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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

古都鬼譚

或る兵の挽歌

作者: 森林樹

久しぶりの投稿です。今回は飛鳥時代の武人、捕鳥部万の、最期の戦いです。

歴史×ハードボイルドアンソロジー『落首徒花ストーリア』に投稿した作品です。

ハードボイルド……かは微妙ですが、いつもよりノリノリで人体損壊を描写したので、多分グロいです。ご注意ください。

「では行って参る」

 挂甲(けいこう)を身に(まと)った精悍な壮年の男が、(やしき)の門の前で(たたず)む若者を振り返る。

(よろず)。城の留守は頼んだ」

「承りました」

 一際良質な装束の男に比べ、万と呼ばれた若者の服は粗末だ。そこらの農民と大差は無い。

 だが、万の顔に不満の色は無い。

「しかし大連(おおむらじ)様、本当に良いのでしょうか。私が邸の警護を任されるなど……」

「問題無い」

 大連と呼ばれた男が、万の肩を叩く。

「それに、大和中を探そうとも、そなた程誠実で信頼に値する男はそうおるまい」

 そう言うと、彼は万に背を向ける。

「我にもしもの事があった時には、家の者を頼むぞ」

 彼は、臣下が持って来た兜を被ると、愛馬に跨った。

 万は、陽炎に掻き消される主の背をずっと見送った。


 数日、主が帰らない日が続いた。

 万――捕鳥部(ととりべの)万は、元は鳥を朝廷に納める猟師だった。

 万は一介の猟師。主である大連――物部(もののべの)守屋(もりや)は、何代にも渡り阿都(後の河内国(かわちのくに))を治めてきた大豪族の当主。本来ならば、守屋とは、言葉を交わすどころか会う事さえも叶わぬ筈だった。それが、万の弓の腕が評判となり、その噂を偶然耳にした守屋によって取り立てられ、遂には邸の警護を任されるまでになった。

 彼は(まつりごと)が分からない。主から聞かされている政情も(わず)かだ。

 守屋が、親の代からの宿敵である蘇我馬子と対立している事。 守屋が逆賊として朝廷を追われた事。そして今度は馬子が朝廷と組み、守屋を討とうとしている事くらいしか分からない。

 それでも彼は、只々(ただただ)主の帰りを待ち続ける。雨が降ろうとも、夜が冷えようとも、兵士や物部氏の者にまで休めと(さと)されようとも、邸の門から離れる事は無かった。

 時折使者が持って帰ってくる、大連様が馬子を蹴散らした、馬子を二度退けた、否、三度勝ったとの、芳しい知らせを待ちながら。


 そんな、ある時だった。

「捕鳥部様!」

 地平線の向こうから、いつもの使者が駆けてくる。

 しかし、その顔にいつもの笑顔は無かった。

 使者の四肢に突き刺さった矢、そして目尻の涙に気付いた門前の兵士達がざわめく。

 脚が(もつ)れ倒れこむ使者に、万が震える声で尋ねた。

「……何があった」

 使者が、(せき)を切ったように嗚咽を漏らす。

「大連様が……討ち死になされました……」

「何……だと……?」

 崩れ落ちる万の身体を、兵士達が支える。

「何故だ……! つい昨日まで大連様が優勢だと言うておったではないか!」

「それが、蘇我軍に腕利きの弓兵がおり、その男が先頭で御自ら指揮を執っておられた大連様を射ち落としたとの事で……」

 万が唇を噛む。

 物部守屋とはそういう男だった。自ら前線で指揮を執り、自ら手を汚し、自ら責任を被る、それが物部守屋という男の矜持だった。

如何(いかが)なされますか捕鳥部様。大連様が亡くなった今、果たして我等で蘇我に勝てるかどうか……」

「何を言う! 大連様を害されておいて、逃げるとでも言うのか! 死を覚悟で戦うのが筋という物ではないのか!?」

「しかし、大連様の御家族までも巻き込む事になるぞ!?」

 兵士2人の言い争いを皮切りにし、城中がざわめく。

「待て」

 万が手を挙げ制する。

「どちらの言い分も正しい。故にどちらも捨て難い。しかし、私は大連様より命を(たまわ)っている。『もしもの事があった時は、家の者を頼む』、と」

 彼の唇から血が滲む。

「まずは大連様の御家族の御身の安全を優先しろ。御一人につき腕に自信のある(つわもの)が一人着け。あまり付きの者が多くても目立つだけだろう。その他の者は家の宝物を隠すなり、城を引き続き護るなり好きにせよ」

