45.母が来たりて
そういうわけで、私はキャンペーンのために奔走した。私の「招き猫」需要は高く、主にゲン担ぎに呼ばわれた。中にはインテリアコーディネートなどせず、ずっとそこにいるだけでいいとさえ言われたことがあった。私は風水グッズか。
写真を一緒に撮りたいなどという依頼もされたが、全て「事務所を通してください」でスルー出来た。こういう時、芸能事務所は便利だ。別料金が発生するとなると、皆無理を言ってこない。誘いを断る口実にも使えるから便利だ。
そんなこんなで、私は順調に猫耳インテリアコーディネーターのスタートを切ったのだった。
そうそう、ようやく運転免許も取ることが出来た。証明写真を撮るのに帽子を外した私を見て、腰を抜かした免許センターのおじさん、本当にごめんなさい。
新しい免許には、猫耳の女。
それを携え、私は都内を運転して回る。社用車を通勤に使っていいとのことだったので、私はもう航平の護衛がなくても自由に移動が出来た。直行直帰の仕事は、私の体を楽にした。航平のことは好きだけど、私、自由も同じぐらい好きだったのだ。
ようやく彼と離れて生活出来るようになり、私はむしろ彼のことを前よりも好きになって行った。
ひとりで過ごす部屋で、日増しに「一緒に暮らしたらどうなるだろう」との思いがよぎる。私はあられもない格好でベッドに寝そべり、私の写真を雑誌で眺めながら、ため息をつく。
〝猫耳の伊藤さんインタビュー〟
ああ、めちゃくちゃ恥ずかしい。こんなことまで切り売りしなければならないのかぁ。彼の呼び方だのお互いの好きなところだの、こんなこと書かれて胸焼けしそう。
そうだ、次の仕事の打ち合わせをしなくっちゃ。私が航平に連絡を取ろうとスマホを手にした、その時だった。
あ、電話。
「はい、もしもし?」
「伊藤さんですか?松葉です」
「あ、どうもご無沙汰してます!」
久しぶりに松葉先生から連絡だ。何だろう。
「芝さんから連絡はありましたか?」
「……いいえ、特に何も。キャンペーンが終わるまでは、研究の方は待って貰ってるんです」
「あ、そうですか」
「先生、何かお話が」
「ああ、そうなんです。無事、ジモン・ケルル研究所に入所が決まりまして」
私は思わず叫んだ。
「えーっ、本当ですか!?」
「はい。それなんで、あの……二ヶ月後には日本を離れます」
ああ、いよいよ。そうなんだ。
「っていうことは、ドイツに出発ですね?」
「そうなります。そういうわけで、松葉医院は閉院です」
そっか。初めて先生の医院に駆け込んだことが昨日のことのように思い出されるよ。あの時は不安だったけど、先生がおかしなことを言うからむしろ救われたんだったな。
「色々お世話になりました」
「いえいえ、こちらこそ。伊藤さんの猫耳研究は研究所に一任するという形でよろしいですか?」
「はい……ああそうだ!ドイツに旅立つ前に、一度みんなで集まりましょうよ」
その言葉を待っていたように、先生は電話の向こうでくすくすとくすぐったそうに笑う。
「いいんですか?」
「勿論です!いつ集まりましょうか」
「僕はいつでもいいです。人気者の伊藤さんに合わせますよ」
またそういうことを言う……
「分かりました。航平にもそのように伝えておきますね」
「よろしくお願いします」
私は電話を切る。
どこのお店がいいかな?
一週間後。
私は仕事を終え、いつもの最寄駅で待っていた。今日集まるのは、松葉先生と航平だ。商店街の一角の飲み屋に集うことになっている。松葉先生が駅で待っていて、私と先に落ち合った。
「松葉先生、お久しぶりです!」
「ああどうも、伊藤さん。安岡さんは?」
「少し遅れるって言ってました」
「じゃ、もう少しここで待ちましょうか」
私たちはぼうっと改札口を眺めた。
「あとどれくらいで来ます?」
「うーん、十分くらい……」
その時。
改札口を、毛皮のコートを来た女性が出て来る。私はそのコートに見覚えがあり、どきりと胸を鳴らした。
あ。
「どうかしましたか?伊藤さん」
私の足が、体温を失ってあの予感に震え出す。あの女の、美しく手入れされた巻き毛。年甲斐もない真っ赤な口紅。あ、だめ。
私の様子がおかしいことにすぐ気づく松葉先生。私は震える声をようやく出した。
「母」
松葉先生はその言葉で、ぱっと私の手を取る。
「離れましょう、ここから」
私は先生と駆け出した。なぜ?なぜ、こんなところにあの、母が?
私のスマホのバイブレーションが鳴る。でも、松葉先生と走っているから取ることが出来ない。
駄目だ駄目だ駄目だ。
きっとこの電話は、航平から。でもごめんね、今は出られない。
「……何だよ、祥子ちっとも出ねーな」
そう呟いて電話を切った彼に、背後から毛皮のコートを来た女が近づく。
「……あなた、安岡航平さん?」
「?そうだけど」
彼は振り向き、随分と慣れた調子でそう答えた。女はその顔を眺め、得心したように頷く。
「私、伊藤祥子の母なの」
彼は目を丸くした。
「やっぱりあの子の言った通りだわ。あの子、今夜私を泊めてくれる予定なの。安岡くんが駅で待っているはずだから、先に家に入れてもらって待ってて、って言ってたわ。ねぇ、祥子のうちまで案内してもらえない?」
彼は怪訝な顔をしたが、女は二つ折り携帯の画面を彼に見せた。
from伊藤祥子
to伊藤正美
航平が駅にいるから、私の部屋まで送ってもらって
彼は再び女を見下ろす。
女はそんな彼の顔を見て、剛を煮やしたように携帯の待受画面を見せる。そこには猫耳さえないものの、セーラー服姿の愛する彼女とこの女が、共に笑顔で写真に収まっていた。
「あらやだ、あの子ったら彼氏に母親のことを何も教えてないの?あなた、本当に祥子の彼氏なのかしら……」
彼はスマホに目を落とす。電話は未だに繋がらない。
「……分かりました」
彼は駅の外へと歩き出す。
ぬるい風が吹く春先の都会の中を、余りにも場違いな毛皮のコートの女と共に。




