幸せは今
「逃げるなら今?」「囲われた今」「自由を知るのは今」のクラウス視点
母が死んだ。
父王に相手にされない側妃同士、しょっちゅう底辺の争いをしていたから、誰かに殺されたんだろう。
目立つ母がいなくなったことで、僕の隠れ蓑がなくなった。この後宮という戦場で、後どれくらい生きられるか。
まだ8歳の僕には逃げ出す手段がない。
気配を消して過ごすしかない。
僕は、スラリタ王国の第八王子。
母は男爵家の出で、汚職貴族がよくやる賄賂として後宮に送り込まれた。
性格のキツい、典型的なこの国の貴族令嬢の母。
僕を産んだ人だけど、ほとんど会話をしたこともない。
僕は放置され、かろうじてメイドに世話をされていた。
そして、生き方を教えてくれたのは第三王子だ。
後宮の奥の目立たない庭園で遊んでいた3歳の僕に、第三王子は接触してきた。
「やあ、クラウス。僕は、君の異母兄のアウグスト。第三王子だよ。僕と一緒に遊ぼうか」
僕は、自我が芽生えるのが早かった。
ここは危険な場所だと、既に気がついていた。
警戒する僕に、彼は嬉しそうに笑ったんだ。
「ふふっ。やっぱりクラウスは頭がいいね。だから、僕みたいに失敗しないように生き方を教えてあげる」
まだ12歳の兄は、とても疲れていた。
幼かった兄は、母の愛情を求めてしまった。
優秀な成績を、突出した能力を、母親に見せてしまった。
「この国は腐ってるんだ。汚職貴族と黒い商人、奴隷にされた民。ここでは家族の愛なんて、幻想だった」
兄の母親は、王位継承争いに兄を巻き込んだ。
第一王子と第二王子の派閥から、命を狙われる日々の始まりだ。
「クラウスは、ちゃんと隠さなきゃダメだよ。これからは僕とも隠れて会おうね」
兄はバレないように抜け出して、よく会いに来てくれた。沢山の本を、隠して持ってきてくれた。
「いつか、ここを逃げ出した時に困らないように。知識は宝だから」
そんな日がくるとは思えなかったけれど、僕が知識を身につけると兄が嬉しそうに笑うから、僕は本が好きになったんだ。
「クラウス、この世界には5つの大陸があるんだ。1つは人が住めない魔大陸。他の4つの大陸にはそれぞれ沢山の国があるんだよ。スラリタ王国がある西大陸以外はどんなところだろう。この物語の冒険者みたいに強かったら、自由に世界を見れるのかな」
兄の瞳には、隠しきれない【自由】への憧れがあった。
兄が15歳になると国内公務が始まり、あまり会えなくなった。
「明日から辺境伯領の視察に行くんだ。帰ってきたら、クラウスにたくさん外のこと教えてあげる」
そう言って、僕の頭を撫でながら優しく笑っていたのに。
2週間後、兄の訃報が届いた。
(僕のたった一人の家族が死んだ)
何故そう思ったのかはわからない。
でも、寂しくて悲しくてどうしていいかわからなくて、もう会えないことは分かっているのに、兄に会いたかった。
この時から、僕も【自由】に憧れ始めたのだと思う。
生き抜くと決めた。
兄の見れなかった世界を観たいと思った。
凡愚な王子のフリをして、チャンスを待った。
演技のおかげか、嫌がらせはあっても死の危険はあまりなかった。
しかし、12歳のある日、突然部屋から拐われた。
何もわからないまま、地下牢や物置に監禁され、どこかの騎士に拘束されたまま移動を繰り返した。
会話を盗み聞きすると、近隣諸国が挙兵したこと、こいつらは再起する為に逃げていることがわかった。
もしも、こいつらから逃げ出せたら【自由】になれるだろうか。淡い期待を胸に秘め、従順なフリをした。
森を抜けようと移動していた時に、突然体がおかしくなった。
激痛と不快感に意識が朦朧とする、自分の叫び声を遠くに聞いた。
意識が戻った時には、知らない部屋で、ちゃんとしたベッドに寝かされていた。
同じ歳くらいの女の子と目が合うと、その子は部屋から慌てて出ていった。
優しそうな家族が集まってきて、僕に起きたことを教えられた。
スラリタ王国は、滅亡していた。
僕は近隣諸国が用意した呪術師の呪いで魔力暴走をおこし、死にかけていたそうだ。
その状況では奇跡としか思えないが、2歳で王宮から出奔したという叔母の家族に保護されていた。
僕は、突然の【自由】を手に入れた。
「神は、貴方が生きることを赦しているわ」
