良いカリキュラム構成の戦士課であるが、始業したばかりのこの時期、受講者を特に苦しめる講義が6種類あった。
1つ目は『大剣正中の型』。別名『薪割り』。止まった状態での全身のパワーと重量武器の扱い、一撃の正確さ心身の持久力を養うことを目的としたトレーニング。
講義内容はボルビの打ち鳴らす太鼓に合わせて刃の無い練習用の両手持ち大剣を真っ直ぐ振り下ろす。ただそれだけ。
利き手側の足を前に出す順足の構え、逆を出す逆足の構え、足を平行に揃える並び足の構え、の3種の構えでひたすら振り下ろし続ける。
大剣は1番重い4号剣から1番軽い1号剣まであり、受講者の腕力合わせて割り振られた。
ヒロシは3号剣、ニックは2号剣、マチカは1号剣だった。1号剣は大剣というよりほぼロングソードだった。
防具は、剣をうっかり吹き飛ばさない様にレザーハンドカバーで利き手の上から軽く固定していた。また振り上げた際に怪我し易い頭部を庇う為に剣の規格に合わせた重さの鉄兜も全員被っていた。
担当指導官は一般枠トライアウトで進行をしていたドワーフ、ボルビ。
「・・剣の規格は腕力相応。全員条件は同じはずです。フラ付く人は前にいる他の上手い人を参考にして下さい。下手な人程後ろに並んでもらってます」
ボルビの指導は単調で淡々としていたが容赦がなく、講義中に休憩を挟むことも一切無かった。
ヒロシもマチカも無難にこの講義に耐えていたが、ニックは器用でそれなりに体力もあったので最初は最前列にいたにもかかわらず、堪え症が無い為にすぐ動きが雑になっていった。
3回目の講義になると最後列を跳び越して稽古場の後ろの壁付近の組まれた『お立ち台』の上に、
「俯瞰して参考にして下さい」
と他の落第生数名と一緒に移動させられ、以後、そこが定位置となっていた。
「はぁ~・・いい眺め、ま、こんなもんでしょ?」
と言いつつ、毎回涙目になるニックだった。
2つ目は『細剣礫払い』。別名『蜂の巣』。挙動の素早さ、逆手での武器操作、感知力、判断力、連撃のコントロールを養うトレーニング。
体格に合わせた規格の細身の剣、レイピアの刃の無い練習用の物を片手に持ち、ゴーグルと防塵マスクを身に付けた受講者が、前方の筒上の射出機から不規則に連射される乾燥させた小さな泥玉をレイピアで斬り払い続ける。
レイピアは1号細剣が1番軽く、4号細剣が1番重い。
ヒロシが3号、ニックが2号、マチカが1号だった。1号細剣はほぼ儀礼用のか細い代物だった。
防具は、長袖の厚手の服を着て男子は下着の上にファールカップ、女子は服の上からやや厚めのファールガードを臍の下辺りに装着する。
担当指導官はミュージカル女優の様な格好をしたエルフ族の男、マーヤ。小さな矢倉の上に丸いステージを作って照明を当て、やたらと紫色の薔薇を振り回して指導した。
「利き手の後は連射速度を落として逆手でもやってもらうからねぇ? 両刀使いの人はイヤンっ。ここが評価点の稼ぎ所だから同じ連射速度で頑張ってね!」
マチカは素早さ、ニックは器用さでこの講義に対応できていたが、そのどちらも苦手なヒロシはボロボロだった。殆んど乾燥泥玉を落とせず毎回砂塗れになっていた。
「アナタ、壁なの? 壁がアタシの生徒に擬態しているの?? 当てられないならレイピアを振らずに射線に合わせるだけにしなさいっ。当て感を覚えなさいっ!」
ヒロシは他の不器用な受講者数名と共に、マーヤにヒステリックに怒られ続け、4回目の講義からは落第生一同揃って3歩下がった位置から泥玉を斬るハメになった。
「タツオ、父さんはゴマメ扱いされてる今日この頃です・・」
息子には絶対黙っとこうと思いつつ、ボヤかずにはいられないヒロシだった。
3つ目は『耐久岩走り』。別名『サスケの再従兄弟』。仕様がサスケ式に近いが、主にタフネスとパワー、岩場を走破する全身の運動性、ルート取りとペース維持の冷静さが鍛えられるトレーニング。
広大なギルド学校敷地内にある毎回岩の配置を変える岩場で、ウェイトパックと呼ばれる重し入りのチェストベルト付きリュックを背負って往復約2キロの道程を延々と20往復する。
給水はウェイトパック側面の左右のポケットに入れた、体格に合わせたサイズの直飲みし易い飲み口のある水筒2本を自分のタイミングで飲む。水筒の中身は塩と糖蜜を溶いたハーブ水だった。