 言うと、万は鎧を脱ぎ捨て、自らの荷物をまとめ武具を背負う。

「捕鳥部様はどうなさるのですか?」

「妻の元へ帰る」

 言うと、万は馬にも乗らず駆けて行った。

 

 それが、物部の者達が万を見た、最後の時であった。

 

 夜、茅渟県(ちぬのあがた)(和泉国(いずみのくに))の有真香邑(ありまかむら)の一角。

 未だ垢抜けてはいないがうら若く美しい女、そして、右眼に大きな古傷が残る狼の様な白い老犬が番をするその住居の戸が叩かれた。

「鷹、シロ、今帰った」

「万様……!」

 鷹と呼ばれた女が戸を開けると、泥に塗れた万が戸口に寄りかかっていた。

 彼は鷹に倒れ込みそうになるも、震える足で力無く崩れそうな体を支える。

「どうなさいましたの!? 万様!!」

「……すまないが、体を洗いたい。新しい衣を用意してくれないか」

「え、ええ」

 シロと呼ばれた白犬は、ふらふらと家に入った万を見回した後、泥だらけの主人の周りをぐるぐると回る。鷹も、慌てて干していた衣を手に彼の後を追いかける。

「あと、そうだな……。帰って来て早々悪いが、暫し一人にさせて欲しいんだ」

「……まさか、大連様に何かあったのですか?」

 万は、唇を噛み、無言で頷く。

 鷹は暫し口を噤む。

「…………分かりました。夕飯を作り待っておりますね」

 後をついて行こうとするシロを、鷹が制止する。

「すまないな」

 泥に塗れた服を脱いだ男の背中は、酷く小さく見えた。

 

 温かな食事で空腹を満たした万は、妻の白く柔らかな身体を抱き寄せ、少し固い寝具に身を埋める。

「万様たら、こんなに目を腫らして……」

 腫れぼったい目を撫でる細くしなやかな指に、太く無骨な指を絡める。

「情けない所を見せてしもうたな」

「いいえ。いくら強くなろうとも悲しい時には泣いてしまう所、私は好きですよ」

「全く、そなたには敵わない」

 万は鷹を抱き締め、しなやかな髪を梳く。

「そなたには言うておこうか。私はもう長くはないだろう。近い内に私の元にも追手が来る。その時には、私は正面から迎え打とうと思っている。今宵が今生の別れとなるだろう」

 細い手が頬に触れ、紅色に染まった唇が万の乾いた唇を吸う。

「寂しい事を仰せになりますね。どうか朝日が昇るまでは夢を見させて下さい」

「分かった。湿っぽい事は明日にしよう」

 無骨な掌が、柔らかい乳房を撫でる。

「暫し夢を見たいのは、私も同じだ」

 か細い月明かりだけが、肌を絡め合う二人を青白く照らしていた。

 

