煉愛
私は地獄の住人です。
私の回りには地獄の業火が猛っています。
私は恋をしているのです。
ですから、私には心の奥底からふつふつと燃え上がる思いがあります。
その思いは、心臓の拍動を早めます。心臓から流れ出たそれは体中を巡って、最後は脳にまで及ぶのです。
脳にまで行ってしまったら最後です。
脳はその熱いモノに焼け爛れてしまいます。
ああ、なんて暑いのでしょう。
あの人に恋をして、好きになってからというもの、私の体はポカポカと熱を持つようになったと感じます。
実際に、このごろ友人から私の体温が高くなったのを言われることが増えました。
私の熱いモノがあふれだして私の体温を高め、そしてこの地獄を生み出してしまったのでしょう。
地獄での生活は苦しくて、私をとにかく痛めつけようとしているように思われました。
地獄の針山の針が私の体に刺さって、少し動くだけで、ズブリとより深く刺さってしまう感覚を覚えました。
けれど地獄での生活にはどこか快さが潜んでいるのでした。そのほんのりと感じる
心地よさだけが私の精神的な頼りでした。
ともすれば気違いになってしまいそうな中で、救いはその快さでした。
※
私があの人と話せるタイミングは非常に限られていました。
私とあの人は同じ部活動です。
けれど学年が違うのでなかなか会話の機会がありませんでした。高校生にとっては所属する学年が違えば国が違うぐらいの差に感じるものです。
おまけに映画研究部なんていう大人しくて、引っ込み思案な人間が集まりやすい部活動でしたから、学年を超えての交流なんて非常に表面的なものでしかありませんでした。
そんな中でも私とあの人が話せるのは週に一回の進捗報告の時でした。
私たちが所属する映画研究部では、当然映画を見ることもしますが、年に一回、文化展示祭のために自主制作映画を撮ることも部活動の一環でした。
その自主制作映画の進捗を報告する定例会で私はあの人と話すことができるのです。
あの人は撮影班でした。
しかもかなりのセンスを持っていて、年上ウケする性格も相まってか、一年生でありながらメガホンを握ることができていました。
一方私は、映像班です。
彼の様に能力も才能も、コミュニケーション能力も、何も持ち合わせていませんでしたから、3年になっても与えられるのは切れ端のような役割で、誰かに指示されたことをやることしかできませんでした。
定例会の出席も、みんながめんどくさがったから私が出席しているのでした。
けれどそれは幸運なことでした。
だって、あの人と話すことができる数少ない機会なのです。
他に、機材班と演者班が会議には出ていましたが、あの人はやはり映像の出来が気になるようで会議で確認や意見の伝達が終わった後も、私だけを残して制作中の映像についてあれこれと言っていました。
それに私は意見をすることはありません。
言われたことは全部メモして次の日に映像班の人に伝えるだけです。
それでも時々あの人は私の意見を求めてきて、恐る恐る思ったことを言うと、あの人は必ず好意的に受け取ってくれました。
それだけで私はたまらなくうれしいのでした。
ちゃんとした会話でないけれど、映画を作るという作業を通じてだけは疎通していられるのでした。
そして私は妄想するのです。
あの人と私が映画ではなく何気ない日常の会話をするのを。
今日の出来事や、趣味のはなし、思ったことや感じたことをあの人と共有することを。
そんな日が来ることはないのを私はわかっています。けれどそれをせずにはいられない何かがあるのでした。
「聞いてますか?」
私はふっと我に返りました。
気づくとあの人がお互いに吐く息がかからんばかりの近さまで接近していたのでした。
それを認識した瞬間に私の心臓は早鐘を打ち始めました。
バクンバクンという音が、耳を澄ませば聞こえてしまいそうなぐらいでした。
体温が急激に上昇して、顔が赤く、火照るのがわかります。
私の地獄が、私の炎が作用し始めたのです。
私は恐れました。
この思いがあの人にバレてしまわないか恐れました。
バレてしまえばもうこのように親しげに映画の話はできないように思えたからです。
現状に満足しているわけではありません。
けれど、現状さえ失われてしまったとしたら。
そう考えるとこの思いがバレてしまうことがとんでもなく恐ろしいのでした。
あの人はじっと私を見ています。
私はあの人の視線からとにかく逃げたしたくなりました。あの人の目線が私を向いていると私の秘めたる地獄がバレてしまいそうで、たまらないのでした。
「暑そうですね。今日はもう辞めにしますか。」
ああ!
あの人の目が!
素晴らしい映画を撮るあの天才的な眼が!
ついに気づいてしまったのです。私の地獄に。誰にも見せたことない私の地獄に。
「あの、わ、私は大丈夫です。」
「そんなことないでしょう。見るからに暑そうですし、それに――」
あの人はそういうと手を伸ばしてきました。そしてその手は私の顔に触れたのです。
ああ!
その瞬間私の地獄の炎は、熱く煮えたぎる私の煉獄の炎が、私の体を駆け巡り私の体表へと噴き出してしまいました。
もう脳はとっくに焼け爛れていました。
「こんなに熱いじゃないですか。どうして言わなかったんですか。」
「いえ、これは、その、私は大丈夫ですから。」
「だめです。絶対に熱がありますよ。今日はもう終わりましょう。言いたいことも大体言えましたし。」
そう言ってあの人は片づけを始めたのでした。
私は何も言えず、黙って俯いているのでした。
※
そのあとも私は部室に残りました。
火照った体を覚ましたかったですし、何よりあの人ともし帰ることになったとしたら必ずボロが出てしまうと思ったからです。
私は机に突っ伏して窓を眺めていました。
するとそこにあの人が現れました。――その横には女の子の姿がありました。
女の子の姿を見つけたとき、私は動揺を隠せませんでした。
飛び上がり、窓に張り付いて下校する二人の姿を食い入るように見つめました。
女の子は同じ部活、出演班の女の子でした。
学校で一番と言われる女の子でした。
女の私が見ても可憐で、かわいくて、思いっきり腕を握ってしまいそうなどか細くて、そこだけ細いペンでなぞったかのように繊細でした。
私の目から涙が溢れました。
溢るる涙は熱く、止めどなく流れて、拭っても拭っても溢れてきました。
私は理解しました。
すると私の地獄に一人の統治者が現れました。
統治者は私の地獄の炎を弱め、針の山を下り、沸き立つ釜に蓋を堕としました。
地獄は生まれ変わろうとしていました。
けれど焼け爛れた脳だけは元には戻りませんでした。どれだけこすっても元には戻りませんでした。