「貴方は、自由に生きることができる。これから、なんにでもなれるわ。さあ、貴方はこれからなにがしたい?」
叔母の言葉に、僕はいつの間にか泣いていた。
豪快な叔母は、僕を家族に迎えてくれた。
体は癒えているのに、僕はしばらく起き上がることができなかった。
「心が疲れてるのよ。焦らなくていいわ。あの国の後宮で、腐らずに生き残ったのは凄いことよ。誇りなさい」
叔母は、兄のように優しく頭を撫でてくれた。
叔母の家族はみんな面倒見がよく、他人の僕をすんなりと受け入れてくれた。
シランとアイリスは、ベッドから起き上がれない僕にスキルリストを見せながら、スキルを取得するまでの経験談を聞かせてくれた。
二人は既に冒険者として活動もしていて、外の話も聞かせてくれた。
「クラウス、うちの教育受けたら、どこに行っても大抵の仕事ができるぞ。寧ろ、優秀になり過ぎて生きづらいかもな。バレるとめんどくさいことが多過ぎる。ここ1年、アイリスと二人で外に出たことで、俺たちは両親の異常な優秀さを理解しないまま過ごしてたことを痛感したぜ!」
「たぶん、一番バレるとめんどくさいのがお母様とお父様のことだよ。物語が有名過ぎて、知名度がすごいの」
「物語?」
「救いの魔女と魔女の守護者の物語!どの大陸に行っても絵本が売ってるの!勇者と仲間たちの物語と同じくらい有名なの!」
ああ。兄が読んでくれた物語だ。
【自由】を教えてくれた物語は、実話だったんだ。
「大陸によって、内容が違うんだぜ。あの2人が各大陸でやらかした有名な話がそれぞれ書かれてる。今度書庫から持ってきてやる。読み比べると面白いぞ!」
叔母の夫のシルさんは、あまり表情が変わらない。
たまに部屋にやってきて、ひょいと片手で僕を抱き上げて散歩に連れ出してくれる。
あまり口数は多くないけれど、質問すれば、淡々となんでも答えてくれる凄い人だ。
「少し顔つきが変わったな。もうすぐ歩けるようになるだろう」
「シルさんはなんで僕を連れ出してくれるんですか?」
「俺が保護された時はリリーがしてくれたんだ。真似しただけだ」
「保護?」
シルさんは、ダンジョンでたちの悪い冒険者グループに襲われて、死にかけたところを叔母に救われていた。彼も保護されてここに来ていた。
「俺はスラムの孤児だった。ガキ共だけで助け合って生きてた。チビ共は街壁近くで採取して、一食なんとか食べれるくらい稼ぐんだ。10歳で冒険者登録出来るようになると、チビ共に肉を食わせる為に討伐にいく。そして皆しばらくして帰ってこなくなる。俺も、そうやって死ぬと思ってた」
僕は、シルさんの顔をぼんやりと見つめていた。
何かが思考を妨害してるような気がした。
「お前も自分は死ぬと思っていただろう?逃げ方も、他の生き方も知らないから」
ハッとした。
僕は生き残ろうとしていたけれど、どうせいつか殺されるとどこかで思ってた。
「お前は、今まで生き残ることに必死で、気を抜くことを知らなかった。ここに来て、身体が戸惑ってるんだ。お前も知らなかったんだろ?安全な家も、美味い飯も、頼れる家族も、幸せという感情がどんなものかも。俺もここに来て、リリーに教えて貰ったからな。お前もこれから覚えればいい」
ああ、確かに。僕は戸惑ってたんだ。
叔母の家族は、僕を害さない。
暗殺の心配がない、安全な家だ。
僕の為に作られた食事は初めてだ。
毒の警戒も、嫌がらせで食事を抜かれることもない。
叔母夫婦はきっと誰よりも強くて、シランとアイリスでさえ僕よりもずっと強い。
僕は今、死に怯えなくていいんだ
ここに兄もいたら良かったのに
何故、僕だけ…
しばらくして、起き上がれるようになった僕も、食卓に混ざる事になった。
そこには、兄が読んでくれた物語のような幸せな家族がいた。
ねえ、兄上。僕もこの家族に加わっていいのかなぁ。
「おはよう」とハグをして、頬にキスをもらう
「いってらっしゃい」と手を振られ
「おかえり」と抱き締められる
「おやすみ」と髪を撫でられ、額にキスをもらう
この胸の辺りがふわふわする感覚が、何かわからなくて不安になる。
そうすると、シルさんがひょいと膝に座らせてきて、珍しく微笑みながら聞いてくるんだ。
「幸せか?」って。
そうすると、ストンと落ち着くんだ。
ああ、これが【幸せ】なんだ。
シラン兄さんと無茶をして叱られて、
アイリスと一緒に手伝いをして、