 万が目を覚ますと、朝の光が目に突き刺さった。

 彼はまだ眠っている妻を暫し抱き締める。起き上がり、既に目覚めているシロの横に座る。

 矢を矢筒に詰め、弓の張りを確かめる。

「……万様、もう行かれますの?」

 後ろで、鷹が身を起こす気配がする。

「いつ追手が来るか分からないからな。一人で迎え打つんだ。それなりに準備はしておきたい」

 鷹の白い顔が、更に青白くなる。

「そんな顔をしないでくれ。大連様の御家族が遠方へ逃げおおせるまで、私が追手を引き付ける。(おとり)は出来るだけ少ない方が良いのだ」

 万は、剣を腰に差し、矢筒と弓を提げ、肩に縄を掛ける。

 鷹の手が万の肩に(すが)り付く。その背中は小さく震えている。

「もしも追手がこの家まで来た時には、(むら)の山に逃げたと言ってくれ。あと、そうだな、私が死んだ後には弔って欲しい。頼んだ」

 万は妻を抱き締め、袖を掴む手を引き剥がす。

「……ああ、そうだ。そなたを私の勝手に付き合わせて何も無いというのも物悲しい。これを()びと思うてくれ」

 一旦武具を床に置き、徐に懐を探ったその手には、小さな酢漿草(かたばみ)の花の彫刻があしらわれた(くし)が握られていた。

「実は、大連様が出立なさる前に、形見として賜ったのだ。しかし、どうにも華やかな櫛は私には合わん。きっとそなたの方が似合うだろう」

 鷹が、差し出された櫛をまじまじと見つめる。

「これを、私に?」

「ああ。試しに差してみようか」

 軽く結われた妻の髪に、櫛を差す。

「うむ。やはり良く似合う」

 頬を染める妻に、万の口元が柔らかく緩む。

「もし、私が死した後新たに夫を持つのならば、櫛一つ差し出してそなたを置いて行くような男は選ばないでおくれ」

「いいえ……。身が朽ちる(まで)、大切にします」

「そうか。そうか……」

 万は背を向け、再び武具を手に取る。

「あ! やめろ!」

 今度はシロが万の袖を噛む。

「気持ちは分かるが、お前も連れて行けない。これからは鷹の言う事を聞くんだぞ。分かったか」

 万が頭を撫でると、シロは一声鳴き、顎を離す。

「では、後の事は頼んだ」

 死地へ向かう男は、二度と振り返る事は無かった。

 

 その数日後。

 朝廷の追討軍が、有真香邑に到達した。

 軍は総勢数百人。捕鳥部万の妻だという女の家に突入し、万が邑の山奥に潜んでいる事を聞き出した。

 指定された山に来ると、竹藪の奥から一人の男が姿を現した。

 男は、剣を片手に弓矢を背負い、追討軍を睨み付けた。だがその着物は所々裂け、土で薄汚れた顔は憔悴していた。

 男が追討軍に背を向け、竹藪に入って行く。

 暫くすると、竹藪の一角が少し揺れた。

「あれが捕鳥部万だろう。追え」

 総大将の命を受けた兵士が、竹藪へ突入した。

 

 藪へ侵入してくる兵共が見える。

「……よし」

 憔悴しきっていた万の眼差しに、生気が再び宿った。

 彼が手にした縄は、竹の枝に括りつけられている。

 縄を動かすと、竹が揺れる。すると、兵共が揺れた箇所へおびき寄せられる。

 彼は敵軍に狙いを定めて、弓を引いた。

 

 兵士が(たお)れる。その眉間には矢が突き刺さっていた。

「あそこだ!」

 追討軍は続け様に矢を浴びせられ、次々と命を落としていく。負けじと応戦するが、矢は竹に突き刺さるばかり。

 再び竹が揺れる。

「そこか!」

 兵共が大挙して向かうも、またしても誰もいない。

「逃げ回りおって! どこにい――」

 叫んだ将の一人の頭を矢が貫く。

 兵共が応戦するも、絶え間なく矢が降り注ぐ。

 揺れる竹を目印に、藪の中を逃げ惑いながら曲者を捜すも、影一つ見つけられないまま兵だけが死んでいく。

 そんな状況になると、疑心暗鬼に陥る者も出てくる。

「まさか、藪の中に大軍を潜ませていたのか!?」

「そのような事は有り得ぬ! 物部の残党は皆散り散りになったはずだぞ!」

「いや、恐らく捕鳥部の元に残党が集まったんだろう」

「ともかく、一旦退避するぞ!」

 しかし、総大将は首を振った。

「いくら物部の残党が潜んでいようと、数ではこちらが上回っている。どうやら、竹が揺れるのは曲者の罠らしい。ならば、我等はそれを無視し、ただ手分けし(しらみ)潰しに捜すしかあるまい」

