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喪失のエピソード

 3月19日金曜日──


 見覚えのない天井だった。


 ここは──何処だ?俺は海沿いの公園で咲と夜景を眺めながら歩いていたんじゃ──あ、そういえば、咲から貰ったプレゼントはどうしたんだっけか・・・。


 首を動かそうとして、口に()()が取り付けられているのに気付いた。なんだ・・・これ?なんだかそれがものすごく不快に感じ、外そうと右手を動かそうとしたが、右手にはまた違う()()が繋がれていて、思うように力が入らない。

 それなら左手をと動かした途端、鈍い痛みが左手から肩を通り頭の中にへと響いた。何とか持ち上げた左手には大げさに包帯が巻かれていて右手以上に動きが悪い。それどころか、まるで自分の手じゃないみたいに思うように動かすことが難しかった。


 仕方なく首だけをなんとか左に曲げる。ピ─ピ─と、かなりテンポの遅い電子メトロノームのような音を鳴らす機械が見える。おいおい。バラードでもこんなスローな曲そうそうないぞ。こんなんじゃライヴは盛り上がらない。

 機械の奥にはもうひとつベッドがあり、そこにも俺と似たような状況の誰かがいくつかの管に繋がれて横になっていた。ああ──俺も今、ああなってるのか・・・。


 管のせいだけでなくなんだか動かしにくい首を、今度は右へと向ける。ベッド脇には規則正しく静かな寝息を立てているモノ・・・咲か。それと小さなテーブルの上に()()が置かれていた。


 ああ、なんだ・・・。ここにあったか。


 探していたものがすぐ側にあったことにほっとする。スニーカーなんて家にいくつも飾ってあるんだが、これだけは絶対手に入れたかったんだ。まさかこれをプレゼントで貰えるなんて思いもしなかったなぁ・・・あれ?


 そういえば、()()()()()()()()()


「──んん・・・あ、哲・・・目、覚めた?気分は、どう?どこか変なとことか、ない?」

「・・・んん?あ゛・・・ああ。だ、大丈・・・夫、だよ。・・・咲ば・・・怪我とか、して゛・・・ない?」

「・・・そう。はぁ~~、でも良かったぁ。警察の人を連れて戻ったら哲が手から血を流して倒れてるんだもん・・・。呼んでも全然反応ないし、死んじゃったかと思ったんだからね・・・グスッ」


 そうだった。咲だ。俺の誕生日に咲とイタリアンを食べて、その帰りに海沿いの公園で貰ったんだった。

 それにしても、なんだか喋りづらい。喉に何か詰まってるみたいに声が上手くだせないな・・・。この口についてるやつのせいか?


「哲?だ、大丈夫?苦しいの?・・・こ、呼吸器、外しちゃうね」


 咲が身を乗りだし口に取り付けられていたものを外してくれる。少し霞んだ視界の中で動いている、咲の白くて()()()()()()腕からなぜか目が離せなかった。

 少しだけ呼吸?が楽になった気もする──が、それよりも一緒に塞がれていた鼻の穴に一気に流れ込んできた嗅いだことのあるようなないような"におい"が、強烈にその思考を奪っていく。


 汗?学生の頃に少しだけ興奮した、運動部の女子の身体から漂ってきたその匂いに似てる気もする。でもどこか違う──


 ()()()みたいな甘ったるく不快なくせになぜか気になるあの匂いでもない。そもそも咲はワキガではなかったはずだ──


 もちろん俺の臭いでもないと思う。この"におい"は良い悪いとかじゃなくて、なんだろう・・・、こう俺の中の何かの()()()に求めたくなる──そんな"におい"だ。


 その匂いに誘われるように首を右側に向けると、紙袋の置かれたテーブルに立て掛けるようにして黒い合成革のケースに入った何かが置かれているのが見えた。


「・・・あ゛、それ・・・は゛?」

「え?ああこれ?ちゃんと持ってきてあるよ。哲の大事な()だもんね。ぶつけたりはしてないから、壊れてはないと思うけど・・・」


 夢──?


 ああ。そうだ。だって言ったっんだっけ──


 真守と優の二人とバンドを続けるために、誰かが()()()って言い出さないように、いつまでもこの関係が、楽しい時間が続いていくようについた(ウソ)──


「・・・あ゛れ?今日゛って何曜日・・・?ゴホッ・・・なんだっ゛け?何があったよ゛うな"・・・」


 夢っていう言葉と合皮のケースの中身と、見慣れた二人の顔が頭の中を流れていく。

 なんだったっけ?何があったんだっけ?というか、この二人は誰だったっけ──?


「あ、明日練習があるって言ってたよね?さすがにこの状態じゃ無理だろうから私から二人に連絡しとくね?ん?大丈夫。二人ともこないだ連絡先交換したから。あ!スタジオっていつものとこだよね?あっちにもキャンセルしとかなきゃだよね」

「・・・あ、ああ゛。あ、あり゛がとウ゛・・・」


 急に眠気なのか、意識が遠のいていく感覚に襲われる。瞼が落ちて光が喪われていくのと一緒に、他にも何か分からないけど何か大事なモノが消えていくような、よく分からない感覚に身体が支配される。

 それはなんだかとても悲しいんだけど、でもなんだかすごく楽で、空気に溶けていくようなそんな不思議な感覚だった。


 何処か遠くから練習中だった新曲のメロディが流れてくる。俺のボーカルとギターの音。少し走り勝ちなテンポの良いドラムの音と、やたらとメロディックに跳ねるベースの音──


 そしてさっきよりも強く感じるあの"におい"が──

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