ウェイトパックの種類は4種類で、1番軽い物が1号パック。重い物が4号パックでパワーの違いで割り振られる。
ヒロシは3号パック、ニックは2号パック、マチカは1号パックだった。1号パックの重さは幼児1人分程度。
防具は、転倒リスクが高い為、膝、手、肘、胴、頭部に皮製防具を着込み、暑苦しいが服も長袖だった。
豚型亜人のオーク族等、身体が極端に大きな受講者には『プロになっても走力を求められるクエストの受注は難しい』と忠告された上で、周回数を15回前後に減らす対応が取られた。
担当指導官は火属性の小妖精ファイアピクシー族のエル。エルは虫の様な羽根で岩場を忙しなく飛び回りながら受講者達に発破を掛けて回った。
「どれだけ強くてもっ! どれだけ優秀でもっ! 一定の時間内に目的の場所に移動できないと失敗するよ? スタミナが切れるとベテランの戦士でも素人のチンピラの集団に命を取られちゃったりする。走力、スタミナ、大事でしょおおっ?!」
この講義、ニックは無難にこなすのみだったが、性分に合うヒロシは得意で、早々にゴールしてスタート地点で早めに休憩を取っていた。
一方、脚力自慢のはずのマチカはこの講義が大の苦手。スタミナに難があり、ウェイトパックと延々続く岩の足場の為に素早くは動けず、サスケ式以上にペース配分を見なければならない。
身軽さと思い切りで短期決戦を挑むタイプのマチカはどうにもペースが掴めず、毎回周回遅れのグループに入っていた。
「ドン亀ちゃん達ぃ、次の他の人の講義に間に合わないから回復しとくねぇ。ファイアヒールっ!」
エルは金色の、回復効果の炎で疲弊しているマチカ達、周回遅れグループを焼いて回復させた。
「アチチっ?!」
火属性回復魔法は時属性回復魔法に次ぐ回復力を持つがとにかく熱いっ! エルが加減しているので装備品を焼かれることはなかったが、水筒の中身はお湯にされた。
3回目の講義ともなると、マチカは完全にエルに覚えられてしまい、高速飛行しながら通り掛かる度に、
「そろそろ回復しとく? 回復しとく? ギブアップしたいの??」
としつこく煽られる様になってしまい、酸っぱい物を食べた様な顔で走り続けるハメになった。
「うっ、胃が、痛い・・」
余りにキツそうなので周回遅れのマチカをニックがイジれない程だった。
4つ目は『縄上速配』。別名『サーカス』。 長物系の獲物を持った上でのバランス感覚と繊細な足運び、不安定な状況下で正しく作業をする能力を養うトレーニング。
長棍を持って、セーフティネットの上に張られた1本綱を渡りながら、ランダムで配られたレーゲン語のカード10枚とアラビア数字のカード10枚をウェストポーチ入れて、短めの設定の制限時間内にゴール地点側のポストとスタート地点側のポストに交互に運んで正しく1枚ずつ投入する。
長棍は1番軽い1号棍から1番重い4号棍まであって体力に合わせて割り振られる。
ヒロシは3号、ニックは2号、マチカは1号だった。1号棍は掃除用具のモップの柄とほぼ変わりない。
この講義もバランスの取り難い体格が大き過ぎる者は『プロになってもバランス感覚が求められるクエストの受注は難しい』と忠告した上でカード総枚数を16枚から12枚に減らす対応が取られた。
指導官は影の体と影の髪、光る2つの目を持つシェード族のサイアンで、シングルサイズの空飛ぶ絨毯に乗って中空をフワフワ飛びながら指導にあたった。
「実際のクエストで、素早く慎重な作業やバランス感覚を強く求められる場合、十中八九切羽詰まった状況でミスはできないじょ? デフォルメされた設定でも慣れておくと良いじょ?」
縄上速配に関しては、ニックは前半は小器用にこなすが後半集中力が切れてポロっと縄から落ちることがあった。
マチカはペース配分や勢い任せのダッシュがたまたま上手くいった時は好成績を出したが、ダメな時は全くダメで、結果にバラつきがあった。
ヒロシは手堅くミスは少なかったが、安定して毎回遅く、パッとしなかった。
「3人共特別メニューを組む程じゃないけど、このままだと低評価のままだじょ? これは基礎の基礎の講義だから来月はもうやらないじょ?」
と、ヒロシ達はサイアンに空飛ぶ絨毯でのすれ違い様にさらっと言われていた。
「俺、体を使うのに変化の少ない講義苦手だよ・・」
