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3月22日月曜日⑤

【side:希美 叶会】


 この部屋に逃げ込んでからもうかなりの時間が過ぎた。勤務中のため時計や携帯電話は持ち合わせてなくて、空き部屋のため室内にも時間が分かるような機器は置かれていない。同僚の看護師達も数人の患者さん達も同様だった。

 唯一持っていそうだった八部さんも彼氏さんのいる病室に置いてきたバッグの中だそうだ。

 閉めきったカーテンの隙間から漏れ出ていた光も、今では光どころか音すらも漏れてはこない。廊下の非常灯の緑光だけが入口の扉の磨りガラスから僅かに室内を照らしている。


 ぐう~~


 そんな静寂の中をなんとも間の抜けた音がやけに大きく響いた。


「「シーッ!」」


 音の鳴った場所の周りにいた数人が責めるような威嚇するような音を出す。その音も結構響いてますが・・・。


「な、なんだよっ。そんなに責めなくてもいいじゃないか。せ、生理現象だろ?生理現象。あんたらだって腹減ってるんじゃないか?」

「ぐっ・・・た、確かにずっと緊張してて忘れてましたがお昼以降何も飲み食いしてないですね・・・」

「ああーっ、思い出したら無性に腹空いてきたな・・・。誰か食いも──持ってるわけないかぁ」


 私もすっかりそんなこと忘れてしまっていたけど、緊張が少し弛んだ途端もうひとつの問題が浮上してきてしまった。どうしよう・・・言い出しづらい。


「・・・あ、あの~。私、ト、トイレに行きたい・・・」


 同僚看護師の田中さんがおずおずと手を上げる。あ、ありがとう田中さん。


「あ・・・わ、私も・・・」


 私も倣って手を上げる。隣にいた八部さんも無言でそれに続いた。でも皆何て答えたら良いのか分からず、それ以上の言葉を誰も話さないでいた。

 どうしよう。行きたいと思ってしまったらもう我慢が出来なくなってきた。トイレはこの部屋を出て右手に進んだ階段の手前にある。そこまで遠い距離ではないのだけれど、今はただただ遠く感じてしまう。

 襲いかかってくる尿意を必死に堪えているのだけれどもう限界が近い。部屋を出るのは怖いけどここでお漏らしなんてもっと嫌だ。ああ・・・どうしよう。どうしよう。


 そんなふうに私だけでなく田中さんも八部さんも無言の戦いを続けていると、ふいに誰かが勢いよく立ち上がった。あまりに急でびっくりしてしまった。・・・ちょっと危なかった。

 立ち上がったのは白衣を着た長身で眼鏡をかけた男性。あまり見かけない顔だけれど別の科の先生だろうか。でもあんな先生いたかな?


 男性はそのままスタスタと歩き出すと躊躇うことなく扉が開かないように固定していたテーブルを動かした。


「ち、ちょっと!あなた何してるんですかっ」


 慌てて看護師のひとりが男性を止めにかかったのだけれど、男性はそれをひらりと躱わしてみせた。看護師は危うく転びそうになったのをなんとか堪えていた。


「あ、危ないじゃないですかっ。避けないでくださいよっ」

「・・・危ないのは急に飛び掛かってきたあなたでしょう。避けなかったら私が持っていたテーブルが壁にぶつかってそれは大きな音が鳴っていたでしょうね」

「ぐっ・・・」


 長身の男性は自分の行動をまったく悪びれることなく、それどころか止めようとした相手を冷たい眼差しで見下ろしていた。


「そ、そもそもあなたが扉を開けようとしてるからでしょう!?()()()()がいたらどうするんですかっ!」


 確かに看護師の言うことはもっともだと思う。でも、いつまでもここでこのままでいるわけにもいかないのも確か。危機はもうすぐそこまで迫っている。


「はぁ・・・。あなた達はいったいいつまでここで怯えてるつもりですか?あれが何でどういったものかも解らないままただ来るかも分からない救助を待つことしか出来ないのですか?」


 っ!?


「なっ?!あ、あなただってここにいるじゃないですかっ!」

「僕は単にここを出るタイミングを待っていただけですよ。もしまだあれが院内を徘徊しているとしたら、私が扉を開けるまでもなくあなたの大声に気づいて僕達全員襲われているでしょうしね」

「なっ?!」

「あれの行動理由も生態も存在自体も()()さっぱり解かりませんが、確認しなければいつまでも状況は好転しませんし」

「うっ・・・」

「それにあれだけ騒がしかった喧騒が聞こえなくなってもう十時間以上経過してます。どこかに潜んでいる可能性もありますが、別の場所に移動した可能性も十分に考えられますからね。どちらにしろ開けてみないことにはその判断すら出来ませんから、どちらにしろ開けてみるしか選択肢はないと思いますが」

「・・・・・・」


 何かを言い返そうとしていた看護師は、途切れることのない言葉に気圧されてしまったのか何も言えなくなってしまっていた。

 確かにこの人の言うことはもっともなのだけれど、あまりにも高圧的で好感は持てそうにない。


「それに・・・」

「?」


 言いながら男性は慎重に音を立てないよう扉をゆっくりと開き、開いた隙間から廊下を窺いつつそう言った。


「・・・さすがに僕も喉が渇きましたし何かしら摂取しなければいざというときの体力を保てません。あと、トイレにも行きたいですしね」


 !ト、トイレ!・・・まさかこの人、そのために扉を開けてくれたのかな?ううん。単純にこの人も行きたくなっただけなんだと思う。


「・・・ひとまず見える範囲にはいなそうですよ。まあ隣の病室や灯りの当たってない場所にもいないとは言えませんが。トイレに潜んでいるかもしれませんしね?」


 トイレの扉を開けた瞬間に襲われる状況を想像してしまう。ブルッ。あ・・・寒気を感じたら余計に行きたくなってしまった。


「・・・どうします?僕は先にトイレに行こうと思いますが一緒に行きたい方はいますか?ん?そういえば先程そちらの女性の方々が行きたいと言っていましたね。僕で良ければご案内しますよ」


 そう言いつつもすでに部屋を出ようとしている。


「お、おいっあんたっ!」


 先程腹の音を響かせた患者さんがその背中に声をかける。


「ああ。残りの方で動ける方は食料や飲物を取ってきてはいかがですか?僕の予想ではこの建物内にあれらは残っていないと思いますので売店にも行けると思いますよ」


 そのままトイレへと歩き出す。私は慌てて隣の八部さんの腕を掴んで立ち上がる。田中さんもそれに続いた。

 置いていかれないよう急いで部屋を出る。確かに廊下には色々な物が散らかってはいたけれど誰の姿もなかった。本当に何処かに行ってしまったのだろうか。


 先に出た男性はもうすでに二つ先の病室の前まで進み怯えることもなく病室の中をちゃんと確認している。

 確認を終えると少しだけこちらを振り向きまた先へと歩き出す。


 実は優しい人なのかな・・・。さっきの言動と表情からはまったくそんな風には思えなかったけれど。


 ううん。今は考えるのは止めよう。今は置いていかれないように付いていかないと。


 手遅れになる前に──

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