全ての従魔術はスライムから
「それでは授業を開始する」
従魔術の教師であるスコット先生が一抱えもあるケースを持って教室に入ってきた。
神経質そうな顔つきに刺々しい声の近寄りがたい雰囲気の先生で、多分他のクラスメイトたちもこの先生を苦手に思っていると思う。
透明な箱型のケースの中でこぶし大の大きさの透明な不定形生物が山になっていた。
「お前たちの最初の従魔になるのはこのスライムだ。見たことがないという者はいないだろうが改めて説明する」
俺たち生徒の反応を確かめることもなく、一定のペースでスコット先生の説明が続いていく。
「スライムという魔物はあらゆる物質を魔力に分解し吸収する魔物だ。無機物、有機物関係なく、生物でなければ何でも溶かすし、生物の死体も消化する。過去の実験では布、紙、木材、石、鉄、ガラス、ミスリル、はてにはオリハルコンと呼ばれる希少な金属まで。生物に対する殺傷能力はないが、あらゆる物質を溶かしてきた恐ろしい魔物である。
そして、この恐ろしい魔物がただ一つだけ溶かすことができない物質がこのケースにも使われている物質だ」
スコット先生の手がコンコン、とガラスのように透明なケースを叩いた。
その振動でケース内部のスライムたちの山がぷるんと動くのが少し面白い。
「これはスライムの核を取り出した後に残される粘液だまりから精製された物質を元につくっている。この物質は加工次第でこのようなガラスに似た板状に個体することも可能だし、また別の処理を行うと布用に薄く柔らかく加工することも可能という非常に優れた物質だ。各家庭に設置されているスライム処理装置にはこれと同じ材質が用いられているので、容器の底や壁を溶かしてスライムが逃げ出すということはないようになっている」
「へえ、あの透明な箱ってスライムからできてたのか」
隣の席でシドが感心したように呟いた。他にも数人が感心したような声を上げた。
スライムがどんなゴミでも溶かすというのは有名だけど、スライムを入れる容器のことまでは知らなかったようだ。
「この物質は気密性、防水性に優れていて耐久性もそれなりに高いので水筒などに使われることもある。この利便性に注目して我が国でもスライム養殖用の用地が設けられており、従魔学科の卒業生がそこに就職してスライムの繁殖を――」
スライムの性質から始まってスライム由来の素材の用途、さらには学園の卒業生がスライムの養殖に携わっていることなど、スライムと人間社会と従魔術師の関係を交えた話がしばらく続く。
身近にいたスライムの意外な事実や、自分たちの将来の進路に関わる話も混ざっているのでクラスのみんなはかなり熱心にスコット先生の話を聞いている。
もっとわかりにくくて難しい授業になるかと思っていたけど、スコット先生は意外と授業が上手いらしい。嬉しい誤算というやつだ。
そのまましばらくスコット先生の解説が続いた後で、いよいよ実践が始まった。
「それでは一人ずつ前に来てスライムを受け取りなさい。最初はラッドから」
「は、はい!」
さっきの休憩時間中にミートスライムをつくりたいと言っていた男子が前に出る。
スコット先生は緊張しているラッドの様子を意に介さず、ケースの中から無造作にスライムを一匹掴み上げて、そのまま手渡した。皿や手袋なんかもない、素手で直接だ。
「う、うわ、柔らかくてなんかひんやりしている……」
「手渡されたならすぐに席に戻りなさい。次、さっさと来なさい」
「ご、ごめんなさい」
「は、はい! お、お願いします」
きゃあきゃあわあわあ言いながら、クラスメイトたちの手にスライムが渡っていく。
あっという間に俺の順番も回ってきて、先生から手渡された後は怒られないようにすぐ離れた。
「これが、スライム……」
自分の席に戻ったところで手のひらの上に鎮座する丸い魔物をしげしげと観察した。
少し自重で潰れていたが綺麗な球形をしていて、色はほんのり青色がかった透明だ。この体の中に急所である核があるらしいが、近くで観察してもそれらしきものは見当たらない。
触れた触感はしっとりとして吸い付いてくるような感触で、突けばぷるんと震えるくらい柔らかく、他の生徒も言っていたようにひんやりしていた。でっかいスライムがいたら夏に抱き着いたら気持ちいいかもしれない。
「あっ!! だ、だめ!」
突然悲鳴が聞こえた。
何かあったのかと声の主を見てやると、女子の一人がスライムを机の上に置いてしまったらしい。
「あ、ああ……ご、ごめんなさい……あうっ……」
慌ててスライムを持ち上げたようだが、スライムを置いていた部分だけ変色していて一目瞭然だった。
どうやら机の上に置かれていた僅かな間に机の表面部分を消化してしまったらしい。
「メリッサ。スライムは生物以外の物質を溶かすと説明したばかりだろう。よく注意するように」
「あぅ……す、すみませんでした……」
スコット先生はスライムの扱いに注意をしている間にもスライムの配布を続行し、クラス全員にようやく行き渡った。
「では、これからスライムとの従魔契約を行う」
スコット先生がクラスのみんなに見えるように右手を持ち上げると、手のひらの上にスライムが乗せられていた。
「方法は単純だ、手のひらから少しずつ魔力与えながら『従魔になれ』と念じるだけだ」
スコット先生の右手に魔力の光が宿る。
「今回は魔法陣や呪文は使わない。あれはより高度な魔物に使用する技法であり、スライム程度なら直接魔力を送り込むだけで事足りる」
スコット先生の手のひらが触れている部分からスライムの内部へ光が染み込んでいくのが見える。下から上へスライム全体が光に包まれていく。
「この魔力を送り込むときに注意が必要だ。魔力を一度に大量に送り込むとスライムの核が死ぬ。だが弱すぎると弾かれたりスライムに魔力を食われるだけで効果がない。強すぎず、弱すぎず、スライムの中を魔力で満たすつもりで送り込む」
じわじわと込められていた魔力がついにスライムの頭頂部に達した。
次の瞬間、スライムの全身が少しだけ強く輝いて、光が消えた。
「これで従魔契約は完了だ。魔力のパスと通じてこのように命令ができるようになり、机の上に置いても勝手に食べることもなくなる」
スコット先生が命令したのだろう、スライムが手の上で二、三回ぽよんぽよんよ跳ねた後に自分から机の上に飛び乗ったが、机の天板を溶かすこともなくその場で大人しくしていた。
「以上が従魔術の基本だ。魔力を送り込み魔物を支配下に置く。魔力のパスを通じて命令を出す。これができなければ話にならないし、今後学習していく魔法陣や呪文といったものも基本を補助する為のものでしかない」
全ての基本はこのスライムの従魔契約から。
そうスコット先生はしめくくり、ようやく初めての従魔契約が始まった。