「走るのに勢いが通じない系はイライラしするっ!」
「ミスしてないんだけどなぁ、何か足りない感じだ」
単純で負荷の軽いゲーム感覚の講義なだけに、不思議と結果が伴わないことに3人は困惑していた。
5つ目は、『基礎魔法の習得』。通称は無い。必修副職能の魔法使いの基礎実技講義。最初の1月目は照明魔法『ライトトーチ』をひたすら修練する。
座席に着いて、光属性を補助する短い法杖『スプライトワンド』を用いて持続時間0で光の玉を造ることを繰り返す。
机に並べた安物の魔力回復液『エーテル-1』の小瓶は飲み放題だった。
目を保護する為、ゴーグルタイプのサングラスを全員していた。
既に習得済みの者や、光属性魔法や魔法その物が完全に苦手な例外的な者は別教室で特別授業を受けていた。
「ライトトーチっ!」
「ライトトーチっ!」
受講者達の魔法詠唱がこだまする教室の中、担当指導官は、講義で発生する閃光対策のサングラスを掛けた西方温帯種の人間族、オルダズィーテだった。
彼女の本籍は戦士課ではなく魔法課。
「はーい、一旦止めて下さーい。もう講義を始めて半月経ったんで、統一詠唱法のチキュウ・イングリッシュ式での発動は問題無さそうですね?」
「・・・」
「・・・」
ヒロシとマチカを含む受講者達は微妙な顔をした。エルフの血を引くニックは魔法が得意であった為、別教室だった。
戦士課の受講者は魔力の最大値は大抵低く、使用も下手で燃費が悪い為、低品質なエーテル-1を何本も飲むハメになり、全員具合が悪かった。
「次は略式詠唱で発動させてみましょう。実戦で長く唱えるのは難しい場面も多いですからね? 略式詠唱は内なる魔法式さえしっかりしていれば何でもいいですが、光属性魔法は一般的に全て『光よっ!』または『でゅわっ!』と略すことが多いですね」
腕を交差する謎のポーズを取るオルダズィーテ。
「??」
が、魔法の知識の薄い戦士課の受講者には通じず、沈黙しか返ってこなかった。
実はこのポーズで「でゅわっ!」と略式詠唱して光属性魔法を放つ、というのが魔法課の鉄板ジョークであった。
スベってないよ? という顔でポーズを解くオルダズィーテ。
「・・はい。この講義では『光よっ!』と略します。慣れれば略式詠唱でも色々できますよ? 光よっ!」
オルダズィーテはライトトーチの光の玉を変化させ、無数の七色に光る立体ソフトクリーム像にして教室の中空に発生させた。
「おお~っ?」
「何でソフトクリーム??」
驚くやら戸惑うやらの受講者達。
「私の姪っ子がソフトクリームが好きなのです」
受講者をまたリアクションに困らせつつ、オルダズィーテは光のソフトクリームの魔法を解いた。
「では、略式詠唱でのライトトーチ。200連発くらいやってみましょう。はい、どーぞ?」
一瞬、互いに様子を見合ったが、始めるしかない受講者達。
「・・光よっ!」
「光よっ!」
「光よっ!」
略式詠唱発動練習が始まった。イングリッシュ式より文言が短く、慣れないこともあってあっという間に魔力を消費する。
受講者達のエーテル-1を飲むペースが上がり、しまいに吐く者も現れたが、オルダズィーテは、
「御不浄は自分で片付けましょうね?」
と、ニッコリ笑い掛けるばかりで、講義は全く止まらなかった。
ヒロシとマチカも青い顔で必死で光の玉を発生させ続けた。
「・・うっぷっ、吐きそうっ!」
「耐えろっ、マチカ。これ多分、一回吐いたら癖になるぞっ?!」
ヒロシも脂汗をかいていた。
マチカは戦士課にしては魔力の最大値が高いが、身体依存ではない魔法の扱いに違和感があるらしく、不器用だった。
ヒロシはマチカに比べれば無難に内なる魔法式を組み上げていたが魔力の最大値が低かった。
2人を含む受講者達が、不慣れな魔法よりむしろ粗悪なエーテル液に苦しめられる講義であった。
最後の6つ目は、戦士課の受講者にとって最も重要な講義、『丹氣術基礎』。これも通称は無い。
丹氣とは魔力と生命力を練り合わせた、魔法式を介さない身体依存の力。身体や武器を強化することができる。
戦士課一般枠トライアルでバルバリが玩具の様な刃物で遠くにある大看板を切断したのも丹氣による物だった。
丹氣術基礎の講義は案外、基礎魔法の習得の講義と同じ教室で座って行われた。