リリー母上に色んなことを教わって、
シル父上に稽古をつけてもらって、
可愛い弟のノエルを皆で構い倒す。
あっという間に、僕は15歳になった。
ある日、リリー母上とシル父上が、珍しく僕だけを連れて出かけた。
行商の旅団の元へ向かうと、テントに通された。
後から入ってきたのは、足を引き摺った兄にそっくりな青年で、僕は唖然として隣のリリー母上に目を向けた。
リリー母上は僕の反応をみていて、そっと唇に指をあてた。
「初めまして、冒険者のリリーよ。【救いの魔女】と言えばわかるかしら?」
「お会い出来て光栄です、ウィリー商会のクラウスと申します。本日は、私にお話があると伺いました」
「ええ、貴方の失くした記憶に関することよ。聞く気はあるかしら?」
「魔女様は、私を知っているのですか…?」
「未だに貴方を想って泣く子がいるの。だから、貴方をここ数年探していた。隠れていたならそっとしといたのだけど、記憶を失くしていると分かったから、知っておいた方がいい事もあるからここに来たわ」
相変わらず、リリー母上は容赦がないな。
突然の展開に頭が回らなくて、くだらない事を考えながら、二人の会話に耳を傾けた。
「お願いします、教えてください」
「貴方は、3年前に滅亡したスラリタ王国の第三王子のアウグスト。9年前、アウグストが15歳の時に、視察先への移動中に盗賊に扮した暗殺者に襲われたの。護衛にも裏切り者がいたせいで、その場はかなりの混乱に陥った。アウグストは側近と森に逃げたけれど、毒持ちの魔物の襲撃で負傷し、意識朦朧としながらも運良く国境を越え、森にいた狩人に保護された。これは推測だけど、逃げる途中で負傷していた側近が亡くなり、アウグストは着ていた上着をかけて弔った。その遺体が判別出来ない程、魔物に食い荒らされていたおかげで、アウグストは死んだと判断された。そして、瀕死の状態で保護されていた貴方は、一ヶ月後に目が覚めた時には記憶を失っていた」
ああ…あぁ…僕があの時探しにいけたら…
初めて知った兄の話に動揺した。
シル父上が頭を撫でてきたので見上げたら、僕の考えが分かったみたいに、首を横に振られた。
うん、そうだ。悔しいけれど、6歳の僕にはできる事はなかっただろう。
「アウグストは、あの国では珍しく、優秀で優しい王子だったようね。でも、そのせいで辛い境遇だった。絵本のような家族に憧れて、褒めてほしくて頑張った結果、母親の駒として王位継承争いに放り込まれた。そんな敵だらけの環境の中で、アウグストは一人の異母弟をとても大事にしていたの。それが、“クラウス”よ。貴方が唯一覚えていた名前」
「…クラウスは…弟の名前…?」
ブツブツと呟きながらしばらく俯いていた兄が勢いよく顔をあげると、その顔は唖然として血の気が引いていた。
「あ…あぁ…スラリタ王国は、もうない、お、弟は、クラウスは…」
「記憶が戻った?」
「いえ、でも、なにかが、どうしたら」
「ふふっ、クラウスは、スラリタ王国滅亡の際に保護したわ。クラウスは、この子よ」
リリー母上に促されて僕に顔を向けた兄は、目を丸くして見つめた後、ゆるゆると目を細めて、泣きそうな顔をした。
「あぁ…クラウス、大きくなったね」
気づいたら、僕は兄に抱きついてた。
声をあげて泣いていた。
初めて兄に、ぎゅうぎゅうと抱き締められた。
「記憶、戻ったみたいね〜」
「はい。まだハッキリはしませんが、クラウスのことは思い出せました。ありがとうございます」
「良かったわ〜。探すの結構大変だったのよ〜。それでね、保護したクラウスはこのようにスクスク育ってくれてるんだけど、幼少期の貴方の死が心の傷になっちゃってて、未だに泣いてるのよ」
えっ
心当たりがなかった僕は、驚いて振り向いた。
「あら。気づいてなかった?クラウスは寝てる時に、たまに魘されて泣いてるのよ。起きたら私達と寝てたことあったでしょ?シルが夜中に気づいて連れてきてたの」
知らなかった。
シル父上が親子の交流だって言ってたし、大体その日は朝から散歩や稽古に連れ出された。
早起きさせる為じゃなかったのか…
「ごめんな、クラウス。約束守れなかった」
「いいえ、いいえ。兄上にまた会えました。それだけで嬉しいです」
「私も会えて嬉しいよ。倒れるまで、ずっとクラウスのこと考えてたんだ。まさか記憶を失うとは」