「……はっ!」

 兵共は、震える手で弓を取り直し、藪の中へ分け入る。

 天高く延びる竹の間から差し込む光に照らされた小さな酢漿草の花が、追討軍に踏みにじられた。

 

「まずいな……」

 万は唇を噛む。作戦は失敗だ。

 未だ勝ち目は残っている。藪を抜けた先の森にも罠を張り巡らせている。

 彼は、竹の間を縫うように、森へと走る。

 その時だった。

「いたぞ! あそこだ!」

 背後より、追討軍の声が響いた。

 万は、振り向きもせず走り続ける。

 視界の端を矢が通り過ぎる。間断なく射掛けられるも、矢は一つとして万の身に当たらなかった。

 息を切らし、森目掛けて駆ける。

 川が見える。流れは速いが川幅は狭い。万ならば難なく飛び越えられる。川を越えた先には、罠を仕掛けた森がある。彼はさらに速度を上げた。

 ――しかしその行く手では、岩の陰に潜んだ追討軍の兵士が、弓を引き絞り待ち構えていた。

「…………!!」

 万の脚が、止まった。

 膝が崩れる。倒れ伏しそうになる体を、剣を杖に支える。

 その片膝には、矢が深々と刺さっていた。

 万は頬を上気させ、肩で息をしている。再び立ち上がろうとするも、顔を歪め、再び膝をつく。

「者共集まれ! 逆賊を取り押さえたぞ!」

 報せを聞き付けた兵共が押し寄せ、取り囲む。

 しかし、せせら笑う将の首を、一閃の矢が穿つ。

「――誰が」

 万が、膝を深々と(えぐ)る矢を力任せに引き抜き、敵兵目掛けて放つ。

「こやつ、未だ逆らう気か! 貴様は朝廷に仇なす逆賊なのだぞ!」

「――誰が逆賊だ!!」

 一度虚ろになった万の双眸に、再び炎が灯る。

 射抜く視線に、咆哮に気圧され、敵兵が一歩後退する。

 万は、尚も声を枯らし叫ぶ。

「私は……大連様は……! 天皇(すめらみこと)の為朝廷の為に、命を懸け我等の勇を示さんとしてきた!」

 剣を握り締める手が震える。

「しかし朝廷は我等を切り捨て、逆賊などと(いわ)れの無い罪を着せた! その結果がこれだ!」

 万は再び立ち上がる。剣を杖にし、激痛に顔を歪めながら。

「さあ、未だ矢は残っておるぞ! 共に語るに値する者、私と覚悟を同じくする者だけ来るが良い! 私を捕らえたいのか、それとも殺したいのか聞こう!」

 だが、追討軍の命は無情だった。

「何を呆けておる! 逆賊の世迷言など捨て置け!」

 矢衾(やぶすま)が、雨霰(あめあられ)とばかりに万に降り注ぐ。

「先程の問いに答えてやる。朝廷は貴様を逆賊として討ち取れと仰せられた。貴様を虫けらのように殺せ――それが朝廷からの命だ」

「ああ、そうか。しかし生憎だな。今ので気が変わった。貴様等風情に討ち取られてやるものか」

 万は剣で矢を薙ぎ払い、自らも矢を番え休む事無く弓を引き続ける。兵士が次々と倒れる。眉間に首元に腹にと、(ことごと)く急所を打ち抜かれた三十ばかりの骸が転がる。

「射殺せ! 討ち取れ! 奴はもう手負いだ! そう長くは持たぬ! 押し切ってしまえ!」

 敵将の言う通りだ。身体中に(あざみ)の棘が如く矢が突き刺さり、流れ出た鮮血が血を赤く染める。手足も感覚を無くしていた。

 それでも彼は、尚矢筒に手を伸ばす。

 ――しかし、その手は空を掴む。

 矢は、既に尽きていた。

「観念せよ捕鳥部万! 勅命であるぞ! 潔く首を差し出せ!」

「…………」

 喉笛の傷口からは、ひゅーひゅーと空気の漏れる音しか聞こえない。無数の矢が五体を余さず穿(うが)ち、脈を打つ度に鮮血が噴き出す。その双眸(そうぼう)は、額から脈を打って流れ出る赤々とした血液で塞がれている。五臓六腑は、今となっては(いたずら)に生命を長らえさせるのみだ。

