8.猫耳へのやっかみ
インテリアコーディネーター常川瑠璃は、私の申し出を聞くとあからさまに嫌そうな顔をした。
私と共に並ぶ田崎マネージャーを睨んだが、
「売り上げは伊藤さんと折半ね」
と言われると、彼女はふっと笑い、ようやく機嫌を直してくれた。
インテリアコーディネーターとは、住宅から家具に至るまでの知識を網羅し、その家全体をトータルコーディネートするための役職である。家全体を測り、壁紙、照明、カーテン、テーブルウェアに至るまで、全ての提案を行える社内専門職である。
常川さんはお嬢様で、目つきは悪いが髪型や服の雰囲気はふわふわしている。若手にも関わらず、百貨店随一のインテリアマニアだ。
彼女は在学中に一般的なコーディネーター資格に合格し、就職活動中からそれをひっ提げ、とにかくインテリアに関わる仕事をしたいとこの百貨店に就職した。社内試験にも一発で合格し、販売実務もそこそこに、考えうる最短期間でインテリアコーディネーターとなった才女である。
休みはいつも中目黒でインテリア巡りを欠かさないという。椅子マニアで、家は椅子だらけだと言っていたっけ。
「そんならいーけど?ウォールナットかぁ。最近この手の高級木材はなかなか手に入らないのよねー。大体中国にヤラれてんのよ」
常川さんは育ちの割に口が悪い。先輩後輩関係なく、同僚に属する者に対しては敬語という概念が働かない性質らしい。
「でも新規出店なら売り上げアップの狙い目よね?ま、とにかく猫耳生えた伊藤さんには、最初に頑張ってもらいますから。どんどんニーズ掘り起こしてよね?私はなるべく隅にいるからさ。ところで……」
常川さんは私を睨む。
「伊藤さんもそろそろインテリアコーディネーター目指したら?それだけ売り上げるし商品知識があるなら、取った方が手っ取り早いじゃない」
インテリアコーディネーター資格は、とても取るのが難しい。常川さんはいい大学を出ているし、頭がいいので資格取得も容易だっただろうけど、高校で成績が芳しくなかった私は二の足を踏んでいるのだった。
「私は頭が悪いですし」
と簡単に言い訳をすると、常川さんはそれを鼻で笑う。
「そう?自信がないってだけじゃないの。別にあれは何度でもトライ出来るし、騙されたと思って受けてみなよ。伊藤さんは販売経験も豊富でしょう。単なる販売員にしとくのは勿体ないのよね。今、社内のコーディネーターは不足してるから、考えてみてよ。後輩なんかに頼らなくて済むように」
ああ、本当にそうなのよね。
私は顔で笑って心で泣く。
大学在学中に資格を取るのが、きっと一番冴えたやり方なのだろう。文化系の大学は時間に融通が効くらしいから、資格取得の最高のチャンスなのだ。
私は常川さんと自分を比べる。
きっと彼女は、親に何かを奪われた経験がないのだろう。
──女の子に学力は不要
──色気づいたら女はおしまい
──男を頼ったらもう終わり
──私を捨てないで、祥子
「伊藤さん?」
私はハッと我に返る。あの勝気な常川さんが、本当に心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
「どうしたの?顔色悪いよ」
私は苦笑いする。なぜだろう。猫耳が生えてから、急に過去の嫌な記憶を思い出すことが増えて来たのだ。
「だ、大丈夫ですよ……」
「そう?じゃ、小宮山さんと話し合ったら、私に内容を教えて。カーテンや絨毯なんかも、計測してくれたらその通りのサイズ探し出しますって勧めておいてよね!ああ、あと、ちょっと伊藤さんに連絡事項が」
田崎さんが携帯片手にバックルームを出て行くのを見計らって、常川さんがこそっと耳打ちして来る。
「伊藤さん、気をつけなよ?猫耳生えてから、女のやっかみが凄いことになってるじゃん」
私は目を見開く。
「……やっかみ?」
「今日、あなたが無視されてるの見かけたんだけど」
ああ、やっぱり。常川さんから見ても、そうなんだ。
「安岡さん、伊藤さんにかかりきりになってるじゃん。あれが原因でしょ?大体、伊藤さんが札幌店から来たばかりの安岡さんの教育係に名乗り出たところから、女子の間では嫌な空気流れてるのよね」
な、何ですと……?そんなに前から?
あの時は、安岡が不安そうにしているのが気になって手を上げただけなのだ。なのに周囲はそれを変な方向に曲解して憤っているらしい。
「安岡さんには言っても無駄っぽいから伊藤さんには言っとくけど、その気がないならあんま安岡さんに構わない方がいいよ。その内、安岡ファンに何されるか……」
私は青くなる。
ここで働くのに支障が出ることは、出来るだけ避けたい。
ふと安岡の手の温度を思い出しそうになって、私は青くなった。
……いけないいけない!
「わかった、教えてくれてありがとう、常川さん」
「礼には及ばないよ!私は伊藤さんがこんなことで嫌がらせに遭って販売意欲削がれるなんて、勿体ないって思ってるんだ。女子がこんなことで謎の結束してるのも馬鹿らしいと思うし。会社に何しに来てんの?って話だよね!安岡さんにも私から言っとくよ。伊藤さんを守りたいのは分かるけど、もっと目立たないようにやれってさ」
「つ、常川さん……」
またしても私は泣きそうになる。
あんまり話したことのない後輩だったけど、私のことをそんな風に思っていてくれたなんて。
「じゃ、小宮山さんにめちゃめちゃ買わせるために、我々、力を合わせて頑張りましょ。私これから別件のクライアントのところへ行くから、今日はここでお別れね」
「はい。ウォールナットの件、よろしくお願いします」
「まったねー」
常川さんはいたずらっぽくウィンクして、バックヤードを出て行った。
あれから結局丸一日、小宮山さんの相手に私の時間は潰されてしまった。これではまるで擬似インテリアコーディネーターではないか。現地派遣やら計測の類やらを必死にお断りし、どうにか常川さんを派遣することで合意した。
私は制服から私服に着替え、ふらふらとロッカールームを出た。
今日は色々ありすぎる一日だった。会議に無視に猫耳ファンの顧客の登場。
そして……
私は、彼の気配に気づいて足を止める。
従業員入口に、コートを羽織って壁を背にした安岡の立姿があった。彼は女子に囲まれ、何やら楽しそうに話し込んでいる。
私は真っ青になる。
何という間の悪さ。
私を無視した女子が、そこには何人もいた。
どうしよう……