全員に視認しやすい様に四角いマークの印された、チキュウから製法が伝わった丸くて軽い、中身が空洞の樹脂製の球体『ポンピン玉』を、丹氣を用いて両人差し指の間に挟んで前後左右に回転させる。それだけの地味な講義だった。
体力と魔力、両方を消費するので体力回復効果の安物の回復液『ポーション-1』とエーテル-1の小瓶がこの講義でも受講者の机の上に並べられていた。
消耗の度合いは魔法の習得の講義と変わらないが、エーテル-1に比べるとポーション-1はまだ飲んだ時の負担が軽く、エーテル-1を飲む量も半分で済む為、この講義で吐く程に体調を崩す者はいなかった。
担当指導官は黒い肌の南方乾燥帯種の小柄なホビット族の老人、ベナン。
「丹氣は集中して力を練る必要があり、隙ができる。感情や体調の影響も受け易い、燃費も悪いし、魔法と違ってできることも限られている。だが、身体と繋がっている分、応用は利く・・」
ベナンは左手に持っていた漬け物石を宙に投げ、右手の人差し指の先に丹氣でキープしていたポンピン玉を宙の漬け物石に差し向け、唐突に弾丸の速さで撃ち出し、漬け物石を粉々に砕いた。
漬け物石を砕いた丹氣を帯びたポンピン玉は無傷で、ベナンが指をクイっと引くと、ベナンの手元に戻ってきた。
「器物強化、操作だけでなく、身体強化にも使える。基礎を学べば、技は無限だ。・・では次は前方回転」
受講者達は必死で、ポンピン玉を前方に回転させた。
この講義、ニックは作業の単調さと魔法とは違う、身体依存の力の使い方の感覚が掴めずに苦戦していた。
ヒロシは魔力の低さと生命力の高さのバランスの悪さの調整が上手くゆかなかった。
一方、格闘術の心得があり、丹氣術も少し学んでいたマチカはこの講義が大得意で、殆んどポーションやエーテルに口を付けず、ポンピン玉の周囲に小さな旋風が起きる程、快調に対応していた。
「いいなぁマチカちゃ~ん。これ、俺、フワフワしてくるっ。玉見てたら目が回りそうだしっ」
「チャラ夫っ、これはね、ファーンっ! ってやるんだよっ」
「教え方下手過ぎて斬新っ」
「わわっ、俺、何か、ポンピン玉が破裂しそうになるぞっ?!」
「ヒロシさんも、馬力おかしくないっ??」
「・・そこの3人、私語が多い」
「すいませんっ」
「すいません」
「すいません・・」
怒られつつ、マチカと他数名の適正のある者以外は皆、地味に苦戦する講義だった。
・・・そんな、様々な講義に苦戦しながらもヒロシ達は何とか食らい付いていた。
だがやはり苦手分野はコツが掴めず、講義と考察と1人だけの自主トレに限界を感じたヒロシ、ニック、マチカは、週1休みの第1曜日の早朝に、3人で戦士課校舎に幾つもある中庭の1つに合同自主トレをすべく集まった。
近くに借りてきた椅子やテーブルや練習用の武具等が置かれ、購買で安く買える例の-1の廉価版のポーションとエーテルもどっさり用意されていた。
「講義での俺達の評価は総合すると中の中くらいだと思う。戦士課の受講者は特別枠と合わせると84名。合格できるのは33名だ。まぁ、この調子だと落ちるな」
全体の中での位置は自分達を客観的に見た感触で、ギルドからは特に何の発表もなかったが現状認識に間違いはない、とヒロシは思っていた。
「正規のギルドメンバーじゃなくて、ギルドサポーターとしてフワっと、間接的に冒険者業界に参加するって手もあるかな、と・・」
一応言ってみるニック。
「冗談じゃないわっ! 私は合格しか考えてないっ。落ちたら違法でも自分で勝手に活動するつもりだからっ」
マチカの目は本気だった。ヒロシとニックは一瞬、目を合わせた。
「・・ま、とにかく、傾向と対策だ。俺は『蜂の巣』の講義がダメ。ニックは『薪割り』がダメ。マチカは『サスケの再従兄弟』がダメ。『サーカス』は3人ともイマイチ。魔法の扱いは俺とマチカが微妙。丹氣術は俺とニックがダメ。得意も伸ばしたいが、まずはこの6つの克服が大事だな。他の受講者も大抵は苦労している講義だ。ここが上手くゆけば総合評価で上位にゆけるっ! 課題はハッキリしてるぞっ?」
「何か、会社の課長とか係長と話してるみたいだ」
「オッサン臭いよ? ヒロシ」
「俺はまだ23歳で、リーマンだった時も管理職は未経験だよっ」
「23だとそんなもんかぁ」
「就職したことないからよくわかんないっ! 早く練習しようっ!」
