43.満たされない気持ち
それからみんなで松葉邸で食事をして、私と航平は私の部屋へ帰ることにした。
いつものように自室の玄関でキスをして、ただいまとおかえりを言ってから入る。
私は部屋着に着替えると、雑誌を眺めた。
光島さんによれば、テレビ局のオファーが殺到してるらしい。でも、テレビに出たら何かが終るような気がして、私と航平は断ってもらうことにしていた。ユーチューブの方が下手な編集なしに自分の意思で発信出来るから、まだいいような気がしている。
航平はいつものように、座っている私を後ろから抱きすくめるように座る。こうするとちょうど航平の頭が猫耳に当たり、猫耳を存分に堪能出来るんだって。変なの。
共に雑誌を眺める。
「よくできました」
航平が呟いて、頭を撫でて来る。私は雑誌を下ろすと、スマホを手に取った。
「何?エゴサ?」
その通りです。
「あんま深追いするなよ?あれ、メンタルごそっと削られるから」
「へー、航平もエゴサしたことあるの?」
「モデル時代はしょっちゅうやってたよ。でもメンタルやられて、エゴサもモデルも辞めたんだ」
……そうなんだ。
「みんな、俺と話したこともないのに好き勝手言うんだよ。根も葉もない噂まで広がって。ネットは際限がないんだよ。コピーペーストでいくらでも拡大してしまう」
「……どんなこと書いてあったの?」
「その便利な板で調べてみたら?」
私は安岡航平と入れ、検索してみた。
「本当にやるんだ……」
「ふーん。舞台女優さんと付き合ってたの?」
「ああ、それ嘘」
「そうなの?でも、この記事すごく詳細に書いてあるよ」
「それ多分、その女優自身が広めたやつ。そいつ、業界では有名なストーカー女だから」
ヒエッ。
「女優さんがストーカー!?」
「女優だから、きれいだからそういうことしないって他人は思うじゃん。そこを利用してるんだよ」
「そうなの。じゃあこれは?両刀」
「……おい……何をどうやったらそんな情報が出て来るんだ?勘弁してよ」
確かにこんなこと、もっと若くて多感な時に目にしたら、メンタル壊れるだろうなぁ。
「検索候補がエグいね」
「だからやめろって」
「これは?女性誌モデルの麻衣ちゃん」
「だからやめろ!それは元カノで合ってる」
どれどれ。
「見るなって……!」
私は航平にスマホを取り上げられてしまった。麻衣ちゃんかぁ、名前だけでも覚えておこう。
「でもさ、気になっちゃうよ」
私はスマホを取り返すと、猫耳・伊藤と検索欄に入れた。
あ、撮影現場撮られてる。なるほど。休憩中に私と航平が何かを話し合っている光景。
私の宣材写真に、色んな人がコメントしてる。
「秋元梢ちゃんに似てる」
……誰?
「遠くからみるとキレイ目だけど、よく見りゃブス」
よく見ないとブスには見えないっていう誉め言葉として受け取っておこう。
「ヤりたい」
死ね。
「安岡くんって、色モノ好きだったんだね。女の趣味悪くて幻滅」
「安岡のことだから、すぐに飽きて捨てるよこんなお固そうな女子」
「安岡くん復帰してくれて嬉しい。私の青春そのもの」
「安岡め。注目されたいからってこんな猫女に乗り換えて。麻衣ちゃんにごめんなさいしようね?」
なぜか航平が叩かれてるパターンが多いな。きっと現実世界と同じようにこのバーチャルな世界でも、悪口を言われやすい人と言われにくい人がいるのだろう。
私に関しては情報が少なすぎるのか、別段引っかかる内容はなかった。
けど。
「猫耳って感染るの?」
「猫耳にする整形なんてあるんだね」
こんな文言がちらほら。ああ、早く猫耳の誤解を解きたいなぁ。こればっかりは、芝さんや松葉先生の仕事を待つしかないのだ。
「ねぇ、明日休みじゃん」
航平が後から抱きしめながら囁く。
「今日、泊まって行っていい?」
「勿論いいよ。布団も買ったし、着替えも一揃い置いてあるでしょ」
「……ていうか、その」
どことなく熱っぽい声で彼は言う。
「今日は同じベッドで寝たら駄目?」
私は思わず振り返った。航平は期待の眼差しでじっとこちらを見下ろしている。
「何?急に!」
「祥子が、ついに公になったじゃん」
「うん」
「最近、祥子への独占欲が抑えらんなくて……」
「……そう」
「もう俺達、付き合って四ヶ月だよ」
私はうつむく。彼の言いたいことはよく分かる。私の体を求めているのだろう。
けれど私は、この欲求については彼とは少し違う感情を抱いているみたい。
「私はまだ、そういうことしたくないな……」
航平は黙る。私にはっきりと言われてしまったから、少し落ち込んでる。本当にごめんね。
「セックスが怖いの?」
航平が真剣に尋ねて来る。
「う、うーん……」
何と説明したものか。難しい。
「行為自体が怖くないと言ったら嘘になるけど、そうじゃなくて……私、今、色んなことが起き過ぎてて、心と体が一致してるのかどうか分からなくなってるんだよ」
航平は困った顔になる。
「そういう気分じゃないってこと?」
「簡単に言えばそうなる……かな」
これ、男の人には余り理解されない感情だろうな。
「だから、きっと必ずそうするとは思うから、待ってて欲しいの。今の気分のまましても、後から自己嫌悪に陥るだけだと思う」
航平は頭をぼりぼりと掻いた。
「うーん……」
「ご、ごめんね。わがままで」
「そこまで言われたら……まぁ、我慢する」
本当にごめん。
でも心の奥底では、私、分かってる。
私は航平の能天気さや前向きさに、最近引っかかりを覚えてるんだ。
彼を好きになればなるほど、私は己の背後に伸びている暗闇を意識してしまう。
私はセックスに怯えているのではない。
私は私の中の暗闇に怯えているのだ。そしてその暗闇を照らして欲しいがために、航平を試している。私をもっと分かってほしい。私を見ていてほしい。だから彼の要求を断って、様子を見ている。彼が本当に、そういうことを抜きで私を愛してくれるのかどうか。
ああ、汚いな私。
そう思ってうつむいた私を、航平はまた後から抱きしめる。
「しょうがないか。祥子の気持ちが少しでも前向きになるように俺も頑張ろうっと」
君が飢えてがっついていない大人の男の人で、本当に良かった。
「頑張らなくていいよ?ただ、時間が欲しいだけ」
「待つよ。したくなったらいつでも言って」
「ま、全くもう……」
「明日は久しぶりに、祥子と朝ごはんだな」
「……冷凍のパンケーキしかないけど、それでいい?」
私は再び雑誌を開く。
写真の私は航平の隣にいて、とても幸せそうに見える。
……でも、本当の幸せって何なのかな?彼に抱き締められていても決して満たされないこの気持ちの正体は、一体何なのだろう。
何となくだけど、猫耳はそれを解く鍵を握っている気がするんだよなぁ。