 徐に振りかざされた万の剣が、使い古された弓を三段に斬り砕く。

 その剣も、地に叩き付けて押し曲げ、川に投げ捨てる。

 万の両腕が、力無く投げ出された。

「……行け」

 兵共が弓を剣に取り替え、動かなくなった万に迫る。

 ――その時、万の手が再び力を取り戻した。

 手には、小刀が握られていた。

「…………は?」

 剣を振りかざしていた兵共から、気の抜けた声が漏れる。

 小刀の切先は、万自身の(くび)に向けられていた。

「――――」

 天を仰ぎ見た万の口元が微かに動く。彼の最期の言葉は、誰の元にも届かなかった。

 彼は小刀の柄を握り締め、自らの頚に刃を突き立てた。

 立ち尽くす兵共の目の前で地に伏した万の顔は、穏やかに微笑んでいた。

 

 捕鳥部万自害の報は、翌日朝廷に伝わった。

『捕鳥部万の(むくろ)を八つ裂きにし、串刺しにして八つの国に晒せ』

 それが、逆賊の骸に下された朝廷の命だった。

 しかし、その命は実行されなかった。

 命を受けた河内国司(みこともち)が、骸を八つ裂きにしようとした時だった。俄に空がかき曇り、雷鳴が轟いた。時を同じくして、国司の前に、右眼に大きな古傷のある狼のような白い老犬が現れた。白犬は万の首を食い千切り、頭を持ち去った。

 白犬は万の首を古い塚に埋めると、塚の傍に寄り添い続けた。一歩も動かず塚を護り続けた白犬は、数日後餓死した。

 この奇妙な出来事を伝え聞いた朝廷は、直ぐ様八つ裂きの刑を取り消した。万の骸は遺族に返された。

 万は、白犬の塚の隣に葬られた。

 

 捕鳥部万の死後、朝廷は尚も物部氏の残党を探し続けた。しかし一族の多くは万の孤軍奮闘の最中に逃げ仰せ、ある者は名を変え民草に紛れ、ある者は行方知れずとなった。

 中には、仇敵であった蘇我氏に嫁ぎ血統を繋いだ女子もいたが、蘇我馬子の子孫の代になると、今度は蘇我氏の権威も衰え、遂には自らも逆賊とされ攻め滅ぼされた。朝廷の権威は、葛城皇子(かつらぎのみこ)(後の天智天皇)や中臣鎌足(後の藤原鎌足)等の尽力により天皇に奉還された。

 (かつ)て朝廷の権威を二分していた蘇我氏と物部氏が、その後再び歴史の表舞台に出る事は無かった。

 その一方で、捕鳥部万の伝説は、忠義譚としてあるいは義犬譚として、細々と、しかし脈々と語り継がれていった。

 

 捕鳥部万の死後数十年が経過したある時、有真香邑の寂れた住居に、子供達が集まっていた。

「あら、いらっしゃい」

 賑やかな声を聞き付けて、未だ華が微かに残る老女が顔を出す。

「おばあちゃん! また昔話してー!」

「どんな話がいいかしら……。そうだ、久し振りに、亡くなった夫の話でもしようかしら」

 住居の中に招かれた子供達が、目を輝かせる。

「『よろず』って人の話? 聞きたい聞きたい!」

「え、兄さん聞いた事あるの? おもしろい話?」

「かっこうの良いお兄さんの話ー!」

「してしてー!」

 騒がしい声に、老女が頬を緩ませる。

「分かったわ。ええと、どこから話そうかしら……」

 穏やかな春の風に撫でられる白い髪には、酢漿草の彫刻があしらわれた古い櫛が慎ましやかに飾られていた。

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