「よーし、交代でそれぞれ指導官役をして、やるだけやってみようっ!」
「オーッ!!」
ニックとマチカは至って気楽に返事をした。
・・最初の指導官役はヒロシだった。木剣を2本双手持ちして、皮の兜を被り、大型の木製盾1枚を両手でしっかり持ったニックとマチカと対峙していた。
「俺の課題は当て感、逆手の扱い、足回りの自在さ、反応速度、丹氣術、後は魔法・・この稽古で魔法はフォローできないが、他は身に付くと思う。2人も全身のタフネスやガードは強くなると思うぞ?!」
「回避不可でもノッキングはありありだよね? 俺、盾のノッキング、得意だよ? ヒロシさん」
「吹っ飛ばすからねっ! ヒロシっ」
「お手柔らかにっ! じゃあ・・」
ヒロシは木の双剣を大きく構え、呼吸を整えた。
「行くぞっ!!」
精度は低いが、丹氣を両足と、双剣、剣を握る両手をメインに付与し、ヒロシは2人に突進し、左右同時に剣を振り下ろした。
「いっ?!」
「うんっ?!」
想定を越えるヒロシの突進速度と攻撃速度、長い腕と長身からの攻撃のリーチと対処し辛い角度、そして何より圧倒的なパワーに、ニックとマチカは驚いた。
戦士課では1月目は、受講者達の個々の実力差や手加減する技量が無いこと等を理由に、受講者同士の模擬戦形式の講義の類いは殆んどしていない。
2人は本気のヒロシと初遭遇であった。
「フンっ!!!」
剛力で繰り出されるヒロシの連撃。ニックは丹氣の付与が足らず、ただ受けているだけでは盾を砕かれそうになり、マチカは丹氣の付与は十分でもパワーが足りず吹っ飛ばされそうになった。
「ヒロシさんっ、ゴリラの本性出し過ぎだよ?!」
「絶対負けないっ! 全然効いてないっ、もっとバチコーンってきなよっ!!!」
言いつつ、ニックは踏ん張りと盾への丹氣付与に集中し、マチカは徹底的に踏ん張った。
対するヒロシも徐々に丹氣のコントロールが定まってきて、足運びや逆手の攻撃、回避不可とはいえ受け流しや受け弾き、止め受けの技巧を使って守り切ろうとする2人に対する当て感や反応の速さが際立ってきた。
ヒロシは急に成長したのではなく、様々な講義で学んだスキルの答え合わせをしている気分だった。
「ノッキングしないのかっ?! ジリ貧だぜ?!」
「調子乗ってるぅっ!」
「ブッ飛ばしてやるっ!」
2人も剛打の嵐に対してやっていることの質はそれぞれ違ったが、総じて踏ん張り、一定の力をキープして対処する力の配分のコツを掴みつつあった。
2人は隙を見て、ニックは小出しの牽制的な盾を使って殴り付けるノッキングを見せる様になり、マチカは少しずつ丹氣を溜めて一気に解放する形でヒロシからダウンを取りにゆく大振りのノッキングを見せる様になっていった。
攻防は時間にすると僅か数分のことであったが、3人に取っては濃密な戦いだった。
最後は丹氣も体力も尽きたニックとマチカの木製の大盾を同じ木製の双剣でヒロシが叩き割り、『ヒロシの稽古』は終了した。
「ふぅ~、いい稽古だった。コツを掴めたよ、2人ともっ!」
「そ、そりゃあ良かったね。ヒロシさん、若玉葱から若ゴリラにジョブチェンジした方がいいよ?」
ニックはゼェゼェと荒い息で四つん這いになっていた。
「考えとく!」
「さすがに私もキツい。ポーションとエーテル持ってきて。打たれ過ぎてもう足がガクガク、立ってられないよ・・」
マチカは壊れた大盾を放り出して寝転がっていた。
「よしっ、待ってろ? 2人共っ!」
ヒロシは稽古で掴んだ感覚を反芻しながら、中庭に置かれたテーブルに山積みした回復薬を取りに向かった。
・・ヒロシの稽古の後、予定では30分程休憩してすぐに次の稽古に移るはずだったが、ニックとマチカが回復薬を飲んでもすぐには回復しなかった為、結局2時間程、中庭の午前中でも日当たりの良い場所で仮眠を取ることになった。
草地の上に並んで昼寝ならぬ朝寝をする3人の様子をたまたま近くの廊下を通り掛かったボルビが目撃し、1人だけそんなに眠くないので目を開けて雲の数を数えていたヒロシと目が合い、
「青春ですか?」
と真顔で聞いてきて、ヒロシを赤面させたりした。
そんなこともありつつ、次の指導官役はニック。しっかり頭に固定する遮光ゴーグルを付けて2本の魔法耐性の短い法杖『レジストワンド』を双手持ちし、エーテル-1を近くに置いた椅子上に3本ずつ並べて光属性補助のスプライトワンドを持ったヒロシとマチカと対峙していた。
