3月22日月曜日②
【side:友寄 優】
あれから、何処をどう逃げてきたかなんて分かんねぇ・・・。何処に行っても奴らはうろついていて、俺に気づくなり血だらけの恐ろしい形相で追いかけてきた。その走り方がさらに不気味で、派手に転ぼうが電柱や壁にぶつかろうが痛がる素振りも見せずに追いかけてくるのだ。
逃げた先でも別の奴らがいるときもあって数が増えたりもしたし、俺と同じく奴らから逃げていた別の人間に狙いを変えて走り去っていったりもした。
今はたまたま見つけたマンションのゴミ捨て場に隠れている。鉄扉のついた狭い部屋の中はマンションの住民の週末に出たゴミの山に埋め尽くされていてかなり臭う。最初は何処かから聴こえたカサカサという音にビビったが、音の正体はただのゴキブリだった・・・。正直もう慣れてしまった。
たまに鉄扉を少しだけ開けて外の様子を窺う。臭くない空気を吸いたくなるが、息をすると見つかってしまいそうで我慢してしまう。
ちょっと前までは遠くから誰かの悲鳴のような声が響いていたが、今はもう何も聴こえない真っ暗闇だ。ゴミ捨て場に電灯はあったが、隙間から光が漏れでもしたら奴らに気づかれてしまいそうで消している。そのため部屋の中も真っ暗だ。携帯の明かりが頼りではあるが充電はもう30%と心許なかった──
携帯の画面には何の知らせも表示されていない。真守に電話をかけてからもう10時間近く立っている。他の奴にも電話やメッセージを送ったりもしたが、半分は繋がりもしないし出てもまともに相手にすらしてくれなかった。──あいつは、本当に俺を助けに来てくれるだろうか・・・。
真守、それと哲とはかれこれ11年くらいの付き合いになる──
二人とは高校のときからの付き合いで、入学してすぐ好きなバンドやアイドルの話で盛り上がり仲良くなった。音楽ってものに興味と憧れがあった俺達がバンドを始めたのはそれからすぐのことだった。当時はもうひとりメンバーがいたんだが、親の仕事を継ぐためとか言って1年そこそこで抜けてしまったけど。
学校では決まりで何かしら部活に所属しなければならなかった。哲と真守は幽霊部員の巣窟になっていた『パソコン研究部』略して"パソ研"に所属だけして、放課後は路上ライヴの真似事なんかをしていた。俺は昔から体を動かすのが好きだったから、レギュラーとかにはなれなかったけど一応サッカー部に入っていた。そのおかげもあってか、奴らから何とか逃げることが出来た。"昔とった杵柄"て言葉はこういうときに使うもんなのかな。
高校を卒業したあとは、俺と哲は大学には行かず都会の会社に就職した。お互いに学校の成績は良いほうではなかったけど何故かそこそこにいい会社に就職出来たのは今でもなんでかは分からない。
真守はひとり音楽の道を進みたいって言って地元で1年アルバイトで金を貯め、俺達から1年遅れて都会に出てきていた。そんな俺達が再開してからバンドの再結成までは、そう時間はかからなかった。
バンドをしながらの生活は正直楽しかった。気の知れた奴らと好きな音楽を演奏して、客は少なくともライヴなんかもして、練習後の食事兼飲みは本当に楽しかった。仕事の愚痴なんかを言い合って、くだらない下ネタで盛り上がって。高校の時に戻ったみたいな気がしていつまでもそうしていたかった──
携帯の表示を消し、もう一度鉄扉を少しだけ開けて外を見る。相変わらず静かな真っ暗闇が広がっていた。
扉を閉めたときに入り込んだ風が、近くのゴミ袋に捨てられていたソース焼きソバの匂いを俺の鼻に運んできた。腹の虫が静かに鳴った──
【side:希美 叶会】
病室の隅で息を潜める。誰かが鼻をすする音がたまに小さく響いた。
「・・・ねぇ、叶会ちゃん。あいつらもう何処かに行ったかな・・・?」
「・・・八部さん。それは分かりません・・・けど、どちらにしてもここに居たほうがいいと思いますよ。きっと警察とか自衛隊が助けに来てくれますから。大丈夫ですよ」
「ほ、ほんとうに・・・?本当に助けに来てくれるの?」
「しっ・・・」
隣で息を殺していた別の同僚が口に指を当てて嫌な顔をした。私はすがりついてくる八部さんの肩を出来る限り優しく掴んだ。
ここは空いていた病室のひとつ。そこに数人の同僚の看護士と無事な患者さん達と一緒に隠れている。今話をしていた八部さんも同僚のひとり。本当は今日は非番だったらしいのだけど、彼氏さんが怪我してこの病院に入院されたみたいで、お見舞いに来ていたらしい。
病室と廊下を繋ぐ扉は、ベッドや椅子を引っかけて簡単には開かないようにしてある。病室の扉は横開きのためちゃんと固定出来ているか少し不安もあるけど、仕切りカーテンも引いてあるからすぐには見つからないと思う・・・そう、信じたい。
外の廊下をヒタヒタと歩く音や、身の毛のよだつような呻き声はしばらく聴こえてはこない。八部さんの言うようにもうどこか別の場所へ行ってくれたのだろうか・・・。
「な、なぁ!・・・な、何が起きたっていうんだよ。経過も順調で、来週には退院だって先生に言われたばかりだってのに、なぁ!なにが起こってんだよぉっ」
「っ!な、何してるんですかっ。声を出さないでっ」
バイク事故で右足と左腕を複雑骨折して入院していた306号室の患者さんが急に立ち上り小さな叫び声をあげる。慌てて数人の看護士達がその口を押さえつけた。
「さ、騒がないでっ。気持ちは分かりますっ。分かりますっ・・・けど、皆一緒なんですよっ。誰も何が起きてるかなんて分からないんですっ」
半分泣き出しそうになりながら必死に押さえつけている。抵抗していた患者さんもその様子を見てか、諦めたように大人しくなった。
「・・・チッ。分かったよ。だから離せっ」
患者さんは少し乱暴に手を振りほどいた。周りの看護士達は嫌な顔を隠そうともしていなかった。
私はどちらの気持ちが分かるから・・・、分かるからこそ何も言えなかった。きっとこの患者さんも、押さえつけた看護士達もきっと分かっているはずだけど、恐怖心や不安を感じる心が我慢出来なくなってしまっただけ。私だっていつそうなるかなんて、分からない・・・。
八部さんに"大丈夫"だって言ったのは、自分自身にも言った言葉。警察でも自衛隊でもなんでも構わないから、ここから助け出して欲しかった。私を"守って"欲しかった。
ふと──あの人の顔が浮かんだ。名前はそれっぽいのに全然頼り甲斐があるようには見えなくて、でも何故だかいざってときにはきっと大事な人のために力を惜しまなそうな、あの人の顔を。
「──叶会、ちゃん?な、何笑ってるの・・・?」
「えっ?う、ううん。な、なんでもないよっ」
思わず気持ちが表情に出てしまっていた。八部さんの前で配慮が足りなかった。不安なのはここにいる皆同じだけど、八部さんは更に彼氏さんがあんなことになって、もっと不安なのだから・・・。
誰でも構わない──
私達をここから助けて・・・。もし神様がいるのなら、どうか私達をおまもりください──