「兄上、今の名前、クラウスでお揃いですね」
「そうだ、そうだね。うわ〜今更アウグストには戻れないな〜」
「くふふ」
兄は変わらず兄だった。とても嬉しい。
もっと早く会いたかったと思う、でも、二人とも生き残るにはこの結末しかなかったとも思う。
「さて、アウグストの怪我治しましょ。はい、古傷はなくなったけど、傷を庇うクセのついた筋肉はそのままだから気をつけて。えーっと、クラウスと連絡とれるように、手紙転送魔道具渡すわね。休みの日連絡くれたら、クラウスを連れてくるから。それと、他にも渡すモノが…はい、守護のアミュレット。お兄ちゃんが無事じゃないとクラウスが泣くからね、外さないように。あーとーはー、傷が治った言い訳ね!弟が【救いの魔女】に生き別れた兄に会いたいと願った結果って言えばたぶん大丈夫よ。魔法契約で詳しく話せないって話は有名でしょ?」
リリー母上、やっぱり容赦ない。
感謝とか反論とか遠慮とか、兄上が何も言えない首振り人形みたいになってる。
まあ、しょうがないよね。
リリー母上に勝てる人なんて、この世界にいないと思う。
それから、兄とは手紙でやり取りし、数ヶ月に一度会いに行った。
兄は、僕と再会する数ヶ月前に、旅団内の女性と結婚していた。
義姉は快活な人で、1年後には男児を産んだ。
ノエルの産まれた時を思い出して、僕も甥っ子をお世話しようとしたら、あの数々の育児アイテムはリリー母上とシル父上の自作だったことを知った。
スリングはただの布だし、哺乳瓶なんてないし、粉ミルクやジューサーもない、クリーン機能付きのふかふかパンツはただの布オムツだと…
ベビークッションもないから、動き回らないように籠に入れられてる甥っ子…
ノエルが着てた動物モチーフの可愛い赤ちゃん服も、音が鳴るオモチャもない…
「そういえば、子育ての話って誰かとしたことないわ〜。えっ?そんなにないの?世のお母さんスゴい大変じゃない」
リリー母上の世間知らずが露呈した。
「リリーがこんなの欲しいって言ってたから作った」
シル父上はリリー母上至上主義なだけだ。
僕は二人に教えを請い、アイテムを作成した。
結果、兄と契約して定期的に品物を卸すことになった。
兄は成長した僕を見て、とても嬉しそうだ。
品物を卸したり、冒険者として活動したり、外に出るようになって、女性に声をかけられることが増えた。
正直、鬱陶しい。
シランとアイリスと出かけることもある。
目を離すと、アイリスが男に絡まれててイライラする。
「兄上が義姉上と結婚する決め手はなんだった?」
「あー、隣を歩くのを誰にも譲りたくなかったんだ。他の人と並んで歩いてる後ろ姿を見た時に気づいたんだ。それで、すぐ結婚を申し込んだ」
なるほど。
「リリー母上、僕はアイリスを愛してることに気づきました」
「え?今更?あの甘やかしは無自覚?」
「甘やかし?」
「クラウス、貴方の得意料理はどれもアイリスの好物よ。お菓子もね!勉強も、アイリスの苦手分野を教えられるレベルにしてるじゃない。それに、アイリスが出かける時は必ず一緒だし。育児アイテムを作り始めたのも、将来を見越してだと思ってたわ」
確かに、言われてみれば。
「胃袋から掴みに行くところなんて、私にそっくりよ」
僕は思考に沈んでて、リリー母上の最後の言葉は耳に入らなかった。
それから意識して、アイリスを大事に甘やかした。
しかし、アイリスは鈍かった。
19歳の時に告白したけど、そこから男として意識させるのにかなり梃子摺った。
甘やかし過ぎて、多少のスキンシップじゃ意識されないのだ。
抱き締めようが、抱っこしようが、頬や額にキスしようが、膝の上にのせて給餌しようが、アイリスは普通に受け入れてしまう。
さすがに過去の自分を反省した。
なんとか両想いになり、僕が20歳の時、アイリスと結婚した。
数年は、二人であちこち旅をした。
小さな頃に兄に聞いた4つの大陸の話を思い出しながら、自分の目で見ることにした。
あんなに憧れた【自由】は、そんなに凄いモノではなかった。
そして、アイリスが出産した。
小さな我が子は、とても柔らかくて可愛かった。
また僕は理解出来ない感情に襲われた。
そしたら、数年ぶりにシル父上がひょいと僕を抱き上げて聞いてきたんだ。
「クラウス、幸せか?」
「はい!【幸せ】です!」