「俺の課題はまぁ、集中力と足腰何かのパワー、後は丹氣。それはさっきのヒロシの稽古で大体コツが掴めた気がする。だからこの稽古では2人のヘッタクソな魔法を徹底的に鍛えちゃうよ?」
おどけて杖を構えるニック。
「ついでにお前の器用さを伸ばして、感覚の鋭さや身軽さも身に付けるといい」
「ライトトーチでも火傷するからね? 気を付けなっ!」
ヒロシとマチカも杖を構えた。
「来いよっ! 2人共っ」
「光よっ!」
「光よぉっ! このぉっ!!」
ヒロシとマチカは光球を造り出し、それを操ってニックに当てに掛かった。レジストワンド2本を使い、それを軽く弾き、あるいは躱すニック。
「ヒロシさんの光球は遅くて動きが普通っ! すぐわかる。マチカちゃんは魔法の構成が甘いからボワボワしてて、これじゃすぐ魔力が切れちゃうよっ?!」
「緩急付けてみるっ!」
「ちょっと待って、今、ちゃんとするから・・」
ヒロシとマチカは工夫し、魔法の操作精度と維持精度を上げてゆき、ニックも魔力と光と熱に対する感度と巧みな受け弾きの精度を上げ、身軽な回避もどんどん上達していった。
『ニックの稽古』はヒロシとマチカがエーテル3本飲み切って上で魔力を使い果たすまで続いた。
「まぁ、2人共、いい感じになったんじゃないかな? 俺も何か、このままピエロにでも転職したい感じになったよ? ふふっ」
「今でも大して変わらないよ・・うっぷっ?! 安いエーテルだけはホント慣れないわ」
「昼、学食行く前にまたちょっと仮眠取るか・・」
「賛成・・」
「マジで? 俺、こんなハイぺースで昼寝するの保育園以来かもしれないよ?」
ニックが軽口を言いつつ、3人は昼食前にまた小一時間程、中庭の日当たりの良い場所で仮眠を取ることした。
昼寝と昼食の後、最後の指導官役はマチカだった。特に何も武装していない。むしろ麻のギルド学校の制服の上着を脱いで、臍出しタンクトップ1枚になって、バキバキに割れた腹筋を露にしていた。
マチカはその場でピョンピョン跳んでウォームアップしていた。
対するヒロシは特に武装無し、ニックは皮の胴鎧と兜のみ装備していた。元気一杯のマチカにニックは戦々恐々としていた。
「私の課題は、丁寧さとスタミナ、あとは魔法っ! どれもこれまでの2人の稽古でコツは掴んだ気がする。この稽古では2人に丹氣の練りと操作を一番わかり易く、『一撃』で、教えようと思う。私も自分のフルパワーの蹴りを試したいし、手加減も覚えたい」
「え? 俺らマチカちゃんのサンドバッグ??」
「死なない様に気を付けようぜ? ニック」
「マジか・・」
マチカは足を肩幅に開いて立ち、背筋を伸ばした。
「最初はニックね。お腹に今できる最大の丹氣を溜めて構えて。ちゃんとしないとお腹とお尻が爆発するよ?」
「お尻も爆発するの??」
「行くよ? ・・ニック!」
マチカは半身で構えた。ニックは慌ててありったけの丹氣を腹と1部は尻にも付与した。
「フェイントで顔面とか蹴ったら俺、普通に死んじゃうぜ? マチカちゃんっ!」
「ディヤァアーーッ!!!」
マチカは丹氣を乗せた強力な駆け込み横蹴り技『鉄串』をニックの腹に打ち込んだ。
「べぇうっっ?!!」
ニックは8メートルは吹っ飛ばされ、転がされ、身を起こしてすぐにさっき学食で食べた『ポークビーンズ定食』を全て吐いた。
「おろおろおろおろ・・・・っっ!!!」
「ガードが甘いっ! でもちゃんと丹氣は集中できてたねっ。よしっ、次はヒロシだよ?!」
「お、おう・・」
約束されたカタストロフ、という単語が脳裏に浮かんだヒロシ。
「ヒロシはニックの2倍は頑丈だから、私は3倍の力で蹴るっ!!」
「いや計算おかしくないかっ?」
焦るヒロシ。マチカは深い呼吸と共に、身を屈め、次の瞬間体内で丹氣を燃える様に高め、身を起こした。
「ハァアアアーーーーッ!!!!」
丹氣で輝くマチカの全身。
「おおっ?」
驚愕するヒロシ。
「ま、マチカちゃんが光ってる・・」
何とか自力で身を起こし、ポーション-1を飲んでいたニック。
「ふぅうう・・これは丹氣術『正中灼氣』っ! 燃費は凄い悪いけど、一時的にパワーが格段上がるっ」
輝くマチカは片足を上げ、水鳥の様な構えを取った。
