結束さんの冒頭
「ねぇねぇ、聞いてよふーくん」
六畳一間の狭い一室。
場違いにでかいリクライニングチェアをぐにゃっと倒しながら、結束さんがいつも通り唐突に話しかけてくる。
「私がいつも通る道にね、駐車場があるの」
背もたれのてっぺんから頭を逆さまに覗かせ、彼女の長くてさらさらな髪が重力に従い垂れた。
思いのほか近づいてきた彼女の綺麗な顔に少しドキっとしながら、僕は平静を装って返事をする。
「へぇ、それが?」
「うん、それでね、朝七時頃だと四台ぐらい車が止まっているんだけど、左から赤い車、青い車、白い車、で最後がプリウスなのね」
「なんでプリウスだけ商品名なのかいまいち分からないんだけど、まぁいいや。それで?」
「そのプリウスがね、いつも左にななめってるの」
こう、こうななめってる、と結束さんが逆さまのまま両手で角度を表す。
「……それがどうしたの?」
「いや、それだけ」
そして沈黙。
彼女は逆さまのまま僕を凝視し続けるので、たまらず僕は口を開いた。
「結束さん、その話をして僕にどうしろと?」
嘆息しながら問いただす。
「え? 話したかったから話したんだけど、ダメだった?」
「なんで僕が結束さんの通学路上に存在する駐車場事情を知る必要が今あるの? 今RT企画の件で小説読んでるって言わなかった? 少し集中したいから声かけないでって言ったよね?」
「言ったよ。言ったけど、私は返事しなかったよ? だから、ふーくんのお願いを聞く必要もない」
「うん。確かにその論理展開は一応筋が通っている。正しいともいえる。だけれど、僕が君のお願いを聞いて必死になってなろう作品を読んでいるのに、なんで結束さんは僕のお願いを当然のように無視するのかが謎なんだけど」
「『君のお願いを聞いたから僕のお願いを聞いてくれ』という契約を結んでいないから当然だね。そもそもお願いというのはあくまでも『可能であればやってほしい』という強制力のない命令で、その命令を遂行したからと言って代わりに命令を受けてもらう、というようなギブアンドテイクの関係ではないからね。ふーくん、根本が間違ってるよ」
「いや、確かにそうだけどね? 突き詰めればそりゃそうだろうよ。でもさ、そこは意を汲もうよ。そんなことしてたら誰も結束さんのお願いなんて聞かなくなるんじゃない?」
「私は可愛いから誰でもお願いを聞いてくるよ。それに――」
そこで彼女は言葉を区切り、逆さまの状態から半転、うつ伏せの状態となり、よりリクライニングチェアを倒して僕に近づいてくる。近い。
「RT企画にリプライはするのに、企画主の小説なんて一ミリも読まない。もちろん他のリプライしている人のも読まない。企画主の『これが面白かったです!』にも反応しない。そんなキミが、良くもまあ、そんなことを言えるね?」
嘲りを含んだ、悪戯めいたその笑顔。
有無を言わさず肯定させるような、そんな彼女の端整な顔を見てしまわないように僕は視線を逸らし、反論する。
「いや、それは僕じゃない。誰かと勘違いしている。そもそも僕はなろうに書いてないし」
「あらそう。ならいいけど」
そこまで言って、結束さんは再び仰向けに戻り、キィ、とリクライニングチェアを元に戻す。
思いのほか淡泊な返答に少し違和感を覚え、僕は彼女の方へと向きなおした。
けれど、結束さんはそっぽを向いたままで、その後ろ姿からは感情を窺うことはできない。
カチ、コチ、と古臭いアナログ時計の秒針が進む音が狭い部屋に鳴り響く。
さきほどまで気にもしなかったその音が、静寂のせいか、やけに大きく聞こえるように感じてしまう。
「『キミの痛みは良く分かる』『誰が何と言おうと、僕だけは君の理解者だよ』」
結束さんが誰に言うでもなく、ぽつり、ぽつりと呟いた。
少し役者ぶったその口調は、まるで物語の主人公だ。
「そんなおべんちゃらを並べる作品を作ってるくせにさ、同じ立場にいる底辺作家の気持ちが分からない――」
秒針の音をかき消すかのように、リクライニングチェアがひと際大きく音を立ててくるりと回る。
「それはつまり、読者の気持ちが分からないことにも通じるよね?」
とびきりの笑顔とともに突き付けられたその言葉に、僕は返事をすることが出来なかった。
「よしよし。図星なようだね。じゃあ、そんなキミに、『RTした小説の人を読みに行く』で感じたこと、思ったことを、懇切丁寧に教えてあげよう」