62.猫耳と南仏リゾート
一か月後。
私と航平は松葉先生と羽田で落合い、また会う約束をしてそれぞれ旅立って行き──
出発から十二時間。私達は南フランスの、海の見えるシャトーホテルにいた。
王銘さんと光島さん、それからいろんな雑誌の撮影スタッフがやって来て、シャトー内はおおわらわだ。結婚式を執り行うまでの数日間、私達はここで泊まりがけでモデルの仕事をする。
更に一か月後には、フランスの百貨店へ配属となる。インテリアコーディネーターの仕事を任されると言う。言葉に不安があったけど、各国語を解析するアプリを持たされた。今は便利なものがたくさんあるのね。
今日は飛んで来た初日ということで、時差調節も兼ねたオフ日だ。
ちょっと新婚旅行気分。フランスのどこか開放的な空気もあいまって、私はガラにもなく航平と腕をからませて歩く。彼は最初少し驚いていたけど、すぐに笑顔で受け入れてくれた。
トレンチコートを羽織り、帽子は被らず、猫耳を放り出したまま彼と連れ立って歩く。南仏の人々が、気さくに声をかけて来る。猫耳が気になるようだ。中には私を見て「知ってる」という人までいた。北半球の裏側に私を知っている人がいるとは驚きだ。でも不思議と、日本と違って遠巻きにしない感じがある。私は異物だけど、この国の人々は、とりあえずいったんはそういうものを受け入れる態勢のようだ。口に含んでから、吐き出そうか考える人々。そういう印象を持った。
だからかもしれないが、今日の私は心がちょっと軽い。
漁港にあるマルシェ。裏通りの素敵なレストラン。工芸品の集まるお土産屋。白い建物の並ぶ街並み。何もかもが美しい。そこを航平と二人で歩ける幸せ。時差も何のそので夕方まで遊び回り、私達は束の間のバカンスを楽しんだ。
シャトーに戻り、泊まる部屋へと案内してもらう。
「いいなー。せせこましいパリ市街じゃなくて、こういうところに住んでみたかったな」
夕陽に煌めくエメラルドの海を眺めながら、私はぽつりと呟く。
「ま、二三年もいないだろうからな……それまでに、この国でやりたいことやろうよ」
航平がベッドにごろんと横になって言う。
この国でやりたいこと、かぁ。
「ところでさ、祥子って子ども欲しい?」
「何、いきなりそんな話……」
「大切なことだよ。今までそういう話、して来なかったじゃん」
そう言われてみれば、そうかもしれない。
「そうね……日本に戻ったら、かな」
「じゃあ、欲しいってこと?」
「うーん……」
私は振り返ると歩いて行って、航平の隣に腰を下ろした。
「航平は?」
「俺は欲しい」
「そっか。……そうだよね」
「なあ、祥子」
「何?」
「俺たちから産まれた子も、猫耳生えて来るのかな?」
私はハッとする。
「た、確かに……!」
「遺伝性なら、可能性あるよな?」
そんなこと、考えてもみなかった。
ふとマオさんの顔が頭をよぎる。
まだ見ぬ私の子。余計な苦労をしなければいいけれど。いや、させないように親として尽力出来るだろうか。
「だからさ。最近、ちょっと考えたんだ。やっぱりフランスにいる間に、祥子を研究所に徹底的に診てもらった方がいいんじゃないかって」
航平が、そっと手を繋いで来る。私はその肩に寄り添った。
「うん……そうだね」
「前はあの研究所に不安や不満があったけど、今はこれからの子どものためにやってもらいたいっていう気持ちの方が大きくなって来てて」
そんなことまで、彼はちゃんと考えていたんだ。私、目の前のことをこなすことばかりで、そこまでの未来を見通すことが出来ていなかった。
あれ、何だろう。
何だか急に、この人は私の「夫」になった気がする。
変な話、私はずっと彼を後輩扱いしていたのだ。でも影でこんなにきちんと人生設計をしてくれていたなんて、驚くやら嬉しいやら。
「だからさ、祥子」
「うん」
「子ども作ろっか、今から」
──前言撤回!
「はいっ。ハネムーンタイム終了!」
「ちょっと待って祥子。どうした?」
「どうしたもこうしたもないわ!いいムードだったのに、唐突に下心丸出しにするのやめてよ!」
「だ、だって最近忙しくて、してないし……」
「航平の駄目なところよね、ソレ。女の子が次々寄って来てくれる人生だったから、そういうムード作りの修業がまだ足りてないんじゃないの?」
「あ、そうかも」
認めるな!
「そうかもじゃない!まったくもう……」
頭を抱えた私を、航平は笑って抱きすくめる。
「だからさ、一回そのマオさんと会ってみたいよね。子ども心に猫耳生えて来てどうなのかとか、ほかの猫耳族のこととか」
あー、そうだね。
「俺たちの付き合い、結構山あり谷ありだったじゃん。子育てもそうかもよ」
私、この人の子どもを産んで、子育てをするんだろうか?何だか今まで味わったことのない、不思議な感覚。
うーん。子、子作りかぁ……
と、航平がぐっとこちらに体重をかけてくる。どうしようかな……
その時。
ブーンブーンと私のスマホが鳴った。急に気持ちが切り替わって、私はさっとそれを手に取る。
松葉先生からだ。
「はい、どうなさいました?」
私が出ると、
「お取込み中、すみません」
と、まるで見ていたかのような口ぶりで先生が言う。航平は気まずそうに頭をぼりぼりと掻いている。
「まさかと思い電話させていただいたんですが、祥子さん。マオさんを見ませんでしたか?」
私は目を丸くする。
「マオさん……?いいえ……」
「マオさんが、行方不明になったんです」
!
「マオさんが……!?」
「ちょっとトイレへ行くと言って、そこから急に姿を消してしまったんです。支援員も総出で探しているのですが」
私は血の気を失う。それじゃあ、マオさんを結婚式に呼んであげられない。それ以前に、彼女の身に危険が迫っている可能性もある。更に言えば、まさか、私の身にも危険が──
「伊藤さん、そばに誰かいますか?」
私は相手に自分の姿が見えないことは分かっていても、頷いてしまう。
「航平がそばに」
「そうですか。なるべく大人数の味方がいる場所にいて下さいね。何か動きがあったら、また連絡しますから」
電話が切れた。
「……どうした?祥子」
私は青い顔で電話を置くと、彼に松葉先生からの電話の内容を説明する。