「ヒロシ、私が学んだ『フガク流格闘術』の本気の蹴り、見せてあげるっ!!」
「無事で済むイメージが全く湧かないのだが・・やるしかねぇかっ!」
「生きろ、ヒロシさん・・・」
ヒロシは半ばヤケクソで、全力の丹氣を腹と一応少しは尻にも付与した。
「行くよ?! ふぅうう・・ディヤァアアアアーーーーーーーッ!!!!!!」
輝くマチカは、完璧なフォームで、超高速の駆け込み横蹴り『フガク流、真・鉄串』をヒロシの腹に打ち込んだ。
「ぐふっ?!!」
10数メートル、中庭の壁近くまで吹っ飛ばされたが、何とかダウンせずに済んだヒロシだったが、すぐに両膝を吐いた。
「うっぷっ! ギリ、耐えた・・」
口を抑えつつ、何とか昼食べた大盛りメルメル鶏の唐揚げ定食のリバースを阻止できたヒロシ。
「すげぇ、ヒロシさん・・お尻も、昼飯も、死守しやがったっ!!」
「やるねっ、ヒロシっ! ふぅ・・」
正中灼氣が切れ、その場に尻餅をつくマチカ。『マチカの稽古』は無事完了した。
「あ~疲れた。思ったよりパワーが出て足、骨折するかと思った」
以前はこれ程の丹氣を発揮できなかった。自分はまだ強くなれる、マチカは強い高揚感を抱いた。
「自主トレはこれで終わりだよね? 俺、全部吐いちゃったからまた学食いかない? 何か軽くサンドイッチか何か入れとかないと、胃酸で腹がユルくなりそう・・」
ヒロシに回復薬を渡しながらニックが言った。
「俺もさっき食べたばかりだけど、また腹減った。うどんヌードルでも食べるよ」
ポーション-1を飲んで顔をしかめつつ身を起こすヒロシ。
「うーん。ま、いいけど! それよりニック。さっきリバースしたのちゃんと片付けな。手伝ってやろうか?」
マチカも立ち上がった。
「ああ、自分でやるやるっ」
慌てて掃除要具を探すニック。
「そ。ならいいけど。ヒロシ、道具片そう」
「応っ」
マチカは適当に放り捨てていた上着を拾う為、ヒロシやニックに背を向ける形になった。
「っ!」
「っ?!」
マチカの臍出しタンクトップで半分隠れてるが、マチカの背には巨大な獣の爪で引き裂かれた様な傷痕が生々しく残っていた。
「ここの学食のスィーツって微妙だよね?」
背を向けたまま話しながら上着を着るマチカ。
「あ、ああ、半分公社だしなっ」
「だねっ! わかってないんだよっ、お役所はっ。ハハハっ」
ヒロシとニックはあたふたと応えていた。
自主トレーニングの効果は抜群だった。
『大剣正中の型』は集中力と足腰の強さを上げたニックが、
「まぁ、いいでしょう」
とボルビにお立ち台から降りて後列に加わることを許され、技量を上げたヒロシとマチカも前から2番目の列に並ぶことを認められた。
『細剣礫払い』は、器用さと当て感、反応速度を上げたヒロシが、
「ま、上手くはないけど下手では無くなったね。下がらず受けなさぁい?」
マーヤに3歩下がる扱いの解除を許された。マチカとニックは技量を認められ、乾燥泥玉の連射速度を上げられた。
『耐久岩走り』はスタミナとパワー、ペース配分を覚えたマチカは周回遅れ組から脱し、
「あれ~? 涼しい顔してるじゃん? もっと燃やしてあげようと思ったのに? イヒヒっ」
とエルに茶化されていた。走破力を上げたニックは以前のヒロシの様に速くゴールして休憩する様になり、さらに速くゴールできる様になったヒロシはこの講義から抜け、別の上級者向け講義を受けることになった。
『縄上速配』は総合力を上げた3人共が安定して中の上くらいのタイムでカードを配れる様になり、
「じょじょ? 中庭でお昼寝するだけでスキルアップできるなんてっ! さては3人共、チート来訪者だじょ?」
とサイアンに冷やかされて、自主トレの様子が指導官達に筒抜けなことを含めて気恥ずかしくなるヒロシ達だった。
『基礎魔法の習得』は、魔法の連度の上がったヒロシとマチカは殆んどエーテル-1を飲まずに問題無く連続使用できる様になり、
「あら~、よくなってるじゃなーい? じゃあ2人共、今度は無詠唱でライトトーチを発動させてみてね?」
とオルダズィーテに笑顔で高難度課題を追加で与えられたりしていた。
『丹氣術基礎』は、丹氣の練りのコツを掴んだヒロシとニックは以前のマチカと同じ、ポンピン玉の周囲に旋風を起こす回転ができる様になり、
「いいね。後は燃費を良くしていくといい」
とベナンに認められ、さらに両手の人差し指の上でポンピン玉を回転させてそれぞれ旋風を起こせる様になったマチカは、この講義を抜け、別教室で上級者向け講義を受けることになった。
3人の総合評価は間違いなく受講者の中でも上位の物となっていた。
・・・そうして、10月、兎王の月の末、月を跨がずして、実力不足や素行を問題として一般枠の4人が退校をギルドから申し渡され、さらに一般枠から5名、特別枠から2名が、戦士課から別の課への転課の申請を出し、受理された。
戦士課の受講者は一般枠と特別枠を合わせ、73名に減少した。
退校や転課の発表があった当日の夜、10時半過ぎ、戦士課校舎の遮音公衆電話室が5台並ぶフロアにヒロシ、ニック、マチカは来ていた。
翌朝も早い為、この時間帯ならばいつも空いていた。今夜も使われていたのは1室のみだった。
ヒロシ達は特に言葉を交わすでもなく、それぞれ遮音公衆電話室に入っていった。
一度深呼吸してから、ヒロシは有線受話器を上げ、多数握ったゼム硬貨の1枚を投入し、ダイヤルを回した。
掛け先は元妻と息子が暮らすアパートの公衆電話だった。
呼び出し音が響き、アパートの管理人が電話に出た。
「夜分遅くすいません。ヒロシ・ドーガ・ヤクトと申します。リュッテ・コパ・ムーンライトさんに取り次いで頂けますか? はい、よろしくお願いします」
暫くするとリュッテが電話に出た。
「・・何? ヒロシ、珍しいね夜に。何かあった?」
「ああ、今日色々発表があってな・・」
ヒロシは退校や転課の発表や、自分の成績は改善したことを端的に話した。
「そう・・。貴方は元気なの?」
「入る前より元気だ。今なら三輪を持ち上げて投げ飛ばせるぜ?」
「やめて。無意味」
「例えだよっ?」
「ふふ、で、どうなの? 学校は可愛い子いる?」
「可愛い子??」
女子受講者はマチカを始め、いくらかはいるし、指導官や運営スタッフにも女性は普通にいる。だが、特に意識したことはなかった。
「今はあんまり考えてないかなぁ?」
「貴方はまぁそんな感じか。私は学生君と別れちゃったよ」
「ええー? 何で??」
まだ半年も経っていなかった。
「何か甘えられちゃって。お母さんみたいになったらつまんないから、やめた」
「うわ~、そういうとこあるよなぁ。トラウマ作ってるぞ?」
「男の子はボロボロにみっともなくなってからが本番だよ?」
「そんなもんか?? あ、タツオ元気か?」
「ついでみたいに」
「いや、違う違うっ。もう寝てるだろ?」
「タツオは良い子だからね・・」
「良かった。そうだ。働いてるよろず屋に煙草のマイルドエイト置いてないか? こっちの購買に無くてさ」
「あるよ? 送るわ。代金は養育費と一緒に振り込んでね?」
「わかった」
ギルド学校はリスキーな機関ではあったが、入校無料な上に助成金も月に40万ゼム支払われた。新卒のサラリーマン給料より少し高いくらいだ。
「それくらいね?」
「うん。おやすみ、リュッテ」
少し間があった。
「・・声が若返ったね」
「そうか?」
「身体を使うでしょうから、煙草は程々にね。・・おやすみ、ヒロシ」
通話は切れた。溜め息を吐くヒロシ。実はマイルドエイトの煙草は普通にギルドの購買に売っている。
「女々しいな。いかんいかんっ」
ヒロシは両手で頬を挟む様に張って気合いを入れ直し、遮音公衆電話室から出た。
ニックとマチカはまだ電話中だった。ニックはうんざり顔で受話器から耳を離していた。目が合うと、受話器を指差してから肩を竦めてきたので、ヒロシは苦笑した。
マチカは通話しながら、顔を真っ赤にして泣いて、何か叫んでいた。外野が長く見てよい物ではなかった。
「ま、皆、色々あるわな」
ヒロシは身体の向きを変え、公衆電話室の近くの壁際に設置してある瓶入りソーダ水の自販機に歩み寄り、ゼム硬貨の残りを落とした。
無意識にライムソーダのボタンを押しそうになり、気付いてすぐにあまり飲みたくもなかったメロンソーダのボタンを押した。
取り口から出てきた瓶を仕方無く手に取り、取り口の中にある毎回洗浄される栓抜きで瓶の蓋を開けて取り出した。
飲んでみる。果汁を確認する。0%。
「いいねっ!」
ヒロシは適当に言って、片手でゆらゆら飲み掛けのメロンソーダの瓶を持って、男子寮に帰っていった。